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Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

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Tag:HKT、サヨナラ

 HKTのツアーコンサートで、この曲が歌われたそうだ。
 それも本編最後の曲として。
 現場の写真を見ると、バックスクリーンに歌詞が映し出されている。
 HKTはおろか、厳密にはAKBのものですらないこの曲をよく知っているお客は、今では少数派だろうから、歌詞を見せてくれるのはありがたい。歌詞がとても心に沁みる曲だから。
 そして何よりもHKTがこの曲を大事にしてくれていることが感じられて、僕はとても嬉しい。
 
 この曲は名曲だと、僕は思う。
 AKBにはまりだした数年前に出会って、強く心惹かれた曲だ。その時点ですでに半ば世の中から忘れ去られた曲だったけれど。

 その頃の僕は、迷い込んだ「AKBの森」のあちこちを散策して、昨日はこっちでキレイな泉が見つかった、今日はあっちで見知らぬ花に出会った、とでもいうように毎日宝探しをしている心持ちだった。
 そんな中でもこの曲は、ピカいちの宝だった。
 古参のみなさんにはおなじみの曲でも、新規にファンになった自分が自力でこの曲を見出したことは、ちょっとした自慢でもあった。

 別れの曲だ。それも切なくて苦い別れだ。
 その歌詞はアイドルが歌うには少しヘヴィかも知れないけれど、歌い嗣がれ聞き継がれて行って欲しい曲だと、僕は思う。

 ひょっとしたら若い人々にはぴんと来ないかも知れない。でも年を取って、多くの苦い別れを体験した人には分かると思う。

  明日は明日の君が生まれるよ
  長い夜を越え/陽が昇るように

 経験から言えば、正直なところ明日になっても「明日の君」はたいていの場合生まれない。明日も明後日も、君は今の君と変わらない。

 もっと言えば「長い夜」を越すことすらできないことだってある。その夜はずっとずっと続くかも知れない。「明けない夜はない」というのは、自然現象としては正しいが、比喩としては常に成り立つとは限らない。

 だからこの歌は必ずしも「明日は明日の君が生まれる」という先験的な事実を歌った歌ではない。むしろ「新しい君が生まれて欲しい」という、反実的な願望の歌である。

 そして「明日の君が生まれる」ためには、「今日の君」はいったん死ななければならない。
 そうすることによって初めて、新しい君が生まれる。
 そう、この歌には「死と再生」のテーマが隠されている。

 もちろんホントに死んじゃうわけじゃないよ。
 新しい自己を顕現させるための象徴的な死。
 それは「死ぬほど頑張る」って事かもしれないし、今日の自分を全否定することかもしれない。身を切るようなつらい別れもそうだろう。いずれにせよそこには計り知れない苦痛が伴う。それが再生のための痛み。
 その痛みを知る者だけが明日の君に生まれ変わる。 
 
 ちゃんと仕事をする秋元先生は、こんな世界を僕らに見せてくれるんだよなあ。
 こんな事、にも書いたっけ。

 なーんて深読みをしなくたって、この曲は心に沁みる。
 明るくて切ないメロディ、水のような透明なメインボーカル、それを力強く支える二人の声。
 聞いているとこのトリオがAKB最初期のスピンアウトユニットとして選ばれた理由がよく判る。
 
 この歌は、歌い嗣がれ聞かれ継がれるべきだと、僕は思う。
 かつてのリクアワでは、この曲は第8位という高順位を獲得したこともある。それだけの「力」を持った曲だ。

 でもその後、諸般の事情でこの曲が歌われたり、オンエアされることはほぼなくなった。
 この曲を、この曲を歌ったユニットを「なかったこと」にしたい「オトナ」も少なからずいるだろう。

 ああ、どうしても奥歯にモノの挟まった言い方になるな。
 ちょっと頭を冷やした方がいいかも知れない。
 1列目どころか0列目だなこりゃ。

 はい、もちろん別現場です。
 BiS [THE BiS WHO SOLD THE WORLD TOUR]@club Lizard YOKOHAMA

 好番号のチケットだったので、入場するや立ち見最前の端っこに陣取って待つことしばし。
 公演開始前の注意は「会場を壊さないように。壊さなければモッシュだろうがダイブだろうがご自由に。ただし怪我をしても誰も責任は取りませんのでヨロシク」だった。
 そのせいだか、始まった途端に圧縮発生。
 で、最前のバーの端っこの隙間からステージ側に身体半分押し出されてしまいました。
 積み重なったスピーカーの上にちょこんと座った状態。
 
 最前第1列目前よりも前。ゼロ列目。
 押しこまれないように、一段高くなったステージに足を突っ張ってなきゃなんなかった。こないだ座ったシアターの最前よかまだ近い。これ以上近づいたらステージに上がらなきゃなんない。

 ライブは熱狂というよりは阿鼻叫喚でした。
 リフトあり、ダイブ(正確には客が乗っかる、クラウドサーフィンってヤツ)あり、ダイブ(演者が客席に飛び込む、ホントのダイブ)あり。ぎゅうぎゅう詰めだったので、モッシュこそ発生しませんでしたが。
 
 こうなることは予想のうちで、頭を守るキャップに、飛ばされてもいいような頑丈なスペアのメガネ、靴は安全靴と臨戦態勢の装備だったのですが、バーより前にいたのおかげで全く危険はありませんでした。うしろのアンちゃんの汗だくの密着がキモかっただけ。

 こんな近くで「アイドル」のライブを見ることなんざ、もう一生ないでしょうね。

 「IDOL IS DEAD」の旗を掲げ、過激なパフォーマンスを繰り広げるBiS。
 時に卑語を叫び、中指を立てる彼女たちでしたが、終演後の握手&チェキ会の振る舞いは「全ての人の一瞬の恋人」、すなわち 本質的な意味での「偶像=アイドル」としてカンペキでした。
 
 僕? 
 うん。握手もしたし、チェキも撮っちゃったよ。
 
 そんなBiSも7月で解散。
 横アリのファイナルまで、地獄のツアーが続きます。

   誰の理解も 越えたところから/傷の数だけ 強くなってきた
   今つかむ未来 大丈夫かな?

PPCC

 特等席で見られた僕と違って、視界不良で欲求不満の観衆の中に、自ら二度もダイブしたサキさんは、無事だったろうか?
 7月まで大丈夫でいられるだろうか?
 
 
 

 
ヴォツェック@新国立劇場

 3月に見た「死の都」に続いてマイナーなオペラ。
 「死の都」には心に残る美しいアリア(「マリエッタの唄」)があった。だが「ヴォツェック」には、何も無かった。というか、ふつうに言うメロディラインというものすら無かった。いわゆる「無調」。
 

 舞台はこんな感じ。

 お話は「主人公の頭のおかしくなった貧乏な床屋あがりの兵隊が浮気をした妻を刺し殺した後、沼で溺れ死にする。残された息子は棒馬にまたがって、他のこどもたちと殺された母親の死体を見に行く。ホップホップホップと歌いながら」。

 なんだそりゃ。

 ホントにそういう話なんだもの、しょうがない。

 ふだんオペラに求めているものは、そこには何も無かった。

 じゃあつまらなかったか、というとそうでもない。
 もともと1時間半という短いオペラなのだが、それをさっぴいてもあっという間だった。
 舞台装置はすげえ大がかり。ホントのフロアには水が湛えられてある。
 その上に巨大な箱が吊されており、それが部屋になっている。
 部屋の中では、主人公が大尉殿の頭を剃ったり、これまた頭のおかしな医者の実験台になったりする。
 この箱=部屋が、場面によって歌手を乗せたまま、舞台奥上方に移動していく。
 ステージどんだけでかいんだよ。
 最初に箱=部屋が動き出した時は混乱したね。だって固定された舞台だと思ってたモノがいきなり動き出すんだもの。中の歌手はどんどん小さくなってくし。
 箱=部屋が舞台後ろに遠のくと、水を湛えたホントのフロアの上でお話は続く。
 水面に反射するステージライトが誠に幻想的で、その上でまたわけのわからない人々がわけのわからない歌を唄うわけだ。
 飽きる間はなかった。

 じゃあもう1回見たいか、というと、うーん。
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  下を向いて/歩いていたって見つからない
  探し物は/いつでも 頭の上にある

 いくら上を向いても、「それ」に手が届かないことを自覚すること。
 それを世間では「おとなになった」と呼びます。

 それでも上を向いていること。たとえ手が届かなくても「それ」がそこにあることを喜べること。
 そしてそれに手を伸ばしているこどもたちの、支えになること。
 それが出来なければ、せめてこどもたちの邪魔をせず見守ること。
 それを「成熟する」というのかも知れません。

  落ち込んだら/賑やかなラッパを鳴らすんだ
  宝物は/おそらく がらくたの中だね

 いい年こいてアイドルに入れ込んでいて「成熟」もへったくれもないもんですが、僕にとって彼女たちは高らかに鳴り響くラッパなんです。知らない人からみたら確かにがらくたかも知れませんけどね。

コバヤシカナ大王陛下の偉業に心からの敬意を表します。
 ああ、またシアターに行ってラッパを聞きたくなってきたぞ。
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Tags: single、片想い

 前から乃木坂の新譜は出る度に買っていたし、曲もそれなりに評価していました。「失いたくないから」なんか今でもよく聞いてます。でも地味なタイトルだよな「失いたくないから」。

 でもそんなに情熱を持っていた追っかけてたわけではなくて、ついこの間まで識別できるメンバーは生駒、白石、(可愛い方の)松村くらいでした、ってのはにも書いたよね。
 
 そう、生田絵梨花が弾き語った「君の名は希望」をきっかけに、少しづつ乃木坂のメンバーも識別出来るようになっていきました。
 生田、桜井、橋本、星野、西野、中田、高山、若月…。

 うわ、これって泥沼かしらん。

 それでも乃木坂の曲のタイトルで記事を書くことは自制していました。
 だって「公式ライバル」じゃないですか。多少遠慮がちにもなるじゃないですか。
 それが仁義ってもんじゃないですか。
 ねえ。

 なのに今日だけでもうすでに10回以上聞いてます「気づいたら片想い」。

  初めからわかってた/特別な人だった
  恋とは与えられるもの/決して抗えない

 無駄な抵抗はやめろ、ってことですねやすす先生。

 哀愁を帯びたメロディーラインは「サウダージ」って言葉を思い出させます。
 またはフランソワーズ・アルディ石川ひとみの名を頭に浮かべる人もいるでしょう。

 もうあちこちで言及されているだろうけど、この曲って間違いなく「おっさんトラップ」。
 サビの懐かしさ、Aメロの刻み。Bmから2回転調して最後のサビ。どれも昭和の中盤に生を受けた世代のハートを直撃するようにプログラムされたミッソーインカミング
 ヘッドフォンでないと聴き取れない頭のブレスから見事に術中にはまっちゃいました。
 
 やすす先生も、昨今に珍しく丁寧に仕事をなさっている印象です。わかりやすさのために何かを犠牲にすることもしない。

  あなたと目が合った時/本当は予感してた

 「今思えばあの時恋に落ちていたんだ」という、いわば過去完了形の情趣は「LOVE修行」にもありましたね。でもここではもう一歩奥が深い。

 その時にはすでに恋に落ちる運命が決まっていたことを、自分はちゃんと知っていた、でも自分が知っていることに気がついていなかった。または、気がつくことを拒否していた。

 つらさから逃れるために、自分で自分を騙そうとする。
 歌っている子たちには実感を持ちにくいでしょうが、幾星霜を経て「自分の心」という馬にそれなりに乗り慣れたおっさんにとってそれは、苦みを伴う馴染みの深い体験です。

 自分で自分を騙す。
 それは脆弱な自我を防衛するために生体に備わっている障壁。
 でもホントの恋はその障壁をやすやすと突破してきちゃうんだよね。

 うん、良曲だなあ。まだやれば出来るじゃないか、やすす。
 今日この後も、あと10回くらいは聞くような気がするぞ、やすす。
 てかこういうのがどうしてAKBで出来ないんだよ、やすす。

 でもあのPVはなあ。
 前曲もそうだったけど、「死」とか「殺戮」とかをテーマにしなければ人の心を動かせないような脚本は突っ返した方がいいぞ、やすす。高校の演劇部じゃないんだから。
 「言い訳Maybe」とか思い出せよ、やすす。
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Tags:恋、Desire

 ただいま恋愛中、もしくは愚かにして切ない恋愛の諸相・第2幕第3場
 「少女の欲望」

 ゆっくり回っているシーリングファンに徐々に焦点があってきた。
 知らない間に眠ってしまっていたらしい。でも身体の奥の方のひりひりした痛みが、それが夢ではなかったことを教えてくれる。
 遠くで聞こえるのは、雨音。それともシャワーの音だろうか。
 
 済んでしまえばあっけなかったな。
 
 突然の雨は言い訳だった。
 「服が乾くまで、ちょっと雨宿りして行きましょう」。

 自分でもびっくりするくらい、その言葉はさらっと出てきた。
 別に用意してきたセリフじゃないのよ。練習だってしてない。だっていきなりの雨でびしょびしょなんだもの、このままじゃ風邪ひいちゃうわ。しょうがないじゃない。
 
 彼は驚いただろうか。

 表情は見えなかったけれど、その瞬間つないでいる彼の手から、何かが流れ込んで来たのがわかった。
 雨を避けてビルの軒を伝いながらたどり着いたのは、ふだんは立ち寄らないようなエリア。けばけばしいファサードの濡れた人工大理石に点滅する赤いネオンが反射していた。一瞬のためらいの後、彼は私の手を引いた。
 雨宿りをするには余計なものがずいぶん多いこの部屋に。

 彼は驚いたに違いない。

 私の中にあんな私がいることを、彼は驚いたに違いない。
 でも私はちっとも驚いていない。
  
 淡い憧れや胸震わせる思い。目があっただけで薄紅に染まる頬。
 私たちのそういったものを、男の子たちは清らかなもののように思っている。
 うん、清らかなのはマチガイないけれど。
 でもそういった清らかなものの果てには「これ」が待っているってことを、私たちはとっくの昔に知っていた。今日この日が来ることを、ずっと前から知っていた。

 だから私は、自分にちっとも驚かなかった。
 ただ、思ってたよりあっけなかっただけ。

 窓の遠くで稲妻が光り、ずいぶんしてから雷が鳴った。
 彼が近づいてくるのが聞こえる。
 
 今はもう少しだけ眠っているふりをしよう。
 服がすっかり乾いてしまうまで。

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   愛の雫を/たった一粒/与えられるだけで
   枯れた心が/息するように/女は開く

 「7時12分」に「春が来るまで」。
 じれったいほど幼い恋が続いたと思ったらいきなりこんな大人の恋。
 いやいや、「いきなり」なんて思うのは男だけかもね。
 ひょっとしたら女の子にしてみれば、こんな恋も「純愛」の範疇。
 
 
 
 
 “[NOiD]” vol.32@club Lizard YOKOHAMA

 先週水曜にオペラ、木曜にでんぱ組incとライブが続いたら、なんかクセになっちゃったみたい。
 ということで今週はclub Lizard。
 メインのEVERLONGをはじめ、バンドがいっぱい出てるけど、お目当てはトライアンパサンディ略称トラパ。
 クールでキュートでエモいG-YUNcoSANDY(ジュンコさんディ)がボーカル。

 前売りでいい番号がゲットできたのでヨシヨシと思ってたのだけれど、渋滞に巻き込まれ開場に約10分痛恨の遅刻。入場始まってるよおいおいと思いきや、まさかのガラガラ。

 キャパ300のコテイなハコ(←「定員300名の小規模なライブハウス」ってことですね)の、後ろ半分は物販用に仕切ってあって、それでもスカスカ。
 ここんとこシアターやでんぱ組の現場行ってたから、ライブ会場はフルハウスが当然って思い込んでたけど、そうだよな、マイナーなバンドの現場ってこんなもんが普通だったよな。
 
 それでも三々五々集まってくる客は、でんぱよか若いくらい。
 おっさん浮いてる?
 浮いてる浮いてる。浮いてはいるがなに構わんよ。ライブに年齢やスタイルは関係ねえぜ(←ちょっとワルくなってますね)。
 
 やがて照明が落ちて前座扱いのバンドが登場。
 客は少ないのにステージライトを浴びてテンパってる様子がありありと見てとれる若い子たち。

 上手いか? そんな上手かねえな。
 音はでかいか? でかい。うるさいほどでかい。
 熱いか? うん。間違い無く熱い。
 伝え方も何を伝えたらいいかもまだ分からないけれど、何かを伝えたくて仕方ない。そういう熱さだ。おっさんになるとねえ、伝え方も伝える中身もあるんだけど、誰かに伝えるのがメンドくさくなるんだよ。俺だけわかってりゃいいやあって。

 熱くてキモチよかったぞ若者。

 トラパは3番目に登場。
 客はやっぱり少なかったけど、おかげで最前2歩後ろで跳んだり跳ねたり叫んだり出来ました。モッシュがはじまったら緊急退避したけどね。

 休憩中にはG-YUNcoさんが物販に登場、Tシャツ買って握手しちゃった。

 それにしても予想以上にちっちゃいフロアとステージだった。
 てか最前とボーカルマイクまでの距離50cm。手伸ばせばマイク奪える距離。
 ホントにここでBiSやんのか?
 てか良番引いちゃった俺は無傷で生還できんのか? 

 とりあえず壊れてもいいメガネ作んなきゃ。
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Tags:片思い、冬、school days

 ステージのこと。

 前曲「7時12分」のメンバーがはけると、舞台には黄色い花をまとった2人。あれはタンポポなんでしょうか。背中には羽根も生えてます。可愛らしい衣装。あの羽根、「蜂」説もあるんだけど、チョウチョだよね? 
  
 オリジナルのA4は、大島&星野(念のため今さらだけど大島ってのは大島麻衣のことだよ。優子さんを名指すときは大島(優)または大島優子。佐藤といえば佐藤ゆかり。渡邊はTeam Aの志穂、渡辺は麻友)。大人っぽい「春」なんだけど、この時大島19歳、星野21歳だったんですね。
 
 出だしから大島は涙目。
 収録当日は2007年6月26日。
 A4の千秋楽、Team A最後の日(になるかも知れなかったんですよね、当時は)に加え、大島の親友、星野の「卒業」の日でもありました。
 大島と星野、この2人の絆はとても強くかったそうです。
 この曲、どちらかが公演を休んだ時は代役を立たず、ソロで歌っていたとのこと。大島と星野2人だけの曲を歌うのもこの日が最後でした。

 しかも客席は、この時のために配られたサイリウムで黄色一色。
 そりゃ涙腺も弛みますわね。
 残念ながら公演DVDの歌声は「かぶせ」で、当日の大島の歌声を聞くことはできませんが、大島の名誉のために申し添えるならば「ソロ時、涙声であぶなくなるも、持ち直す」とはメモリスト・さむ氏のお言葉。
 大島、キュートな顔に似合わずハスキーな声です。

 余談ながらこの曲の2人はAKBを辞めた後、2人ともソロで曲を出しました。
 大島の声は伸びやかで張りがあり、星野のそれはしっとりとして心に沁みます。
 この2人のデュエットを生で聴けた人は幸せだよなあ。

 わずか4ヶ月、31回で千秋楽となったオリジナルのA4公演「ただいま 恋愛中」でしたが、ひまわり組公演(H!、H2)が終了した後リバイバルされます。それも約半年で終了しました。

 それから5年後の2013年11月、「ただいま 恋愛中」公演はNMB48 Team BII2として甦ります。
 Team BII、難波ではちょっと影の薄い、でも勢いはあるTeam 。

 「春が来るまで」を歌っているのは、太田夢莉と久代梨奈。
 大島ポジが久代、星野ポジが太田。どちらも1999年生まれだって。A4の千秋楽の時にはまだ小学校1~2年生だった2人です。これを書いている時点で、14~15歳の中学生コンビ。
 それでも結構堂々としているのよ。この2人。
 
 初日からずっと見ています。そうすると情が移るね。
 大島星野には申し訳ないが、僕の頭の中では「春が来るまで」と言ったらもう太田久代だもの(なんだいさっき「この2人のデュエットを生で聴けた人は云々」と言ってたくせに)。

 特に久代。
 ちょっと切れ長の目の、難波には珍しい正統派のべっぴんさん。だからこそ埋没しがちなのかもしれません。

 時々「7時12分」のあっさんポジに入ることがある(そういう時は「春」の星野ポジに研究生の明石奈津子が入り、太田が大島ポジにスライドします)んだけど、そこではふつうにカワイイカワイイお嬢ちゃんで、そんなに心を惹かれることはありません。
 でも「春」の久代はなーんかいいんだよねえ。

 基本は笑顔。
 だいたいは微笑みながら歌っているのですが、要所要所で「切なさ」を表現しようとしています。そう、この歌ってすごく切ない歌なんですよね。しかもそれをあんまり表に出しちゃいけない。

 好きだけど、その気持ちを伝えてはいけない。
 大人にしてみれば、たわいも無い理由なんでしょう。
 でもその時の当人にしてみれば深刻なこと。思春期にはそういうことが山ほどありましたっけ。

 第2スタンザのサビ前、「どこかで会えるかな/山茶花の咲く道で」は久代パート。歌いながら上手側から下手に移動し、太田との位置が入れ替わります。

 その後の「私はきっと」から「微笑みは胸の奥」までは太田パートで、久代は太田の下手側にいます。
 この歌っていない時の久代の表現は、たいていの中継では映っていません。まあ太田のソロパートだからしょうがないんだけどね。

 ただカメラ割り自体は固定されていないようで、時々この場面の久代が見切れていることがあります。
 たとえば2014年1月4日。この日Team BIIは新春特別出張公演と称して、幕張にあるよしもと幕張イオンモール劇場のステージに立ちました。
 そのせいか、いつもの劇場とカメラ割りがずいぶん違っていて、太田パートでの久代の表情がしっかり映っています。
 
 この時の久代。
 最初は微笑みを浮かべているのですが、「微笑みは胸の奥」の歌詞にあわせるかのように次第に笑みが消えていき、切ない表情に変わります。相手に自分の気持ちが伝わってしまわないように、微笑みすら堪えようとする女の子のいじらしさが伝わってきます。
 
  サビの「告白できれば楽なのに」はユニゾン。久代はその一瞬前にマイクを左手から右手に持ちかえます。ですからサビのフリは太田と鏡面対称。サビで鏡面対称にする演出、「禁2」でもありましたね。このさりげないマイク持ちかえるとこを見るのも好きなんですが、やっぱりなかなか映りませんね。あ、2014年1月29日は赤澤久代合同の誕生日イベントでしたので、映ってました。

 サビの直後もいいです。

 「楽なのに」とサビを歌い終わった瞬間、久代はやや下手を見ています。太田パートの「言葉じゃ伝わらない」にあわせて久代は上手を向くのですが、この時の目の表情。
 「残心」という言葉がありますが、下手に心を残しながら、すっと上手に向き直る。はじめ見た時は「うおっ」とか声が出ちゃいましたよ。「何だ今のは」って。
 その直後、もう一度下手に向き直るのですが、この時も上手に心を残した感じ。
 日によっては、ぎりぎりまでためてから断ち切るようにを向くこともあります。

 久代、やるなあ。
 
 相棒の太田はここまでは出来ていない。もうちょっとあっさりしてます。
 もっとも2人とも同じだと暑苦しいかも知れませんが。

 是非下手前方に座って、生で見てみたいなあ、この2人の「春」。
 はい、ご明察。
 シアターはこないだお招きいただいたばかりだから別現場です。
 昨日はオペラ今日はでんぱ。

 でんぱ組inc.「ワールドワイド☆でんぱツアー2014~圏外にはさせない!電波エリア拡大中!!!~@CLUB CITTA'」

 ツアー初日のZEPP DIVERCITY以来3ヶ月ぶりのでんぱ組でした。

 秋葉原のシアターって思った以上におっさん多いでしょ。抽選前に見回すと、もちろん若者も多いんだけど、明らかに還暦過ぎって人もいるでしょ。だからいったん勇気を振り絞って警備のあんちゃんに「よっ」ってやって7階のエスカレーター登ると、もう何かアウェイ感はないんだよね。

 でも「でんぱ組inc.」、主力はどう見てもアンダーサーティーでしょ。先鋒はピンチケくんでしょ。

 ライブ始まるまでの間の、おっさんちょっと場違い感は否めないよね。
 せめてでんぱTシャツ着りゃいいんだけど、諸般の事情でそうもいかず。
 開幕前の期待でピンチケくんたちが盛り上がる中、じっと腕組み目は半眼視線は前方やや下。下手すりゃホントの地蔵だこりゃ。

 でもそれも幕が開くまで。
 音が鳴りさえすりゃこっちのもん。
 おじさんは君たちが産まれるずっとずっと前からこうやってライブで拳突き上げてたんだかんね。

 飛んだ跳ねた大声出した。
 ここイチバンじゃ両手に大光量4本サイリウム。
 これもまたあっと言う間の2時間とちょっとでした。

 比べてみると、つくづくシアターはお上品だなあ。

 こないだ最前での観戦ではじめて知った事実。
 客があらかた入った頃合いに最前の席と舞台との間の床に、一本のロープがひかれてテープで固定されるの。で、スタッフが「このロープから先に入っちゃだめですよー」って注意をするの。
 ちょっと足を伸ばせば届く距離にひかれた一本のロープ。でもこっから先は聖域。
 
 物理的にはなんの障壁でもないが、どんなに盛り上がったって、決してそこを越すことを許されないライン。
 いわば結界だね。
 
 この結界だけじゃ無い、さまざまなルールがシアターを支配している。
 モッシュどころか立ち上がり・移動の禁止。
 サイリウムの長さ、明るさの制限。
 サイリウムを振る高さの制限。
 大きなフリの禁止。

 シアターにルールができあがるまでに、紆余曲折があったことは当時の様々な記録から読み取れる。
 もっともそれらを読まなくても、あの狭さの中にあれだけの人数を詰め込んで、あの近さでライブを安全に行うことの困難さは、容易に想像できる。
 持続的な興業の最低限の目標は「誰もケガをしないこと」。もしあのルールが守られなかったら、あっと言う間にシアターの秩序は雲散霧消し、あの場所は閉鎖されてしまっていただろう。 

 それに、大光量のでかいサイリウムを天に届かんばかりに振り上げなくても、その場で取り憑かれたように踊り狂わなくても、シアターは十分に楽しい。
 周りの人にぶつからないように縮こまった手でするちっちゃなフリコピだって慣れりゃ味わい深い。
  
 でもねえ、相笠とか西野とか平田とか岡田(奈)とか、モッシュありダイブありのオールスタンディングのステージで、自分らがどんだけポテンシャルあるのか体験させてやりたいなあ。
 演じる者と見る者が渾然となる瞬間の陶酔を味あわせてやりたいなあ。

 そんな風に思わせるでんぱ組inc.のライブでありました。
 
 もっとも「Mosh & Dive」じゃあモッシュもダイブも起きないだろうけどね。