猫城は赤城山の西の山麓、関越道赤城ICから南西1kmほどの山中にある。猫山城とも。「猫」の名は麓の居住地などを指す「根古(屋)」の音を取ったと考えられるも、否定する見方もあるらしい。
利根川沿いの河岸段丘の最上段から降りてくる尾根上に立地し、北には津久田砦もある。
山内上杉家の重臣白井長尾氏に属する土豪戸丸氏の城と言われていて、天正十年(1582年)には真田昌幸の軍勢に攻め込まれるも白井長尾方が退けるという合戦の舞台となったとの事だが、その舞台がここなのか疑問視する見方もあるとか。
GW遠征の実質2城目として、津久田砦につづいて赤城IC脇から関越道に沿って南下し、城の北側を通る林道に入っていった。
登り口は、道がヘアピンカーブを描くところのココ。
立派なトラクター道だが、この道は城へは登っていかないので右側斜面を直登になる💦
10メートルぐらい入ったところで斜めに登ってゆく踏跡があった。こんなトコにまで足跡刻む城ヤ恐るべし😨
胸突き八丁の斜面直登はほんの数分で、あとは緩斜面を歩いて登ってゆく。
ヤブのないまばらな杉林で、歩いて気持ちいい。
登城口の真上あたりへ降りてくる浅い沢状を登ってゆくと、城から少し東の尾根上に出る。
幅の広い、丸い尾根。
城は東の高い方ではなく、西の麓の方にある。
登ったところから右へ曲がって、尾根を西に進んでゆく。
少し下った先に、小さな盛り上がりが見えてくる。
裾には…堀切だな😮
ここが城の東端で、尾根続きを断ち切る堀切が刻まれている。
それにしても殆ど掘り込まれてない、と思ったら、どうやら尾根線を土橋で渡すタイプのやつらしい…
北へ降りてゆく竪堀も、浅いっ😮
この先へ降りてゆくと、帯曲輪状があった。
凸凹で廃林道にも見えてしまいそうだが、登ってくる道が無い。
この小山を登った上が、城の主郭。
テニスコートぐらいの広さながら、中央から反時計回りの螺旋状を描いているように見える。
堀切からの立ち上がりは、こんな感じ。
だいぶ大人しい…
螺旋の起点になる、中央の盛り上がり。
南の方には、白い標柱が…引き抜かれて木に立て掛けてあるわな😱

周囲の斜面は、南側がやや急。
それでも、切岸加工などは施されていなかったか、あったとしても崩れて大人しくなってしまったようだ…🥺
主郭から西には、一段下がった下に東と同じような丸い尾根が続いている。
すこし先に堀切あるな😮
ここの斜面はしっかり土木工事されていたようで、水平な曲輪が急に斜面になって下っている。
大きな岩が2個だけ嵌っているが…🙄
さて、尾根を降りてゆくと、これまた大人しくなった堀切が横たわっていた😮
堀底に生えてきた緑がなんと目立つことか…
北の方には、しっかりと竪堀を刻んでいる✨
城内でいちばんハッキリ見えるやつか⁉️
主郭からの高さは10メートルちかくあるが、外側が1メートルもないので、ほとんど凹が見えないやんけ💦
が、外側には異様にハッキリ見える土塁が…
この土塁で堀切に仕立てているってか😮
斜面の裾の外側に並走する土塁を置いて堀切に仕立てるようすを見て、駿河の野田の城山を思い出したりして…
下調べでは主郭のみの単郭の城ということだったが、この土塁の向こう側もテニスコートぐらいの削平地が広がっている。
ここも曲輪だろう。
端まで行くと急斜面で麓に向かって落ちているようだが、北の方を見てみると尾根続きが見える。
しかも、すこし先で抉れてない⁉️😮
そこへ行ってみると、これまた幅がありながら1メートルも掘られていない堀切らしいものがあった。
向こう側は濃厚な🌿🌿で、少し先も見通せないわな💦
ここから曲輪の立ち上がりを振り返る。
主郭あたりよりも城らしく見えたりして✨
ここから先はヤブが濃く、北の方に落ちてゆく尾根にもパッと見で遺構はなさそう。
もういいや。退散っ💨
小ピーク上の主郭一つだけの城と思ったが、遺構は大人しくなっているものの二つの曲輪を持ち、曲輪間や城内外の境界にしっかり堀切を入れたりと、ある程度の勢力が籠もって戦う城に相応しいと思った。
忘れられたような有り様だったが埋蔵文化財しては認知されているようだし、もっと日の目を見ないかなぁと思った。
★猫城
群馬県渋川市赤城町宮田
駐車スペース無いが取り付き点付近の林道の余白に路駐で行ける。
山城
(2025年5月6日 記)