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Tag:HKT、サヨナラ
HKTのツアーコンサートで、この曲が歌われたそうだ。
それも本編最後の曲として。
現場の写真を見ると、バックスクリーンに歌詞が映し出されている。
HKTはおろか、厳密にはAKBのものですらないこの曲をよく知っているお客は、今では少数派だろうから、歌詞を見せてくれるのはありがたい。歌詞がとても心に沁みる曲だから。
そして何よりもHKTがこの曲を大事にしてくれていることが感じられて、僕はとても嬉しい。
この曲は名曲だと、僕は思う。
AKBにはまりだした数年前に出会って、強く心惹かれた曲だ。その時点ですでに半ば世の中から忘れ去られた曲だったけれど。
その頃の僕は、迷い込んだ「AKBの森」のあちこちを散策して、昨日はこっちでキレイな泉が見つかった、今日はあっちで見知らぬ花に出会った、とでもいうように毎日宝探しをしている心持ちだった。
そんな中でもこの曲は、ピカいちの宝だった。
古参のみなさんにはおなじみの曲でも、新規にファンになった自分が自力でこの曲を見出したことは、ちょっとした自慢でもあった。
別れの曲だ。それも切なくて苦い別れだ。
その歌詞はアイドルが歌うには少しヘヴィかも知れないけれど、歌い嗣がれ聞き継がれて行って欲しい曲だと、僕は思う。
ひょっとしたら若い人々にはぴんと来ないかも知れない。でも年を取って、多くの苦い別れを体験した人には分かると思う。
経験から言えば、正直なところ明日になっても「明日の君」はたいていの場合生まれない。明日も明後日も、君は今の君と変わらない。明日は明日の君が生まれるよ
長い夜を越え/陽が昇るように
もっと言えば「長い夜」を越すことすらできないことだってある。その夜はずっとずっと続くかも知れない。「明けない夜はない」というのは、自然現象としては正しいが、比喩としては常に成り立つとは限らない。
だからこの歌は必ずしも「明日は明日の君が生まれる」という先験的な事実を歌った歌ではない。むしろ「新しい君が生まれて欲しい」という、反実的な願望の歌である。
そして「明日の君が生まれる」ためには、「今日の君」はいったん死ななければならない。
そうすることによって初めて、新しい君が生まれる。
そう、この歌には「死と再生」のテーマが隠されている。
もちろんホントに死んじゃうわけじゃないよ。
新しい自己を顕現させるための象徴的な死。
それは「死ぬほど頑張る」って事かもしれないし、今日の自分を全否定することかもしれない。身を切るようなつらい別れもそうだろう。いずれにせよそこには計り知れない苦痛が伴う。それが再生のための痛み。
その痛みを知る者だけが明日の君に生まれ変わる。
ちゃんと仕事をする秋元先生は、こんな世界を僕らに見せてくれるんだよなあ。
こんな事、前にも書いたっけ。
なーんて深読みをしなくたって、この曲は心に沁みる。
明るくて切ないメロディ、水のような透明なメインボーカル、それを力強く支える二人の声。
聞いているとこのトリオがAKB最初期のスピンアウトユニットとして選ばれた理由がよく判る。
この歌は、歌い嗣がれ聞かれ継がれるべきだと、僕は思う。
かつてのリクアワでは、この曲は第8位という高順位を獲得したこともある。それだけの「力」を持った曲だ。
でもその後、諸般の事情でこの曲が歌われたり、オンエアされることはほぼなくなった。
この曲を、この曲を歌ったユニットを「なかったこと」にしたい「オトナ」も少なからずいるだろう。
ああ、どうしても奥歯にモノの挟まった言い方になるな。
ちょっと頭を冷やした方がいいかも知れない。