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同じところの3年前の記事


3年ぶりの木舟城訪問となったこの日、要所に道標や案内看板が立てられて分かりやすくなった経路を辿って「山の神」裏の堀切まで登ってきたが、早くも午後3時になってしまった😅

少し急ぐか💨


ここから、道は一旦尾根の南へ離れてゆく。

上の曲輪までは、高低差10メートルちかくありそう…


前回はこの曲輪へよじ登ったが、今回は新たにつけられた道を辿って、南側の緩傾斜のところを登ってゆく。

斜面をトラバースしてゆく、すれ違うのもキツそうな狭いトレイルだが、ここですれ違いなんてそう何度もあるまい…


そして斜面を抜けると、なんか草原のように広い場所に出た。

曲輪というには傾斜がある…


こういう傾斜のある広い場所は山城でたまに見かけるが、自然地形のままなのか、それとも往時は細かい段郭に分かれていたのが長年の風霜で斜面に戻ったのだろうか…?🤔


せっかくなので、左手に見える城塁へ登ってみる。

段郭に加工されたとも見える尾根が伸びている。


麓の側には、高い盛り上がり。

コイツは先ほどの山の神と似たような感じで、曲輪の山側端に構えている。


その下に広がっていたのは、上下二段からなる曲輪だった。

地味だけど、スケールの大きい伸びやかなカタチ🤗


ここが山の神と似た作りなことは、3年前にも気づいていたようだ…😅

前回はこの尾根伝いに登っていったが、今はトレイルが拓かれたので元の道に戻った。

このあたりは南北を土塁状の尾根に縁取られた広い傾斜地になっていて、緩く登りながら南城の主要な曲輪である「おてんじょう」に繋がっている。

南側の土塁状は3年前には全く踏み込めなかったところあり、そちらを少し見に行ってみた。


行ってみると、北側よりも高い尾根がどっかり座っている。

土塁と言うには大きすぎるな…🤔


その麓側の端っこに、道沿いより一段高い段になった曲輪があった。


ここから南の方に段郭連続の尾根が伸びているらしい。

見に行こうと思って尾根線まで入ってみたが、さすがの整備の手もここまでは回らないようで、ササヤブで視界ほぼゼロだった😂


道に戻って、南城の主郭にあたる「おてんじょう」に向かう。

道は北側の城塁の裾を進んでいる。

このあたりも段郭の連続になっていて、一つ一つが幅5メートルはありそうなほど大きくなっている😮


そして、道はとうとう城塁に登った。

「第2見晴らし台」の案内看板が見える下にも段郭。


第2見晴らし台に登る斜面、いかにもしっかり切岸加工されていたようで、高低差3メートルほどながら傾斜がキツイ😂


ここからも大町の中心地、それに北アルプスの山並みが雄大✨


ここから「おてんじょう」までの尾根は、両側の傾斜がきつくなって、まさしく城壁とか土塁といった雰囲気。


この尾根を進むと、いよいよ南城の主郭ともいえる要地「おてんじょう」。


やっ❗


曲輪の向こう側が見えるっ🤯


ここは3年前、背丈近くもある🌿🌿で奥に盛り上がる土塁以外のものがサッパリ見えず、向こう側へ降りられるルートが反対側にしか無かった。

「撤退」の2文字がアタマをよぎった場所だった😅

この写真はその時に東端の土塁北端あたりを写したものだが、視界が🌿🌿で埋め尽くされて地面が全く見えなかった💦

(2024年7月17日撮影)


それが、曲輪の広がりや麓側の段がハッキリ分かるところまで刈り込まれている✨

何よりも感動したのが、曲輪の端の段が雄大なカーブを見せていたことだった✨

素晴らしい✨


中央部には、案内看板、縄張図の入った案内図、そして熊よけの鐘が立てられていた。

もちろん、ここでもガン鳴らし😂


ここから北城の方へ進む道は、北側に土塁の端を乗り越えるように付けられていた。

が、まずは前回と同じように土塁に登ってみるか。

灌木が残ってはいるが、土塁の傾斜はハッキリ見える✨


急な土壁をひと登りすると、

…ここ、二段になってたか😮

南城の曲輪では最も標高が高いが、前回は🌿🌿が深すぎて存在に気づかなかった…💦


そして、最高所。

ここは櫓台のような感じで、六畳一間ぐらいの平場がある。


この天端は前回も土が見えていたが、南に続く土塁上は背丈ぐらいの高さがあったササヤブで覆われて、最後の数メートルが視界ゼロで、悲鳴を上げながら突入したものだった😅

それが今や半分ぐらいに刈り込まれて、しかも踏跡まで付いている😮


ササが刈り込まれたことで、3年前は全く見えなかったこの辺りの様子が、ハッキリ見渡せるようになっていた。

今回新たに見ることが出来た土木の跡もあって、とても有難かった🙌


さて、この土塁上からは奥の大堀切はほとんど見えないので、道まで戻る。

土塁の天端からは10メートルは下ったかというところを、北側から回り込むように進んでいる。

そして、土塁の裏へ回り込む…


そこは、行き来を拒絶するが如きザックリ切られた堀切ではなく、削平された曲輪のような場所だった。


そして、その南端を尾根が走っていて、真ん中が堀切で抉られている。


3年前にはここを南城と北城の境界と思ったが、どうやら違うらしい…
そして曲輪状の南端が堀切になっているようなカタチも、3年前には把握できていなかったな…😂


「おてんじょう」側は高いが主郭側は5メートルぐらいの高さで、尾根の一番低いところだけを切っているような感じ。

それにしても、ここから眺める「おてんじょう」の土塁の迫力ったら…😮


左端に堀切…


3年前は堀切から上の尾根を登って進んだが、道はこの空間の北側へ出て東へ進んでいる。

今回は道沿いに進んでみる。

曲輪の北側から登り土塁のようなものが縁取るように伸びている。


道は尾根の北へ回り込んでいるが、ここも帯曲輪のような感じ。


そして帯曲輪を通り抜けたところに、南の尾根線から緩斜面を降りてきた横堀が見えてきた😮


反対を見ると、北に向かって斜面を降りて、端まで行っている😮

だいぶ浅く広がってるけど…

傍らに立つ道標には、主郭へはこの横堀を登れとあるので登ってゆく。

幅3メートル、深さ1メートルぐらいの細いものだが、ちゃんと尾根を横断する堀切になっている😮


その上は段郭のような小さな平場、そしてまた登っている。


ここを登ると、さっきのよりさらに細い横堀が…


これも、ちゃんと尾根を北から南へ横断しているようだ😮

南端は堀切状。


この2本の細い横堀がちゃんと尾根を横断していることも、3年前にはちゃんと見ていなかったな…😂


その先は、自然地形のようにしか見えない緩斜面の植林地が続いている。

トレイルもどこを通っているか分からなくなっているが、南端の尾根上を通っている。


何となく段郭に見えるところも、あるにはある…


この植林された傾斜地を通り過ぎると、いよいよ送電線が通っていた場所になる。

3年前には開発されて土むき出しの凄い有様だったが、果たしてどうなっているのか…

 

信濃大町 木舟城 再訪編その3に続く)

 

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(2024年6月8日 記)