今日から数日、ホテル暮らし。

ホテルからホールに通う。

だから高速道路を運転しなくて済むから、ウレシイ。

ウレシイことって、こんな程度のことしかない。

あ、まだあるある・・・

重度の不眠症なんだけど、

ホテルではなぜか良く眠られる。

「眠られる」・・・「眠れる」・・・「眠られる」・・・「眠れる」・・・・

五段活用動詞・・・可能動詞・・・どっちでもいいらしい。

「食べられる」は良いが「食べれる」はダメ。

来年は「ら抜き」言葉に「殺意」を抱く年になる。

閑話休題

・・・といっても、そもそも戻る本題が無い。

戻る場所が無い。まるで人生のよう。

あ、

閑話休題を、本題の間に挟む「話休め」の話題だと勘違いするべからず。

逸れた話を元に戻すことを「閑話休題」という。

だから「黄金の糸」・・・勘違い使用が痛々しくも残念無念。


あ~あ・・・


さて、

あと4日もすれば、デスクトップは一掃されて空っぽになる。

それまでしばしホテル暮らしのため、

ここへの投稿は一時休眠。
また高速道路をひた走る生活が・・・

運転きらい。

カーオーディオのどの音楽も、聴き飽きつつある。

今週末までの辛抱。

2ヵ月半の引き篭もり生活後、
約1ヶ月間で6作品の公演。
無休でしんどかったけど、体力が持続できて良かった。
まだ終わったわけじゃないから油断してはいかんけどね。
7日までがんばらんばいけんとです。

来週からは、次の設計図たちがやってくるまで、
ちょっとだけ羽を伸ばそう。(羽なんて生えてないけど)

2ヵ月半はずっと独り。
その後の1ヶ月は大勢の中で・・・

だれか、ふたりだけで、ゆっくり、寄り添って、
のんびり、茶でもすすりあって、
昼寝でも付き合ってくれる人、いないだろうか・・・。
と、
仙波清彦とはにわオールスターズの「ちゃ~のみ友達スレスレ」を思い出した。

あ、ホーホーホーリ~、アーイージ!
ほれ、らんがく、まんげつ、ちゃ~のみと~もだち、ホ~リ~、アーイージ!
人間として耐えられない限界状況

って、どんな状況なんだろう?

自殺でもしてみるか・・・?


関係企業の莫大になるかもしれない被害の賠償金は、
どこから捻出されるんだろう。

もしもその財源に税金を利用することになれば、
自己弁護ばかり訴えてはいられないだろう。

幼稚な某図案家の、
あまりにも稚拙でアホな模倣や盗用の実績はさておき、
損害賠償を社会全体で痛み分け・・・
なんて、誰が認めるものか!

人間限界として人間やめたいなら、
さっさとやめればいい。
それが嫌なら正々堂々と釈明すればいい。
そして、この顛末の行き着く先には、
個人の謝罪・釈明だけは済まされない、
国民も被害者になる可能性があることを認識して言及するべきなのだ。

そして、
臭いものにはフタをする組織の卑劣さがアホラシイ。

責任の所在を明確にしないことで、
国民に負担を強いる身勝手な組織のやりかたは、
もはや日本人の常套手段ともいえるが、
ただただ激しい憤りだ。

腐った政治屋たちが、
いい加減な利己主義の野郎どもばかりなおかげで、
この国はすっかり「人の道」からはずれた、
無責任で腐敗した国家になってしまっている。

どうせ「法案」を強硬に通すだけ通して、
あとは「ままよ」だろう。
命が失われても「お国のためにありがとう」で乾杯なんだろう。

それほどまでに権力や金が欲しいのか。

図案撤回でも、企業は賠償を求めるな。
世界の一流企業なら、
寄付金だと思って懐の深さを見せてやれ。
そのほうがイメージアップにもなるだろう。

税金で処理されるようなら、
こちとら、
人間として赦せない限界状況だ。
絶対音感は無いが、
音をアナライズできる程度の聴力は持っているようだ。

学生時代、
まだDTMの黎明期、
通信カラオケ用のデータを、
MIDIでつくるバイトを一度だけ経験したことがある。

与えられた課題は、確か工藤静香の歌謡曲と、
名前は忘れたが、ムード歌謡だったと記憶している。

後日カラオケ屋で、自分の手掛けたデータが再生された時は、
なんだか不思議な気分だったが、
とにかくデータを作るのが面倒で面倒で、
いくらギャラが良くても「二度とやるもんか」と切り捨てた。

今で言う「耳lコピ」っていうやつだ。

Drumsを解析するだけでも、
KickにSnareにHiHatにTomにCymbalsに・・・
当たり前だが、
使われている楽器が多ければ多いほど複雑に音が絡んでいる。
それを1楽器、1音ずつアナライズしていく作業は、
当時の自分にとって、ちっとも建設的な仕事に思えんかった。

ただし、
解析するという行為は、大変勉強になりんすよ。
楽譜からではなく、耳で直接解析するってのは、
奏法上の発見が多いんす。
で、その奏法を、MIDIというデジタルデータで、
いかに再現していくかってのが、DTMをこなす上での、
上達の要素になるんですわ。

その後、いろんなタイプの曲を作るようになって、
その経験が役に立っていることも、ちょいとはあるかもしれない。

いまでも、ある楽曲があって、
たとえばBassだけが聴きたいと思いながら聴くと、
Bassの音だけが聴こえてきて、
全体を聴くのとはまた違ったノリで楽しめる。

ってことは、
そんな聴き方をする人がいる以上、
どの楽器のパートも、エエカゲンにおろそかに作ってはいかん!
ってことだわね。

反省。

悲しい夜もあれば、楽しい夜もまれにだが、ある。
その比率は悲しい夜が多い、といったところが正直なのだが、
今夜はあえて言葉にすれば「悲しくならない夜」だった。

悲しくならずに済んだことに感謝。

今夜、悲しくならずに済ませてくれた相手と別れて、
帰りの地下鉄の中で何度も繰り返して聴いた曲は、
それほど深く傾倒しているわけではないのだが、
よしだたくろうの「流星」

たくさんの人との出会いに恵まれ、
自分は決して一人ではないと解っていても、
絶望に苛まれる夜が来る。

けれど、だから、明日もまた、
悩みなど微塵もない顔をして、
少しでも悲しみから遠ざかる時間を生きなければ、
自分は自分としてそこにはいられない。

ほろ酔い・・・いやずいぶん飲んだか。

嫌いな深夜の地下鉄の中で、
酒の勢いに負けて聴く「流星」が、
自分にとって「励まし」なのか、「応援」なのか、
あるいは単なる悲しみの「同調」なのか、
それが何だか解らないながらも、
何度も何度も巻戻しボタンを押していた自分がいた。