塔ノ原城は犀川東岸に光城山〜長峰山と続く山稜の北端付近にある。JR篠ノ井線明科駅から南東1kmほどだが高低差がかなりある。
海野一族から出た塔ノ原氏が築いたとされる。今の明科中学校の場所に居館を置き、その詰城として築いたとのこと。甲斐の武田氏が安曇野に進出してくるとこれに従ったが、武田氏が滅んで小笠原貞慶が復帰した翌1583年に松本に誘い出されて謀殺され、塔ノ原城も廃されたとのこと。
安曇野市では最大の山城と目されているようだが、恐らく近年だろうが山が荒れ、訪問することが難しくなった印象。
この日は最初にちかくの茶臼山城に登ったが雨雲を引き寄せてわずかな部分しか見ることができず、その雨が止まない中で傘を差しつつ訪問した。
登城の出発点は、長峰山の道標が立っている林道。
バリケードで封鎖された奥に🌿🌿っぽくなった道が続いている。


バリケードの向こう側の林道は、慣れない人にはかなり面倒と思う。
🌿🌿はボーボーになっているし、轍に水が溜まっていたり泥濘んでいたりする場所がある。
軽登山と思った方が良さそうな道…
右に長峰山への道を分けてすぐ、林道が尾根を北へ通り抜けるところに…
これかよ〜😭
立派な説明板は立っていて城への入口らしい雰囲気は漂っているが、ヤブに埋もれかけている…
説明板の背後から入ってゆく道のようなところの奥は、この有り様💦
これ、入れるのかぁ〜?💦
説明板の前がちょこっとだけ踏み固められてたので、一読。
説明板の背後から入ると、倒木が壮絶で進退窮まる。
林道を15メートルばかり戻ったところから、奥に入ってゆく踏跡があるので、ここから入ってゆく。

踏跡があるとは言え、遺構らしいものはヤブでほぼ見えないハードモード…
おまけに倒木が多く、行く手を塞いでいる場所もあったり💦
入ってすぐが堀切状だと思うが、高低差以外は手がかりにならん💦
写真は50メートルぐらい入った稜線上。
この先に堀切が2本ほど入っているようだが、踏跡が少し低くなっている以外に存在を見出すのはムリ❗️
1つ目。
2つ目。
それでも、北側の斜面に向かって竪堀になって降りているような感じは、🌿🌿の中に何となく見えるのだが…💦
この先でまた倒木をくぐり梢を踏み潰して進むと、踏跡が尾根の右側に少し降りる。
小さな山を右から回り込んでゆくと、正面に土の小山が立ちはだかる。
その左側…
堀切〜っ🙌
遺構らしい遺構に、ようやく出会えた。
遺構が悉くヤブに埋もれて何も見られずに終わるかと思ったぜ😆
上を倒木が渡っているが、深さ2メートルちょい、幅6メートルくらいの薬研のVが、驚くほどキレイに見える✨
ここまでは尾根上にいくつもの堀切が刻まれたているばかりでなく、東の斜面に降りてゆく竪堀が下の方で合流するところまで見えていて素晴らしいとのことだったが、ヤブと倒木で全く見えなかった…💦
この向こう側には再び荒れ放題の尾根が続いている。
が…
左の方に崖みたいのが見える…
何だこりゃっ🤯
あんなヤブの中に今にも飲み込まれそうな踏跡でアプローチした先に、こんなでかい堀切があるとは想像だにしていなかった…
向こう側の上が主郭、そこまでは底から10メートル近い高さがあるだろう。
こんなデカいのを素朴めな城で見たのは、西伊豆の高谷城以来かも知れない…
これは、色んな角度から見て回るか💨
まずは、底。
倒木が何本か這っているが、キレイなV字。
広角レンズのワイド端でも到底写野に入り切らない…
城外側の尾根は、ここに至っても細いまんま落ちてきている。
もともと狭い尾根のこの位置がキレットみたいになっていて、それを拡張したのかな?
主郭の方は、さすがに霞んではいないが恐ろしい高さ😨
倒れ込んだ倒木の迫力がハンパないな…
尾根の西側にもちゃんと竪堀で降りている。
この堀切の向こうが、いよいよ主郭。
登り口が無いようだったので、堀切から南斜面へ回り込んでゆく踏跡から登った。
もっとも踏跡はすぐに消えてしまい、あとは登りやすいところを探して登ることになる。
幸いなことに、土は関東ロームのようなヌルヌルではなく、🌿も生えてスタンスもある。
なお、登城道へ戻ってさらに先へ進むと主郭の東側の裾をトラバースし、主郭北側の東の側面に広がる帯曲輪に行くことができる。
そちらが大手道だろう…
さて、主郭は思ったより広く、テニスコート2面ぐらい並べられそう。
南東の端、堀切に面した側には土塁が盛られている。
土塁の高さは2メートルぐらいで、小さな櫓台とも思えるほど分厚い😮
北側は平坦。
荒れの度合いも少なく、なんか女神でも住んでいた空間かと思った…
北の方は、一段低くなっていた。
ここも、思ったより広い。
段は高さ1メートルちょいで、ハッキリしている。
南西側には、大きな凹😮
枡形とかかと思って外側の斜面を見てみたが、登ってくる動線のようなものはなく、土の安息角に近いような急斜面が落ちているだけだった…
ここから見上げる段も、なかなかな土木の絵✨
そして、外側の斜面…
これが相当な急傾斜で、しかも下が見えないぐらい落ち込んでいる。
犀川の方を向くこちら側の守りは万全だったようす。
所々に小さな谷のようなものが刻まれているようだが、これは竪堀とかではないだろう…
反対の東の端には、虎口のように見える若干の凹があった。
周囲には、丸い石がパラパラ…
積まれていたか、戦闘に備えた投石用だったのか…🤔
ここから北の尾根上には、複数の曲輪が段郭状に並んでいるようだ。
思ったよりデカい城だな…
このあたりの斜面にも同じような丸い石が結構な数散乱していたので、こちら側に石積があったのかも知れない…?
ここから降りると東の裾を固める帯曲輪群に出られるが、ここはさらなる土木のワンダーランドへの入口に過ぎなかった…😮
(明科 塔ノ原城 その2に続く)
(2024年9月30日 記)