平瀬城は松本の市街地から北の方、国道254号が松本トンネルを通って安曇野に出てくる少し北あたりの犀川右岸の尾根上にある。
南と北にそれぞれ支城を構えていて、これらをひとまとまりの城と見做すとかなりの規模になる。本城と南支城との間を犀乗沢が流れていて登城道が沿っているが、ここは泉小太郎伝説にて生き別れになった小太郎と母竜が再会した地とされている。
城は犬甘氏の出身で信濃守護小笠原氏の麾下にいた平瀬氏のものだったが、本拠地は少し南の奈良井川対岸にある川合鶴宮八幡社あたりにあり平瀬城は詰城だったらしいとも。天文十九年(1550年)に甲斐の武田氏が攻め込んでくると小笠原長時が一時逃げ込んで来るなどしたが、結局翌年に落城した。その後は武田氏の城となり、そのまま廃城となったとのこと。
今は松本市の特別史跡。
この日の松本は最高気温34.7℃と猛暑日の一歩手前だったが、多少のウォーキングでもって犬甘城を首尾よく収め、給水などの休憩を取ってからアタックした。
秋にも再訪した。その時の様子はこちら。
JR篠ノ井線のガード下のところに平瀬城入口の案内があるので入って行き、集落の山寄りへ入ると普通車3台分の駐車場がある。
登城口は、駐車場からさらに北へ歩いた突き当り、沢を渡ったところにある。
石碑に地蔵、説明板があり、さらに杖代わりの竹の棒もたくさん置かれている。
沢沿いの道を登り始める。
さすがに日の当たるトバ口は、真夏の今は草ボウボウ…
しばらく進んで道が突き当りになると、右側に南支城への入口が現れる。
この日は整備中で立入禁止だったので、南支城は後日にする。
そして結局追試ネタだらけになってしまったのダ🤣
左へ曲がって、なおも進んでゆく。
ここから先は泥濘んでいる場所もあるので足元注意。
標高620メートル弱、登城口から300メートルぐらいまで入ったところに、ヤブの中ではかなり目立つ案内看板が立っている😮
ここは左に曲がり、なおも登ってゆく。
大きなジグザグの登りで急ではないが、人ひとりがやっと通れるぐらい、両側が🌿🌿なので気を使いながらの登りになる。
左手はるか向こう見える尾根の立ち上がりが、デコボコしている。
途中に段郭のような平らなところも見えるが…
後で宮坂武男先生の鳥瞰図を見たら、尾根上のこのあたりには無数の段郭が描かれており、どうやらその一つに過ぎないような感じだった。
今は近づくのはとてもムリそうだが…
さっそく、追試ネタが…😂
やがて尾根に近づくと、上が曲輪らしい雰囲気なことを感じ取れる。
登りついたところは、奥行き40メートル、幅10メートルぐらいの細長い曲輪だった。ここが主郭。
登ってきたところが虎口だが、少し掘り込まれている程度の素朴なものだった😮
西側は低い土塁で仕切られている。
その向こう側は、野球の内野より一回り小さいぐらいの曲輪。
礎石みたいに半分埋まった平らな石が、いくつか見える😮
曲輪の端の方は、ちょっと🌿🌿が深すぎるので入ってゆくのはやめた。
後日、南西の尾根が直登できそうだったら、まとめてアタックするか…
城の東の方へ進む。
主郭の端っこには、真新しい標柱と、石碑。
主郭から東へ降りてゆく道は、再び人ひとりがやっと通れるぐらいの細い道。
しかも、かなりの急傾斜で下ってゆく。
下まで行くと…
堀切、あるね✨
この堀切は主郭からの高低差が10メートルを優に超え、反対側とは4メートルぐらい、そのあたりの幅が10メートルぐらいある。
かなり大きなものだが、道沿い以外が完全な🌿🌿で、断面を撮影する場所がなかった💦
仕方なく、振り返りでもう一枚😅
その先は、小さな曲輪だろうか…
奥が土塁のように高くなっている。
ここを通り抜ける道が、土塁を少し切り欠いている。
こんなのも虎口に見えちゃう人…😅
この向こう側は、こんな有り様だった😨
左に見える遊歩道以外の場所には倒木や伐採した丸太が散乱して何が何やらの世界だが、ここは二重堀切😮
手前側は、堀切なことが何とか判別できる。
奥側は…倒木の溜まり場にしか見えんな😂
幅5メートルを超える、けっこう立派な堀切なんだが…
(2024年8月16日 記)