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長根城は上信電鉄線西吉井駅から真南に1km足らずの丘上にあった。北に突き出した舌状台地の先端を占めていたが、今は住宅や畑になっていて遺構はあまり見えない。

わかっている限りでは戦国時代の天文〜天正にかけて長根氏が居城にしていたとのこと。長根氏は山内上杉氏のもとにいたが情勢により武田氏、後北条氏と移っていった。小田原合戦の後に廃城とか。


三連休初日も午後3時ちかくなって日が傾き始めてからの訪問になり、たらたら歩いている間に気温も下がってきて寒さが来る中だった。 

 

現在位置(Googleマップで)

麓の長根神社からスタート。

ここからの様子はあまり注目されてないみたいだが、城のある丘が見上げるような迫力😮

長根城跡、丘陵の斜面と石垣


神社の鳥居からまっすぐ石段で登れるが、丘の斜面をからむように登るコンクリ道もあるので、そちらから登って登ってみる。

もう上が城の雰囲気満点✨

長根城への石段道


でも、これがそのまま城塁では無いのかな…?😅


登りきると、社殿が立っている。

小ぎれい✨

長根神社と城跡の入口


神社の境内から南のほうへ、公民館に向かって道が続いているのでそちらへ。

すでに城内のようだが、城として認識されている本丸跡は右側。

長根城への坂道


途中、東側の斜面を降りてゆく竪堀みたいなのが…😮

長根城跡の斜面と畑


最初に見た城の東側の壮麗な斜面とかこういうのとかを見ると、やっぱり段丘崖利用の丘城なんだなという感じが新たになる…

現在位置(Googleマップで)

住宅と畑が混ざるような集落の中を通って、上の湯公民館の前へ。

ここに本丸跡の標柱と説明板が立っているが、虎口のように狭まっている😮

長根城本丸跡の石碑と案内板


標柱と説明板。

長根城本丸跡の石碑と説明板


ここを入ると人の家の庭や畑が広がるばかりで、城の遺構らしい雰囲気はほとんど無い…


ので、ちょろっと見ただけで退出💨

少し東に外れたところから見ると、完全な畑…

畑と竹林、青空


その東側に、本丸を囲んでいた堀の跡がある。

こちら側の短い部分は凹になっているが、北へ曲がると外側が無くなっている…

長根城跡の開墾地と空撮映像


本丸まわりはこのぐらいで、見るべきものはそれなり。


続いて本丸の西に掘られているという「城坂」へ行ってみる。

公民館前で西に折れた道が、竪堀のように下っている😮

長根城への道、石垣と植栽


そして、すぐに二又になっていた。

左側は後世の車道、右が城坂でこちらが往時の道だそうだ。

長根城への登り道


分岐を入って少しで森の中に入り、全体が薬研堀の右側にコンクリ道を乗っけたような感じになる😮

長根城跡へ続く道、緑に囲まれた石垣


平坦な丘を深く抉って竪堀状にしているらしく、本丸側の斜面がスゴい迫力😨

長根城跡の竹林がある斜面


下の方では、そのまま直線で降りている。

長根城への山道、竹林と緑の斜面


道の横に深く掘られたように見える、石敷きの排水溝みたいなのが本来の堀の線で、コンクリ道を通すときにかなり埋められたようだ。

それでも本丸の西側に沿うように深く抉って通しているあたり、この城が晒された緊張感を垣間見る事が出来るか。


なお、この城坂の反対側が二の丸なのだそうだ。

道端から一段高くなって曲輪らしい風貌を見せるが、すぐ向こうが民家の庭…
長根城:丘陵地の登り口

この向こう側にも堀が残っていると説明板にはあったが、写真の左の道は民家の庭で終点、周りも畑などで奥への進入不可だった…


このあたりには舌状台地の先端に構える城がいくつかあるが、だいたいが開拓や宅地化などで遺構が分かりにくくなっている。それでも城坂みたく大きな土木の跡が残っていれば雰囲気は楽しめる。そんな城だった…


この日はこれで終了。
国道254号を佐久方面へ移動した。
途中で撮ったレモン彗星(C/2025 A6)
レモン彗星 C/2025 A6

薄明に月夜、車がバンバン往来する国道脇にて😅


★長根城

群馬県高崎市吉井町長根

本丸標柱のある上の湯公民館のスペースは普通車1台分。周囲は路地狭く路駐不可。

丘城

 

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(2025年11月7日 記)

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吉井陣屋は上信電鉄線吉井駅のすぐ南に構えていた。今は住宅地となり、中央を道路が通り抜けたりして跡形もなくなっているが、南西の端にあった春日社の跡が残り、またすぐ南の吉井文化会館に正門が移築保存されている。

宝暦二年(1752年)、二代目藩主鷹司松平信友が矢田陣屋に代わって築いた。この吉井藩もしくは矢田藩は、五摂家のひとつ鷹司家出身の松平信平がこの地に7000石で旗本となったのが始まりで、宝永六年(1709年)に松平信清が知行1万石の大名となって立藩されたもの。家格の高い小藩ということで財政は厳しく、幕末には情勢にも翻弄されたとか。


新堀城、矢田陣屋隣の代官所と回って昼過ぎのスタート、久しぶりの晴天でかなり暑い中、道が狭くて車通りのある町中を散策…🥵


現在位置(Googleマップで)

車は文化会館の駐車場へ。

その文化会館の入口に、移築保存されている陣屋の表門が立っていた。高崎市の重要文化財。

吉井陣屋の移築門と説明板


日ごろ移築門はおろか現存建物も目にする機会が少ないので、ずいぶんと久しぶり✨

オノレはどんな城めぐりしとるんじゃ…😮‍💨


傍らには説明板。

吉井陣屋の表門と復元図


陣屋はここから少し北、上信電鉄線吉井駅の方へ歩いていったところにあったが、今はごく一部を除いて宅地化されたのだとか。

南西の端にあった春日社の跡地が唯一宅地化を免れているようなので、そこへ行ってみる。


現在位置(Googleマップで)

町中を少し北に進み、そこから西に歩いてゆくと、住宅地の中に土壇のような高まりが現れる。

これが今残る唯一の土木の跡で、陣屋の南西隅の春日神社があったところとのこと。

吉井陣屋跡、春日社跡の土壇と石垣


と…言うことは、

前を走るこの道が、陣屋の南西側の堀跡だったって事か…😮

吉井陣屋跡、春日社跡の石垣


ここ以外にも道路になった堀跡はあるが、ここ以外は面影が全く見えなかった。

土壇を向こう側から眺める。

石垣が往時のものか?という目では全く見ていなかった😅
吉井陣屋跡の土壇と石垣

では、土壇に登ってみるか。

標柱と説明板。

春日社跡と高崎市教育委員会指定碑


真ん中にフェンスで守られたケヤキの大木、奥の方に立派な石碑が2つ。

手前は大正天皇・皇后が訪問された記念碑、向こう側は吉井藩治碑だそうだ。

吉井陣屋跡の石碑と記念碑


さて撤収する時に向こう側をよく見ると、石段があった。

これは往時の春日社のやつかな…?😮

吉井陣屋跡の石段と灯籠


この周囲、堀とか建物とかあったらしいところを歩き回ってみたが、ことごとく住宅地になっていて、往時を物語るものは何一つ見つけられなかった😅

いま見てきた二ヶ所に、陣屋を物語るものがすべて詰まっている、というところか。 

 

★吉井陣屋

群馬県高崎市吉井町吉井

市の吉井文化会館の駐車場を利用。ここに移築された表門が立つ。マップ上ピンは陣屋中心だが遺構は無。

平城

 

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(2025年11月6日 記)

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新堀城、または多比良城は高崎市の南東端ちかくで北に向かって突き出した丘の北端にある。南の山上には平井金山城さらには山内上杉氏の本拠地たる平井城があって、その支城だった。

永禄六年(1562年)、城主多比良友定のときに武田信玄に攻められ落城したとのこと。守っていた上杉家の宝物を焼き捨て子女ともども割腹し果てる、壮絶な最期だったという。


三連休の初日だったが日ごろの疲れが出て、下道で休み休み近づいてきたので、登城に取りかかったときには昼近くになっていた😅


普賢寺の駐車場に車を停めさせていただいたが、境内から城まではかなり離れていて、直接行くことは出来ない。

ここは、東へ少し出てから台地の北端へ行く。

なお普賢寺は延喜年間の開山というから城よりずっと先輩、永禄六年に武田信玄に城を落とされたときには堂宇を焼失している。やはり戦火と無縁ではいられなかったか…


現在位置(Googleマップで)

車道は袋小路になっているが、北へ入ってゆくコンクリ道へ入ってゆくと、ソーラーパネルが並んでいる奥の小高い丘の端に標柱と説明板が立っているのが見えてくる。

新堀城跡の標柱と説明板


それにしても晴天の下で登城するの、ずいぶん久々のような気がする😅
この日はまとまった雨の翌日で、暑いぐらいだった🌞

標柱と説明板は、ステンレス生地に墨で書いた?

新堀城跡の標柱と説明板


この小高い丘が主郭。

上は東側が一段高く、奥は畑にされたためか少し低くなっている。

新堀城跡、緑豊かな丘と青空


標柱の裏は段になっているが、これが東側の切岸か…

新堀城跡の竹藪と雑草が生い茂る斜面


ここはすでに城内の中心近くで、周囲には薄れながらも城の土木工事の跡が残っている。

まず、今歩いてきたコンクリ道が恐らく堀跡、主郭への動線を兼ねるか?

新堀城への道、緑の畑と木々


向こう側の畑も曲輪だろう。

新堀城(多比良城)跡の畑と森


さらには、ソーラーパネルで埋め尽くされた主郭の南側も堀跡だろう😮

太陽光パネルと草地、青空


南側には、曲輪の段がクッキリ✨

新堀城跡、ソーラーパネルと空


この堀、パネルの高さがありすぎて、堀らしいようすを眺められる場所がない💦

仕方なく、主郭に登った道を西の端まで入っていってみると、端のほうに箱堀状がキレイに残っていた✨

これもだいぶ埋められたんだろうけど…

新堀城跡の広場と竹林


この端のほうから北の方へ目を向けると、城の西側端っこを守る帯曲輪が視線方向に伸びているのが見える。

新堀城跡の緑豊かな丘と空


帯曲輪は🌿🌿、しかもセンダングサだらけ…

とても入ってゆく気になれない😂

新堀城跡の曲輪と背後の緑豊かな丘


外側には、かなりの広さがある谷。

向こう側半分が竹ヤブに覆われている…

新堀城跡の丘陵と竹林


谷に面して城をしっかりと守っている城塁。

いまはここも🌿🌿で、ようすが分かりにくいほどだが…

新堀城跡の草木が生い茂る丘


これで城の南の方は東から西までだいたい押さえたが、北の方にもまだ広がっている。

主郭の北西の方には半島状に突き出した曲輪があって、主郭との間が堀切状になっているとのこと💓

このあたりは濃密なセンダングサ込みのヤブになっているので回避して、入城のときに入ってきたコンクリ道に戻って北へ進むことにした。

進んでゆくと丘が唐突に終端になり、道は左へ折れて主郭の裾を西に進むようになる。
ほぼ一直線😮
竹林の中の古城跡への道

竹ヤブの中に首を突っ込んで、主郭の切岸を望む。
高さ4メートルほどで、ちゃんと切岸加工されていたらしく傾斜を保っている✨
竹林と倒木、荒れた地面

道の下の斜面も、この通り😨
尾根の先端もしっかり土木工事して、敵を寄せ付けないようにしていた。
竹林と石畳の道

道は西へ一直線に伸びているが、先の方では右側が盛り上がって堀のようになる。
この右側は、丘の先端に突き出た曲輪になる。
新堀城跡の堀跡と帯曲輪

丘の西側に出た道は、そのまま北にカーブして麓に向かって降りている。
トラクターなどが通れるよう後補で改変されているのだろうが、往時から城道があったかとも思いたくなる…
竹林に囲まれた新堀城跡への道

さて北端の曲輪はというと…

コレかい🌿🌿
竹藪に覆われた帯曲輪

もうここは没収試合でイイや😂

 

このあたりに多い開墾された丘城だが、その中でも城を物語るものがあちこちに残っていて、宝探しみたいな雰囲気を味わえるか。

そんな中に、武田勢が押し寄せてくる緊張感や多比良友定の無念を静かに偲んでいる城だった…

 

★新堀城(多比良城)

 にいぼりじょう(たいらじょう)

群馬県高崎市吉井町多比良

近くの普賢寺の駐車場を利用。

丘城


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(2025年11月5日 記)

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矢田陣屋は上信越道吉井ICのすぐ近く、国道254号との間を結ぶ道のすぐ東の丘の上にある。北隣に代官所も残る。

延宝二年(1679年)にこの地を知行地として与えられた鷹司松平信平が、5年後に木部村から陣屋をこちらに移した。さらに後の宝永六年(1709年)には1万石の大名となり吉井藩を立て、宝暦二年(1752年)にはいまの吉井陣屋に移ったが、代官の小林家が北隣の代官所に残った。

いまは陣屋、代官所ともお住まいの方が居られるようで、かつて立っていたという代官所への道標も今は無い。


霧雨降る朝一番に陣屋を見に訪問し、後日代官所を見に再訪した。


現在位置(Googleマップで)

上信越道吉井ICから国道254号に出る道の東側に広がる丘の上、南北に走る通り沿いに陣屋跡はある。

ここは今も人が住まわれており、道路脇の堀までの空間も敷地と思われるので、道路から眺めるだけとなる。

それにしても、上野城の吉田家土塁と同じくらい立派なやつ✨

矢田陣屋跡の竹林と土塁


堀の断面を眺められるところも、1ヶ所だけあった🙌

矢田陣屋跡の土塁と木々


うん。なかなか佳き✨

矢田陣屋跡の土塁と竹林


門の周辺は、土塁は残るが堀は埋められているようす。

生け垣の中も見えないが、スキマから見た限りでは堀はだいぶ浅くなっているようす。

 

流石に土塁空堀コンボ1本だけではつまらぬので、北に隣接するという代官所も見に行ってみた。


現在位置(Googleマップで)

土塁空堀コンボから100メートル弱…

北に進むと、枡形のように折れ曲がった道が東に入っているのが目につく。

かつては道標があったらしいが、今は無い。

矢田陣屋跡:堀と土塁のある丘


折れ曲がりを入ってゆくと、100メートルぐらい一直線のコンクリ道。

少し掘られているようだ…

矢田陣屋跡への小道と石垣


突き当りで左を見ると、代官所だったらしい門と母屋らしい瓦屋根の建物が見える。

しかし、どう見ても民家…

矢田陣屋 門と緑豊かな風景


ここも、表から見るだけで撤収💨


★矢田陣屋

群馬県高崎市吉井町矢田

車を停める場所は無いが見るものも少ないので、陣屋前の道の広がったところにサクッと路駐が良いか…

平城

 

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(2025年11月4日 記)

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岩崎城は旧吉井町の中心地から鏑川を挟んで反対側、丘陵地帯の裾にあった。さほど比高は無いが複雑に入り組んだ丘陵のピークをうまく城にしたという感じ。

15世紀に岩崎左衛門入道の居城だったとも言われるが詳細は不明らしく、この人物についても伝える史料などは無いとのこと。


降りしきる霧雨の中で馬場城奥平城と回ってここへ来たが、ここでも駐車場難に悩まされて吉井町の西運動公園まで撤退、ここに車を置かせていただき徒歩で訪問。


城の方へ向かって県道200号を進んでゆくと、真ん前に岩崎神社がある。

両側へ分かれてゆく道の間に鳥居、奥に小さな社殿が立つ。

岩崎城の入口、岩崎神社と鳥居


城へは、ここを左の奥へ進んでも良いし、県道に戻って一つ東の交差点から車道を北へ登っても良く、麓にある弁天池の築堤に登る。

どちらにしろ、神社と城の間には間に小さな谷戸が挟まっている。


現在位置(Googleマップで)

車を停める場所は周辺には無く、車での訪問はなかなか苦しいだろう。

築堤から見下ろす弁天池。

弁天池と岩崎城跡の緑豊かな風景


この池は江戸時代に谷戸を流れる川の流路を西に移して築かれたとのことで、池に浮かぶ島には城主岩崎左衛門入道の墓もあるとか。
もちろん立入禁止なので、ここは見るだけで。

築堤の上には祠もある。

岩崎神社の石灯籠と社殿


さて城へは、この築堤上から続く道をそのまま登ってゆく。

岩崎城への道、竹林と落ち葉


すぐに左へヤブっぽい道が分岐、すぐ上で広場のような場所への分岐が現れる。

岩崎城への登り道、落ち葉の積もる獣道


城へは右、右だが、まずは広場へ行ってみる。

ここは居館跡のようで、フットサルコートぐらいの広さがある😮

岩崎城跡の広場と竹林


向こう側の縁は土塁のように高くなっているが、本物の土塁かどうかは分からない…

竹林と低木に覆われた斜面


山側は一段高くなっているようだが、コンクリ片とかが転がっていて、後から手を入れられたような感じ。

山の斜面の様子は、ヤブが濃いぃすぎてよく分からない…

竹林と緑の草地


この山中を登るのはさすがに厳しいので、登道に戻り切通し状になった道を登ってゆく。

城山の東側を区切る堀切とか竪堀のようにも見えるが、斜面を登ってゆく道そのものな感じで、堀切とは違う感じ…

岩崎城への道、竹林と落ち葉


尾根上までゆくと、切通し状にはなっていたがやっぱり一続きの道のような感じ。

そして向こう側には事業所のフェンスが張られていて、道はそれに沿うようになっている。

城跡の竹林と土塁


尾根上に出るわずかに手前で左側を見上げると、段が見える。

竹林に覆われた城跡の獣道


上まで登ってみると、これがフェンス沿いから分かれる道のようになって、城の方へと向かっている。

竹林の中の獣道


ここの下、道から西の方へは帯曲輪状が広がっているようだ。

笹やぶの倒れた竹、城跡の自然


いっぽう反対側には、尾根の末端上に平場があるようだが、猛烈なササヤブで内部を確かめることは出来なかった…

竹林と木々が生い茂る山道


フェンスに沿って登る道があって竪堀のようになっているのが見えるが、ここは先ほどの段の上から入ってみることにした。

道のようになった段の上を少し進むと、山に抱かれたかなり広い平場が現れた。

先ほどの居館跡らしいところより少し狭いぐらいで、ここに兵たちが駐屯していたのだろうか…

笹やぶの竹林、草木と枯葉


ただ、このあたりの地形も改変をうけ、往時の姿そのままではないのだという。

ここは北西に向かってずっと奥まで続いているが、次第に南への傾きが出てくるようになる。

竹林と落ち葉の小道


そして、右手の竹ヤブに入ると正面が高くなっている。

この上が主郭部のようだ。

竹林と落ち葉


登ってゆくと、人の背丈より少し高いぐらいの城塁にふさわしい斜面✨

しかし、上は激ヤブ…😂

竹林の小道


晴天なら問題なく凸撃できるぐらいだが、今は雨降りで🌿🌿たちはたっぷり水滴を付けている。

仕方なく、こちらからのアタックは諦め、フェンス沿いに戻ってそちらから登ってゆくことにした。

何しろ火薬工場だけに、フェンスの張り方も厳重😮

岩崎城への道、雑木と草が生い茂る


それにしても、主郭部のある左側はこちらも猛烈なヤブ💦

これは主郭に立つのはムリかと思った矢先、真東あたりまで出たところで斜面の上に唐突にボコッと盛り上がったピークが見えてきた。


あれが主郭か🙌
岩崎城跡の竹藪と山道

手前のササヤブもわりと薄い。

ここなら凸入出来るか💨


ササヤブを突破して、45°ちかい傾斜の切岸を登ってゆく。

なかなか立派な切岸じゃんか💦

岩崎城跡の竹林と山道


そして登りついた主郭…


何も見えんわ🌿🌿

岩崎城跡、竹林と雑木林の風景


広さもよく分からないような、猛烈なササヤブに覆われていた。

それでも、手入れされていない土の城の曲輪なんて、こんなもんだ…

城内最高所にある平坦地で、城の心臓部だったことは間違いない雰囲気は漂っていた。


★岩崎城

群馬県高崎市吉井町岩崎

付近に車を停める場所無し。徒歩10分ほどの吉井西運動公園に置くのが良いかも…

山城

 

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(2025年11月3日 記)