「頑張る自分が好き」の罠
ランナーにとって順調にトレーニングが積めることって、何ものにもかえがたい幸福を得られますよね。たとえば私のある時期の練習日記。金:1000m*6 (3'54-53 r70")土:90'jog日:休養月:80'jog火:10000mB-up (4’25-4'00)水:300m*10 (64-61" r60")木:40'jog金:80'jog土:20km走 (4'40/km)日:休養月:80'jogハードすぎる!今ならわかりますが、酔ってたんです。トレーニングを順調にこなす自分に。ここ数年不調だったと書きました。それはだいたい2024年、2025年あたり。この2年間は練習量を減らしても減らしても、走力は右肩下がり。だけどその前からすでに黄色信号でした。800mでマスターズW55日本記録を出したのが2021年9月。ハイテクハーフで1時間30分切りを達成したのが2023年1月。この頃、手応えはあったものの年に一回くらいまるで走れなくなる時期がありました。だいたいいつも4月から6月くらい。「疲れている」から休むんですけど、休み方が中途半端。というのは、元気になるとまた元通り、ガツガツ練習をしていたのです。練習量を「どこまで」減らせばいいのかがわからなくて、週休2日にしたり、走行距離を落としたりしたのですが、今振り返ればそれでも多かった。それはつまり「自分の身体に聞く」という基本を実践できていなかったから。最適解は人によって異なります。誰しもわかっていることなのに、自分の最適解を見つけられない。たとえば、走り出した時に「からだが重い」と感じたとします。でも私の場合まずそれを疑ってしまう。それほんと? たまたまじゃない?高校時代のように部活だったら、こういうときも練習してたよね?結果として、走れたことはよくあったよね?という思考回路。「つらいこと」イコール「強くなるために必要」という公式がなかなか壊せない。ムダに我慢強い。そもそも練習計画を変更するのがすごくイヤ。自分に負けるみたいで。でもそういうところで負けん気を発揮する必要はないんですよね。頑張るのはレースだけでいいのに、練習で頑張れない人間がレースで頑張れるわけがない、と思ってしまう。なかなか頑固な昭和思想です😂きっと頑張る自分が大好きなんですね。好きすぎた。それがようやく見えてきたのでした。写真は、高校3年時のあかぎ国体。トップを走っていますが、4位でした💦