葛城の迷宮 -61ページ目

『悪童日記』

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アゴタ・クリストフ/著  堀茂樹/訳

戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」はお母さんに連れられて、大きな町からおばあちゃんの住む
小さな町にもとへ疎開した。
おばあちゃんは近所の人たちから『魔女』と呼ばれていた。
おばあちゃんは子供のぼくらにも、人並みに働かない限り食事を一切くれない。
その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。
ぼくらはやがて農作業を覚えて、食事をもらうようになった。
ぼくらは家に置かれていた唯一の本である『聖書』を見て独学で読み書きを覚えた。
ぼくらはお互い身体を鍛えているため、ひどい目にあっても泣いたりしない。
ぼくらはお互い精神を鍛えているため、ひどい光景に目を背けたりはしない。
ぼくらは牽かれていく人間たちの群れを見たことを絶対に忘れない。
ぼくらは人間の醜さや哀しさ、世の不条理、非情な現実を目にするたびに、それを克明に日記にしるす。
戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。


たぶん第二次世界大戦中のハンガリーあたりが舞台と思われる。
大きい町はブタペストあたりか。
ぼくらは10歳程度の双子か。
詳しくはわからない。
なぜ詳しくわからないかというと、この物語には人命や地名はおろか、
固有名詞が全く出てこない。
町の名前も記述されない。
お母さんの名前もない。
おばあちゃんの名前もない。
そしてぼくらの名前もない。
ぼくらにとって、住んでいる場所であり、お母さんであり、おばあちゃんであり、ぼくらだから。
ぼくらはいつも二人で行動するため、一人称複数系の 『ぼくら』 である。
生きるためには犯罪をも犯す。
肉親の死に対しても動じない。
人を殺すことさえ厭わない。


『悪童日記』 は読みやすい小説だ。
子供の日記という形式をとっているため、4ページ前後で一区切りの構成となっている。
ぼくらの目に映ったことしか書かないために、必要以上の情報や感情はない。
むしろ通常では必要な情報さえ削ぎ落とされているため、想像力を掻き立てられる。
読み始めた頃は確かに少年だった。
頭の中のぼくらの姿は変わらないけど、存在は 『少年』 から 『怪物』 に近づいている。
感情を押し殺し、『怪物』 にならないと幼い双子だけでは生きていけない環境だったからか。
それとも、ぼくらは初めから感情がない 『怪物』 だったのか。


著者のアゴタ・クリストフは、1935年ハンガリー生まれの女性である。
幼少期を第二次世界大戦の戦禍の中で過ごし、社会主義国家となった母国を捨ててスイスへと亡命している。
そしてこの作品はフランス語で書かれた、彼女の処女作品である。
物語はヨーロッパの現代史に沿って展開しているようだけれど、彼女の育った環境は
『ぼくら』の目に映った光景と同じものを体現してきたのであろう。
町のあちこちで暴力が見られたことが日常であった時代、『ぼくら』 とほぼ同い年だった幼い少女が、
ユダヤ人が連行されていく様子を見てどのように感じたのか。


しかし上記でも書いたように、読みやすい小説である。
非常に刺激的な内容、先の読めない展開、衝撃的な結末、この作品は極上のエンターテイメント作品となっている。
エログロの描写は時代の日常なのか、著者の作風であるのかはわからないけれど、
リアリティを感じさせることに大きな効果が得られている。


先日アゴタ・クリストフが亡くなったとの報を知ったので、久しぶりに読み返してみた。
1日で読める内容だけど、一生忘れることのない本であることには間違いない。
原題はLe Grand Cahier(大きな帳面)だが、『悪童日記』 というタイトルにしたセンスが素晴らしい。
付けたのは、この作品の翻訳も担当した堀茂樹氏。

続編の 『ふたりの証拠』、『第三の嘘』 もあるが作風が全く違うので、この作品だけで完結しておくのも一つの選択として
おすすめである。

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