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木舟城は大町の市街地からすぐ東の山中にあって、歴史は不明ながら信州でも有数の規模を持つ山城と言われている。

下図は見た目で描いた主な場所の位置で、必ずしも正確ではないので注意。

(電子国土Webの図中に、うp主作図)


この城、じつはワタシが城ヤを初めて500城めに登った城(たぶん😅)で、この城攻め録を書き始めるキッカケともなった城だった。それが3年前。

そのときには地元に研究会が発足したばかりだったようで、踏跡は一部ついていたがヤブの深い場所もあって、叫びながら突進したような場所もあった😅

その際の記録はこの記事

今は研究会の手により道や案内板などが整備され、登城イベントなども開催されたとの由。


整備されてキレイになったとあっては是非とも見に行かねば、と意気込んで信濃大町まで来た時には、もう昼を過ぎていた…💦


駐車場所として、大町東小学校の南側にある10台程度分の駐車場が開放されるようになった。

場所をGoogleマップで

特に案内はないが、城の前衛にあたる山々と城内へ向かう送電線がバッチリ見える✨

尾根上に見える鉄塔から3基めが、主郭すぐ前に立っている。


東を走る県道に出て、適当なところから南へ。


現在位置(Googleマップで)

そして山裾を通る狭めの車道をゆく。

登城口すぐ北に山下神社への参道が金物っぽい門構えをもって現れるが、ここから山へ登る道はない。

そこから200メートルほど南に、登城口の案内も付けられたく立派な道が現れる。


反対側には城の縄張図も載った案内が立っている。

何故に反対側…?💦


3年前に登ったのと同じ林道だが、案内が付けられたのにビックリ😮

登路の様子は、3年前とだいたい同じで、湿ったり水がチョロチョロ流れたりしているが、とりあえず歩いていて不安になるような雰囲気ではない。


そして300メートルぐらい入ったところで、右の尾根に登ってゆくトレイルに入ってゆくのも、当時のままだった。

しかし道標がここにも立っていた。

なお、ここで尾根に登らず直進すると、林道終点から左の尾根に取り付いて城の平から北城に登ることができる。登城口の案内標が倒木の枝に隠れているなど荒れ気味なので注意。


踏跡はしっかりしているが、山慣れないと不安に思うかも…

案内標に従って入ってゆくと、尾根に向かって100メートル足らずの標高差を登ってゆく。

植林地に刻まれた畝が竪堀群のように見えるが、さすがに城の遺構ではないだろう。


5分も登れば、尾根に登り詰める。

峠のような場所だが尾根は細く、反対側へ降りる道はないが、尾根上は麓から頂上に向かって踏跡が貫いている。

ここにも降り口を示す道標が立てられた✨


ここから、まずは3年前には行かなかった麓の方へ少し行ってみた。

すぐに、小さな盛り上がり。


このすぐ下で尾根は分岐し、両方ともえらく細くなっている。

左側


右側は細いままさらに下まで降りていて踏まれた跡もあるようす。

すごい盛り上がった土の峰とか、先の方には削平されたような尾根も見える…


しかし、麓まで降りられたとしても民家の庭先に出てしまったりするかもしれない。

こちらの尾根から下山する時は、素直に道標に従って降りるのが良いだろう。


さて、尾根を登り始めると、すぐにクマよけの鐘が立っている。

下が遺構で、基礎工事はしていないという。

こういう整備も気を遣う…🥺

鐘は…もちろんガン鳴らし😂


そして、ここから尾根上が段々に造成されている。

早くも城〜🙌


そして、その一つ一つが大きくなり始めるところにも案内看板が立った✨


3年前はこんな感じで、案内が立った以外はそれほど様子に変わりはない。
(2021年7月17日撮影)

ここから先は尾根が急傾斜すぎて、道は東へ巻き登っている。

そして、登った先には広い曲輪。


ここにも案内看板が立った✨

そして、反対側に見える土塁、石が積んである?😮


他の信州の石積とは積み方が違うようだが…


この曲輪の南端は少し盛り上がって土塁っぽくなっているのだが、ここにも石が散乱😮


その下に落ちてゆく尾根にも段郭が並んでいるのだが、時間が無さそうだし3年前と変わらない様子でもあったので、今回は上から眺めるだけでパス。


ここから主郭方面への道は、北西側に大きく盛り上がった尾根へ登っている。


その登り口にも道標が付けられた✨


登ってゆくと、この尾根は二段になっている。

下の段は帯曲輪のよう。


登りきると、西の方の植林がだいぶ伐採されて、その上から大町の市街地方面を見渡せるようになっている😮


ここには「第1見晴らし台」という案内看板が立っていた。

往時も大町方面の物見台が置かれていたのかな?

長さ30メートルぐらいの尾根上を削平した、幅4メートルぐらいの曲輪。


道はこの曲輪上に伸びている。

そのどん詰まりには「山の神」という案内看板の立てられた塚がある。


上に祠みたいのが見えたので登ってみると、「山神社」と刻まれた石塔が立っていた。

ちゃんと祀られている✨


3年前はどうだったかと、その時の写真をよ〜く見てみると、石塔はちゃんと立っていた😮

存在に気づいてなかったな…😂

(2021年7月17日撮影)
(2021年7月17日撮影)

道はこの山の神の左側を通っている。

塚の裏まで行って上の方を見上げる。


スゲ~景色や〜🤗


上の方に見える段郭はさらに大きくなって、一つ一つに建物も立てられそうになってくる。

そして、道は堀切を通り抜けるように付けられていた。


堀切からは、尾根の両方の斜面に浅いながら竪堀が落ちている。

どちらも見えはかなりビミョーで、3年前はそこまで見ていなかった😂


道はここから、尾根線の南側へ少し離れて登っている。

主郭はまだ先だが、早くも1時間以上経過した😅

果たして、ぜんぶ回れるのか…?💦

 

信濃大町 木舟城 再訪編その2に続く)

 

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(2024年6月7日 記)