時間 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

この記事で、私が作ったCDのテーマについて述べました。
そもそもは4曲入りのCDを出すにあたり、全体のテーマを決め、それぞれに準ずるテーマを持たせると良いと方針を頂いて考えたのがきっかけです。

 

 

喜怒哀楽についてはこちら。

 

 

 

今度は「時間」と言うテーマについて述べます。
私は5曲をこのように時間に当てはめています。


0ではじまり…1.僕にできる限り
過去…2.キズアト
現在…3.星空
未来…4.レール
無限の終わり…5.ここにある限り

 

「無限の終わり」って、なんでしょうね?←
この5曲目は「僕にできる限り」の対なんだ。と考えた時に得たのがこれでした。

 


4曲の総テーマは「生きていること」でした。
5曲になって総テーマはこうなりました。


「未来のレールははじまって、
過去のキズアトには無限の終わり。
私の現在(今)は星空です」


これは、「はじまりと未来」「終わりと過去」が結婚してる。「真ん中に私」みたいなイメージです。

 

ここまで、ツインレイ関係ないです。私は当時、ツインレイは知らないor否定していた時代です。

 

 

こっから裏設定みたいになるんですけど……。まぁ、あくまで私がそう思っているだけです。
これは制作者の妄想みたいなものです。

 

私は龍と虎を得ています。

 

 

実はこの子たちは、私の中で「=曲」に当てはまるのです。
虎は過去、龍は未来の担当です。


「 」 0ではじまり…1.僕にできる限り
「虎」 過去…2.キズアト
「 」 現在…3.星空
「龍」 未来…4.レール
「 」 無限の終わり…5.ここにある限り

 

最初、「現在=私」と思ったのですが、登場人物は「私」「貴方」「子(カササギ)」です。
もしかして、私たちは「はじまり・現在・終わり」をそれぞれにその時の課題によって担当しているのでしょうか?

例えば、
はじまり=私/現在=貴方/終わり=子
はじまり=貴方/現在=私/終わり=子
はじまり=私/現在=子/終わり=貴方
はじまり=私/現在=貴方/終わり=子
とかでしょうか? すべてのパターンは上げません。一例です。

 

まぁわかりません。
そうなのか? とふと思っただけです。

 

 

さて、時間の話に戻ります。
過去→現在→未来
これが世の常識ですよね。

 

私は1曲目「僕にできる限り」で、時間についてこのように綴っています。

喜び 怒り 哀しみ 楽しみ
平等に混ぜ合わせ
過去と未来と現在(今)をたぐり
時を操る僕は
理想に戻れるだろうか?

 

 

しかし、過去と未来は虎と龍に取られています。
残ったのは「はじまり」と「終わり」です。
……。
最近、私の中でよく出る話題です。

 

 

そうなると、今の私の時間の流れとしてはこんな感じですかね?

……。
2パターン上げましたけど、究極的には同じか?

 

 

なんでこんな作詞しちゃったんでしょうね?
当時、曲のイメージは伝えてありましたが、曲調がロックで用意した詩では足りなかったのです。
で、追加分を考えてこうなりました……。
もう無意識です。
他の曲にも言えますが、よー考えたものだと……。
あの頃の私はいったい何を考えていたんだ……。

 

 

まぁ、わかりませんね。
詰まるところ、私はもう過去にも未来にも囚われる必要はないのかもしれません。
今を、生きていくだけ。

 

2曲目のキズアトの詩にも、こう綴っています。

傷ついて 傷つけて
忘れて 忘れられても
生きている
どんな明日が待っていても
今を生きていく

 

 

「原因があって、結果がある」
それもそうです。私はこの話が好きです。
でも、「結果のために原因を発生させている」
こういう場合もあるのでしょうか?

 

 

過去と未来と現在(今)をたぐり
時を操る僕は
理想に戻れるだろうか?
溢れる感情に乗せて歌う
あるがままを受け入れて
悲しみ形変え 喜びを手に繋がる

 

 

私は過去や未来と言う概念を超えた時、何を手に入れるのでしょうか?