蓮如上人の『御文』を読む -6ページ目

二帖目第十五通 九品・長楽寺

 そもそも、日本において浄土宗の家々をたてて西山・鎮西・九品・長楽寺とて、そのほかあまたにわかれたり。これすなはち法然聖人のすすめたまふところの義は一途なりといへども、あるいは聖道門にてありし人々の、聖人(源空)へまゐりて浄土の法門を聴聞したまふに、うつくしくその理耳にとどまらざるによりて、わが本宗のこころをいまだすてやらずして、かへりてそれを浄土宗にひきいれんとせしによりて、その不同これあり。
しかりといへども、あながちにこれを誹謗することあるべからず。肝要はただわが一宗の安心をよくたくはへて、自身も決定し人をも勧化すべきばかりなり。それ当流の安心のすがたはいかんぞなれば、まづわが身は十悪・五逆、五障・三従のいたづらものなりとふかくおもひつめて、そのうへにおもふべきやうは、かかるあさましき機を本とたすけたまへる弥陀如来の不思議の本願力なりとふかく信じたてまつりて、すこしも疑心なければ、かならず弥陀は摂取したまふべし。このこころこそ、すなはち他力真実の信心をえたるすがたとはいふべきなり。
かくのごときの信心を、一念とらんずることはさらになにのやうもいらず。あら、こころえやすの他力の信心や、あら、行じやすの名号や。しかればこの信心をとるといふも別のことにはあらず、南無阿弥陀仏の六つの字をこころえわけたるが、すなはち他力信心の体なり。また南無阿弥陀仏といふはいかなるこころぞといへば、「南無」といふ二字は、すなはち極楽へ往生せんとねがひて弥陀をふかくたのみたてまつるこころなり。さて「阿弥陀仏」といふは、かくのごとくたのみたてまつる衆生をあはれみましまして、無始曠劫よりこのかたのおそろしき罪とがの身なれども、弥陀如来の光明の縁にあふによりて、ことごとく無明業障のふかき罪とがたちまちに消滅するによりて、すでに正定聚の数に住す。
かるがゆゑに凡身をすてて仏身を証するといへるこころを、すなはち阿弥陀如来とは申すなり。されば「阿弥陀」といふ三字をば、をさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆゑなり。かやうに信心決定してのうへには、ただ弥陀如来の仏恩のかたじけなきことをつねにおもひて称名念仏を申さば、それこそまことに弥陀如来の仏恩を報じたてまつることわりにかなふべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六、七月九日これを書く。]
                       [釈証如](花押)

二帖目第十四通 秘事法門

 それ、越前の国にひろまるところの秘事法門といへることは、さらに仏法にてはなし、あさましき外道の法なり。これを信ずるものはながく無間地獄に沈むべき業にて、いたづらごとなり。この秘事をなほも執心して肝要とおもひて、ひとをへつらひたらさんものには、あひかまへてあひかまへて随逐すべからず。いそぎその秘事をいはん人の手をはなれて、はやくさづくるところの秘事をありのままに懺悔して、ひとにかたりあらはすべきものなり。
そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまゐるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなることぞといへば、なにのやうもなく、ただひとすぢに阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かならず弥陀如来の摂取の光明を放ちてその身の娑婆にあらんほどは、この光明のなかにをさめおきましますなり。これすなはちわれらが往生の定まりたるすがたなり。
されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極楽にやすく往生すべきことの、さらになにの疑もなし。あら、殊勝の弥陀如来の他力の本願や。このありがたさの弥陀の御恩をばいかがして報じたてまつるべきぞなれば、ただねてもおきても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなへて、かの弥陀如来の仏恩を報ずべきなり。されば南無阿弥陀仏ととなふるこころはいかんぞなれば、阿弥陀如来の御たすけありつることのありがたさたふとさよとおもひて、それをよろこびまうすこころなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年七月五日]

二帖目第十三通 御袖

 それ、当流に定むるところの掟をよく守るといふは、他宗にも世間にも対しては、わが一宗のすがたをあらはに人の目にみえぬやうにふるまへるをもつて本意とするなり。しかるに、ちかごろは当流念仏者のなかにおいて、わざと人目にみえて一流のすがたをあらはして、これをもつてわが宗の名望のやうにおもひて、ことに他宗をこなしおとしめんとおもへり。これ言語道断の次第なり。さらに聖人(親鸞)の定めましましたる御意にふかくあひそむけり。そのゆゑは、「すでに牛を盗みたる人とはいはるとも、当流のすがたをみゆべからず」(改邪鈔・三意)とこそ仰せられたり。この御ことばをもつてよくよくこころうべし。
つぎに当流の安心のおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧・才学もいらず、男女・貴賤もいらず、ただわが身は罪ふかきあさましきものなりとおもひとりて、かかる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなく、ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、その御身より八万四千のおほきなる光明を放ちて、その光明のなかにそのひとを摂め入れておきたまふべし。
さればこのこころを『経』(観経)には、まさに「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」とは説かれたりとこころうべし。さてはわが身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら、殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、無始よりこのかたの無明業障のおそろしき病のなほるといふことは、さらにもつてあるべからざるものなり。
しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御方よりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆゑに、行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。これによりて、かたじけなくもひとたび他力の信心をえたらん人は、みな弥陀如来の御恩のありがたきほどをよくよくおもひはかりて、仏恩報謝のためには、つねに称名念仏を申したてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年七月三日これを書く。]

二帖目第十二通 人間五十年・四王天

 それ、人間の五十年をかんがへみるに、四王天といへる天の一日一夜にあひあたれり。またこの四王天の五十年をもつて、等活地獄の一日一夜とするなり。これによりて、みなひとの地獄におちて苦を受けんことをばなにともおもはず、また浄土へまゐりて無上の楽を受けんことをも分別せずして、いたづらにあかし、むなしく月日を送りて、さらにわが身の一心をも決定する分もしかしかともなく、また一巻の聖教をまなこにあててみることもなく、一句の法門をいひて門徒を勧化する義もなし。ただ朝夕は、ひまをねらひて、枕をともとして眠り臥せらんこと、まことにもつてあさましき次第にあらずや。しづかに思案をめぐらすべきものなり。
このゆゑに今日今時よりして、不法懈怠にあらんひとびとは、いよいよ信心を決定して真実報土の往生をとげんとおもはんひとこそ、まことにその身の徳ともなるべし。これまた自行化他の道理にかなへりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
 時に文明第六、六月中の二日、あまりの炎天の暑さに、これを筆にまかせて書きしるしをはりぬ。

二帖目第十一通 五重の義

 それ、当流親鸞聖人の勧化のおもむき、近年諸国において種々不同なり。
これおほきにあさましき次第なり。そのゆゑは、まづ当流には、他力の信心をもつて凡夫の往生を先とせられたるところに、その信心のかたをばおしのけて沙汰せずして、そのすすむることばにいはく、「十劫正覚のはじめよりわれらが往生を弥陀如来の定めましましたまへることをわすれぬがすなはち信心のすがたなり」といへり。
これさらに、弥陀に帰命して他力の信心をえたる分はなし。さればいかに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極楽には往生すべからざるなり。またあるひとのことばにいはく、「たとひ弥陀に帰命すといふとも善知識なくはいたづらごとなり、このゆゑにわれらにおいては善知識ばかりをたのむべし」と[云々]。これもうつくしく当流の信心をえざる人なりときこえたり。そもそも善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。
一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年五月二十日]



【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
 この「御文章」は、蓮師の吉崎在住の時のものである。次の十四通にもあるごとく、北陸一円をはじめ、世間に浄土真宗の正義と異なる異義が流行していたようである。この異義の中で、この章では十劫安心と善知識だのみを出されている。十劫安心の異義は他に一の十三通、三の八通にもあり、帖外にも出されている。すべて吉崎在住時代のものである。次の善知識だのみに関するものも帖外には吉崎時代のものと、山科時代のものと存する。特に帖外三十一通には、
 かへすぐ当山へなにのこゝろえもなきひときたり、予に対面して手をあはせおがめること、もてのほかなげきおもふところなり。さらにもてたふときすがたもなし、たゞ朝夕はいたづらにねふせるばかりにて不法懈怠にして不浄きはまりなく、しばらくさき身にてありけるをおがみぬること真実々々かたはらいたき風情なり。
とあり、蓮師は自らのカリスマ的存在を厳しく戒められている。次の五十二通によると、
 然れば則ちこの上には知識帰命なんど云ふ事も更に以てあるべからず、ちかごろ三河国より手作りに云い出したることなり。
とあり、この善知識だのみは三河国からきたものといわれ、自分勝手な解釈であるといわれている。蓮師の時代には浄土真宗の教義は全く地におち、対外的には西山、鎮西義の教義、さらに一遍上人の時宗との混同がみられ、対内的にも帖内帖外の「御文章」にしばしば出ているように、さまざまな異義が流布していたのである。
 十劫安心というのは、現在でも、すでにたすかっていることの自覚が信心であるという領解を時々耳にすることがあるが、この考え方と共通するもので、十劫の昔に阿弥陀仏が正覚成就したとき、その時、すでにたすかっているというのである。ただ今までそれを知らなかっただけである。このような解釈は一遍上人の系統にあるようである。一遍上人の法語にある「信不信を論ぜず」という言葉を誤解すると、全く十劫安心となる。例えば、ペニシリンの注射をすると、肺炎が治るといわれるが、これを知っているからといってそのまま肺炎の病気が治るということはない。それゆえ、蓮師は、「さればいかに十劫正覚のはじめよりわれらが往生をさだめたまへることをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずば極楽には往生すべからざるなり」といわれるのである。
 また善知識だのみは、すでに根本仏教の上でも否定されていることが明らかに知られる。多くの宗教のごとく仏教は教祖宗教ではない。カリスマ的存在を是認しないところにその特色がある。四依の中にも、はじめに「人に依らずして法に依れ」とある。仏陀の自らの思いつきや暗示によるものでなく、仏陀の存在の有無を論ずる必要なき不生不滅の法を発見されたのである。浄土真宗でも三経一致門の上でいわれるごとく、『大経』は本願を説く経なるゆえに薬にたとえられ、『観経』は機の真実をあらわす経典であるから病気にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説証誠といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は医者にたとえられる。医者は病気の原因を明らかに診察して、この病気に対する薬を与え、それを服用することをすすめるのである。それゆえ、「化身土巻」には『涅槃経』を引用され、諸仏菩薩は善知識であるといわれている。善知識の分限と領域を誤ると善知識はカリスマ的存在になり、教祖化する。それゆえ、その分限と領域を明らかにして、「善知識の能といふは一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしとひとをすゝむるばかりなり」とある。博多の仙崖和尚のところに石見太田の浄土真宗の住職(晃円師といわれる)が後生の一大事を聞きに行ったといわれる。その時、仙崖師は、
「貴様は南無阿弥陀仏のほかに何の不足があってここに来たか」
と、どなりつけて去ってしまった。これこそほんとうの善知識である。住職は仙崖和尚の法話をきいて後生の一大事を解決しようとしたのである。仙崖師が自らの法話と相撲をとらせず、南無阿弥陀仏と相撲をとらせたことが、ほんとうの善知識といわれるのである。それゆえ、蓮師は「自力の心をすてゝ一心に弥陀をたのむ」とあり、また『歎異鈔』第二章にも「親鸞におきてはたゞ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とある。
 次に、五重の義を出されている。五重の義を出され、「往生はかなふべからずとみえたり」の出処は先哲の上でも種々あげられているが、まず「本願成就文」、善導大師の『往生礼讃』前序、『教行信証』「行巻」両重因縁釈、覚如上人の『口伝鈔』、『本願鈔』、存覚上人の『浄土見聞集』等をあげられる。見開集の文によると、
 もしきゝえてよろこぶこゝろあらばこれ宿善のひとなり。善知識にあひて本願相応のことはりをきくとき、一念もうたがふこゝろのなきはこれすなはち摂取の心光行者の心中を照護してすてたまはざるゆへなり。光明は智慧なり。この光明智相より信心を開発したまふゆへに信心は仏智なり。仏智よりすゝめられたてまつりてくちに名号はとなへらるゝなり。(真聖全、列祖部三七八頁)
とある文に宿善・善知識・光明・信心・名号と順位まで等しく出されている。この五重は、成就文の「聞其名号信心歓喜」を開いたものといわれる。
 ただ「名号」を信心の後に出されているのは、蓮師のあつかいに信心の体として出されている場合と、信後の称名を名号といわれる場合が存するからである。今は信の後であるから称名を意味し、これによって信心正因称名報恩の浄土真宗の本義を明らかにされている。(この問題は浄土真宗本願寺派では「安心論題」の一つとしてあげられているので、詳細はそれを参照していただきたい。)

〔用語の解説〕
・十劫正覚-『無量寿経』によると、「その仏成道したまひてより已来、幾の時を経たりとなさん、仏言はく、成仏より已来、凡そ十劫を歴たり」とあり、『阿弥陀経』にも「舎利佛、阿弥陀仏は成仏したまひてより已来、今に於て十劫なり」とある。このように阿弥陀仏が正覚成就し、成仏して以来十劫といわれる。劫(kalpa)は古代インドにおける最も長い時間をいう。
・宿善-宿世の善根をいう。ただし宿世はもちろん、獲信までのすべてを包摂するのである。現在を起点とし、現在から過去に向った場合をいうのである。また宿縁という場合は単なる善ばかりでなく、すべてのものを包摂している。『教行付証』の後序には「信順を因とし、疑膀を縁とす」とある。信心の世界からはすべてのものが無駄でなかったといわれ、過去のあらゆるものが生かされる世界ともいわれる。
・五重の義成就すー五重の重は、この五はすべて前をうけて生ずる故に重といわれ、『往生論註』の解義分の十重といわれるがごとくである。成就は『法華玄賛』の釈にある如く「具足円満の義」といわれる。


二帖目第十通 それ当流聖人・仏心凡心

 それ、当流親鸞聖人のすすめましますところの一義のこころといふは、まづ他力の信心をもつて肝要とせられたり。この他力の信心といふことをくはしくしらずは、今度の一大事の往生極楽はまことにもつてかなふべからずと、経・釈ともにあきらかにみえたり。さればその他力の信心のすがたを存知して、真実報土の往生をとげんとおもふについても、いかやうにこころをももち、またいかやうに機をももちて、かの極楽の往生をばとぐべきやらん。そのむねをくはしくしりはんべらず。ねんごろにをしへたまふべし。それを聴聞していよいよ堅固の信心をとらんとおもふなり。
 答へていはく、そもそも、当流の他力信心のおもむきと申すは、あながちにわが身の罪のふかきにもこころをかけず、ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人までも、みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて、さらに一念も本願を疑ふこころなければ、かたじけなくもその心を如来のよくしろしめして、すでに行者のわろきこころを如来のよき御こころとおなじものになしたまふなり。このいはれをもつて仏心と凡心と一体になるといへるはこのこころなり。
これによりて弥陀如来の遍照の光明のなかに摂め取られまゐらせて、一期のあひだはこの光明のうちにすむ身なりとおもふべし。さていのちも尽きぬれば、すみやかに真実の報土へおくりたまふなり。しかればこのありがたさたふとさの弥陀大悲の御恩をば、いかがして報ずべきぞなれば、昼夜朝暮にはただ称名念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の御恩を報じたてまつるべきものなり。このこころすなはち、当流にたつるところの、一念発起平生業成といへる義これなりとこころうべし。
さればかやうに弥陀を一心にたのみたてまつるも、なにの功労もいらず。また信心をとるといふもやすければ、仏に成り極楽に往生することもなほやすし。あら、たふとの弥陀の本願や。あら、たふとの他力の信心や。さらに往生においてその疑なし。しかるにこのうへにおいて、なほ身のふるまひについてこのむねをよくこころうべきみちあり。それ一切の神も仏と申すも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神・もろもろのほとけとあらはれたまふいはれなればなり。しかれば一切の仏・菩薩も、もとより弥陀如来の分身なれば、みなことごとく、一念南無阿弥陀仏と帰命したてまつるうちにみなこもれるがゆゑに、おろかにおもふべからざるものなり。
またこのほかになほこころうべきむねあり。それ国にあらば守護方、ところにあらば地頭方において、われは仏法をあがめ信心をえたる身なりといひて、疎略の儀ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもつぱらにすべきものなり。かくのごとくこころえたる人をさして、信心発得して後生をねがふ念仏行者のふるまひの本とぞいふべし。これすなはち仏法・王法をむねとまもれる人となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年五月十三日これを書く。]



【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
 この章は文明六年五月十三日と最後にあり、文明六年三月二十八日の大火焼失の後のものである。その由来にはさまざまな説があるが、あたかも「領解文」のごとく、安心、報謝、法度を出されている。
 先ず、他力の信心の内容を明らかにされ、この信心の法徳としての仏凡一体の内容を述べられている。仏凡一体ということは存覚上人の『浄土真要鈔』等に出ずる用語であるが、その義拠はすでに『往生論註』をはじめ、親鸞聖人の『教行信証』「行巻」のー乗海釈等にみられる。仏凡一体の仏とは仏心であり、如来のよきこころといわれ、凡とは凡心であり、煩悩濁悪の心である。一体とは機法一体の一体と異なり、転成一体といわれるのである。転ということはすでに『唯信鈔文意』の親鸞聖人の釈にあるごとく、「転ずといふはつみをけしうすなはずして、善になすなり」とあり、変の面と不変の面の存する変わり方をいうといわれる。たとえば船に石を載せて九州から大阪に運ぶがごとくである。石は陸上にある場合も船中にある場合も重量においては何らの変化もない。水上におくと沈む性格には全く異変はない。しかし、船上に載せられた石は軽石と同じように浮んでいるのである。船に載せられた石は、いかに沈まんとしても沈むことのでき得ないことになっている。この面からいえば変ということもできる。しかるに石そのものの重量が減じたということでもなく、水につけると沈む性格が変化したということではない。この面では不変ということがいえる。沈むもののまま船に支えられて沈まれないことになっているのは、石そのもののはたらきではなく、船そのもののはたらきによるのである。このような立場を法徳といわれ、ここにすくいとさとりとの立場が明らかにされるのである。蓮師の時代には、最近の学者によると、一遍上人の時宗が全国的に勢力があったといわれる。すでに宗名の章にも帖外には一遍一向といわれ、時宗との混同も考えられたようである。
 一遍上人の歌に「となふればわれもほとけもなかりけり南無阿弥陀仏南鉦阿弥陀仏」とある。この歌は浄土真宗との接点と考えられるであろう。すなわち「われもほとけもなかりけり」という、はからいや固執せるものの否定においては通ずるものも考えられる。しかし、われもほとけもない無分別の場にたつというのは、悟の世界をいうのである。煩悩、執着、我執をすべて否定した悟の世界をいわれるのである。それゆえ、一遍上人の世界には二種深信はあり得ない。あたかも道元禅師の悟の内容を、南無阿弥陀仏をもって語っているとも考えられる。道元禅師の立場には自力という用語は見当らない。すでに『正法眼蔵』の現成公案にも、
 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。
とあり、さらに「生死」篇には、
 たゞわが身をも心をもはなちわすれて仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして生死をはなれ仏となる。たれの人かこゝろにとゞこほるべき。
とあり、これらの文によると、親鸞聖人と接点を見い出すことができる。
 しかし、一遍上人や道元禅師の他力観と浄土真宗の他力の立場は異なるのある。道元禅師の他力の立場は、記述の船と石の譬えによると、石は水につけると直ちに軽石と変化して、しかもモーターがついて自ら九州から大阪まで行くことになるがごとくである。この場合は船を必要としない。万法(他力)と一つになる。この万法の他力に該当するものを一遍上人では南無阿弥陀仏としたのである。ここは自他の分別をはなれた全く一つの世界といわれる。それゆえ、道元禅師の立場は自力門といわれるのである。このようなさとりとすくいの立場を混同したのが、一遍上人の他力観であるといえよう。自らの分別やはからいを介入せしめない点においては浄土真宗の安心に共通する面も考えられるが、現身において万法と一つとなる世界であるからさとりの立場であり、此土入聖の立場といわれるのである。
 浄土教の立場の特色は、『教行信証』「化身上巻」にあるごとく、
 凡そ一代の教に就てこの界の中にして大聖得果するを聖道門と名く。……安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名く。
と、浄土と穢土の二元的立場を前提とする。ここにさとりの立場とすくいの立場の相違が考えられる。もし、一つという立場の実現の場を求むれば、証果の世界である。この証果は、肉体の存続する限りはかくされた世界といわねばならない。「信巻」末にも、
 念仏の衆生は横超の金剛心を窮るが故に臨終一念の夕に大般涅槃を超証す。
とあり、「真仏土巻」にも、
 明かに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す、惑染の衆生此にして性を見ること能はず。煩悩に覆るゝが故に。……安楽仏国に到れば必ず仏性を顕す。本願力廻向によるが故に。
とあり、惑染の衆生はこの肉体の存続する限り煩悩を断ずることは不可能である。石は陸上にあっても、船上にあっても何ら重量の変化はないのである。しかるに船上に載せられた石は、沈む性格のそのまま沈まれない身となっているのである。石は、自らいかに沈まんとしても、船に妨げられて沈まれない身となっている。このような二元的立場において、すくいは成立するのである。しかも船の行方が石の行方である。ここに念仏往生の立場と聖道仏教の立場の相違が考えられるのである。それゆえ、仏凡一体の凡といわれる凡夫の説明が『一念多念証文』には次のごとくある。
 凡夫といふは無明煩悩われらがみにみちみちて欲もおほくいかりはらだちそねみんてむこゝろおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとゞまらず、きへず、たへずと水火二河のたとへにあらはれたり。
とあり、船上の石の重量は大阪の陸地にあげるまでは何らの変化もあり得ない。しかも浮んでいることは船のはたらきそのものである。仏凡一体とは、このようにすくいとさとりの立場の混同を明らかにされたものといわれる。蓮師の時代には一益法門といわれ、信心をいただくとその場において仏になるという異義があったようである。
 仏に向って礼拝せず、自分を拝むという不拝秘事もあったのである。帖外百十四通によると次のごとくである。
 その方にみなく申され候なるは信心をうるとき、はやほとけになり、さとりをひらきたるよしうけたまはりおよび候。言語道斯くせごとにて候。それはあさましくこそ候へ、聖入御一流には定聚滅度とたてましまして雑行をすてゝ一心に弥陀に帰したてまつる時、摂取不捨の利益にあづかり正定聚の位にさだめたまふ。これを平生業成となづく。さて今生の縁つきていのちおはらんとき、さとりをひらくべきものなり。
とあり、仏心と凡心と一体という側面は法徳の上でいわれるので、この凡心そのままが仏であることではない。さとりとすくいの立場の相違を、これによって明らかにされたものといわれる。ここに浄上教の特色があり、また万機普益の法ともいわれるのである。

〔用語の解説〕
・十悪五逆-十悪は十善の逆であり、殺生、楡盗、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、填恚、愚痴であり、はじめの三つは身で行う悪事であり、次の四つは口で行う悪事、後の三は心で行う悪事である。
五逆は、小乗と大乗とで解釈は異なるが、一般には父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を流し、和合を破る、の五であり、最も重罪とされる。・五障三従-五障は女性の五つの障をいう。すなわち女性は梵天王、帝釈、魔王、転輪王、仏の五者にはなることができない障があるという。三従は女性は幼い時は両親に従い、結婚すると夫に従い、老人になると子に従うという。
・遍照の光明-『観経』の真身観の「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」の文による。摂取の光明も同義である。
・ー期のあひだー一生涯(生命のある限り)。
・方便-かりのてだて。
・公事-おおやけの事。


二帖目第九通 忠臣貞女・外典

 そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、それ弥陀仏の誓ひましますやうは、一心一向にわれをたのまん衆生をば、いかなる罪ふかき機なりとも、すくひたまはんといへる大願なり。
しかれば一心一向といふは、阿弥陀仏において、二仏をならべざるこころなり。このゆゑに人間においても、まづ主をばひとりならではたのまぬ道理なり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへず、貞女は二夫をならべず」(史記・意)といへり。阿弥陀如来は三世諸仏のためには本師師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれをよろこびたまはざるべきや。このいはれをもつてよくよくこころうべし。
さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。これによりて、その阿弥陀如来をば、なにとたのみ、なにと信じて、かの極楽往生をとぐべきぞなれば、なにのやうもなく、ただわが身は極悪深重のあさましきものなれば、地獄ならではおもむくべきかたもなき身なるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりたすけんといふ誓願をおこしたまへりとふかく信じて、一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。
このうへにはただねてもおきてもへだてなく念仏をとなへて、大悲弘誓の御恩をふかく報謝すべきばかりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六歳三月十七日これを書く。]

二帖目第八通 本師本仏

 それ、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、むなしくみな十方三世の諸仏の悲願にもれて、すてはてられたるわれらごときの凡夫なり。しかればここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、いまのごときの諸仏にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三従の女人をば、弥陀にかぎりてわれひとりたすけんといふ超世の大願をおこして、われら一切衆生を平等にすくはんと誓ひたまひて、無上の誓願をおこして、すでに阿弥陀仏と成りましましけり。この如来をひとすぢにたのみたてまつらずは、末代の凡夫、極楽に往生するみち、ふたつもみつもあるべからざるものなり。
これによりて親鸞聖人のすすめましますところの他力の信心といふことを、よく存知せしめんひとは、かならず十人は十人ながらみなかの浄土に往生すべし。
さればこの信心をとりてかの弥陀の報土にまゐらんとおもふについて、なにとやうにこころをももちて、なにとやうにその信心とやらんをこころうべきや。ねんごろにこれをきかんとおもふなり。
 答へていはく、それ、当流親鸞聖人のをしへたまへるところの他力信心のおもむきといふは、なにのやうもなく、わが身はあさましき罪ふかき身ぞとおもひて、弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、もろもろの雑行をすてて専修専念なれば、かならず遍照の光明のなかに摂め取られまゐらするなり。これまことにわれらが往生の決定するすがたなり。このうへになほこころうべきやうは、一心一向に弥陀に帰命する一念の信心によりて、はや往生治定のうへには、行住坐臥に口に申さんところの称名は、弥陀如来のわれらが往生をやすく定めたまへる大悲の御恩を報尽の念仏なりとこころうべきなり。これすなはち当流の信心を決定したる人といふべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年三月中旬]

二帖目第七通 五戒・易往

 しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなることぞかし。ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。たとひまた栄華にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年・百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。そもそもその信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才学もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、ただもろもろの雑行をすてて、正行に帰するをもつて本意とす。
その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる理ばかりなり。かやうに信ずる衆生をあまねく光明のなかに摂取して捨てたまはずして、一期の命尽きぬればかならず浄土におくりたまふなり。この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。されば安心といふ二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。さらになにの造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。あら、こころえやすの安心や。また、あら、往きやすの浄土や。これによりて『大経』(下)には「易往而無人」とこれを説かれたり。この文のこころは、「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり。
かくのごとくこころうるうへには、昼夜朝暮にとなふるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。かへすがへす仏法にこころをとどめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年三月三日これを清書す。]



【『蓮如上人のことば』(稲城選恵著 法蔵館刊)の解説】
 この「御文章」は文明六年三月、蓮師の吉崎時代のもので、三月三日の節句の日に多くの人々がうかれていることをみて、人生は一旦の浮生なる笹のつゆの如きものであることをさとされたものといわれる(明灯鈔)。
 しかしこの章では安心の本義を明らかにされているところに注意すべきものがある。浄土真宗の安心はいかなるものでも通ずるのである。善悪智愚を問うことなく、「たゞもろもろの雑行をすてゝ正行に帰する」ことであるといわれる。信心をとるということを、蓮師はしばしばいわれるが、この言葉につくされているといえよう。正行はもちろん五正行をいい、その中で正定業といわれるのは第四の称名である。他の前三後一はすべて助業といわれる。称名を正業といわれるのは仏の本願に順ずるがゆえであり、他力の念仏なるがゆえである。他力の念仏には自らの功は是認されない。称えるままが名号法の活動相といわれ、それは自らの造作を認めない信を場としない限り成立しない。それゆえ、正行の正行たる所以は信にあり、自らの造作、自力の私計を認めると雑となるから、正行と雑行を安心の上で釈されているのである。
 次に安心という言葉の意味を解説されている。安心という言葉を蓮師ほど多く用いた方はない。親鸞聖人の上では全く見うけられない。親鸞聖人は多く信心、信楽といわれている。信心を特に多く用いられたのは、信を「マコト」と訓むからである。このように親鸞聖人は、他力の信心の体の上でいわれている。それに対して、蓮師の安心ということばは、他力の信心の相の上でいわれているのである。体と相の関係はあたかも水と波のごとくである。現在世界のどの宗教でも信心という言葉は用いるが、安心という言葉を用いるものは聞かない。仏教独自の用語であり、仏教そのものの特色をあらわすものといわれる。仏教でいう信心は、他のどの宗教とも異なって、平静を意味する。それゆえ『無量寿経』の本願成就文の「信心歓喜」の原語prasādaにもcalmness,tranquilty,absence of excitement等の訳がある。多くの宗教に見られる、神の業に酔う狂信的なものと全く逆な性格をもっている。それゆえ、安心ということは仏教独自のものといわれている。安心を信心と同義にされているのは善導大師の『往生礼讃』前序による。それゆえ、一般仏教はもちろん、浄土教門内では、他流の上でも用いられているが、蓮師は安心の本義を字義によって明らかにされているのである。安心をやすきこころと訓み、やすきこころとは、何の造作もいらぬ機受の無作を意味するものといわれる。
 それゆえ、次の句に『無量寿経』の「易往而無人」の文を引用され、安と易を同義とされている。易は元来無作を意味するのである。いかなる意味においても、自らの造作を加えることを条件とすると、その条件の可能なものは通ずるが、不可能なものは通じない。自らの造作を認めないと、誰でも通ずるし、いつでもどこでも通ずることになる。他力とは正しくこの易をあらわすものである。それゆえ、前に「信心をとらんずるにはさらに智慧もいらず、才学もいらず」とある。「易往而無人」とは他力の信心の特性をあらわす用語であり、「信巻」の十二嘆徳にも「易往無人の浄信」をあげられている。すなわち、易往は自らの造作は微塵も介入することなく、法のはたらきによって往生をうることを示し、この他力無作の法に自らの私計造作を加えると永劫にその答えを得ることは不可能である。救いの法にはあえないこととなる。それゆえ、自力の私計を是認する二十願の結びの文には「微塵劫を超過すれども仏願力にあいがたく大信海に入りがたし」とある。ここに他力の信心の特色が明らかに知られる。

〔用語の解説〕
・五戒ー在家の人の持つべき戒であり、一つに不殺生戒、二つに不倫盗戒、三つには不邪婬戒(自分の妻又は夫以外の男性や女性と関係してはいけないこと)、四つには不妄語戒(うそをつかないこと)、五つには不飲酒戒である。
・功力ー効果ということ。
・一旦の浮生ー極めて短い時間のこと。
・盛者必衰会者定離ーさかんなるものは必ず衰え、会うということは間違いなく離れるということ。この文は『涅槃経』巻二によるものといわれる。


二帖目第六通 掟・他力信心

 そもそも、当流の他力信心のおもむきをよく聴聞して、決定せしむるひとこれあらば、その信心のとほりをもつて心底にをさめおきて、他宗・他人に対して沙汰すべからず。また路次・大道われわれの在所なんどにても、あらはに人をもはばからずこれを讃嘆すべからず。つぎには守護・地頭方にむきても、われは信心をえたりといひて疎略の儀なく、いよいよ公事をまつたくすべし。
また諸神・諸仏・菩薩をもおろそかにすべからず。これみな南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるがゆゑなり。ことにほかには王法をもつておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義をもつて本とすべし。これすなはち当流に定むるところの掟のおもむきなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明六年二月十七日これを書く。]