肺がんとCOPDに罹患している彼の

低栄養(低タンパク血症)の状態に

片時も離れず付き添っている妻はほとほと困っていました。

 

検査データのアルブミン値は1.7とかなりの低値であり、

彼の命の長さを表しているようでした。

 

「なんで食べてくれんの?」

そう語りかける妻に、彼も弱々しくほほえみ返すだけです。

 

元々はスポーツマンだったそうです。

 

仕事もバリバリこなしてきました。

 

子供達も立派に独立し、

妻と二人で毎週映画を見に行くのが楽しみになってきた、

そんな矢先の発病でした。

彼は一生懸命、治療に臨んできました。

しかし、妻に頼りながら入退院をくり返す生活に、

今では身も心も疲れ果てていたのでした。

 

これ以上のデータの悪化は命のおわりを意味していました。

 

「わかりました。子供達を呼びます。」

妻は子供達を病院に呼びました。

孫達もいて、病室は家のリビングのように賑やかでした。

 

彼は久しぶりに座って話をしたようでした。

『私にはみんながいることをすっかり忘れていたよ。』

 

数日後の血液検査データに本人も、妻も、主治医もびっくりしました。

ここしばらくの間、1.7から抜け出せなかったデータが

いきなり2.0を超えていたのです。

その後、ほんの10日ほどでアルブミン値は3.0近くまで増えていました。

 

心が整っただけで

こんなに短期間でも

アルブミンってちゃんと増えるんだ。

 

改めて 心技体 を考えさせられたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療をしていると、

どうしても検査値、

特に白血球数が気になってしまうようです。

 

次の薬が予定通りに投与できるかどうか、

まじめな患者さんほど思い詰めてしまいます。

 

彼女は

以前に投与した

白血球数の下がる抗がん剤はしていませんでしたが

体調がおもわしくなく

白血球が少ないせいだ、と嘆いていたのでした。

 

「どうやったら上がるのでしょう。」

ため息交じりに検査データとにらめっこしています。

 

そんな患者さんに、前回のようなアドバイスは通じません。

彼女にリラックスしてもらえる何か良い方法がないものか・・・

 

一見元気そうにみえる彼女に

呼吸回数を一緒にはかりましょう、と伝え、

目を閉じてカウントしてもらいました。

 

「36回です」

予想通り、過緊張の状態だったのでした。

 

まじめすぎる彼女に、

呼吸筋ストレッチ体操と腹式呼吸、口すぼめ呼吸を効果的に行ってもらうために

寝る前に行う

『ヨガニードラ』のCDを貸したのでした。

 

「がんばります。」

そういった彼女の3日後、そしてさらに4日後の血液データをみて二人で喜んでしまいました。

見事にあがっていたのです。

 

がんリハビリテーションの効果です。

 

 

 

 

 

 

 

「動くと息が苦しい。息切れがします。」

呼吸器内科ですから、そう言って外来に来る人は大勢います。

レントゲンを撮ったり心電図、呼吸機能検査をしたり

採血や喀痰検査をしたり。

色んな検査をして、どこも異常が無い。

そんな人がいます。

検査では異常が無いのに患者さんは辛そうです。

 

診察時には

『呼吸回数』というバイタル所見をとるのですが、

私の場合は

聴診が終わった後に患者さんと一緒に数えます。

 

目を閉じてもらって、いつも通りに呼吸してもらい

静かに1分間カウントするのです。

 

「28回です。」

「36回です。」

・・・・60回の人もいました。

 

異常値です。

 

呼吸がしんどいはずです。

普通の人の呼吸回数は12~16回なのですが、

静かに座っているだけなのに走っている人と同じ回数呼吸をしているのです。

ゆっくり歩くだけで息が切れる、それはそうでしょう。

過換気、過緊張の状態です。

 

しばらく長い間、過緊張の状態になっているために

呼吸筋を上手く動かすことができません。

カチンコチンです。

ゆっくりとした呼吸を取り戻すためには『腹式呼吸』を意識的に行う必要がありますが

横隔膜が上手く動いてくれません。

 

そこで、一緒に呼吸筋ストレッチ体操をします。

横隔膜がしっかり動くことができるようになってから

口すぼめ呼吸と腹式呼吸を一緒に3~5分ほど練習し、

そして、また目を閉じて静かに呼吸をカウントします。

 

「あれ?18回になりました。呼吸も楽です。」

「・・・薬って要らない。。。ですよね?」

 

こうやって

12~16回の呼吸が日常となるよう、

呼吸筋ストレッチ体操は思いついたらいつでも、

そして毎夜5分ほど腹式呼吸と口すぼめ呼吸をセットでやってもらうように伝えます。

 

タダで効くんですから、やらない手はないですよね(笑)?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大病院の受診は時間がかかります。

 

朝に受付をしたのに、帰るのは夕方。

・・・なんてことは日常で、

ひたすら待ってくださっている患者さん達に、

毎回、申し訳ないという気持ちになります。

体調が悪くて病院を受診しているのに

本当にすみません。

 

新しい患者さんが5人受診されると、

お一人に30分(検査の指示出しや処置の時間をいれるともっと?)で、2時間半。

10人来られると5時間。

予約の患者さんに加えて、

体調を崩し予約外で来られる患者さんのファイルが机に並んでいるのをみるとき

またさらに、難しい疾患や上手くいかない事象が起こってしまったとき、

外で待ってくださっている患者さんを想像し、

途方に暮れることもしばしばです。

 

そんなとき、

むかし、ある棋士が

「将棋の試合はテニスの試合と同じ。メンタルが崩れるとたちまちペースが乱れてしまう。」

と仰っていたことを思い出します。

 

『テニスや将棋の試合と同じ。まずは目の前の患者さんに対し誠心誠意取り組もう。』

 

そう言い聞かせて、お一人お一人に対応している間に

患者さんのご協力のもと

その日の外来の終わりはやってきます。

 

 

 

 

 

交差点には凜としたケヤキの木が一本、そびえ立っています。

この季節、透き通った若葉はどんどん青く大きく繁り、

信号のまちの間、ちょっとした雨なら濡れることもありません。

まるで守ってもらっているかのようです。

 

私はこの木に『上本町の大王』と名付けました。

交差点から続く道りの木々は全てケヤキで揃っています。

同じ時期に植えられたにもかかわらず彼は上本町を代表するにふさわしい立派な若木でした。

 

そして、その通りを山のほうに向かって歩くと今度は

うっとりするほど立ち姿の美しい樹がありました。

『優美な貴婦人』です。

あまりの美しさに立ち止まっては見とれる毎日でしたが

あるとき、子供達が

「ママ、泣いちゃダメ。優美な貴婦人が切られた。」というのです。

越冬のために美しい枝は無残にも切られたのでした。

あまりのことに子供達の心配通りに悲しんだのですが

切られた後でもその立ち姿は美しく貴婦人のプライドが感じられ

悲しむのをやめ、そんな樹心をわかっていると誇りに思うことにしたのでした。

そして

2本の樹が植わっている通りの向かいには『美しい木々のトンネル』があり、

この通りのケヤキの木々は

歩いているだけで私たちに何かしらの良い気を注いでくれていると感じます。

 

さて。

私の患者さん達はそれぞれに重い病気と闘っています。

体調には良いとき悪いとき、波があるのです。

 

あるとき悪い波に入ってしまった患者さんを元気づけようと

『上本町の大王』の堂々とした姿を写真に撮り、A4サイズに印刷して

私の大好きな木を見せてあげる、と自慢したのでした。

 

「交差点にそんな大きな木があるなんて知らなかった」

 

彼は私の(木に名前をつけるという)遊び心に合わせてくれて、その後たびたび

「今日の上本町の大王はどう?」と聞いてくれるようになりました。

 

彼は絵を書くのが好きなんだと話してくれました。

 

入院中もスケッチブックを手に「ちょっと描いてくるよ」といってでかけるようになりました。

スケッチブック一冊を描き上げ、私にくれた彼。

彼の病状の波は次第に穏やかになっていきました。

 

私の大好きな『上本町の大王』。

写真からも良いパワーが溢れていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸器内科では多くの人に抗がん剤の治療をします。

 

抗がん剤治療を行うには「条件」があり

白血球の値も低いと「できない」というケースもあります。

 

抗がん剤治療をくり返してきたその方は、病状が進行し

抗がん剤治療変更するために入院してきました。

しかし

白血球が少なく、条件をクリアできませんでした。

 

「やって欲しいんやけどなあ」

残念そうに仰います。

 

一旦退院してみましょう、とお薦めしましたが病気の進行が気になり

「もう少し待って、採血してくれる?」

とのこと。

 

当時の入院期間は少々ゆとりがありました。

 

数日待って、もう一度採血をしました。

・・・が、やはり条件をクリアできません。

もう数日待って採血しました。

やっぱりダメです。

 

「う~ん。何でなんかなあ。やって欲しいんやけど・・・」

 

本人も主治医も残念でなりません。

そして二人は流れをうまく変えなければなりませんでした。

 

『退院して、思いっきり遊んできてくれません?白血球が低くても身体は元気なので勿体ないです。』

主治医である私は、そう提案しました。

 

患者さんはとっても良い方でした。

「わかった!こんなことしてても楽しくもなんともないから、思い切って遊んでくるわ」と今度は二つ返事でした。

 

そうして1週間後の外来を約束したのでした。

 

1週間後がやってきました。

「先生がびっくりするほど遊んできた。ゴルフに旅行に。楽しかった~!病気のことはほぼ忘れていたよ。」

患者さんが楽しそうにされていると、こちらもウキウキします。

 

二人で採血データを確認しました。

正常値を見て、二人でにっこり。安堵しました。

 

何回やっても上手くいかないときは

「待て」のサインです。

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の木には青々とした葉っぱが元気よく茂ってきました。

 

・・・花見が終わった、なんて残念におもう暇も無く

様々な花が次々と咲いていきます。

 

桃、八重桜、山吹、馬酔木(あせび)、ツツジ・・・

スミレ、チューリップにレンゲソウ。

 

街歩きであっても、鉢植えで咲かせている家もあり、

私たちを楽しませてくれています。

日本に生まれて良かった、と心から思える季節です。

 

そんな花たちに気付かない人がいます。

 

「なんにも楽しいことなんてない。つまらない。」

本当につまらなそうに話す彼女は、育児放棄を受けて傷ついてきたのでした。

 

夜はずっとネットサーフィンしているんだそうです。

 

ちょうど桜が満開の季節でした。

自分からは話さない彼女に満開の桜について聞いてみましたが

「桜? 見てないです。興味ないです。」

 

『つまらないこと』に囲まれて続けてそこから抜け出せないのに

必ず外来に通ってくれる彼女に

 

「次に会うときは気に入ったお花の話を教えてね」とお願いしました。

「貴方が好きだと思うお花の話を聞きたいから」

 

なかなか合わなかった目があって

「わかりました」

と、はにかんで答えてくれました。

 

やっぱり花の力は偉大です。

 

 

 

 

 

 

 

 

あるお坊さんがいました。

 

間質性肺炎でした。

彼の肺は真っ白で最大量の酸素吸入を必要とし、

人生はもうすぐ終わりを迎えるところでした。

 

そんな彼は私が診察に訪れると決まってお説教を聞かせてくれるのでした。

 

画像や血液中の酸素濃度を確認した直後の診察時には特に

私は彼の呼吸状態が気になって仕方がありません。

「息は辛くありませんか?」と尋ねてしまいます。

 

しかし、彼は決まって言いました。

「全く辛くないんですよ」

静かに笑って答えられます。

 

そう言う彼は確かに楽な様子なので毎回ホッと安心させられるのでした。

 

 

彼は重症でした。

それなのに、どうして呼吸が楽なのでしょうか。

彼は仙人なのでしょうか。

それとも私の治療が良いのでしょうか。

そんなはずはありません。

 

程なくして、彼は最期を迎えました。

最期まで「全く辛くないんですよ」と笑って答えてくれました。

そして

「息を楽に感じることは、誰にでもできますよ」と言い遺してくれました。

彼は呼吸を楽に感じる「こつ」を得ていたのでした。

 
しかしその頃の私は、その「こつ」を上手く理解することができませんでした。
それを理解することが私の大きな課題となりました。
 
・・・長年、呼吸器内科をやってきて、少しずつ、その「こつ」を理解できるようになってきています。
多くの医療者に伝えたい。
そして多くの患者さんに、その「こつ」をうまく使ってもらいたい。

 

そんな思いで今日も診療しています。