俳句は形式の面からは「有季定型」(五・七・五の十七音、季語を入れる)を基本とします。それでは内容の面からはどうでしょうか。
正岡子規は、連句の第一句(発句)を一つの文学形式として新たに独立させて俳句と呼びました。したがい、俳句にはそもそも連句の本質的な要素があるのです。一方、山本健吉は古典俳句を検討して、「挨拶」「滑稽」「即興」であるとしました。
「挨拶」は、連句の発句が客自身が主のもてなしに対して詠むものであったところからきています。たとえば、「五月雨をあつめて涼し最上川」は、涼しい川辺に席を設けた主に対して芭蕉が挨拶として発句で詠んだ句です。この句は『おくのほそ道』に取り入れられたとき、「あつめてはやし」と変えて、一句の独立性を強めました。
「滑稽」については、そもそも連句は連歌をおもしろおかしく卑俗化させたものなので、その連句の発句から生まれ変わった俳句には、当然、「滑稽」の本質がありました。ちなみに「滑稽」は芭蕉などを経過して、奥の深い、しみじみとしたおかしみにまで高められました。
「即興」は、連句が座の興にのせて間髪をいれず付けていくものなので、座の文学としての連句の本質そのものであるといえます。また、軽みの心につながるものでもあります。 (栄司記 26.08.05)








