大網城はJR大網駅から1kmほど北東の東金線沿いにある。かつての大網小学校の校庭に駐車場があり、登城口もここ。
戦国時代に土気城の支城として酒井氏から出た板倉氏が守っていたらしい。JR東金線の線路によって城域が分断され遺構の残りは限定的ということだが、果たして…
8月も終りに近づいたが30℃をはるかに越える猛暑の中、土気城からクラン坂を降りて大網に出、その足で続けて登った。
城へは、この交差点(Googleマップで)を山側へ入って旧大網小学校の校庭を目指す。
突き当りの門を入ってゆくと旧小学校のグラウンドだが、その南東側が駐車場として開放されている。
ここは往時の居館だったらしい。
ここから正面に見上げる尾根、鋭い土壁になっていたりして低いながら険しい山容のようす😨
主郭はこの左上の山上にあり、そちらの方へ登ってゆくらしい階段の入口に城址の標柱が立っている。
すぐ上が神社らしいが、果たして上まで登れるか…
城へは神社の前をまっすぐ登ってゆくようだが、まずは子安神社に寄り道。
少し草臥れているが、朱塗りもされた立派なもの✨
すぐに階段に戻って登ってゆくと、まもなく日吉神社の鳥居が現れる。
階段はかなりの急傾斜で登っていて、少し掘り込まれているようにも見えるが、城郭時代というより神社に伴う拡張または開削だろうな…
左側には、途中から左へ回り込んで登ってゆくような竪堀状にも見える凹があるが、倒竹がドッサリ積み上げられていて、元の形がよう分からん…💦
いやいや、登りきってからその上まで行って俯瞰すると、こりゃたしかに竪堀状だわな😮
ここが本来の登城道だったかな…?
けっこうな急傾斜だが、これぐらいの傾斜を登らせる城道は、けっこうデフォだ。
こんなところでも、山城はスパルタだ…😨
さらには、この竪堀状の外側の尾根上には、六畳一間ぐらいの広さらしい段郭もある。
周りが🌿🌿とかで、ちょっと踏み込めなかったが…😂
ココ、この後大切ネ😅
それだけでなく、反対側にも小さな曲輪が構えていた😨
これは神社の境内まで登って、初めて気がついた。
降りる時に振り返って確かめると、ちょうど反対側の竪堀状が始まるあたりに構えていて、だいたい1メートルほど高いところにあった。
城道を登ってくる寄せ手を、左右を固めるこれらの曲輪から射撃して守っていた様子が窺える。
ごく小さな兵力でそれなりの相手に対しての防戦がやっとに見えるが、小さいなりの城を守る立派なキルゾーンだろう。
神社のある曲輪は、バドミントンコートを横に2つ並べたぐらいの広さで、小ぢんまりしている。
神社だけで満杯…
周囲は🌿🌿が深く傾斜も急なので、登るのはあきらめて神社の周りから観察するだけにした。
北西のほうが周囲より高くなっているようで、ここが城内最高所、天守台のような場所だろうか。
何しろ色んな生き物🐝🐍が盛んに動き回ってるだろう今の時期、これ以上奥へ突っ込むのはムリそう…
よって、これで退散っ💨
さて、この日の探索はこれで終わり、事前情報通りの小ぢんまりとした城だったな、という感想を持った。
まさか、じつは城のごく一部しか見ていなかったなんてことは、このときは夢にも思っていなかったのだった😅
(大網城 追試編その1に続く)
★大網城
千葉県大網白里市大網
登城口に広い駐車場あり。遺構の残りは断片的。
山城
(2024年9月23日 記)
(2025年1月19日 追試結果を踏まえて一部修正)