並木城は国道296号を「道の駅多古あじさい館」から匝瑳方面に1km弱進んだ左側の丘陵上に広がっている。国道からも丘の先端がボコッと盛り上がっている様子がわかり、そのあたりに主郭を構える。
南北朝時代に戦いの舞台となり、戦国時代にもかなりの規模の改修を受けたようだが、来歴や城主などは分かっていないらしい。
この日は道の駅を拠点に周囲の城を徒歩でグランドツアーする二日目で、道の駅からトボトボ歩いて訪問した。
栗山川の橋を渡って南東に進んでゆくと、左前方の丘の先端が盛り上がっているのが見えてくる。
適当なところで左に曲がって丘の先端に近づいていけば、城への登り口に辿り着く…
舗装した道から山の方に土の道が入っていて、赤矢印で城の入口が示されている。
東側に入口があるのは昨日の帰りに見つけていたけど、こちら側からも入れたのネ😅
入ってゆくとすぐに、竹ヤブの中を急傾斜で登るようになる。
早速、ガッツリ掘り込んだようなところも現れる😮
早くも城郭遺構現るか?
この先は帯曲輪のような平場になっていて、竪堀状を登ってくる寄せ手を上から攻撃できるような作りになっている😮
帯曲輪状は、南北30メートルぐらいの長さ。
建物を置くほどの幅は…無い💦
そしてすぐに、右手に登る階段とともに城への案内が現れる。
ここを直進すると、城の主要部の北側に広がる「五十目」という場所の西側に出られるはずだが、『ここから先キケン❗』の看板…
奥を覗き込むと、立派な竪堀らしいルンゼの頂点付近を、際どく歩道が通り抜けている😮
もちろん階段は後付けで、こちらが本来の城道なのだろう。
だが、道はコンクリで補強しなければならないほど崩れる寸前らしいし、幅も数十センチで下が切れ落ちているので落ちたら間違いなく負傷者だし…
さて、下のコレは竪堀なのか…?😮
主郭の北側を守る空堀に登りついたようだ。
奥に向かって少し左に曲がりつつ、はるか向こうの方まで続いている。
右の主郭側は高さ5メートルぐらい、左側の五十目側は2メートルぐらいで、ずいぶん差がある😮
五十目側に登って俯瞰する空堀…
なんかコレ、往時のものか怪しいな…
と、最初に目にしたときはそう思ったが、往時からの虎口らしい。
主郭の土塁は大きく開口していて、虎口があったとしても往時よりだいぶ崩されているようだった。
土橋の両サイドに伸びる空堀が、これまたカッコイイ😊
主郭の中は完全に畑だった。
南東の枡形虎口までの道はしっかり整備されていたが、このときは気づかなかった💦
東側の土塁上に道が付けられていたので、まずは登ってみた。
上から見る空堀、えらくスケールでかい😮
小田原の総構堀と言われても分からないかも😅
(多古 並木城 その2に続く)
(2023年3月13日 記)