『風立ちぬ』
監督:宮崎 駿
出演:庵野 秀明
(声) 瀧本 美織
西島 英俊
西村 雅彦
スティーブン・アルパート
風間 杜夫
志田 未来
大竹 しのぶ
野村 萬斎
大正時代、比較的裕福な堀越家に生まれた二郎は、いつか自分が設計した飛行機で大空へ舞い上がる夢を抱いていた。
妹の加代の面倒も見ながら勉学にも励む、真面目で素直な少年。
その一方で、学校の先輩から借りた海外の飛行機雑誌を読み、
夢の中では尊敬するイタリアの飛行機設計技師ジャンニ・カプローニとも意見を交わしていた。
二郎には悩みがあった。
それは彼が極度の近眼だということ。
パイロットになるためには視力が良くなければならない。
屋根の上に仰向けになり、夜空に輝く星を見ながら近眼の矯正ができないかと考えていた。
1923年9月1日、東京帝国大学の航空学科で飛行機の設計を学んでいた二郎は、
列車の昇降口で風に当たりながら手帳を読んでいた。
連結部を挟んだ上級車両には、帽子を押さえた若い少女が侍女と一緒に立っていた。
列車が陸橋に差し掛かったとき、ふいに風にあおられた二郎の帽子が飛ばされた。
目いっぱい腕を伸ばして少女は帽子を掴む。
「ナイスキャッチ!」
そう叫んだ二郎は帽子を取りに連結部を渡った。
“Le vent se lève”(風は起こった)
少女は、独り言のように口にした。
“il faut tenter de vivre”(生きてみなければならない)
それを聞いた二郎は、続く言葉を返した。
二人は微笑みながら、それぞれの客車に戻った。
彼女は上等車だった。
しばらくして、地面が巨大な唸り声を上げた。
大学を卒業した堀越二郎は、三菱内燃機製造へ就職する。
定食屋のサバの骨の曲線を見て
「美しい」
と語るほど、頭の中は飛行機のことでいっぱいだった。
そのときの日本の航空技術は、欧米と比較して大きく遅れをとっていた。
彼は最新鋭爆撃機の製造現場を視察するために、学生時代からの親友で同僚でもある本庄と
ドイツへ行くことを命じられる。
ドイツではユンカース博士の厚意で実際に爆撃機に試乗させてもらうが、
改めて日本との技術力の違いを痛感する。
その後アメリカを経由して帰国の途に付く二郎の夢の中に、再びカプローニが現れる。
海軍からの要請で初めて自分が設計した七試艦上戦闘機の試験飛行を行う。
結果は失敗。
あきらかに設計ミスであった。
絶望に打ちひしがれた彼は、休暇を取って軽井沢へとやってくる。
ホテルへの道を歩いている最中、強い風に飛ばされたパラソルが視界に入り、夢中で掴まえた。
お礼を言う紳士のその先には、見覚えのある女性が帽子を押さえて立っていた。
風が立ったあの日から10年が過ぎていた・・・
“チントービョー”
“ギャクガルヨク”
マルクス主義の反戦主義者で自然への回帰を気取ってるクセに、
ミリタリーオタクで愛車は排気ガスモフモフのシトロエン初期型2CV(名車だけどね)、
その上ヘビースモーカーである宮崎駿の本性が丸出し。
“生きねば” というキャッチコピーは、タイトルの『風立ちぬ』と対になっている。
ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の中にある、
”Le vent se lève, il faut tenter de vivre”
を、堀辰雄が
“風立ちぬ、いざ生きめやも”
と訳した一節を分けたもの。
ふたりが出会ったきっかけと、
その後の二郎の生きていく理由がこの一節に重なってくる。
「彼は美しい飛行機を造りたかっただけで、
それが戦争に利用されようが夢さえ叶えばそれでいい」
後に零式戦闘機を設計したことによって若者たちを戦地へ赴かせる結果となり、
その業を抱えて後世を過ごした実在の人物である堀越二郎を主人公とすることで、
国産戦闘機を描きたいけど太平洋戦争は描きたくないという
自分の欲望と葛藤を満たすことに成功。
しかしそれだけじゃ、物語は盛り上がらない。
同時代に活躍した作家、堀辰雄の自伝的小説『風立ちぬ』は、
主人公が仕事も何もかも放り出して病身のヒロインに寄り添いながら、
サナトリウムでの二人の生活にささやかな幸福を、
迫り来る最期に美しさを見出そうとする物語だった。
ここから軽井沢での思い出と、不治の病に侵された少女のエピソードを拝借。
また『菜穂子』のヒロインは、自分の意見を主張できる女性として描かれていた。
こちらからは名前とキャラクターをいただき。
あとは三つの素材を上手く融合させ、昭和初期のスパイスを振りかけて調理
“風立ちぬのオマージュ仕立て 古き良き時代風”
~堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて~
の出来上がりである。
文句じゃないです。
素晴らしい開き直り。
『風の谷のナウシカ』以来、全くブレないそのスタンス。
映画作りの資金繰りだった『天空の城のラピュタ』
ジブリブランドの立て直しだった『ハウルの動く城』以外、
ひたすら自分が作りたい作品を作り続けている。
毎回だまされた!と思っている人は、
宮崎駿じゃなくプロデューサーの鈴木敏夫にだまされているのだ。
前作『崖の上のポニョ』は、本気で子供目線で作られた作品なのに、
大人たちはどうでもいいことを取り上げて、
「突っ込みどころ満載!」
「面白くない!」
「ジブリだから期待して観に行ったのに・・・」
パヤオは徹底的に子供のために作っているから、大人には理解できないのだ。
その証拠に、子供ウケは抜群!
そして今作。
『紅の豚』以上に自分のために作ったものだ。
前半1時間は夢の世界での飛行描写と、飛行機の設計に費やしている。
情報なし、説明なしの潔さ。
「カプローニって誰?」
「二人が話してた外国語は何?」
「ゼロセンを作った人らしいよ。ゼロセンって何フェチ?」
実名が出ていても近代史に興味がなければ、
まるでファンタジーの物語のように新鮮
しかし二郎が夢に近づくことに反比例して、
日本はドロ沼へ少しずつ沈んでいく・・・
「この国はいったいどこと戦争するつもりなんだろう」
「中国、イギリス、オランダ、そしてアメリカか」
「そうなればこの国は破裂だ」
そして、 “チントービョー”
漢字で書いたら “沈頭鋲”
戦闘機の金属板を留める際のリベットなんだけど、
当時は頭が半球のものが無数についていて空気抵抗が大きかった。
しかし鋲の頭を平らにすることで、摩擦による空気抵抗を減らし最高速度を上げる、
とか・・・あれっ!?なにをかたってるんだおれわ
“逆ガル翼”とは、メルセデスベンツ300SLやデロリアンでお馴染みの
ガルウィング(カモメの翼)とは逆方向で上向きに曲がっている主翼のこと。
二郎の夢の中に現れる外国人のオッサンは、
イタリアの航空機メーカー・カプロニ社の創業者である ジャンニ・カプローニ伯爵
ジブリの由来も、カプロニ社の偵察爆撃機 Caproni Ca.309 Ghibliから名付けたくらい好きな人物。
この三つのキーワードがわかっていれば、前半1時間は何とかなる。
「設計はセンスだ。センスは時代を先駆ける。
技術はその後についてくるのだ」
情報が多いけど説明が少ないんです。
話している内容が理解できなくても、描写や仕草、雰囲気で見せてしまう手腕は今回も健在。
ただし、行間を読んだり、現在地を把握しにくかったり、地味な作業が続いたり、
最近の映画と比較すると、すんげー不親切。
そうそう、作品中で二郎が設計する飛行機は零式戦闘機(ゼロ戦)ではなく、
九試単座戦闘機という画期的な国産戦闘機。
ゼロ戦ほぼ出てきません。
わかるヤツだけわかれば良い
わからなければそれでかまわない
「美しい飛行機を造りたい」
相変わらず個性のないキャラクター。
決して美男美女じゃなく、中の上レベルの主人公とヒロイン。
少年時代の二郎は聡明な子供のように思えたけれど、青年期に入ってから庵野秀明の声に変わったために、
ちょっぴり残念な人間っぽくなってしまった。
「きっと飛行機のことしか考えずに育ったんだろうなー」
とか、
「可愛らしい声してたのに、声変わりでオッサンっぽくなっちゃんたんだろうなー」
なんて勝手に脳内補完。
二郎と菜穂子の恋愛描写は大人の恋愛じゃなく、高校生っぽいラブラブ感。
この時代、上流階級の日本人が海外の文化を知っていれば、こんなもんっしょ。
あーっ、付き合い始めなんだろうなーって感じで微笑ましい。
ズブズブの恋愛にハマらず、恋愛を糧として仕事の成果に結び付けられる人間だとわかった上での、
菜穂子の些細なワガママ加減が可愛い。
そこそこ可愛いなーと思ってたコが、
人生の重要な場面でハッと思うような美しさを見せるその瞬間
アニメでここまで演出して見せるとは・・・
みんなが待ち望んでた誰もが観れるテンポの良いジブリブランドとは、あまりにも真逆すぎて不満続出だと思う。
ワザと泣かせる演出を避ける意地の悪さ。
わかるヤツだけわかれば良い
わからなければそれでかまわない
(↑しつこい!だいたいどこまで理解しているか自信ないクセに・・・)
頑固じーさんも、きっと今回で満足して引退だろーな。
・・・ジブリどうなるんだろ
出演:庵野 秀明
(声) 瀧本 美織
西島 英俊
西村 雅彦
スティーブン・アルパート
風間 杜夫
志田 未来
大竹 しのぶ
野村 萬斎
大正時代、比較的裕福な堀越家に生まれた二郎は、いつか自分が設計した飛行機で大空へ舞い上がる夢を抱いていた。
妹の加代の面倒も見ながら勉学にも励む、真面目で素直な少年。
その一方で、学校の先輩から借りた海外の飛行機雑誌を読み、
夢の中では尊敬するイタリアの飛行機設計技師ジャンニ・カプローニとも意見を交わしていた。
二郎には悩みがあった。
それは彼が極度の近眼だということ。
パイロットになるためには視力が良くなければならない。
屋根の上に仰向けになり、夜空に輝く星を見ながら近眼の矯正ができないかと考えていた。
1923年9月1日、東京帝国大学の航空学科で飛行機の設計を学んでいた二郎は、
列車の昇降口で風に当たりながら手帳を読んでいた。
連結部を挟んだ上級車両には、帽子を押さえた若い少女が侍女と一緒に立っていた。
列車が陸橋に差し掛かったとき、ふいに風にあおられた二郎の帽子が飛ばされた。
目いっぱい腕を伸ばして少女は帽子を掴む。
「ナイスキャッチ!」
そう叫んだ二郎は帽子を取りに連結部を渡った。
“Le vent se lève”(風は起こった)
少女は、独り言のように口にした。
“il faut tenter de vivre”(生きてみなければならない)
それを聞いた二郎は、続く言葉を返した。
二人は微笑みながら、それぞれの客車に戻った。
彼女は上等車だった。
しばらくして、地面が巨大な唸り声を上げた。
大学を卒業した堀越二郎は、三菱内燃機製造へ就職する。
定食屋のサバの骨の曲線を見て
「美しい」
と語るほど、頭の中は飛行機のことでいっぱいだった。
そのときの日本の航空技術は、欧米と比較して大きく遅れをとっていた。
彼は最新鋭爆撃機の製造現場を視察するために、学生時代からの親友で同僚でもある本庄と
ドイツへ行くことを命じられる。
ドイツではユンカース博士の厚意で実際に爆撃機に試乗させてもらうが、
改めて日本との技術力の違いを痛感する。
その後アメリカを経由して帰国の途に付く二郎の夢の中に、再びカプローニが現れる。
海軍からの要請で初めて自分が設計した七試艦上戦闘機の試験飛行を行う。
結果は失敗。
あきらかに設計ミスであった。
絶望に打ちひしがれた彼は、休暇を取って軽井沢へとやってくる。
ホテルへの道を歩いている最中、強い風に飛ばされたパラソルが視界に入り、夢中で掴まえた。
お礼を言う紳士のその先には、見覚えのある女性が帽子を押さえて立っていた。
風が立ったあの日から10年が過ぎていた・・・
“チントービョー”
“ギャクガルヨク”
マルクス主義の反戦主義者で自然への回帰を気取ってるクセに、
ミリタリーオタクで愛車は排気ガスモフモフのシトロエン初期型2CV(名車だけどね)、
その上ヘビースモーカーである宮崎駿の本性が丸出し。
“生きねば” というキャッチコピーは、タイトルの『風立ちぬ』と対になっている。
ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の中にある、
”Le vent se lève, il faut tenter de vivre”
を、堀辰雄が
“風立ちぬ、いざ生きめやも”
と訳した一節を分けたもの。
ふたりが出会ったきっかけと、
その後の二郎の生きていく理由がこの一節に重なってくる。
「彼は美しい飛行機を造りたかっただけで、
それが戦争に利用されようが夢さえ叶えばそれでいい」
後に零式戦闘機を設計したことによって若者たちを戦地へ赴かせる結果となり、
その業を抱えて後世を過ごした実在の人物である堀越二郎を主人公とすることで、
国産戦闘機を描きたいけど太平洋戦争は描きたくないという
自分の欲望と葛藤を満たすことに成功。
しかしそれだけじゃ、物語は盛り上がらない。
同時代に活躍した作家、堀辰雄の自伝的小説『風立ちぬ』は、
主人公が仕事も何もかも放り出して病身のヒロインに寄り添いながら、
サナトリウムでの二人の生活にささやかな幸福を、
迫り来る最期に美しさを見出そうとする物語だった。
ここから軽井沢での思い出と、不治の病に侵された少女のエピソードを拝借。
また『菜穂子』のヒロインは、自分の意見を主張できる女性として描かれていた。
こちらからは名前とキャラクターをいただき。
あとは三つの素材を上手く融合させ、昭和初期のスパイスを振りかけて調理
“風立ちぬのオマージュ仕立て 古き良き時代風”
~堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて~
の出来上がりである。
文句じゃないです。
素晴らしい開き直り。
『風の谷のナウシカ』以来、全くブレないそのスタンス。
映画作りの資金繰りだった『天空の城のラピュタ』
ジブリブランドの立て直しだった『ハウルの動く城』以外、
ひたすら自分が作りたい作品を作り続けている。
毎回だまされた!と思っている人は、
宮崎駿じゃなくプロデューサーの鈴木敏夫にだまされているのだ。
前作『崖の上のポニョ』は、本気で子供目線で作られた作品なのに、
大人たちはどうでもいいことを取り上げて、
「突っ込みどころ満載!」
「面白くない!」
「ジブリだから期待して観に行ったのに・・・」
パヤオは徹底的に子供のために作っているから、大人には理解できないのだ。
その証拠に、子供ウケは抜群!
そして今作。
『紅の豚』以上に自分のために作ったものだ。
前半1時間は夢の世界での飛行描写と、飛行機の設計に費やしている。
情報なし、説明なしの潔さ。
「カプローニって誰?」
「二人が話してた外国語は何?」
「ゼロセンを作った人らしいよ。ゼロセンって何フェチ?」
実名が出ていても近代史に興味がなければ、
まるでファンタジーの物語のように新鮮
しかし二郎が夢に近づくことに反比例して、
日本はドロ沼へ少しずつ沈んでいく・・・
「この国はいったいどこと戦争するつもりなんだろう」
「中国、イギリス、オランダ、そしてアメリカか」
「そうなればこの国は破裂だ」
そして、 “チントービョー”
漢字で書いたら “沈頭鋲”
戦闘機の金属板を留める際のリベットなんだけど、
当時は頭が半球のものが無数についていて空気抵抗が大きかった。
しかし鋲の頭を平らにすることで、摩擦による空気抵抗を減らし最高速度を上げる、
とか・・・あれっ!?なにをかたってるんだおれわ
“逆ガル翼”とは、メルセデスベンツ300SLやデロリアンでお馴染みの
ガルウィング(カモメの翼)とは逆方向で上向きに曲がっている主翼のこと。
二郎の夢の中に現れる外国人のオッサンは、
イタリアの航空機メーカー・カプロニ社の創業者である ジャンニ・カプローニ伯爵
ジブリの由来も、カプロニ社の偵察爆撃機 Caproni Ca.309 Ghibliから名付けたくらい好きな人物。
この三つのキーワードがわかっていれば、前半1時間は何とかなる。
「設計はセンスだ。センスは時代を先駆ける。
技術はその後についてくるのだ」
情報が多いけど説明が少ないんです。
話している内容が理解できなくても、描写や仕草、雰囲気で見せてしまう手腕は今回も健在。
ただし、行間を読んだり、現在地を把握しにくかったり、地味な作業が続いたり、
最近の映画と比較すると、すんげー不親切。
そうそう、作品中で二郎が設計する飛行機は零式戦闘機(ゼロ戦)ではなく、
九試単座戦闘機という画期的な国産戦闘機。
ゼロ戦ほぼ出てきません。
わかるヤツだけわかれば良い
わからなければそれでかまわない
「美しい飛行機を造りたい」
相変わらず個性のないキャラクター。
決して美男美女じゃなく、中の上レベルの主人公とヒロイン。
少年時代の二郎は聡明な子供のように思えたけれど、青年期に入ってから庵野秀明の声に変わったために、
ちょっぴり残念な人間っぽくなってしまった。
「きっと飛行機のことしか考えずに育ったんだろうなー」
とか、
「可愛らしい声してたのに、声変わりでオッサンっぽくなっちゃんたんだろうなー」
なんて勝手に脳内補完。
二郎と菜穂子の恋愛描写は大人の恋愛じゃなく、高校生っぽいラブラブ感。
この時代、上流階級の日本人が海外の文化を知っていれば、こんなもんっしょ。
あーっ、付き合い始めなんだろうなーって感じで微笑ましい。
ズブズブの恋愛にハマらず、恋愛を糧として仕事の成果に結び付けられる人間だとわかった上での、
菜穂子の些細なワガママ加減が可愛い。
そこそこ可愛いなーと思ってたコが、
人生の重要な場面でハッと思うような美しさを見せるその瞬間
アニメでここまで演出して見せるとは・・・
みんなが待ち望んでた誰もが観れるテンポの良いジブリブランドとは、あまりにも真逆すぎて不満続出だと思う。
ワザと泣かせる演出を避ける意地の悪さ。
わかるヤツだけわかれば良い
わからなければそれでかまわない
(↑しつこい!だいたいどこまで理解しているか自信ないクセに・・・)
頑固じーさんも、きっと今回で満足して引退だろーな。
・・・ジブリどうなるんだろ












