登城日(投稿日)現在、若宮八幡宮からの登城道は倒木で荒れていて分かりにくくなっています。東の慶弘寺公園からの登城をお勧めします。
伊深城は松本の町から北の方、国道254号が三才山トンネルから出てきて松本トンネルに入ってゆく間あたりの北の山中にある。
築城時期、歴史ともあまりよくは分かっていないようで、室町時代中期の築城、後庁氏が持っていたが赤沢氏に攻め落とされたという。甲斐から武田氏が入ってきてこのあたりが制圧されたとき、この城は林大城や深志城などとともに自落したらしいとか。
前日に明科の茶臼山城に追試に行ったが、夏の疲れが出たかそのまま寝入ってしまい、この日も眠気たっぷりだった…😅


そのまま道なりに進んでゆくと、車で登るには相当な急坂の上に若宮八幡宮があり、登城者が利用できる駐車場もある。
ここに車を停めてスタート💨
八幡宮に入ってもいいし、右に車道の続きも登っている。
車道の途中には縄張図入りの説明板も✨
八幡宮の横で車道は終点になるが、そのまま直進→右へ登城道が続いている。
うち続く豪雨などで倒木に塞がれたり、階段が壊れたりして自然の猛威を感じる…
すぐに現れる配水池の石垣が、城を真似てる…😮
配水池を過ぎると道は急に細くなり、草がかぶって倒木も増える。
トレイルは見えるが、壮絶な様相になってくる。
整備はされたようなのだが、倒木が所構わずぶっ倒れている上に両側のヤブも濃いぃので、経路を外れやすい。
地図が利用できるアプリとGPSが必携。
山頂から南東に派生する尾根の南側に経路があるが、到達できないと判断したらムリせず引き返すべきだ。
この分岐まで来れば、安全圏か。
ここまで、東の方の慶弘寺公園から登ってくる経路もあり、登城日(2024年9月29日)現在そちらのほうが登りやすい。ラストにて。
八幡宮前の駐車場から慶弘寺講演まで歩いても15分ほど。
ここからの道は、見違えるように歩きやすくなる。
それでも倒木はあるが…
さらにつづら折れ数回で、尾根上に出る。
道が左に折れて尾根上を登るようになり、反対の右側にはごくちっこい曲輪らしいやつが…
この尾根上は、ごく小さい段郭らしい平場が連続している。
こんな感じの、六畳一間も無いぐらい、ホントに小さい曲輪たちだった。
上の方に行くと、尾根を横断するような大きいやつが2段。
登りきると、尾根を削平はしたらしいが主郭に向かって登り坂になってる平場。
ともかくも、城の南東側の要衝っぽい。
その上の方に…
堀切か?
ビミョーだなぁ…😮
正面が高さ3メートルぐらいの壁。
その裾が少し抉れているのが見えてくる。
土壁の裾まで登ってみると、間違いなく堀切だった。
道の右側は🌿🌿に覆われているが、左側はカーブしながら斜面を降りている😮
こういう妙に浅い堀切は、てっぺんを土橋で渡っているものが多いんだが…
やっぱり〜🙌
なかなかに、しっかり積まれた土橋で堀切を渡っているようだ👏
さてこの堀切から落ちる竪堀の向こう側には、もう一本の竪堀が降りているという。
それを見に、ちょっとだけ竪堀を降り、斜面をトラバースする踏跡があったので入ってみると…
立派な登り土塁があった✨
竪堀というにはちょっと浅いようだが、向こう側の土塁が一直線に上から下へ落ちていた。
小さいけど、なかなか見ないようなしっかりした遺構だった。
堀切に戻って、土壁の上へ。
この上は主郭部最初の曲輪で、切岸加工されたらしい段を斜めに登ってゆく。
登りつくあたり、石積があったな?🤔
登ると、そこにはバドミントンコートよりも狭いような、小ぢんまりとした曲輪があった。
正面に上の曲輪の切岸😮
この曲輪は西の方へ一段高くなりつつ伸びているようだ。
それにしても倒木が…😱
ここは、入口も出口も狭くして寄せ手を滞留させ、上の曲輪から攻撃するキルゾーンだろう😨
尾根を利用した枡形の変形、かな?
まずは西の方へ。
狭くなってるところの外側、石積されてるな😮
このあたりで見る扁平な石を積んだものとは、ちょっと感じが違っている。
石の大きさや形はバラバラ、間詰石等はなく隙間をそのままにしている。
上からよく見ると、石は正面が狭く奥に細長いものを使って、地中に刺さるような感じで積まれているようだ。
これ、現存かな…?🤔
石積の後ろを通って一段登り、奥の曲輪へ。
ここはテニスコートぐらいある。
すぐ右手に、先ほど正面に切岸の見えた曲輪。
倒木に北半分はヤブ。
野菊咲いてた💕
この曲輪から西に派生する尾根には二重堀切があるようだが、ここからは斜面が急すぎてムリそう…
先に主郭の方へ登るか。
この曲輪から斜めに登る道のようなものが付けられている。
手前側に並べられている石も、たまたまでなく置いたやつなんだろうな…🤔
この斜めにつけられた道を登って、主郭…
で、終わりではなかった。この城…😨
(松本 伊深城 その2に続く)
(2024年10月23日 記)