蓮如上人の『御文』を読む -8ページ目

一帖目第十通 吉崎

 そもそも、吉崎の当山において多屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに先世の宿縁あさからぬゆゑとおもひはんべるべきなり。それも後生を一大事とおもひ、信心も決定したらん身にとりてのうへのことなり。しかれば内方とならんひとびとは、あひかまへて信心をよくよくとらるべし。
それまづ当流の安心と申すことは、おほよそ浄土一家のうちにおいて、あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆゑに、他力の大信心と申すなり。さればこの信心をえたるひとは、十人は十人ながら、百人は百人ながら、今度の往生は一定なりとこころうべきものなり。その安心と申すはいかやうにこころうべきことやらん、くはしくもしりはんべらざるなり。
 答へていはく、まことにこの不審肝要のことなり。おほよそ当流の信心をとるべきおもむきは、まづわが身は女人なれば、罪ふかき五障・三従とてあさましき身にて、すでに十方の如来も三世の諸仏にもすてられたる女人なりけるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりかかる機をすくはんと誓ひたまひて、すでに四十八願をおこしたまへり。そのうち第十八の願において、一切の悪人・女人をたすけたまへるうへに、なほ女人は罪ふかく疑のこころふかきによりて、またかさねて第三十五の願になほ女人をたすけんといへる願をおこしたまへるなり。かかる弥陀如来の御苦労ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもふべきなり。
 問うていはく、さてかやうに弥陀如来のわれらごときのものをすくはんと、たびたび願をおこしたまへることのありがたさをこころえわけまゐらせ候ひぬるについて、なにとやうに機をもちて、弥陀をたのみまゐらせ候はんずるやらん、くはしくしめしたまふべきなり。
 答へていはく、信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはば、まづ人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまはしくおもふこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏・菩薩・諸神等にもこころをかけずして、ただひとすぢに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもはば、そのありがたさのあまり念仏を申して、弥陀如来のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる多屋の坊主達の内方のすがたとは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年九月十一日]

一帖目第九通 優婆夷

 そもそも、当宗を、昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申すなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆゑは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門・他宗に対してはばかりなくわが家の義を申しあらはせるいはれなり。これおほきなるあやまりなり。
それ当流の掟をまもるといふは、わが流に伝ふるところの義をしかと内心にたくはへて、外相にそのいろをあらはさぬを、よくものにこころえたる人とはいふなり。しかるに当世はわが宗のことを、他門・他宗にむかひて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流を人のあさまにおもふなり。かやうにこころえのわろきひとのあるによりて、当流をきたなくいまはしき宗と人おもへり。さらにもつてこれは他人わろきにはあらず、自流の人わろきによるなりとこころうべし。つぎに物忌といふことは、わが流には仏法についてものいまはぬといへることなり。他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかひてはもとよりいむべきこと勿論なり。またよその人の物いむといひてそしることあるべからず。
しかりといへども、仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずと、あきらかに諸経の文にもあまたみえたり。まづ『涅槃経』にのたまはく、「如来法中無有選択吉日良辰」といへり。この文のこころは、「如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなし」となり。また『般舟経』にのたまはく、 「優婆夷聞是三昧欲学者{乃至} 自帰命仏帰命法帰命比丘僧 不得事余道不得拝於天不得祠鬼神不得視吉良日」{以上}といへり。
この文のこころは、「優婆夷この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」といへり。かくのごとくの経文どもこれありといへども、この分を出すなり。ことに念仏行者はかれらに事ふべからざるやうにみえたり。よくよくこころうべし。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年九月 日]



【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
 この「御文章」は文明五年九月とあるから、蓮師の吉崎時代のものであることには相違ない。誰に宛てたものかは種々異説があるので明らかでない。この「御文章」は、迷信呪術に対する態度を明らかにされている。現在わが国は迷信列島といわれるほど迷信が惨透している。科学文明の発展と並行して迷信呪術の花ざかりとなっている。新聞、テレビ、雑誌等、この宣伝にあけくれている。仏教本来の立場はもちろん、特に浄土真宗では、このような迷信呪術を親鸞聖人以来きびしく戒めてきたのである。すでに『教行信証』「化身上巻」の末巻の内容や、親鸞聖人の晩年の作である『悲歎述懐和讃』をみると明らかに知られる。元来根本仏教の上でも、釈尊は是認していないことがスッタニパータによって明らかに知られる。すなわち「正しい遍歴」によると(三六〇条)、
 師はいった。瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は世の中に正しく遍歴するであろう。
とあり、さらに、親鸞聖人も「化身土巻・末」には『涅槃経』と『般舟三昧経』を引用され、蓮師もこの二経の文を本章の終りに出されている。仏教本来の上からも、このような人間の運命を支配するものを外に求める迷信呪術の思想は是認しないのである。法然上人の『和語灯録』巻五には次の如くある。
 七才の子しにて、いみなしと申候はいかに。答、仏教にはいみといふことなし。世俗に申したらんやうに。いみの日、物もうでし候はいかに。答、くるしからず。本命日も、八専に物まうでせぬと申すはまことにて候か。答、さること候はず。いつならんかに、仏の耳きかせ給はぬことのなじか候べき。産のいみ、いくかにて候ぞ、またいみもいくかにて候ぞ。答、仏教にはいみといふこと候はず。
 これらの忌みは神道でいう血穢をいっているようである。このように物忌みを否定されている。しかるにわが国では、平安仏教で日本民族の土族信仰と混同し、仏教の中にも入りこみ、「外儀は仏教のすがたにて、内心外道を帰敬せり」の類が常識のごとく一般化したようである。蓮師の時代も同様で、他宗や公方には抵抗なく受容され、物忌みを行っていたのである。さらに、高度な科学文明の進歩せる現在においても公方(政府)や他宗は平然として行っている。このような迷信呪術に対する態度を明らかにしたのが今の「御文章」である。
 蓮師は念仏者以外の者、迷信呪術の虜となっている者に対して、頭から否定するような態度は厳しく戒められている。それは争いの因由となるからである。この点、一神教を母体とする西欧宗教のような方法論と異なるのである。むしろ彼らの立場を是認しているのである。しかし念仏者だけはこのような迷信呪術の虜となってはいけないと戒められているのである。元来、浄土真宗では「迷信呪術に迷ってはいけない」と律法的にいうのではない。迷う必要がないのである。他律的に考えられているが、逆に迷う必要のない世界を与えるのである。その答えが念仏そのものである。というのは人間の迷い心は自らの不安からきているのである。この不安は一時的なものではなく、生きているということ、そのことに直接しているのである。人間に生まれて、最後の死の瞬間まで持続している不安である。すなわち生死の問題である。この生死の問題の正しい解決の答えを見い出すことが、念仏の法にあうことである。ここにいかなる災禍にあっても安心して生きていく道が間かれるのである。
 また人間の運命を支配するものを、他に求めるのが一般の外道である。日の吉凶、方位の良否、墓相、家相、性命判断等、すべて自らの外に運命を決定するものを求め、自らに危害を加えるような亡霊等を外に求めるのである。念仏の教えは外にあるものもさることながら、より恐ろしいものを、自らの中に見い出すのである。源信和尚の極重悪人、法然上人の極悪最下の人、親鸞聖人の「煩悩具足の凡夫」といわれるのは、等しく自らの中にデモーニッシュなものを見い出しているのである。それゆえ、何よりも恐ろしいものは、外にあるよりも自らの主体の底に横だわっているのである。鬼は自らの中に存在する。この鬼が鬼のままで仏になる念仏の法にあうと、全く怖いものはすべて消されてしまうのである。それゆえ、念仏の法にあうと迷う必要がなくなる。それゆえ、迷信は正信によってのみ解決され得るので、いかに科学が進歩しても解決されないことは現実の社会において実証されている。禅家のいう「日々これ好日」ということもこのような生死の問題をこえた場において開かれるので、仏教一般においても通ずるのである。

〔用語の解説〕
・他門他宗-他門とは法然上人門下の異流のこと、西山、鎮西義等をいう。他宗は天台宗、真言宗、日蓮宗、禅宗等をいう。
・ものいむー不浄なこと、不吉なことをきらう。たとえば葬式の時に塩をまいたり、結婚式に大安吉日をえらんだり、葬式で友引の日をきらうようなことをいう。

一帖目第八通 大津三井寺(吉崎建立)

 文明第三初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなくふとしのび出でて、越前・加賀諸所を経回せしめをはりぬ。よつて当国細呂宜郷内吉崎といふこの在所、すぐれておもしろきあひだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月二十七日よりかたのごとく一宇を建立して、昨日今日と過ぎゆくほどに、はや三年の春秋は送りけり。
さるほどに道俗・男女群集せしむといへども、さらになにへんともなき体なるあひだ、当年より諸人の出入をとどむるこころは、この在所に居住せしむる根元はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけてあひがたき仏法にすでにあへる身が、いたづらにむなしく捺落に沈まんは、まことにもつてあさましきことにはあらずや。しかるあひだ念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもはざらん人々は、なにしにこの在所へ来集せんこと、かなふべからざるよしの成敗をくはへをはりぬ。
これひとへに名聞利養を本とせず、ただ後生菩提をこととするがゆゑなり。しかれば見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年九月 日]

一帖目第七通 弥生なかば

 さんぬる文明第四の暦、弥生中半のころかとおぼえはんべりしに、さもありぬらんとみえつる女性一二人、男なんどあひ具したるひとびと、この山のことを沙汰しまうしけるは、そもそもこのごろ吉崎の山上に一宇の坊舎をたてられて、言語道断おもしろき在所かなと申し候ふ。
なかにもことに、加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七箇国より、かの門下中、この当山へ道俗男女参詣をいたし、群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり、ただごとともおぼえはんべらず。
さりながら、かの門徒の面々には、さても念仏法門をばなにとすすめられ候ふやらん、とりわけ信心といふことをむねとをしへられ候ふよし、ひとびと申し候ふなるは、いかやうなることにて候ふやらん。
くはしくききまゐらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちて候へば、その信心とやらんをききわけまゐらせて、往生をねがひたく候ふよしを、かの山中のひとにたづねまうして候へば、しめしたまへるおもむきは、「なにのやうもなく、ただわが身は十悪・五逆、五障・三従のあさましきものぞとおもひて、ふかく、阿弥陀如来はかかる機をたすけまします御すがたなりとこころえまゐらせて、ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かたじけなくも如来は八万四千の光明を放ちて、その身を摂取したまふなり。これを弥陀如来の念仏の行者を摂取したまふといへるはこのことなり。
摂取不捨といふは、をさめとりてすてたまはずといふこころなり。このこころを信心をえたる人とは申すなり。さてこのうへには、ねてもさめても、たつてもゐても、南無阿弥陀仏と申す念仏は、弥陀にはやたすけられまゐらせつるかたじけなさの、弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏ととなへて報じまうす念仏なりとこころうべきなり」とねんごろにかたりたまひしかば、この女人たち、そのほかのひと、申されけるは、「まことにわれらが根機にかなひたる弥陀如来の本願にてましまし候ふをも、いままで信じまゐらせ候はぬことのあさましさ、申すばかりも候はず、いまよりのちは一向に弥陀をたのみまゐらせて、ふたごころなく一念にわが往生は如来のかたより御たすけありけりと信じたてまつりて、そののちの念仏は、仏恩報謝の称名なりとこころえ候ふべきなり。
かかる不思議の宿縁にあひまゐらせて、殊勝の法をききまゐらせ候ふことのありがたさたふとさ、なかなか申すばかりもなくおぼえはんべるなり。いまははやいとま申すなり」とて、涙をうかめて、みなみなかへりにけり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年八月十二日]

一帖目第六通 睡眠

 そもそも、当年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠にをかされて、ねむたく候ふはいかんと案じ候へば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候ふ。まことにもつてあぢきなく名残をしくこそ候へ。さりながら、今日までも、往生の期もいまや来らんと油断なくそのかまへは候ふ。
それにつけても、この在所において以後までも信心決定するひとの退転なきやうにも候へかしと、念願のみ昼夜不断におもふばかりなり。この分にては往生つかまつり候ふとも、いまは子細なく候ふべきに、それにつけても、面々の心中もことのほか油断どもにてこそは候へ。いのちのあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候ふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じ候へ。明日もしらぬいのちにてこそ候ふに、なにごとを申すもいのちをはり候はば、いたづらごとにてあるべく候ふ。命のうちに不審も疾く疾くはれられ候はでは、さだめて後悔のみにて候はんずるぞ、御こころえあるべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。
  この障子のそなたの人々のかたへまゐらせ候ふ。のちの年にとり出して御   覧候へ。
  [文明五年卯月二十五日これを書く。]

一帖目第五通 雪の中

 そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三箇国のあひだより道俗・男女、群集をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとほり、いかがと心もとなく候ふ。そのゆゑは、まづ当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことわりは、他力の信心をえたるがゆゑなり。
しかれども、この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをもえたる人これ なし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事といふはこれなり。幸ひに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかやうにこころえられたる心中ぞや。千万心もとなき次第なり。所詮以前はいかやうの心中にてありといふとも、これよりのちは心中にこころえおかるべき次第をくはしく申すべし。よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。
そのゆゑは、他力の信心といふことをしかと心中にたくはへられ候ひて、そのうへには、仏恩報謝のためには行住坐臥に念仏を申さるべきばかりなり。このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こころざしをもいたすべきものなり。これすなはち当流の義をよくこころえたる信心の人とは申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年二月八日]

一帖目第四通 自問自答

 そもそも、親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして、来迎をも執せられ候はぬよし、承りおよび候ふは、いかがはんべるべきや。その平生業成と申すことも、不来迎なんどの義をも、さらに存知せず。くはしく聴聞つかまつりたく候ふ。
 答へていはく、まことにこの不審もつとももつて一流の肝要とおぼえ候ふ。 おほよそ当家には、一念発起平生業成と談じて、平生に弥陀如来の本願のわれらをたすけたまふことわりをききひらくことは、宿善の開発によるがゆゑなりとこころえてのちは、わがちからにてはなかりけり、仏智他力のさづけによりて、本願の由来を存知するものなりとこころうるが、すなはち平生業成の義なり。されば平生業成といふは、いまのことわりをききひらきて、往生治定とおもひ定むる位を、一念発起住正定聚とも、平生業成とも、即得往生住不退転ともいふなり。
 問うていはく、一念往生発起の義、くはしくこころえられたり。しかれども不来迎の義いまだ分別せず候ふ。ねんごろにしめしうけたまはるべく候ふ。
 答へていはく、不来迎のことも、一念発起住正定聚と沙汰せられ候ふときは、さらに来迎を期し候ふべきこともなきなり。そのゆゑは、来迎を期するなんど申すことは、諸行の機にとりてのことなり。真実信心の行者は、一念発起するところにて、やがて摂取不捨の光益にあづかるときは、来迎までもなきなりとしらるるなり。されば聖人の仰せには、「来迎は諸行往生にあり、真実信心の行人は摂取不捨のゆゑに正定聚に住す、正定聚に住するがゆゑにかならず滅度に至る、かるがゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし」(御消息・一意)といへり。この御ことばをもつてこころうべきものなり。
 問うていはく、正定と滅度とは一益とこころうべきか、また二益とこころうべきや。
 答へていはく、一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりとこころうべきなり。されば二益なりとおもふべきものなり。
 問うていはく、かくのごとくこころえ候ふときは、往生は治定と存じおき候ふに、なにとてわづらはしく信心を具すべきなんど沙汰候ふは、いかがこころえはんべるべきや。これも承りたく候ふ。
 答へていはく、まことにもつて、このたづねのむね肝要なり。さればいまのごとくにこころえ候ふすがたこそ、すなはち信心決定のこころにて候ふなり。
 問うていはく、信心決定するすがた、すなはち平生業成と不来迎と正定聚との道理にて候ふよし、分明に聴聞つかまつり候ひをはりぬ。しかりといへども、信心治定してののちには、自身の往生極楽のためとこころえて念仏申し候ふべきか、また仏恩報謝のためとこころうべきや、いまだそのこころを得ず候ふ。
 答へていはく、この不審また肝要とこそおぼえ候へ。そのゆゑは、一念の信心発得以後の念仏をば、自身往生の業とはおもふべからず、ただひとへに仏恩報謝のためとこころえらるべきものなり。されば善導和尚の「上尽一形下至一念」(礼讃・意)と釈せり。「下至一念」といふは信心決定のすがたなり、「上尽一形」は仏恩報尽の念仏なりときこえたり。これをもつてよくよくこころえらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明四年十一月二十七日]

一帖目第三通 猟漁

 まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。
このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明三年十二月十八日]


【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
生活即仏教
 この「御文章」の来由は三説あって確実なことは不明であるが、三説ともに蓮師が吉崎に移住されはじめの文明三年のもので、漁業を営む漁師に宛てた「御文」であることは共通する。
 仏教ではすべてのものの生命を尊重する。栂尾の明恵上人は、虫けら一匹でもまたいで通ったといわれる。それゆえ師の出生地の紀州湯浅の寺は施無畏寺といわれる。第十八願の十方衆生は、異訳では「蜎飛蠕動の類」もその内容とされている。人間中心の西欧思想とは全く対蹠的である。それゆえ、仏教では殺生は厳しく戒められ、十悪のはじめにも出されている。出家者の精進の生活、さらに命日に精進をするのもこの殺生を禁ずることからきているのであり、すべてのものの生命を尊重する思想からきている。現在このような精神が復活すれば自然保護、動物愛護の必要はないであろう。また目を覆うような残虐行為もあり得ないし、人間が人間を殺し合う戦争もあり得ない。このような意味で、生きものを殺す猟師等は当時の社会では一般から余り尊敬されなかったようである。『歎異抄』十三章にも、
さればとて、身にそなへざらん悪業は、よもつくられ候はじものを。また、「海・河に網をひき、釣をして、世をわたるものも、野山にししをかり、鳥をとりて、いのちをつぐともがらも、商ひをし、田畠をつくりて過ぐるひとも、ただおなじことなり」と。
とあり、いかなる職業の人でも救われないものは一人も存しないのが浄土の教えである。出家仏教の聖道門では、自ら精進潔斎の生活をしなければ「悟」の世界に入ることは不可能であるが、浄土の教は十方一切の人、一人ももれず救われる教えである。それゆえ、「造罪の多少を問わず」「修行の久近を論ぜず」「善悪智愚をいわず」極悪最下の人の救われる法こそ弥陀の本願である。この万機普益の法の前には、人間そのものの上に何らの差別もない。また職業にも世の中のためになるものであれば何らの差別もあり得ないのである。それゆえ、仏教においては、真実の意味において、平等の実践は念仏の法においてのみ可能といわれるのである。
 しかも弥陀如来の本願の前では、「この私」という場を除くと通じないのである。『歎異抄』後序の文にも「聖人のつねのおほせには弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」とある如く、私一人を除くと本願は通じない。
 この私が極重悪人であり、極悪最下の人である。それゆえ、法然聖人のいわれるようにこの私のようなものでも救われ、十方一切、一人ももれずたすかることができるのである。十方一切の人、一人ももれずたすかるということは、他力の法にしてはじめて可能である。自らの行を是認すると、すべての人には通じないのである。それゆえ、次に「一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり」という安心を出されている。この私のたすかる、たすからないという心配はすべて弥陀の本願のはからいにあり、その本願のままに成就された名号法が、自らの求めるに先行してすでに与えられているのである。それゆえ、自らのはからいは否定されざるを得ないのである。
 このことを一心に弥陀をたのむといわれるのである。


〔用語の解説〕
・妄念妄執のこころー無明煩悩、自己中心の眼鏡をかけて人生をうけとっている生活をいう。
・奉公をもせよー公門につかえることをいう。世俗的にはかつては田舎の娘さんが、都会の豪邸等に女中にいくことを女中奉公といわれた。
・いたづらものをー空虚な生活。

一帖目第二通 出家発心

 当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標せず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男女老少をえらばざるものなり。さればこの信をえたる位を、『経』(大経・下)には「即得往生住不退転」と説き、『釈』(論註・上)には「一念発起入正定之聚」(意)ともいへり。これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。 『和讃』(高僧和讃・九六)にいはく、「弥陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」といへり。
「外儀のすがた」といふは、在家・出家、男子・女人をえらばざるこころなり。
つぎに「本願名号信受して寤寐にわするることなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども、回心懺悔して、ふかく、かかるあさましき機をすくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり。さてこのうへには、たとひ行住坐臥に称名すとも、弥陀如来の御恩を報じまうす念仏なりとおもふべきなり。これを真実信心をえたる決定往生の行者とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。
  あつき日にながるるあせはなみだかな かきおくふでのあとぞをかしき
  [文明三年七月十八日]


【語句の説明】(『御文章概要』(稲城選恵著)より)
①出家発心―生死の一大事を問題とし、世俗を離れ、菩提を求める心をおこすことである。
②捨家棄欲―家をすてて五欲を離れること。存覚上人の「破邪顕正抄」上には「おほよそ当流の勧化にをいてはあながちに捨家棄欲のすがたを標せず、出家発心の儀をことゝせざるあひだ」とあり、捨家棄欲の左訓には「イエヲステ、ヨウヲスツル 」とある。
③一念帰命―他力信心をいう。一念には信相の一念と時尅の一念とがあるが、詳細は前篇に述べた如くである。
④一念発起正定之聚―前篇に詳述せる如し。
⑤不来迎、平生業成―前篇に詳述せる如し。
⑥和讃にいはく「弥陀の報土をねがふひと」ーこの和讃は「高僧和讃」の源信章にあり、「往生要集」中本の正修念仏雑略観の次の如きの文による。
「行住坐臥、語黙作々に、つねにこの念をもつて胸のなかに在くこと、飢して食を念ふがごとくし、渇して水を追ふがごとくせよ。 あるいは頭を低れ手を挙げ、あるいは声を挙げて名を称せよ。 外儀は異なりといへども、心念はつねに存ぜよ。 念々に相続して、寤寐に忘るることなかれ」
とある文をうけ、宗祖の草稿本の和讃では「外儀のすがた」の左訓には四威儀となっているが、「往生要集」下本の念仏証拠では
「いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮するにはあらず。 ただこれ、男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜずして」
とあり、この「御文章」の意味は後の念仏証拠の義によるものである。
 寤寐はねてもさめてもということである。
⑦十悪、五逆、謗法、闡提―十悪は殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、瞋恚、愚痴(邪見)をいう。この中始めの三は身業の悪、中の四は口業の悪、後の三は意業の悪である。
 次に五逆は父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、和合僧を破り、仏身より血を出すことである。仏教では最も重罪とされる。
 次の謗法とは正法を誹謗することで五逆罪よりももっと重く、仏教ー大乗仏教ーでは最大の重罪といわれ、無間地獄に堕在して出づる時がないといわれる。
 闡提は一闡提といわれ、ーicchantikaーの音訳である。断善根、信不具足と訳され、元来欲求しつつある人の意であり、インドの快楽主義者や現世主義者を指すといわれる。
⑧廻心懺悔―廻心は「自力の心をひるがへしすつる」という「唯信鈔文意」の信心を意味する場合と、「法事讃」の「謗法闡提廻心皆往」の両義があり、「明灯鈔」では両義に通ずるとある。
 懺悔は ksamaの音訳であり、懺 ksamaの音訳であり、悔は義訳といわれる。過去の罪悪を悔いることである。
⑨信知―善導大師の「往生礼讃」の二種深信の釈に出ずるもので、信心と同義である。
―尚この章は帖外三通に通ずる―

一帖目第一通 或人いはく または 門徒弟子

 或人いはく、当流のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候ふやらん、如来・聖人の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また在々所々に小門徒をもちて候ふをも、このあひだは手次の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候ふ。これもしかるべくもなきよし、人の申され候ふあひだ、おなじくこれも不審千万に候ふ。御ねんごろに承りたく候ふ。
 答へていはく、この不審もつとも肝要とこそ存じ候へ。かたのごとく耳にとどめおき候ふ分、申しのぶべし。きこしめされ候へ。
 故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそ仰せられ候ひつれ。「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。
 さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候ふ人をば、ことのほか切諫をくはへ候ひて、あるいはなかをたがひなんどせられ候ふあひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかやうにあひささへ候ふあひだ、われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。あさまし、あさまし。
 古歌にいはく、
うれしさをむかしはそでにつつみけり こよひは身にもあまりぬるかな
「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。
「こよひは身にもあまる」といへるは、正雑の分別をききわけ、一向一心になりて、信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なり。かるがゆゑに身のおきどころもなく、をどりあがるほどにおもふあひだ、よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこころなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明三年七月十五日]



【語句の説明】(『御文章概要』(稲城選恵著)より)
①門徒―浄土真宗のニックネームになっているが、本来は同門の徒弟ということで、真言宗でも禅宗でもどの宗派にも通ずるのである。
②手次の坊主―本山と門徒の間をとりつぐ僧侶のこと、一般には檀家のお寺の住職をいう。
③不審千万―甚だ疑問である。
④肝要ー極めて大切なこと。
⑤きこしめされ候へ―お聞き下さいということ、めされは尊敬の語である。
⑥「親鸞は弟子一人ももたず」―「歎異抄」第六章にある言葉で、この文を「御文章」のはじめに引かれたのは蓮師の御文であってもそのまま仏説としてうけとるべきことをあらわすのである。この文は「歎異抄」のほかにも「口伝鈔」「改邪鈔」等にある。
⑦如来の代官―如来の代理ということ
⑧同行―善導大師の「往生礼讃」前序に雑修の十三失の中に「心に軽慢を生じ、業行を作すと雖も常に名利とお相応するが故に、人我自ら覆ひて同行善知識に親近せざるが故に」とあり、道を同じくして共に聞法する道づれのこと。「改邪鈔」には「念仏する同行、知識にあひしたがはずんば」とある。
⑨御同朋、御同行とかしづきて―「歎異抄」後序のはじめに「おなじく御信心のひとおすくなくおはしけるにこそ、親鸞御同朋の御なかにして」とあり、また「末灯鈔」十八通には「すでに他力の信をえたるひとをも仏とひとしとまふすべしとみえたり、御うたがひあるべからずさふらふ。御同行の臨終を期して」とある。すべて自らの弟子でなく、如来の弟子であるから、浄土教の立場は師弟道ではなく、兄弟道であることが明らかである。「御」の敬語は「如来」からを意味する。かしづきてとは頭を地につけて相手に敬意を表わすことが原意といわれ、相手を敬愛し、大切に扱うことである。最後に「明灯鈔」では「御同朋御同行は大信大行ひとしくこれ如来廻向の故に御同朋御同行というなり」とある。
⑩大坊主分―坊主は現代人の使う如く蔑称ではなく、当時は敬称である。同上の俗人に対して手次の寺の坊主をいう。
⑪説諫をくはへ候て―強くせめること、きびしくいましめることをいう。
⑫しかしかと―たしかに、十分にということ。
⑬自損損他―自らも損じ、他人をも損ずること。
⑭うれしさをの古歌―この歌は「和漢朗詠集」慶賀にみえ、「新勅撰和歌集」七の賀の歌の部に出、題しらず、読人しらずとなっている。また西行の「撰集抄」八にの因縁を記している。
⑮雑行正行の分別―※別記
⑯一向一心―ひとすじに弥陀をたのむことである。―この章は帖外五通に通ず―

【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
兄弟道の実践
 この門徒弟子の章は長文で、その文義を詳細に述べることは紙数の都合で省略するが、第一にこの章をとりあげねばならない理由を述べることにする。それは、この門徒弟子の章が、帖内八十通はもちろん帖外百八十六通にも一貫する立場を明らかにされているからである。ここでは、『歎異抄』第六章の弟子一人の章を引用され、
さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。
とあり、宗祖聖人のいわれることはそのまま如来の直説といわれるのである。それをうけ、蓮師の御文章の内容も全く如来の直説と仰ぐべきことを明らかにされんがために、この『御文章』を編者は巻頭に出しているのである。それゆえ、『御一代記聞書』の百三十四条にも、
御文は如来の直説なりと存ずべきのよしに候ふ。形をみれば法然、詞を聞けば弥陀の直説といへり。
とあり。百七十七条にも、
御文はこれ凡夫往生の鏡なり。御文のうへに法門あるべきやうに思ふ人あり。大きなる誤りなりと[云々]。
とあり、如来の金言と仰ぎ、御聖教に対する姿勢を明らかにされているのが、門徒弟子の章といわれるのである。
 さらにこの章には、従来の仏教教団の在り方と全く異なる、兄弟道の実践こそ、念仏者の立場であることを明らかにされている.浄土真宗以外には現在でも門徒という言葉は用いない。他の宗派では檀家といわれる。もちろん浄土真宗でも檀家という場合もあるが、檀家を用いる一般仏教では、僧侶「和尚」ーupadheyayaーは師を意味する。それゆえ、一般仏教では師弟道の立場といわれる。しかし門徒とは同門の徒弟を意味し、僧侶とともに兄弟道の立場をいうのである。このことを明らかにしたのが『歎異抄』第六章の弟子一人の章である。すなわち、
わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。 弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。
とあり、先に生まれるものが兄であり、後に生まれるものは弟で、ここには同一の地平に立つ兄弟道こそ念仏者の立場であり、しかも兄弟とか姉妹といえば同一の両親をもっているのである。それゆえ、次の文には御同朋御同行と「かしづきておひせらりけり」とある。御同朋の「御」の敬語は自らの側に属するものではない。如来の側からいわれるのである。それゆえ、親の側からいえばどんな子どもでもかけがえのない一人息子であり、一人娘といわれるのである。それゆえ、「かしづきて」と相手を尊敬されているのである.福沢諭吉の母お順は、彼が幼少の時、乞食が来ると腹一杯食事を与え、彼の衣服を脱がせ、シラミをとってやったという。そのシラミをとる時、「諭吉よ、この方を乞食と思って馬鹿にしたらいけませんぞ、如来さまの上からは可愛い可愛い一人息子であるから大事にしてあげねばならないのですよ」と諭したという。この母の言葉が彼の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という出処といわれる。この兄弟道の実践こそ念仏者といわれるのである。それゆえ蓮師は帖外御文章にはしばしば『往生論註』の眷属功徳の四海兄弟の文を出されているのである。
 文明五年以後、従来の朝夕の勤行を変更して正信偈・和讃とされた。ただ従来の一般仏教の如く僧侶だけでなく、僧俗等しく同じ勤行を勤修するところに、兄弟道の実践もみられる。『御一代記聞書』四十条にも、
仰せに、身をすてておのおのと同座するをば、聖人(親鸞)の仰せにも、四海の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば、われもその御ことばのごとくなり。
とあり、また二百四十六条にも、
蓮如上人、順誓に対し仰せられ候ふ。法敬とわれとは兄弟よと仰せられ候ふ。法敬申され候ふ。これは冥加もなき御ことと申され候ふ。蓮如上人仰せられ候ふ。信をえつれば、さきに生るるものは兄、後に生るるものは弟よ。法敬とは兄弟よと仰せられ候ふ。「仏恩を一同にうれば、信心一致のうへは四海みな兄弟」(論註・下意 一二〇)といへり。
とあり、念仏者は兄弟道の実践をする者といわれるのである。

【説明】
 蓮如上人帖内御文80通の最初です。
 ちなみに、帖外も含めた場合の「最初の御文」は「御筆はじめの御文」で、寛正2年3月、上人47歳の時のものです。
 文明3年(1471年)は上人57歳です。
 この年の上人の活動は、
  4月上旬  大津南別所から京都を経て、越前吉崎に向かわれる。
  7月27日 越前吉崎に坊舎を建てられる。いわゆる吉崎御坊。
 となっていることからもお分かりのように、この1帖目第1通の御文は吉崎御坊完成直前のものです。

 なお、前年には最初の御内室・蓮祐尼が亡くなり、この年(文明3年)2月には長女・如慶尼が28才で、その5日前には第5女・妙意尼が12才で亡くなっています。

 さて、内容ですが、

 親鸞聖人の御同朋御同行の精神をまずおっしゃっています。
 後半は、信心決定の前と後の違いを古歌で教えておられます。

【参考】
『歎異抄』第六条
 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。 弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと[云々]。