蓮如上人の『御文』を読む -4ページ目

四帖目第七通 六か条

 そもそも、今月報恩講のこと、例年の旧儀として七日の勤行をいたすところ、いまにその退転なし。しかるあひだ、この時節にあひあたりて、諸国門葉のたぐひ、報恩謝徳の懇志をはこび、称名念仏の本行を尽す。まことにこれ専修専念決定往生の徳なり。このゆゑに諸国参詣の輩において、一味の安心に住する人まれなるべしとみえたり。そのゆゑは真実に仏法にこころざしはなくして、ただ人まねばかり、あるいは仁義までの風情ならば、まことにもつてなげかしき次第なり。そのいはれいかんといふに、未安心の輩は不審の次第をも沙汰せざるときは、不信のいたりともおぼえはんべれ。さればはるばると万里の遠路をしのぎ、また莫大の苦労をいたして上洛せしむるところ、さらにもつてその所詮なし。かなしむべし、かなしむべし。ただし不宿善の機ならば無用といひつべきものか。
一 近年は仏法繁昌ともみえたれども、まことにもつて坊主分の人にかぎりて信心のすがた一向無沙汰なりときこえたり。もつてのほかなげかしき次第なり。
一 すゑずゑの門下のたぐひは、他力の信心のとほり聴聞の輩これおほきところに、坊主よりこれを腹立せしむるよしきこえはんべり。言語道断の次第なり。
一 田舎より参詣の面々の身上においてこころうべき旨あり。そのゆゑは、他人のなかともいはず、また大道・路次なんどにても、関屋・船中をもはばからず、仏法方の讃嘆をすること勿体なき次第なり。かたく停止すべきなり。
一 当流の念仏者を、あるいは人ありて、「なに宗ぞ」とあひたづぬること、たとひありとも、しかと「当宗念仏者」と答ふべからず。ただ「なに宗ともなき念仏者なり」と答ふべし。これすなはちわが聖人(親鸞)の仰せおかるるところの、仏法者気色みえぬふるまひなるべし。このおもむきをよくよく存知して、外相にそのいろをはたらくべからず。まことにこれ当流の念仏者のふるまひの正義たるべきものなり。
一 仏法の由来を、障子・かきごしに聴聞して、内心にさぞとたとひ領解すといふとも、かさねて人にそのおもむきをよくよくあひたづねて、信心のかたをば治定すべし。そのままわが心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし。ちかごろこれらの子細当時さかんなりと云々。
一 信心をえたるとほりをば、いくたびもいくたびも人にたづねて他力の安心をば治定すべし。一往聴聞してはかならずあやまりあるべきなり。
 右この六箇条のおもむきよくよく存知すべきものなり。近年仏法は人みな聴聞すとはいへども、一往の義をききて真実に信心決定の人これなきあひだ、安心もうとうとしきがゆゑなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明十六年十一月二十一日]

四帖目第六通 三か条

 そもそも、当月の報恩講は、開山聖人(親鸞)の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて遠国・近国の門徒のたぐひ、この時節にあひあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあひだ、毎年七昼夜のあひだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。これすなはち真実信心の行者繁昌せしむるゆゑなり。まことにもつて念仏得堅固の時節到来といひつべきものか。このゆゑに、一七箇日のあひだにおいて参詣をいたす輩のなかにおいて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこれあるべし。かの仁体において、はやく御影前にひざまづいて回心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して、一念発起の真実信心をまうくべきものなり。それ南無阿弥陀仏といふは、すなはちこれ念仏行者の安心の体なりとおもふべし。
そのゆゑは、「南無」といふは帰命なり。「即是帰命」といふは、われらごときの無善造悪の凡夫のうへにおいて、阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなりとしるべし。そのたのむこころといふは、すなはちこれ、阿弥陀仏の衆生を八万四千の大光明のなかに摂取して往還二種の回向を衆生にあたへましますこころなり。されば信心といふも別のこころにあらず。みな南無阿弥陀仏のうちにこもりたるものなり。ちかごろは、人の別のことのやうにおもへり。これについて諸国において、当流門人のなかに、おほく祖師(親鸞)の定めおかるるところの聖教の所判になきくせ法門を沙汰して法義をみだす条、もつてのほかの次第なり。所詮かくのごときのやからにおいては、あひかまへて、この一七箇日報恩講のうちにありて、そのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。
一 仏法を棟梁し、かたのごとく坊主分をもちたらん人の身上において、いささかも相承もせざるしらぬえせ法門をもつて人にかたり、われ物しりとおもはれんためにとて、近代在々所々に繁昌すと云々。これ言語道断の次第なり。
一 京都本願寺御影へ参詣申す身なりといひて、いかなる人のなかともいはず、大道・大路にても、また関・渡の船中にても、はばからず仏法方のことを人に顕露にかたること、おほきなるあやまりなり。
一 人ありていはく、「わが身はいかなる仏法を信ずる人ぞ」とあひたづぬることありとも、しかと「当流の念仏者なり」と答ふべからず。ただ「なに宗ともなき、念仏ばかりはたふときことと存じたるばかりなるものなり」と答ふべし。これすなはち当流聖人(親鸞)のをしへましますところの、仏法者とみえざる人のすがたなるべし。さればこれらのおもむきをよくよく存知して、外相にそのいろをみせざるをもつて、当流の正義とおもふべきものなり。
これについて、この両三年のあひだ報恩講中において、衆中として定めおくところの義ひとつとして違変あるべからず。この衆中において万一相違せしむる子細これあらば、ながき世、開山聖人(親鸞)の御門徒たるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。   [文明十五年十一月 日]

四帖目第五通 中古已来

 それ、中古已来当時にいたるまでも、当流の勧化をいたすその人数のなかにおいて、さらに宿善の有無といふことをしらずして勧化をなすなり。所詮自今以後においては、このいはれを存知せしめて、たとひ聖教をもよみ、また暫時に法門をいはんときも、このこころを覚悟して一流の法義をば讃嘆し、あるいはまた仏法聴聞のためにとて人数おほくあつまりたらんときも、この人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもひて、一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勧化する体たらくをみおよぶに、この覚悟はなく、ただいづれの機なりともよく勧化せば、などか当流の安心にもとづかざらんやうにおもひはんべりき。これあやまりとしるべし。
かくのごときの次第をねんごろに存知して、当流の勧化をばいたすべきものなり。中古このごろにいたるまで、さらにそのこころを得てうつくしく勧化する人なし。これらのおもむきをよくよく覚悟して、かたのごとくの勧化をばいたすべきものなり。
そもそも今月二十八日は、毎年の儀として、懈怠なく開山聖人(親鸞)の報恩謝徳のために念仏勤行をいたさんと擬する人数これおほし。まことにもつて流を汲んで本源をたづぬる道理を存知せるがゆゑなり。ひとへにこれ聖人の勧化のあまねきがいたすところなり。
しかるあひだ、近年ことのほか当流に讃嘆せざるひが法門をたてて、諸人をまどはしめて、あるいはそのところの地頭・領主にもとがめられ、わが身も悪見に住して、当流の真実なる安心のかたもただしからざるやうにみおよべり。あさましき次第にあらずや。かなしむべし、おそるべし。所詮今月報恩講七昼夜のうちにおいて、各々に改悔の心をおこして、わが身のあやまれるところの心中を心底にのこさずして、当寺の御影前において、回心懺悔して、諸人の耳にこれをきかしむるやうに毎日毎夜にかたるべし。これすなはち「謗法闡提回心皆往」(法事讃・上)の御釈にもあひかなひ、また「自信教人信」(礼讃)の義にも相応すべきものなり。しからばまことにこころあらん人々は、この回心懺悔をききても、げにもとおもひて、おなじく日ごろの悪心をひるがへして善心になりかへる人もあるべし。これぞまことに今月聖人の御忌の本懐にあひかなふべし。これすなはち報恩謝徳の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明十四年十一月二十一日]

四帖目第四通 三首御詠歌

 それ、秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ。いつのまにかは年老のつもるらんともおぼえずしらざりき。しかるにそのうちには、さりとも、あるいは花鳥風月のあそびにもまじはりつらん。また歓楽苦痛の悲喜にもあひはんべりつらんなれども、いまにそれともおもひいだすこととてはひとつもなし。ただいたづらに明かし、いたづらに暮して、老の白髪となりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。されども今日までは無常のはげしき風にもさそはれずして、わが身ありがほの体をつらつら案ずるに、ただ夢のごとし、幻のごとし。いまにおいては、生死出離の一道ならでは、ねがふべきかたとてはひとつもなく、またふたつもなし。
これによりて、ここに未来悪世のわれらごときの衆生をたやすくたすけたまふ阿弥陀如来の本願のましますときけば、まことにたのもしく、ありがたくもおもひはんべるなり。この本願をただ一念無疑に至心帰命したてまつれば、わづらひもなく、そのとき臨終せば往生治定すべし。もしそのいのち延びなば、一期のあひだは仏恩報謝のために念仏して畢命を期とすべし。これすなはち平生業成のこころなるべしと、たしかに聴聞せしむるあひだ、その決定の信心のとほり、いまに耳の底に退転せしむることなし。ありがたしといふもなほおろかなるものなり。されば弥陀如来他力本願のたふとさありがたさのあまり、かくのごとく口にうかむにまかせてこのこころを詠歌にいはく、
 ひとたびもほとけをたのむこころこそ まことののりにかなふみちなれ
 つみふかく如来をたのむ身になれば のりのちからに西へこそゆけ
 法をきくみちにこころのさだまれば 南無阿弥陀仏ととなへこそすれと。
 わが身ながらも本願の一法の殊勝なるあまり、かく申しはんべりぬ。この三首の歌のこころは、はじめは、一念帰命の信心決定のすがたをよみはんべり。のちの歌は、入正定聚の益、必至滅度のこころをよみはんべりぬ。つぎのこころは、慶喜金剛の信心のうへには、知恩報徳のこころをよみはんべりしなり。
されば他力の信心発得せしむるうへなれば、せめてはかやうにくちずさみても、仏恩報尽のつとめにもやなりぬべきともおもひ、またきくひとも、宿縁あらば、などやおなじこころにならざらんとおもひはんべりしなり。しかるに予すでに七旬のよはひにおよび、ことに愚闇無才の身として、片腹いたくもかくのごとくしらぬえせ法門を申すこと、かつは斟酌をもかへりみず、ただ本願のひとすぢのたふとさばかりのあまり、卑劣のこのことの葉を筆にまかせて書きしるしをはりぬ。のちにみん人そしりをなさざれ。これまことに讃仏乗の縁・転法輪の因ともなりはんべりぬべし。あひかまへて偏執をなすことゆめゆめなかれ。あなかしこ、あなかしこ。
  [時に文明年中丁酉暮冬仲旬のころ炉辺において暫時にこれを書き記すものなりと云々。]
  右この書は、当所はりの木原辺より九間在家へ仏照寺所用ありて出行のとき、路次にてこの書をひろひて当坊へもちきたれり。
  [文明九年十二月二日]

四帖目第三通 当時世上

 それ、当時世上の体たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあひだ、諸国往来の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、仏法・世法につけても千万迷惑のをりふしなり。これによりて、あるいは霊仏・霊社参詣の諸人もなし。これにつけても、人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。
しかるに今の世も末法濁乱とはいひながら、ここに阿弥陀如来の他力本願は今の時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの広大の悲願にすがりて、在家止住の輩においては、一念の信心をとりて法性常楽の浄刹に往生せずは、まことにもつて宝の山にいりて手をむなしくしてかへらんに似たるものか。よくよくこころをしづめてこれを案ずべし。
しかれば諸仏の本願をくはしくたづぬるに、五障の女人、五逆の悪人をばすくひたまふことかなはずときこえたり。これにつけても阿弥陀如来こそひとり無上殊勝の願をおこして、悪逆の凡夫、五障の女質をば、われたすくべきといふ大願をばおこしたまひけり。ありがたしといふもなほおろかなり。これによりて、むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。
このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達(提婆達多)・闍世の五逆をつくりて、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明九歳九月二十七日これを記す。]

四帖目第二通 人間寿命

 それ、人間の寿命をかぞふれば、今の時の定命は五十六歳なり。しかるに当時において、年五十六まで生き延びたらん人は、まことにもつていかめしきことなるべし。これによりて予すでに頽齢六十三歳にせまれり。勘篇すれば年ははや七年まで生き延びぬ。これにつけても、前業の所感なれば、いかなる病患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし。これさらにはからざる次第なり。
ことにもつて当時の体たらくをみおよぶに、定相なき時分なれば、人間のかなしさはおもふやうにもなし。あはれ死なばやとおもはば、やがて死なれなん世にてもあらば、などかいままでこの世にすみはんべりなん。ただいそぎても生れたきは極楽浄土、ねがうてもねがひえんものは無漏の仏体なり。しかれば、一念帰命の他力安心を仏智より獲得せしめん身の上においては、畢命為期まで仏恩報尽のために称名をつとめんにいたりては、あながちになにの不足ありてか、先生より定まれるところの死期をいそがんも、かへりておろかにまどひぬるかともおもひはんべるなり。
このゆゑに愚老が身上にあててかくのごとくおもへり。たれのひとびともこの心中に住すべし。ことにもつて、この世界のならひは老少不定にして電光朝露のあだなる身なれば、いまも無常の風きたらんことをばしらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、ただ今生をばいつまでも生き延びんずるやうにこそおもひはんべれ。あさましといふもなほおろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生をねがひ、称名念仏せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
時に文明九年九月十七日にはかに思ひ出づるのあひだ、辰剋以前に早々これを書き記しをはりぬ。
                         信証院六十三歳]
  かきおくもふでにまかするふみなれば ことばのすゑぞをかしかりける

四帖目第一通 念仏行者

 それ、真宗念仏行者のなかにおいて、法義についてそのこころえなき次第これおほし。しかるあひだ、大概そのおもむきをあらはしをはりぬ。所詮自今以後は、同心の行者はこのことばをもつて本とすべし。これについてふたつのこころあり。
一つには、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二つには、ひとを勧化せんに宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。この道理を心中に決定してたもつべし。しかればわが往生の一段においては、内心にふかく一念発起の信心をたくはへて、しかも他力仏恩の称名をたしなみ、そのうへにはなほ王法を先とし、仁義を本とすべし。また諸仏・菩薩等を疎略にせず、諸法・諸宗を軽賤せず、ただ世間通途の義に順じて、外相に当流法義のすがたを他宗・他門のひとにみせざるをもつて、当流聖人(親鸞)の掟をまもる真宗念仏の行者といひつべし。
ことに当時このごろは、あながちに偏執すべき耳をそばだて、謗難のくちびるをめぐらすをもつて本とする時分たるあひだ、かたくその用捨あるべきものなり。そもそも当流にたつるところの他力の三信といふは、第十八の願に「至心信楽欲生我国」といへり。これすなはち三信とはいへども、ただ弥陀をたのむところの行者帰命の一心なり。
そのゆゑはいかんといふに、宿善開発の行者一念弥陀に帰命せんとおもふこころの一念おこるきざみ、仏の心光かの一念帰命の行者を摂取したまふ。その時節をさして至心・信楽・欲生の三信ともいひ、またこのこころを願成就の文(大経・下)には「即得往生住不退転」と説けり。あるいはこの位を、すなはち真実信心の行人とも、宿因深厚の行者とも、平生業成の人ともいふべし。されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。
しかれば念仏往生の根機は、宿因のもよほしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこころを聖人の御ことばには「遇獲信心遠慶宿縁」(文類聚鈔)と仰せられたり。これによりて当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを分別せずはいたづらごとなるべし。
このゆゑに、宿善の有無の根機をあひはかりて人をば勧化すべし。しかれば近代当流の仏法者の風情は、是非の分別なく当流の義を荒涼に讃嘆せしむるあひだ、真宗の正意、このいはれによりてあひすたれたりときこえたり。かくのごときらの次第を委細に存知して、当流の一義をば讃嘆すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明九年丁酉正月八日]

三帖目第十三通 それ当流門徒中

 それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。
このこころえのとほりをもつて、すなはち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏行者のすがたとはいふべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうへに、なほおもふべきやうは、さてもかかるわれらごときのあさましき一生造悪の罪ふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりてたやすくたすけたまへる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもひたてまつりて、その御恩報謝のためには、ねてもさめてもただ念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。
このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろもつてのほか、みな人のなにの不足ありてか、相伝もなきしらぬくせ法門をいひて人をもまどはし、また無上の法流をもけがさんこと、まことにもつてあさましき次第なり。よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明八年七月十八日]
                       [釈証如](花押)

三帖目第十二通 宿善有無

 そもそも、いにしへ近年このごろのあひだに、諸国在々所々において、随分、仏法者と号して法門を讃嘆し勧化をいたす輩のなかにおいて、さらに真実にわがこころ当流の正義にもとづかずとおぼゆるなり。そのゆゑをいかんといふに、まづかの心中におもふやうは、われは仏法の根源をよく知り顔の体にて、しかもたれに相伝したる分もなくして、あるいは縁の端、障子の外にて、ただ自然とききとり法門の分斉をもつて、真実に仏法にそのこころざしはあさくして、われよりほかは仏法の次第を存知したるものなきやうにおもひはんべり。これによりて、たまたまも当流の正義をかたのごとく讃嘆せしむるひとをみては、あながちにこれを偏執す。すなはちわれひとりよく知り顔の風情は、第一に驕慢のこころにあらずや。
かくのごときの心中をもつて、諸方の門徒中を経回して聖教をよみ、あまつさへわたくしの義をもつて本寺よりのつかひと号して、人をへつらひ虚言をかまへ、ものをとるばかりなり。これらのひとをば、なにとしてよき仏法者、また聖教よみとはいふべきをや。あさまし、あさまし。なげきてもなほなげくべきはただこの一事なり。これによりて、まづ当流の義をたて、ひとを勧化せんとおもはん輩においては、その勧化の次第をよく存知すべきものなり。
 それ、当流の他力信心のひととほりをすすめんとおもはんには、まづ宿善・無宿善の機を沙汰すべし。さればいかに昔より当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機はおのづから信を決定すべし。されば無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もつてのほかの当流の掟にあひそむけり。
されば『大経』(下)にのたまはく、「若人無善本不得聞此経」ともいひ、「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」ともいへり。また善導は「過去已曾 修習此法 今得重聞 則生歓喜」(定善義)とも釈せり。いづれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり。しかれば宿善の機をまもりて、当流の法をばあたふべしときこえたり。
このおもむきをくはしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことにまづ王法をもつて本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたを他宗・他家にみえぬやうにふるまふべし。このこころをもつて当流真実の正義をよく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明八年正月二十七日]

三帖目第十一通 毎年不闕 

 そもそも、今月二十八日は開山聖人(親鸞)御正忌として、毎年不闕にかの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡そのほかいかなる卑劣の輩までも、その御恩をしらざるものはまことに木石にことならんものか。これについて愚老、この四五箇年のあひだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといへども、はからざるにいまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあひたてまつる条、まことにもつて不可思議の宿縁、よろこびてもなほよろこぶべきものか。しかれば自国他国より来集の諸人において、まづ開山聖人の定めおかれし御掟のむねをよく存知すべし。
その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに振舞ふべからず。また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねんごろに仰せ定めおかれしところに、近代このごろの人の仏法知り顔の体たらくをみおよぶに、外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもつて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまつさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ちからをもつてこれをよみて、しらぬえせ法門をいひて、自他の門徒中を経回して虚言をかまへ、結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実あさましき次第にあらずや。
これによりて、今月二十八日の御正忌七日の報恩講中において、わろき心中のとほりを改悔懺悔して、おのおの正義におもむかずは、たとひこの七日の報恩講中において、足手をはこび、人まねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもつてなにの所詮もあるべからざるものなり。されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ。この道理をよくよくこころえて足手をもはこび、聖人をもおもんじたてまつらん人こそ、真実に冥慮にもあひかなひ、また別しては、当月御正忌の報恩謝徳の懇志にもふかくあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明七年十一月二十一日これを書く。]