機械化で、自給自足的な農民経済が壊れるアメリカ東部の農村。その中で、西部カルフォルニアでの成功を夢見る一つの家族の物語。ロードムーディー・リアリズム映画
物語の構成は、5つに分かれている。
一つ目は、長男トミーの帰宅から移住に出発するまで。東部の大都市から土地を買い取られ、トラクターによって接収される農家の人々。長男トミーは、仮釈放されて家族に向かい入れられる。祖父母と孫が「脱獄してきた」と大喜びするが、接収の日が迫る。そんな中、一つのビラを手にする。「カルフォルニアで求人、800名求む」。これに一つの希望を見出して、出発の準備をする姿がいとおしい。祖父がこの土地から出て行くのがつらいと駄々をこねる。
二つ目は、東部オクラホマのサラソーからカルフォルニアへの旅路。古そうな、車体前部にエンジンが付いたトラック。これに家族と知り合い、十数名での移動。荷物がはみ出さんばかり。はじめに祖父が亡くなるが、同行していた説教師の男が弔いを行う。この男は、後に長男のトミーに大きな影響を与える。この時点では、不信心な人間として描かれている。道中、ある道の駅に停車する。祖母のためパンを購入するが、費用を出し惜しみする父。店主が見かねて値引きする。今度は、娘のためにアメを買うのだが、店員はオマケしてあげる。それを見ていたなじみの客が、お釣りはいいとオマケ分を支払う。このように、旅の中では比較的同情的に扱われる。祖母を強行軍で亡くすが、やっとカルフォルニアへ掛かる橋へ着く。水浴び。
三つ目。町は、人混みでいったん、町外れの臨時キャンプへ。皆貧しい。ある日、派遣の仲介者が車でやって来る。ある男が、契約書を見せてくれ、日時、場所、賃金の書いた紙に署名をと要求する。仲介者は相手を「扇動者」として相手にせずに逆に警備の男を差し向ける。男は左パンチをくらわし警備の男はダウンする。しかし、逃げる男に発砲。それが近くの女性に当たってしまう。なおも発砲するのをやめさせようと長男と説教師の男が取り押さえる。この時、警備の男が死んでしまう。「仮釈放のお前は逃げろ」と説教師は勧め、自分が捕まる。その後、ある農場に家族は従業することとなる。
四つ目。この農園は、比較的に待遇が良かった。しかし周りが騒がしい。収穫期までストライキが行われるのだ。桃は、傷みやすいので、収穫期には時給が上がる。このストを破るための臨時工だったのだ。騒がしい事を不思議に思った長男。深夜に農場をうろつくとある明かりに人影を見つける―。
五つ目。逃げ出し、別の農場へ。国の農業センターだ。委員会が運営していて、土曜日の夜にはダンスパーティーが開かれるという。前のキャンプは警察やゴロツキに焼かれた。この農場にも夜襲のうわさが。何とか農場を守るが、長男トミーが警察に見つかってしまう。家族との別れ。ここで、トミーは自らの心境の変化を告げる。翌朝別れる。農場へ向かう道すがら、母は誰ともなしに話す。民衆は生き続ける。
世界を翻弄する資本主義を明確に批判することがテーマ。
古典的名作の社会派映画をやっと観ることができました。経済的な変化とそれに翻弄されながらも生き続ける家族、仲間達。特に機械化の波は、19世紀から現代まで本当に多くの人々に影響を与えてきたと感じました。
東部の農民にとっては、まるでモンスターのように農家を蹂躙するトラクターとして。西部カリフォルニアにおいては、土地を失った農民が、搾取される一農業労働者として。また、金で雇われた「警察やゴロツキ」として暴力を振るようコントロールされた人間として、批判的に資本主義社会が描かれていました。見ごたえがある。
資本主義社会そのものをテーマとして扱った映画の中で、歴史的な囲い込みから始まる(資本の本源的蓄積)。一家族が経営する自作農から農業労働者として家族がバラバラになる姿が辛辣でした。にもかかわらず、懸命に、また楽天的に生きていく家族に好感が持てました。
また、この一つの経済社会に対して「扇動者」として闘う人々を理知的に描いた作品としても印象的でした。
「俺はこの目で見たんだ 故郷に帰って餓え死にの方が だいぶマシさ」
「それはどういうことか? この中でこれと同じビラを持っているものは?」
みんなビラを出す
「800人の求人に― 5000枚ビラを刷り20000人がそれを目にする その内の3000人が西を目指す」「800人の求人に3000人が 職を求めて押しかけるんだ 意味がわかったか?」-引用
母がヒロインだった。
土曜日のダンスパーティーに若い男性からダンスのパートナーに誘われて踊る姿がとても楽しそうでした。ここまでは、ほとんど笑顔なく我慢の連続でした。
「女は男より変わり身が上手だ 男は物事にすぐにとらわれる 人の生死 農業の事 何にでもすぐとらわれる 逆に女は川のように流れている 滝もあれば渦もある けど流れが止まったりしない それが女なんだ」-引用
農業センターの「夜襲」に対する、スマートな対応も見事だった。
説教師が、自らの役割を悟るよう、段階を踏んで成長するさまも素晴らしい。
ダムによる廃村をテーマにした「故郷」1983年にも似ていた。古典は、やはり普遍的なものを描いていると感じて楽しめた。
タイトルは、南北戦争時に北軍の軍歌の一つ。聖ヨハネにまつわる「怒りの葡萄」との歌詞から。映画グローリー・明日への行進のラストにもキング牧師が演説で引用している。この題名も素敵!
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私の眼は主の降臨の栄光を見た
主は、怒りの葡萄が貯蔵されている葡萄酒醸造所を踏み潰す
恐るべき神速の剣を振るい、運命的稲妻を放った
主の真理は進み続ける
-wikipedia リパブリック賛歌から引用
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スタインベックが発表した小説「怒りの葡萄」から一年後、1940年の映画作品。極めて今日的なテーマですが、演者もみな達者で、生き生きとして魅力的でした。ユーモアもいいアクセントでした。
アメリカ映画の奥深さを感じました。まさに名作と感じました。
第13回アカデミー賞ではジョン・フォードが監督賞を、ジェーン・ダーウェルが助演女優賞を受賞、他に5部門がノミネートされた。-引用