名古屋は三大戦国武将のゆかりの街で、
名古屋城を中心にして、放射状に城下町が広がる。
時々訪れる中心街は立派な都市の景観だが、
ふらっと彷徨ってみると、
300~400年の歴史を刻んだ遺構や町並みが現存する。
散策した「円頓寺(えんどうじ)」と呼ばれる界隈も、
城下町のなごり濃い一角だ。

堀川と呼ばれる川沿いに並ぶ白壁土蔵の舗道。
四間道(しけみち)と呼ばれるその通りは、
大火の延焼を防ぐために道幅を四間にしたことからそう呼ばれると、
立て札に書かれてあった。
車も通れないほどの細く入組んだ小路は、
時間に取り残された静かな鼓動の中で生きているような景色だ。
小雨のせいか、ひっそりと、しっとりとしたその景色が、
なんだか物悲しくもあった。

円頓寺のアーケード入り口の交差点に座す、豊臣秀吉像。
この他、その交差点の四つ角には、
織田信長、徳川家康、そしてなぜか水戸光圀(黄門さま)が立つ。
昨年、秀吉にちなむ音楽を創ったことにあやかって、
秀吉公の写真をアップしておく。
清洲から名古屋へ城が移り、
名古屋の町は大きな発展を遂げ、現在も大都市のひとつとして生き続いている。
それゆえに人生の儚さはまるで夢幻のようだ。
信長は50を目前にして、その野望は散った。
秀吉は天下統一を果たしても、泰平のゆとりを掌握できなかった。
家康は265年続く時代の祖を築きながら、その人生は戦に翻弄されたものだ。
私は歴史に名を刻む者にはなれないし、なりたいとも思わないが、
生きていた証を何か残そうとするなら、いったい何が残せるだろう。
空間に解き放たれては消えていく音の粒を、
どうしたら留めおくことが出来るだろう。
いや、残すべきものなど私にはない。
何も残す必要はない。
生きていた証などあろうものなら、むしろ葬り去ればいい。
「私」という存在をまるで音の粒ように消してしまいたい。
消えたい。
早く消えてしまいたい。
そんなことばかり毎日、毎日、毎日・・・考えている。
城下町の散策ですら、
死神に取り付かれた病の心には響きます。


