以前にもこのブログで書きましたが、この世界では必ず「霊」が先に存在してから、次に「形」が生まれるという法則があります。


無から有を創造する神は「霊」から「物質」を実体化させることができますが、我々人間は既に存在している物質から「霊」を通して「形」を作り出しています。


神は土塊から「人」を創造しましたが、人は土塊から「人形」しか作れません。


当たり前ですが人は神と違って、「形」に自分の霊を吹き込んで勝手に動く生き物を作ることができないのです。


これが、あくまで人間が神の「似姿」に創造された故の限界です。

 

霊とは幽霊のようなものではありません。


生き物のようでもありますが、そうであるとも言えません。


霊は目に見ることはできませんが、我々の人間性に深く影響を及ぼすものです。


ですが、普段はこの霊を意識して生活している人は、ほとんど皆無と言っていいでしょう。


霊は様々な側面を持っている多面体構造なので、一言で説明することはとても難しいのですが、あえて一つに絞り込むのであれば、シンプルに「言葉」という表現に置き換えてみてもよいでしょう。


「言葉」は常に人間の頭(心)の中にあり、これがなければ人間らしい高度な生活や発明・創作活動などはできません。


しかし、これも霊の一つの側面でしかありません。

 

余談になりますが、AI(人口知能)を搭載したロボットや兵器も言語でプログラミングされているから、創造に近いというご意見もありますが、肉の体を持たず、神の霊を宿すことができない以上、全くの別物になります。

それでも、いずれこのAIが、サタン(悪魔)の霊に悪用されることは間違いないでしょう。

 

また、「霊」が理解できないという方は、どこかで「その場の雰囲気に流されて一緒に悪いことをやってしまった」とかいうセリフを聞いたことがあるかもしれません。

 

このように、その「場」を支配しているものも「霊」と言えるので、今後は注意深く周囲を観察して生活してみると、何となく分かるようになってくると思います。


人は何時でも、この「霊」と呼ばれるものに突き動かされて行動しているのです。


今ある天と地は、神の霊によって創造されたので、森羅万象に神の霊が遍在していますが、地上と空中の一時的な支配権はサタン(悪魔)に渡されており、ノアの時代に大洪水で滅ぼされ、行き場を失ったネフェリム(巨人)たちの霊と反キリストの霊は、常に我々の周囲で蠢いています。


それでは、終末を迎えてサタン(悪魔)の霊が活発になってきた現在、人々はどのような霊に突き動かされて行動しているのでしょうか?


それは「不法の霊」です。


世界中の権力者たちが当たり前のように悪事を働き、法の裁きを受けることなく平然と暮らしています。


その恩恵に与る者たちも同様です。


日本でも検察や警察が権力者に忖度することが日常茶飯事となり、大手メディアも大本営の発表の如く右に倣えで落ち着き、真実を報道することがなくなりました。


これは何も、金銭に目が眩んだ権力者だけが暴走しているというわけではありません。


もう既に我々のような庶民が対岸の火事として見ていられるほど楽観的な事態ではなくなりました。


日本を含めた西側諸国では、移民(難民)の受け入れを積極的に行い始めましたが、そのせいで、自国で平和に暮らしていた国民の生活までもが、彼らの不法によって脅かされることとなってしまいました。


日本に限って言えば、これからも海外資本へと国土は売られていき、外国人による犯罪率は増加していくことでしょう。


「どうしてこんなことが?」
「日本の警察は何をしている!」
「なぜ日本の政治家は黙っているのか?」


このような疑問の声が聞こえてきそうですが、誰であろうと、どうすることもできません。


もう一々説明するのが面倒なので、あえて陳腐で幼稚な表現をしますが、権力者は世界を牛耳る支配者層の人間に命令をされているので、全ては予定通りに実行されます。諦めてください。


それでは逆に聞きますが、国の権力者は世界の支配者層に命令されていますよね?


この単純なシステムの存在を否定し、陰謀論だと笑う方は、これ以上読む必要はありません。


権力者はこのシステムに背けば仕事を失い、家族が路頭に迷い、下手をしたら簡単に殺されてしまいます。


もちろん彼らは国とそこに暮らす民を捨てた見返りに、巨万の富を得ています(そもそも日本で幅を利かせている政治家は元を辿れば日本人ですらありませんが…)。


しかし、このシステムを破壊しない限り、何をしても無駄に終わるのです。


このシステムの破壊方法を皆さんはご存知ですか?


不法を働く為政者や大手メディア、大企業の経営者全員が、支配者層からの脅迫や報復に恐れることなく、安心して庶民の側に寝返ることが出来る方法です。


この方法を作り出し、既存のシステムを破壊できなければ、草の根活動など何の意味もありません。ぷちゅっと踏み潰されて終わりです。


選挙なんていうものは、投票によって民衆に「自分たちが自分たちのリーダーをこの手で選び出している」という錯覚と自己満足を与えるための茶番に過ぎません。


もしも、日本国民一千万人が一斉に蜂起し、東京にある国会議事堂と全ての省庁・テレビ局を取り囲み、実力行使に出る勇気でもあれば、少しは何かが変わるかもしれませんが、いとも簡単にコロナの茶番に騙されて、8割の国民がワクチンを打ってマスクを信奉し、今でもその信仰がやまないような洗脳された日本人に、そんな気概は微塵も無いでしょう。


それに一千万人程度では、米軍が出張ってきて終了かもしれませんね。


断言できますが、一億総決起の革命でも起きない限りは、これから日本は平和憲法を改悪した後、戦争ができる国家へと変貌し、外国人とイスラムが跋扈する混沌とした地となります。


増税や物価高は続き、様々な毒物で国民を弱体化させ、狂った多様性を受け入れた結果、お互いを監視し、密告し合う社会が人々を精神的にも疲弊させていきます。コロナ禍で実証済みです。


これはもう何十年も前から、支配者層によって計画されてきたことなのです。


誰かがこの数年で突然思いつく計画のわけがないでしょう。


前置きが長くなってしまいましたが、詳しい政治・経済や歴史的背景の話はその道の専門家に任せるとして、それではなぜ今になってこの様な「不法の霊」が蔓延る世界になってしまったのでしょうか?その理由をお話します。


それはもう単純明快で、我々一人一人が「不法」を実行し、推進している側にいるからです。


これは国が定めた法律の範囲で、法を犯しているといった意味ではありません。

 

我々人類が守るべき神の律法と戒めを遵守しないという霊的な事実があって、それが現実に反映されてきているのです。


突飛な話だと思うかもしれませんが、私も誰かを説得し、納得させるつもりではありませんので、否定していただいても結構です。


しかし現実では、霊的な事柄を扱う宗教の中でも、一神教を主とする「三大宗教」を見ても分かるように、ユダヤ教では「タルムード」、イスラム教では「シャリーア」という法を、主権国家が定めた法律よりも優先させ、他者を迫害することを正当化するための免罪符のように扱っています。


またキリスト教では、律法がキリストの十字架によって廃止されたと言って、ユダヤ人に与えられた「モーセ律法」と、人類全体に与えられた「十戒」とを区別できていません。


キリスト教に異教の風習を取り入れたカトリック教に至っては、よりにもよってこの「十戒」に手を加えて勝手に変更してしまいました(旧約聖書ダニエル書7章25節参照)。


もちろん他の宗教や無神論者の影響もゼロではありませんが、このように世界人口の半数が信仰する一神教が、共通して旧約聖書を読んだり、一部を肯定的に認めたりしているにもかかわらず、その内容を正しく理解することなく「不法」によって霊的な事実を生み出し、無意識に現実世界へと投影してしまっているのです。


神の創造の御業は、その御言葉が発せられた瞬間に成就しますが、悪魔の計画にはそのような力はないので、霊(言葉)→物質(実現)へのプロセスに時間差が起こります。


冒頭でも述べたように、現在のまるで第三次世界大戦前夜のような狂気に満ちた世界は、先に霊的な堕落と不法が蔓延したことによって、後から物質世界に時間差をつけてその影響が現れてきただけのことなのです。


これらは全てサタン(悪魔)の計画であり、聖書に預言されていたことです。


少し長いのですが、新約聖書からマタイの福音書24章4〜14節までを引用いたしますので、お読みいただければ幸いです。

そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。

注意していなさい、あわててはいけない。
それは起らねばならないが、まだ終りではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。

またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。
そしてそれから最後が来るのである。」


もちろんクリスチャンは、ご紹介したこの預言だけを読んで全てを断定しているわけではなく、新旧両訳の聖書を複合的に読んで、現在の世界情勢と照らし合わせています。


誤解のないように申し上げておきますが、「最後が来る」というのは「人類の滅亡」のことではありません。


長くなってしまいましたので詳細は割愛しますが、最後は間もなくやって来ます。


今は産みの苦しみの時代であり、不法の時代、また、ノアの時(大洪水前)です。


不法がはびこると愛が冷えると預言されていますが、これは人対人の愛だけではありません。


神に対する愛も含まれています。


神に対する愛とは、神の律法(十戒)を守ることです。


これは何も難しいことではありません。


読んでみれば当たり前のことが書いてあります。


妻や夫、友達でもいいのですが、誰かを愛するということは、ひいてはお互いの約束を守ることで証明されるのではないでしょうか?


神様との関係もそれと同じことです。


ぜひ、聖書を手に取って、これからやって来る患難に立ち向かってください。


患難に対する霊的な備えは、聖書を読み、イエス・キリストの福音(良い知らせ)を信じ、神の戒めと律法を守ることによって完成されます。

最後に新約聖書からヨハネの手紙第一5章3節と、旧約聖書から申命記30章11節・14節を引用して終わります。

神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。
そして、その戒めはむずかしいものではない。
まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。
まことに、御言葉は、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。


アーメン
 

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