須花城は佐野の町から彦間川沿いに北西にだいぶ入ったところ、足利市との境になる須花峠のすぐ東にある。
東の麓、彦間川沿いに正光寺城があって、本城支城の関係ともいわれる。
建武のころに佐野氏の二代目、佐野国綱が築いたと伝えられる。中世を通じて佐野氏の拠点の一つだったが、天正十四年に北条傘下の長尾顕長の計により城を奪われ、奪回に来た当主佐野宗綱が討死するという合戦の舞台となった。宗綱の代までは中央と連絡を取り反北条だった佐野氏は内紛の隙に北条氏に養子を入れられた。小田原合戦で領地を没収された時に廃城とされたか。
今は集落の裏手の山の中にひっそり佇んでいて、訪れる人も稀だろう。須花トンネルを抜ける県道側からのアプローチはおそらく不可。
まずは正光寺城を押さえてこの城に臨んだが、車を停める場所を探してウロウロした挙げ句、けっきょく正光寺の駐車場をそのままお借りして徒歩で向かった。利用できるか確認していないので注意。
出発点は、集落内の十字路。
ここから先へ入ってゆく車道のように見える道は民家の庭で終わっていて、車を停めるのも転回させるのも不可能。よって車両の乗り入れは出来ない。
徒歩で入り、民家の塀の隣を通り、民家に入ってゆくところから左に抜ける脇道を通り、さらには獣害よけのワイヤーを跨いで越えるのだが、本当に入って良いのか躊躇してしまうところ。
周知の埋蔵文化財包蔵地にはなっているだろうし、山林内の散策や文化財見学などは私有地であっても地主に規制されなければ可能なのだが、アプローチや城内でトラブルなど起こせば立入禁止にされてしまうだろうから、迷惑をかけないよう改めて注意したいところ。
神経をすり減らしつつ谷戸から山に取り付き、道が山道に変われば、ひとまず安全圏か。
わずかにつづら折れの登りもあるが、比高が小さいし道も整備されているので、あっという間に稜線に出られる。
道は稜線の東側を進み、間もなく尾根に登ってゆく。
ムムッ…
登り始める前のいちばん低いところに早速、立派な堀切が😮
この堀切、深さ4メートルぐらい、幅は7〜8メートルというところで、城のある北隣の小ピークとの間の一番低いところで尾根を打ち抜いている。
そして尾根を通り抜けても、北の方へカーブしつつ、しつこく続いていた😮
もしや、須花トンネル下まで降りてる??
ここから登り始めると、また小さな堀切。
これ、奥の方へ回り込んで、さっきの堀切に向かって降りている😮
もしかして、大きな堀切が古い道で、小さな堀切はそこから城内に登る動線だったのか?とか…
妄想っす😅
そこから少し登ると、左側にごく短い横堀状が…😮
武者隠しにしては城道の方を向いているし…🤔
何だろう?
道は、このすぐ右側の尾根上を登ってゆく。
何となく堀底道のようになってくる。
先ほど、すぐ終わっているように見えた短い横堀状、じつはそのまま城道に並走していた😮
そのまま、しばらく変化のない尾根上を少しずつ登ってゆく。
完全に寄り添って二重竪堀みたくなった城道😮
二本の竪堀状はすぐ上で合流し、道は尾根の西側を進んでゆく。
そして…
見えてきたっ🤩
ようやっと、城域に到達🙌
ここから城域という、北西の尾根上にある堀切が見えていた🤗
幅4メートル、深さ1メートルぐらいのささやかなやつだが、尾根の東から西までちゃんと切れ目を入れている。
そして、尾根上だけでなく城道を越えて、下の斜面にも竪堀になって落ちている😮
この先、倒木がもたれかかっているところで、道は左上右下に分岐する。
城の主郭へはもちろん左上に行くのだが、少しだけ右下に行ったところで竪堀が横切っていた。
けっこうな急斜面を上から下まで落ちている😮
この道をそのまま進むと城から出ていってしまうようなので、分岐点に戻って左上へと登ってゆく。
ここから先が、いよいよ主郭部💓
(彦間 須花城 本編その1に続く)
(2024年12月12日 記)