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black kairitu

デス師匠のweb連載Season3。毎月1日更新。コラム、レビュー、レポート、詩、ショートショート、日記など。増刊号、号外、休刊あり。

 今回は、私がどこかに書いたミニ・レビューを加筆・修正し、 まとめた「極東から映画・映像・DVDを観賞する『見る技術』」の第2回である。
 私は、たまに見ている。私は、とにかく、たまに見ているのだ。ただ、最近は悪魔でも、ごくたまに。




 『悪魔の沼(デラックス・エディション)』

 マリリン・バーンズの口を塞いだ黒テープと涙に流れたアイブロウ、美しい美しすぎる。 世の中で、最も美しいもの。それは、「黒い光沢」である。黒光り。そう、あのテカテカの、どす黒いやつだ。
 さらに、ウィリアム・フィンレイは何なのだ。狂気と笑いのアウフヘーベン。あの眼鏡を譲ってはもらえないものか。 悪魔のいけにえは、チェーンソーと人間の皮マスクであるのに対し、悪魔の沼は、鎌とワニと眼鏡と黒テープである。
 毎度毎度、トビー・フーパー監督に感謝。
 皆さんも、お近くの悪魔の沼を探してみてはどうだろうか。ちなみに、私はもう見つけている。弟子の家の裏にある「コウモリの沼」を。




 『悪夢探偵』

 犯人であるゼロこと<ヤツ>が包丁を手に、仮面をつけてビチャビチャと足音をたてながら追いかけてくる姿は、レザーフェイスやジェイソンを彷彿とさせる保守本流スプラッターであった。ビバ!、スラッシャー・ホラー!。追いかけてくるシーンは僅かであるが、心を高鳴らせる。
 そして、hitomiの拙い演技がとても可愛いのである。こういった女優が私は好きだ。熟練された演技は、「ふせえり」に任せておけばよい。
 悪夢探偵2が待ち遠しい。平成の探偵物語~ダークネス~。




 『インランド・エンパイア』 

 私にとってこの映画は、救われる思いを抱かせてくれる数少ない映画である。確かに、前作「マルホランド・ドライブ」の方が、やや笑いがデフォルメされて いる分、わかりやすい。しかし、ストーリーはこちらの方が好きだ。ストーリーといっていいのかは定かではないが。いや、これはストーリーである。
 残念なことは、ミスター・ロークが出ていないことだ。赤いカーテンは出たのに。それっぽいシーンはあった。ボスらしき男はこう言われる。
 「よかった。わかっているんですね」
 何を?
 この時点でこの映画は勝ったのだ。何に勝ったのかはわからないが、とにかく勝った。
 しいて言うなら、マルホランドのアンジェロ・バタラメンティのエスプレッソを吐くシーンはてんどんで入れてもらいたかった。
 うさぎにダンスにランプにケチャップ。輝く断片は、恐怖のスモール・ステップか。しかし、完全習得学習には決してならないだろう。
 さらに、ローラ・ダーンは顔芸であることを記しておこう。「戸惑い」という高度なつっこみを顔だけで表現する力。顔力である。ただ、スーザンを 演じていたときにアパートで作っていた料理は何なのだ。何かをスプーンで混ぜていた。何なのだ。本編よりも気になって仕方がないのだ。
 ありがとう。デヴィッド・リンチ。




 『図鑑に載っていない虫』

 放屁、人魚、瞬間接着剤、ゼリー、足相撲、塩辛、ニコラス・ケイジ、ソウルへの疑問、ソーセージの金具、石。
 それらはもう、構築美である。中でも「なんちゃって」に関しては、体現するのに相当の力がいる。松尾スズキによる圧倒的な力による体現。思わ ず、相当昔に観劇した「ラストワルツ」を思い出した。そうそうたるメンバーのなかで、とめどなくものまねをする彼を見ては一人、笑いあったものさ(元祖高 木ブー伝説風)。
 宮沢章夫のラジカルな流れ。同胞的共感。独自に昇華・発展させることが重要。まあ、自然とそれぞれの味がでるものである。文体について、町田 康が同じようなことを言っていた。三木聡の場合はどこかそこはかとなくほのぼのとした所か。これからも、期待したい。
 そして、私は黒い所を...。
 私が以前連載していた、webコラムSeason1「極東から世界を見つめる『見る技術』」にちなんで、どこかに書いたミニ・レビューを加筆・修正し、まとめたものを「極東から映画・映像・DVDを観賞する『見る技術』」としてたまに掲載することにします。私が過去に見たバイブル的な映画から、最近の作品まで。
 私は、たまに見ています。私は、とにかく、たまに見ているのです。
 
         

 『ピンク・フラミンゴ(特別編)』

 私に最も安心感を与えてくれた監督。それが、ジョン・ウォーターズである。
 悪趣味の擁護。
 ただ、彼はこう言う
 「ぼくにとっては、悪趣味こそがエンターテイメントだ。ぼくの映画を見てゲロを吐く人がいたら、スタンディング・オヴェーションを受けたも同然。 だけど忘れちゃならない。いい悪趣味と悪い悪趣味は別物なのだ。悪い悪趣味はスタイルも独創性もない。悪趣味を理解できるのはいい趣味の持ち主だけだ。い い悪趣味は創造性におぞましく、なおかつ、特別にひねくれたユーモアの持ち主には受けなければならない。きわめて特殊なものだ。」


 
 『悪魔のいけにえ スペシャル・エディション コンプリートBOX(3枚組)』

 世の中には、必ず見ておかなければいけない映画というものはある。その映画の一つがこれだ。
 エド・ゲインの事件をモデルにしていることもさることながら、お前は肉屋か!と言いたくなるような道具類。爺ちゃんに女を金槌で無理やり殴らそうとする恐怖と滑稽のアウフヘーベン。それは、とびっきりのシーンだった。
 レザーフェイスのマスクがほしい。



 『真夜中の弥次さん喜多さんでおなじみのヒゲのおいらん』 

 世の中には、必ず見ておかなければならない映像というものがある。 その映像の一つがこれだ。
 私は、見ているのだ。とにかくこれを。私はたまに、見ているのだ。

     

 『月光の囁き ディレクターズカット版』    
 
 久々に深夜放送で見た「月光の囁き」はやはり格別であった。フェティシズムを限りなく美しく描いている作品である。
 原作者の喜国雅彦は、みうらじゅんと「大島渚」というバンドをされていた。私は大島渚の「カリフォルニアの青いバカ」をカバーしたことがあるほどリスペクトしているが、奥様の国樹由香とのラブラブサイトはいかがなものか。
 
 これはレビューであった。
 
 話がそれてしまったが、主演のつぐみの演技には光るものがある。彼女は、2007年3月に放送作家・福田雄一と元 ジョビジョバリーダー・マギーによるコントユニット、U-1グランプリに出演している。これには、平成ノブシコブシも出演している 。才能ある若手よ、ブームに巻き込まれるな。
 平成ノブシコブシ吉村崇の「ガスマスク先生」が、また見たいものである。
 
 これはレビューであった。

 とにかく、「月光の囁き」で美しい変態を見ていただきたい。
 「春雨じゃ、濡れて参ろう(上)」の続きである。 
 濃厚の宴は、最近庭を工事している柿薔薇邸で行われた。私も、「そば→ぞうすい」を食した後、向かった。
 いきなりだが、柿薔薇お母様の第一声はこれであった。
 「米を一升炊いたけど、大丈夫よね」
 何がどう大丈夫なのか。大丈夫も大丈夫、十分すぎますよお母さん!
 
 焼肉をほおばりながら、ふと私は思った。
 「久々に、コパタケの自転車でドリフトする音が聞きたいな」
 すると、コパタケは二つ返事で了承し、漆黒の闇である窓の外を見つめながら、皆で聞き耳をたてた。

 「ズルー!」
 
 風流!一本!
 何が一本なのかわからないが、とにかく一本だ。
 ひとしきり食を楽しんだ後は、なぜか「笑ってはいけない柿薔薇家」に突入。皆それぞれに何気ないボケをし、笑ったものは尻を叩かれるという例のやつだ。
 そんなことを自然にはじめる高校生がいるのか。
 
 私も、必死であったので記憶が曖昧であるが、河合が新書をもってきて、「これ、新書です」と言うだけというギャグにハラワタが吹くという一連の流れに笑ってしまったことと、ハラワタのZARD芸をなぜかよく覚えている。
 ZARD芸とは、ハラワタの十八番の芸である。今年の3月、17歳のハラワタがZARDを好きということが面白かったという理由だけで、ZARDの曲を歌わせたらこれがいけたのである。ちなみに、先週、車で走っていると、線路沿いを歩く見慣れた後姿が目に入った。ハラワタだ。耳にはイヤホン。間違いない。ZARDだ。あいつは、ZARDを聞いていたのだ。きっと。

 そして、宴もたけなわとなり、はじまったのが「シスターAYAKA嬢の踊る!AYAKA御殿」。AYAKA嬢の質問に皆が答えていくというものだ。今回のテーマは、「あ、これはやらかしてしまったな」というエピソード。これも、なかなかに面白かった。フクダの話のオチが、超ド級だったことは確かだと思う。ただ、衝撃的すぎて、思い出せない。これは、フロイトのいう抑圧というやつか。
 一通りトークを回し、解散。
 だが、ほとんどのメンバーが帰宅した後、なぜだかいつのまにか、AYAKA嬢とハーバラ中尉、フクダの最近の悩みを聞いていた。何の会?
 疲れていた柿薔薇皇帝が寝ている横で。すまない、皇帝。
 そのとき、ハラワタ中将は、筋トレをしていた。なぜならば、コンタクトを収納するケースや液体などのセットを持ってきていなかったから寝られないからだ。それは、もしや地獄という状態ではないのか。
 その筋トレがまた凄い。
 「手をグーパーグーパーさせて握力を鍛える」
 原始的!限りなく原始的!
 
 こうして夜は更けていった。

 最後に、ある言葉を記したい。柿薔薇邸で晩飯をご馳走になりながら、皇帝と2人で「金八先生」の最終回を徹底的に弄りたおすほど、私は説教や格言がそんなに好きではない。だが、素晴らしい言葉や説法は、少ないが確実にあるのだ。
 今回の体育祭前々日、皇帝からメールがあり、応援の最初に語る言葉がほしいとのことであった。去年、劇団ヒルバラ第1回公演「戦争と平和」において、私はサカノヨシヒコにトルストイの言葉を朗々と語らせた。今回は、アメリカの写真家で芸術家で、ダダイスト&シュル・レアリストのマン・レイの言葉だ。あれしかない。そして、見事に皇帝は語りあげてくれていた。
 
 その言葉を、すべての弟子と読者の皆さんに捧げたい。

 「歴史に門を閉ざすことは出来ない。
  歴史は戸を蹴破っても進入してくるからだ。
  時流に乗らなければならない。
  いや、それ以上に歴史を先取りしなければならない。
  ゆっくり歩いていてはいけない。
  走って歴史を迎えに行け。」

 まだ見ぬ、芸の果てに何があるのか。我々が迎えに行かなければならない。
 
 「ねえ、お父さん、お父さん」

 
都市伝説。お父さんを探す女子高生。その女子高生は、お父さんを探している。だから、お父さんじゃない人をお父さん呼ばわりするそうだ。

 ホラーコラム!
 
 「ねえ、お父さん、お父さん。お父さんっ!」

 ナガタが危ない。私が確認できた事実は、これだけだ。

 この直後、ナガタは携帯のアドレスをかえた。

 
 ホラーコラム!