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2007年7月2日(月)

一週の月曜日は帯広W局との番組の日。

午前中、局に電話が。出ると帯広W局のご担当Mさんでした。


「え~!ど~しちゃったの~。」


今日から僕は登板しないことになりました。

通知は先にしていたのですが事情があって僕自身からは

出来ませんでしたので、かなり驚かれてお気遣いいただき

心底恐縮でした。


ラベンダー満開のおはなしが出来ず、残念です。

オーナー田んぼの収穫まで担当出来ず、残念です。

今でもお世話になったW局さんへ感謝と、この時のお詫びの

気持ちは変わっていません。












再び薫ったラベンダー

ベンダー。

満開のニュースには若干早いものの、いよいよ開花のシーズンを迎え

ある意味富良野の風物詩、特に週末の国道38号と花人街道国道237号

の“ラベンダー渋滞”への注意も富良野警察署から出されるようになりました。


こうしてイコール富良野と言われるまでになったラベンダーも紆余曲折が

あったようです。


スタッフSさんに、ラベンダーのことも教えてもらいました。


もともとラベンダーは栽培されていたのですが、観賞用ではなく香料用の

農産品であって全く観光とは疎遠だったようです。

それが、70年代になって化学香料の普及と海外からの原料輸入自由化が

進むと富良野沿線のラベンダー農家が次々と廃業し畑が消えていくという

状況で、先は真っ暗だがあと一年やったら畑を潰そうと栽培を続けたのが

富田忠雄さんというかた。

そんな中、ひとりの写真家が撮ったこの不遇のラベンダー畑の写真が状況

を一変させます。

75年、当時の国鉄が展開していた「DISCOVER JAPAN」(懐かしいかたも

いらっしゃるでしょう。)というキャンペーンのカレンダーにこの一枚が載るや

全国から写真家が訪れ、富田さんも小さな香り袋を試しに自分の農園で売

ってみると大評判、観光農園として再生なったのです。

この農園こそ今や富良野を代表する(場所は隣の中富ですが(;^_^A)ラベンダー

園「ファーム富田」です。


「なんもラベンダーだってたまたまこうなってしまったのさ。」


たしかに随所に記されていることですが、その歴史を地元でずっと見続けてきた

Sさんから聞くおはなしには適いません。


大地いっぱいに咲く紫の花々もこんな歩みと奇蹟があったんだなと。。。

あの独特の薫りもまた違って感じるかもしれません。





富良野 夏

2007年7月1日(日)

7月。

ラベンダー最盛期、空知川のイカダ下り、そしてへそ祭り開催。

いよいよ富良野がもっともいきいきと賑わう季節を迎えました。

札幌、北見、函館・・・旭川以外の他管轄(他県ではないので)“わ”ナンバー車も

増え、ドライバーがキョロキョロしながら市内を走る姿も。

但し、事故も増える時季なのでクレグレも安全運転で。


僕はといえば、不本意ながら清々しいとはいえないまま迎えた7月です。。。