第8回 呼吸ケア指導スキルアップセミナーも開催しますよ~!!

 

とにかく、前を向いて、今できることをやっていきましょう!

 

 

世界中、色んな事が「制限」されてしまいました。

 

医療の場では患者さんのために、日々勉強しスキルアップしていくことは何より重要です。

 

だけどできない。

もやもや、もやもや、・・動きたいのにどう動いて良いかわからず”もやもや”です。

 

2010年から年に2回、みんなでやってきた大阪吸入多職種連携の会も、何かしらの工夫無しでは開催はできないと休止に追い込まれてしまいました。

 

ああ、この”もやもや”をなんとかしたい!前に進みたい!

 

2020年6月から工夫に工夫を重ねて準備し、第10回、開催します!

 

え、でも・・。これをアップしている「このとき」、すでに申し込み終了時間は過ぎている・・・・と思いますが

 

私たちと一緒に「前に進みたい!」と思っているあなた。

 

一度連絡してみてください。

 

今週中、なら受付します!(^^)!

 

すでに定員には達していますが、ファシリテーターとデバイスは確保できています♪

 

申し込みは2021年1月24日(日曜日)まで延長、です(#^.^#)

 

一緒に頑張りましょう!

 


私の所属している、ある医療チームに

「頼ることは何もない、と言うほか何もお話にならないので心の内を聞くことができず困っています。」

と相談がありました。

相談対象の方のお名前をみるとなんと、私の患者さん!

1週間前に動けなくなり、別の科に入院されていたのです。

「スタッフから私に連絡くれていればなあ。彼にとって私じゃまだダメだったのかなあ・・・。」

 

前任の転勤により

私が担当して2ヶ月、2回診察しただけでしたが、

口数少なかった彼と2回目の診察時にはゆっくり話ができてホッとしていたところでした。

 

彼からの信頼を得られていなかったのか、と嘆きつつ病室に向かったのです。

 

ですが、彼は私の顔を見るなりにっこりされました。

「先生が来てくれるとは思わんかった」

安心した顔をされました。

 

ありがとう。ありがたい。よかった。・・・私の心の声です。

 

スタッフから、「こんなに会話されたのは入院して初めて」という感想をもらい、

試行錯誤で一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていて私の存在を忘れていた、ということだったんだろうと推察しました。

その後、スタッフと打ち解けて話されるようになり、自身の病状や治療計画への受け入れも前向きにとらえてくださるようになったそうです。

私の面会が「きっかけ」になって会話が進んだことを光栄に思いました。

 

心の内を他人に開くなんて、なかなか難しい事なんだろうと思います。

それを教えてもらい、心を開いて接して頂くということは、本当にありがたい。

本当のところを教えてもらえないとサポートできないからです。

心に違和感やズレが生じたまま、治療計画を進めることはできません。

 

心にどうすれば接することができるだろう。

「きかっけ」をいつも探しています。

 

タイトルの、季節の絵はがきと交換日記は、仲良くなるための「きかっけ」作りです。

もちろん、許可をいただいて始めています。

 

自分自身が楽しいものでないと、という思いがあるので

絵はがきを選ぶときは結構、真剣です。

季節に限らず絵はがきを交換し合ったり、

クリスマスカードと暑中見舞いの絵はがきのみだったり色々ですが

仲良くなれるのはお互い嬉しいものなのじゃないかな、と思っています。

 

自分のことを上手く表現しづらい方には交換日記を提案してみます。

交換日記、というとなんだか大変そうですが、

体調などの記載のついでに、その日に行ったことなどを書き込んでもらいます。

よくある病状日誌と同じです。

病状日誌ならばそれを見ながら今後のことについてアドバイスしますが

交換日記の場合は、私に起こった出来事も少し加えて返すようにしています。

一方通行でない、ということが「きっかけ」となると信じて。

 

もちろん、全ての方々に

絵はがきを書いたり交換日記をしたりのパワーは有りません。

 

でも、普段は普通にコミュニケーションがとれている方でも

距離感が生じてしまうような場合は

絵はがきや交換日記に限らず、なにかの「きっかけ」を探しています。

 

返信があると私も嬉しい。

そうやってお互いがサポートし合っているのかもしれません。

震災の折、仙台と熊本へ医療スタッフとして派遣されました。

継続して渡せる治療薬も少なく、少しでも症状を和らげるお手伝いを薬に頼らず提供できたらどれだけ役に立つのだろうか、と考える毎日でした。

その日々が、自分の芯の一部分になっていることは言うまでもありません。

 

さて、呼吸器内科には日々「咳」を主な症状として人がたくさん訪れます。

「咳」を生じる代表的な病気に気管支喘息がありますが、その治療薬の一つにテオフィリンというものがあります。テオフィリンは中毒域があり有効かつ副作用のない濃度を保つ必要があることや、喘息への研究が進んだおかげで今では先頭に立って使う薬ではなくなりましたがそれでも、いざというときに役立つ良いお薬です。

このテオフィリンの開発にはコーヒーと紅茶が大きく関わっています。

1800年代後半、濃いコーヒーが喘息発作の症状を和らげるという報告がもたらされました。カフェインの作用です。ひき続き、紅茶の方が喘息に良い、という報告が出ます。紅茶の成分であるテオフィリンが気管支を広げ喘息の症状を和らげるのに有効であることがわかったのです。その後、テオフィリンが一定濃度で身体に効果をもたらす薬になるよう、研究や開発が進んでいきます。

紅茶を飲んでも効果の持続時間は短く直ぐに代謝されて排泄されるためお薬としては不十分だからです。

 

でも紅茶には一時の効果があります。

たまに「紅茶をのむと気分が悪くなる」という方はいらっしゃいますが、そういう方は紅茶を進んで飲むことはありません。テオフィリンの処方もしないようにしています。気分が悪くなるようなら飲まない方が良いですよね。

 

「紅茶やコーヒーを飲むと痰が出やすくなる」「ドリンク剤(カフェイン入り)を飲むと咳が治まる」

「歌う前に紅茶を飲むと胸がすっきりして声を出しやすい」

 

外来でそういったお話を聞くことは良くあります。

 

紅茶に入っているテオフィリンの成分と水分がとれることで気道が広がり痰が緩んで出しやすくなりさらに気道が広がるのでしょう。

チョコレートにも同じ成分が含まれますが、固形のチョコレートは水分を取らないためかかえって咳を誘発することがあるようです。チョコレートの飲み物としては濃度の違いはありますが効果が期待できます。もちろん緑茶も、しかりです。

 

その他に、気道に優しい食べ物って有るのでしょうか?

 

小児喘息のわが子は杏仁豆腐を好んで食べました。喘息の調子が悪くなると杏仁豆腐を買ってこい、とせがみます。杏仁豆腐の中に「杏仁(アンニン=キョウニン)」という成分が入っています。これこそが咳を沈める主成分、生薬、漢方です。杏仁豆腐を食べることで胸がすっきりし、痰の出が良くなって少し元気になるのでしょう。

 

震災時に飲み物の確保も大変なのに、紅茶やコーヒー、ましてや杏仁豆腐なんて手に入る?という疑問もあるでしょう。いいえ、「知っておく」ことが大事なのです。手に入りそうであればそれを選ぶことができるからです。

そういうお手伝いを続けていければ、と思っています。

85歳になりました。

放射線治療を受けて3年になります。

「もう、動けなくたっていいよ。」

診察場で座っているのがやっとです。

 

毎日2万歩、歩いていたそうです。

80歳を超えていても

自分のことは全部でき、家族の世話までして、

なおかつ2万歩も歩くことができるのなら

放射線治療を受けるだけの体力はあるでしょう、と本人、家族、主治医ともに納得の治療でした。

 

「いやー。息もしんどいよ。散歩?しないしない。家にずっといる。」

元気なくつぶやきます。

「もうええ年やしね。」苦笑いする彼はどこか寂しそうです。

低酸素血症と数値が示していました。

 

『酸素が必要な状態です。』

動くことができるように在宅酸素の導入を勧めるも

「そんな格好悪いことできるわけない。もう動けなくっても良いよ。」と言うのです。

 

癌が悪くなったわけではない。

ただ自ら老いていく様に『勿体ない』と嘆いてしまいました。

 

「なにが勿体ないの?」と不服そうに彼は尋ねます。

 

『動くことができなくなって、ご飯も食べられなくなったら人間の命はあと1ヶ月。

それは寿命という状態なのかもしれない。』

 

『でも、あなたはまだご飯を食べているし、

酸素さえ入ってくれば動くこともできる。』

 

『細胞を作るためには材料がいる。

その材料を動かしてちゃんと細胞にするにはエネルギーが必要で

だから酸素が必要なんです。

酸素は動くためにあるんです。細胞が動くために。

酸素が入ってこないと動けない。』

 

淡々と嘆きながら説明する私に

「そうか。細胞がつくられへんのか。」とハッとした表情をされました。

 

『動いて欲しいんです。

酸素は動くためにある。リュックサックに酸素ボンベを背負い、

ノルディックポールを持って歩いたら

元気なおじいさんやなあ、とみんなが羨ましがるでしょうに。』

 

「なるほどなあ・・・。」

 

遠方にてしょっちゅう受診できないとして

かかりつけ医と併診していただいている彼の受診は3ヶ月後でした。

びっくりしました。

顔色も良い彼は私の提案したとおり

リュックに酸素ボンベを入れて背負っているではないですか。

 

「いやあ。酸素。楽やわ。最近、外にでて1時間ほど歩くようになったよ」

 

彼の姿を写真を撮ってもよいし、他の人に見せて励みにしてもらって欲しいというので

携帯電話に納めて時折眺めては、心の温かくなるのを感じていました。

 

そうして3ヶ月が経ちました。

驚きはさらなる喜びでした。

酸素をしていなかったのです。

 

「少しは使っているんだけどね。長い時間歩くのでなければしないことも多くなってきて。

病院は休憩できるからこのくらいなら大丈夫なんだよ。」

 

『自慢させてね』と酸素化が正常になっている彼の写真をもう一枚、私の携帯電話に納めました。

「飲み込んでくれないです。」

疲れ果てた妻が言います。

「喉の奥に入っていかないんですよ。」

悲しそうに彼も言います。

確かに

ご飯が口の中にいつまでも残って、身体の中に入っていきません。

 

間質性肺炎の増悪で入院し、

なんとか病気の進行を止めることはできましたが

ここからが大変なのです。

 

ベッドの上で過ごした時間が長いために

体中の筋肉が思い通りに動いてくれません。

 

やっと『食べて良いですよ』、と許可をもらっても

嬉しい気持ちとは裏腹に

『食べたくても喉を通らない』という現実と向き合うことになってしまいます。

「せっかく良くなってきたのに、今日はついに何も奥に入っていかないみたい」

妻に悲しまれても彼にはどうしようもできないのです。

 

スタッフからも

「食介しても甲斐がないです。」と嘆かわしい声を聞き

これは大変、と主治医自ら食事介助に出向きました。

 

冒頭通り、

確かに、です。

 

「食事するの、少しおいておきましょうか。

 とっておきの方法があるんです。」

 

彼にお願いして、

私のまねをしてくださいね、と伝えました。

 

「口を大きく開けて舌を出し、べ-。

口の右横に出して、べー。

左横に、べー。

鼻の頭をなめるように上に上げて、べー。」

 

「上手上手。もう一回。」

 

とお願いしながら3回ほど繰り返した後、

さっきのご飯、もう一回、口に入れてみましょうか?とお願いしました。

 

「あれ?あれ?」

上手く飲み込めました。

「たったこれだけで?・・・魔法、ですか?」

 

いやいや。普通の訓練法です。

 

とっておきの魔法は、実はこんな簡単なことなんです。

私自身が

鍼灸院にお世話になってこの夏で2年になります。

 

忙しくても鍼灸受診を毎週欠かさず過ごしてきましたが、

多忙な私の身体は良い方向と悪い方向にゆらぎ行ったり来たりしています。

 

しかし治療を受けているからこそ確実に良い方向に向かっていることが実感できています。

私の不調は一つずつ消えていっています。

 

私が鍼灸院を初めて訪ねたときは沢山の不調サインがありました。

 

最も辛いと感じたサインは『足裏の痛み』でした。

ベッドから起きあがった時に踏みしめる一歩が痛く、辛くて

一歩を踏み出すのに日々躊躇していました。

 

デスクワークが終了し歩き始める第一歩も牛歩のようにゆっくりです。

痛みに対して自宅でできるケアは様々調べて行っていましたが、

手までもつれて動かしにくく物をつかみにくくなったとき「ああ、これは自分では無理だ」と悟りました。

 

原因はわかっていました。

飲んだ水分が排泄されず身体に蓄積されていく、

代謝が相当に悪くなっているという実感がありました。

 

睡眠不足とデスクワーク時間の長さにあわせるように体重はどんどん増え、

身体は重く、だるく感じるようになっていました。

 

しかし仕事と家庭を両立しようと思うと睡眠時間を十分にとり規則正しい食事をとることも難しい。

身体は自分のできるケアの範囲を遙かに超えている気がしました。

 

このような状態に鍼灸治療が適していることは知っていました。

 

WHOも認定しており

様々な医療ガイドラインでもエビデンスが少しずつ紹介されるようになってきた鍼灸医療を受けることに

何の迷いもありませんでした。

幸い、自宅近くに今私のお世話になっている鍼灸院があり、思い切って受診をお願いした訳です。

 

「腎虚の状態です。

それ以外も様々悪くなっており、内臓もかなり弱っていますので順に治していきましょう。」

 

見立ては自分のそれと同じでした。

 

初めて受診した日から手は動くようになり、ひとまずホッとしたのを覚えています。

そして二回目には足の裏の痛みはあるものの半分くらいまでに減っていました。

 

医学治療の根本は自分の生活を見直すことから始めるべきだと思っています。

 

鍼灸院に通ってから、

例えば自宅でお腹を温めることなども毎日忘れず行いましたが、

この慌ただしい現世の中で根本的に生活を見直すことがどれだけできるでしょうか。

更年期に職業についている方は男女問わず私と同じような立場で暮らしているのではないでしょうか。

日常生活は改善されるどころかどんどん忙しくなるばかりです。

 

そんな状況でも

しばらくすると「頭の汗、かかなくなりましたね」と言われるようになりました。

「頭の汗」「目の乾き」「げっぷ」「肩こり」「腕のしびれ」上半身に偏った、

恐らく自律神経の不調が関わっている症状が

少しずつ少しずつ揺らぎながら改善に向かっています。

 

今、私の足の裏の痛みはほとんど消えています。

無理をした日などに「あ、少し痛む。無理をしたんだな」と身体と会話ができるようになっています。

 

鍼灸はお金のかかる医療です。

しかし、確実に「時間」という歴史がつぎ込まれた医療です。

多くの人があたりまえに、

確かな鍼灸医療を享受できる日が来ることを願っています。

「いつまで待たせるんや!」

 

いきなり怒鳴られました。

彼はその日の初診患者さんでした。

 

強い痛みの出る場所に腫瘍がありました。

 

「うるさいな!なんとかならんのか!いつまでかかるねん!」

会話をする度に怒鳴られます。

様々な鎮痛剤を使っても治まりません。

腫瘍を取り除くしか痛みを取る方法はないのです。

痛みで顔がゆがみ、

横になるのも辛く苦痛でもだえる彼の治療方針を決めるためには

我慢をお願いするほかありませんでした。

 

ある日、そんな彼に

ようやくのことで気管支鏡検査を終えました。

彼は検査に耐えてくれましたが

検査後、

ひどい言葉で私を罵りました。

そんな彼に対して、背中をさすることしかできない私は

ただただ無力でした。

 

治療の目処が付くまでには時間がかかり、

手術は非常に困難を極めましたが

彼をはじめとした全員が協力し合い、

無事に痛みの根本を取り除くことができたのでした。

 

彼は穏やかに、告白してくれました。

 

「あのとき、

検査の後に先生が、背中をさすってくれた。

僕は先生にひどいことを言い続けたのに

ひたすら背中をさすってくれた。

今さらやけど、ありがとうな。あのおかげで頑張れた。」

 

あの時は他になにもできなかった・・・

 

でも、

薬がなくても

『痛みを診た』んだということを彼が教えてくれたのでした。

 

そして、

病気が彼を「怒らせていた」ということも。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

 

なんでこんなに遅くなったのかなあ、と

すっかり疲れてしまっている私。

 

そんな時に、ふと

 

そうだ、空を見るんだっけ。

 

と、思い出します。

 

空には今日も月が待っていてくれています。

 

「今日は三日月だ。」

 

なんて、思いながら。

 

『得した気分』に浸ります。

彼女はとても怒っていました。

 

「痛くて動くこともできないようです。」

夫がそう説明してくれました。

とても辛そうにみえる彼女は、痛み止めを使うことを強く拒否していたのでした。

「強い薬はきっと身体に悪いに違いないです。

自然なものだけでやっていきたいんです。

びわ温灸とか、自然な方法を試しているので大丈夫です。」

にこやかにそう言うものの、

強がって痛みを我慢しているのは明白です。

ご家族も見ていられないほど辛い、というのです。

 

夫と主治医である私は懸命に彼女を説得し

やっとのことで医療用麻薬を飲んでもらうことになったのでした。

 

「嫌なんです。薬やめました。

それに私、体調が悪くなって吐きました。

あの薬のせいです!」

2週間後、泣きながら訴える彼女に対して

医療用麻薬の副作用が強くでたのかと心配したら

癌に良く効くと聞かされて遠方まで仕入れに行ったキノコを大量に食べた後に

あげくだしした、とのことでした。

『それは薬をやめて、キノコだけを食べたときに起こった症状だから

どう考えてもキノコが原因でしょう?』

論理的に説明されて

「それはそうだけど・・・」と彼女も納得せざるを得ません。

再び、医療用麻薬を使うことになったのでした。

 

そうしてまた2週間が経ち、

痛みは明らかに軽減していたにもかかわらず

彼女はカンカンに怒っていました。

 

「飲みたくないものを無理矢理飲まされる。

こんなに辛いことはない。」

彼女の顔はカチカチにこわばっていました。

 

これまでは痛くても顔はいつも笑顔でした。

今度は身体ではなく

彼女の心が「痛い!!!痛い!!!」と叫んでいるようでした。

 

相談のうえ、

彼女の希望を第一優先に

医療用麻薬は中止することになりました。

この決定にやっとホッとされ

彼女は少し笑ってくれたのでした。

 

診なければいけない「痛み」は身体だけじゃない。

彼女が教えてくれたのでした。