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2024年の夏に猛暑の中アタックした大網城は旧小学校裏の日吉神社周辺だけだったが、城らしさはそれなりに味わうことが出来ていた。

神社の裏側や参道の西側上にわずかに見えた帯曲輪状に入ることが出来なかったので、このあたりをちょこちょこ追試すればコンプリートと思って、ヤブ突入のしやすい冬期に追試に行ったんだが…


今回のスタートポイントは、参道西側上の方にわずかに見えた曲輪にした。

段の上に、なんとなく曲輪状が見えている

(2024 年8月18日撮影)


そして、奥の方へ踏跡が入り込んでいる…


北に折れていった先が、これ。

ヤブで何だこりゃだが、地面は削平されている。

ちょうど日吉神社の西隣、土塁みたいな尾根の向こう側だが、曲輪のようだ。


踏跡はまだ続いていて、入ってゆくと白い鳥居が見えてくる。

正面に回ってみたら、扁額に浅間神社とあった😮


そう言えば前回、事前の下調べでは城内にある神社は浅間神社ということだったが、旧小学校裏にあったのが日吉神社で、情報の間違いかと思って見過ごしてた…

城内主要部に到達できてなかったのね😅


浅間神社は城塁らしい土壁の上に建っていて、ここから階段を上がって登るのだが、ここの上の方が堀切っぽい😮


そして階段の左右につづく土壁…

ヤブで見えにくいが、いかにも上にある空間を守る城塁っぽい。


ついでに、鳥居の立っているところは城塁に抱かれた平場らしく、ここも曲輪とのこと🤔

東端が日吉神社参道脇、西の方は城の西端を守る尾根まで広がる最大の曲輪で、居館とも考えられそうとか。

なお、ここから降りてゆく道も付けられているが、民家の敷地だか紛らわしいところを通らないと退城出来ないらしく、積極的に出入口と案内もされていないので、日吉神社の参道を利用した方が良いだろう。

さて階段を登ると、東西に伸びる尾根の付け根に出る。

向こう側下の方にはJR東金線の掘割につづく斜面、右手の階段上に浅間神社の社殿が見える。


が、反対側が細めの尾根…

ここも面白そう🤭


尾根に入ってゆくと、すぐ先が城の北西端らしい。

ここが少し広くなっていて、物見台のような小曲輪になっていたらしい感じ。


尾根はここから南に折れて、なおも続いている。

少しヤブっぽいが問題ない。

少し進むと、土橋のように細い尾根が現れた✨

灌木で見づらいが、なかなか細くて美しい見もの✨


で、その先で少し登ったところで…


こんなん聞いてないよ〜🤯


大木の根元で突然バッサリ切れ落ちて、相当鋭く掘り込まれた堀切が口を開けていた。

尾根の東側の裾が曲輪のように平坦になっているので、そちらへ降りて、堀底へ。

細い尾根をザクッと抉った、こんな感じの堀切は房総クォリティだな✨


この堀切の向こう側には、帯曲輪らしい平場があった。

幅3〜4メートル、奥行きは確認しなかったが、南の方はヤブの中で終わっていそうな感じ…


東側の削平地には、道のようなものが入ってきている。

しかし先の方でヤブに突入していて、他の場所に出るにはヤブコギ必須💦

そして、堀切の向こう側の尾根の懐に登ってゆく道が作られていた。

階段が埋め込まれているから、後世に何かが作られたのだろう…?

ここを登ってゆくと、櫓台のような高まりの南側に帯曲輪のような平場が伸びていた。


入ってみると、西の端のほうが意外と広く、ちゃんとした曲輪だったようだ。


櫓台は、曲輪からの高さが4メートルぐらいあるか。

🌿🌿で何も見えなかったので、登るのはやめた😅


ここからさらに南に、東西2段になった曲輪らしい平場が広がっていて、ここが城の南西端らしい。

上段


下段は、これまたかなりの広さがあった。


こちらは、このぐらいでイイや…

尾根を戻るのは面倒なので、下の曲輪に降りてみる。

南側盛り上がりが垂直の土壁になっていて、大きな穴が2つ開いている。

房総あるあるな…


ここから浅間神社の鳥居のところまで、ひと続きの曲輪らしかったが、何しろヤブが強烈だった🥶

地面に伐採した木が積まれた上に🌿🌿が繁茂していたりして、冬期以外は踏み込まない方が良い。

そして浅間神社の社殿の背後に入ったが、日吉神社まで尾根続きと思ったら、ここで終わり。



下は7メートルぐらい垂直の土壁を下りた先が平場になっているのが見える。

が、あんなトコまで降りるのかぇ〜🥶


大網城 追試編その2に続く)

 

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(2025年2月4日 記)