映画「放射能を浴びたX年後」で昨日取り上げた本について
重複する部分もありますがさらに詳しく


ビキニ水爆実験被害を福島原発事故を受けてまとめられた本

核の海の証言―ビキニ事件は終わらない 山下 正寿

この本を読むとビキニ水爆実験(1954年3月1日)による
放射能被災における政府の隠蔽や無責任さが良くわかり

フクシマを考える上で参考になるかと






・太平洋での核実験は1946年~62年で69回も行われた


・1954年3月のビキニ事件で被災した漁船は実数550隻(のべ1000隻)
 被曝した漁船員は実数1万人だった

・マグロを廃棄した被災船の実数は992隻
 実害は20億円以上だったが
 アメリカが慰謝料として200万ドル(当時7億2千万円)払い
 政治的に「完全解決」ということで幕引きされた

・54年12月31日をもってマグロの調査と廃棄処分を取りやめた
 表向きの理由は放射能が多いのは内蔵で肉は安全というもの

・「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」に参加した
 米国の専門学者は米原子力委員会の科学者であり
 厚生省のマグロ検査中止を「実現するために寄与した」と報告書にある

・マグロが売れなくなるのを恐れたマグロ業界も
 幕引きに手を貸す形になってしまった

・個人で見舞金をもらったのは第五福竜丸の乗組員だけで
 他の被災者から恨みを買い孤立させられた←わざとだ
 これによりビキニ水爆実験被害は「第五福竜丸事件」に矮小化された


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漁民達の被災を丹念に調べたのが高知の高校生ゼミ
魚の汚染問題は漁業に痛手だったため
漁業組合も水産会社も口を拭った
そのため被災船員も健康被害について語りたがらなかった
漁民達の心を開いたのが高校生達だった

1985年から高知県の沿岸部で
3年に渡りビキニ事件の被災者の聞き取り調査
消息が分かった乗組員は241人
生存していれば50代から60代のこの時期に既に3分の1が死亡していた...

本ではその他の船の追跡調査報告もあり
その中には若く元気な人が亡くなり
水葬にされたことなども..
今更証明はできないが急性放射線障害だろう


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ビキニ水爆実験は30年たって一部公開された米公文書の分析や研究で
隠されていた色々な事がわかってきたのですが...




ビキニ環礁のあるマーシャル諸島の住民の被害
特にロンゲラップ島の住民82名
それは「モルモット」だったと断言してもよい...


46年からの核実験のたびに
彼らはアメリカの船でラエ島に避難させられていたが
54年の大規模なブラボー爆弾実験の時は放置された...
実験の予告はあったが彼らには数百キロも避難する術がなかった

実験後米軍基地に隔離され「治療」という検査を受けた...

言葉がない...ひどすぎる


ビキニ環礁は60年たった今も残留放射能のため人は住む事ができない..

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~ビキニ水爆実験被災50周年シンポジウムにて~

 第五福竜丸元乗組員・大石又七さんの発言 P.113~

私たち第五福竜丸の乗組員は23人ですが、これまでに癌や肝機能障害という共通した発病で12人が亡くなっています。そのたびに家の柱を失った家族の嘆きや生活苦を見続けて来ました。

私も同じように肝臓がんになり手術しています。そして最初の子どもは死産、それも奇形児という悲しい姿でした。しかし日本政府は「被曝とは関係ない」といって認めていません。

このビキニ事件は発生直後から強力な核実験反対運動にあい、あわてて政府は日米友好に邪魔、各実験続行にも邪魔と、わずか9ヶ月で被災者対tの頭越しに政治決着を結び、全てを解決ずみにしてしまいました。

どうしてそこまでして急いだのか、その理由は30数年後に公表された外交機密文書や、アメリカ側から出て来た資料の中から浮かび上がって来ました。驚く事に、日米政府はもう一つの大きな取引を水面下でしていたのです。

当時アメリカは、濃縮ウランや原子力技術を外交カードとして西側同盟を勢力下に置き、軍事ブロックを作ろうとしていました。そして日本に受け入れを打診して来ていました。日本政府も、原子炉や原子力技術をアメリカから得ようとしていた矢先です。そのためアメリカが行う核実験には協力する、国際法にも違反しないなどといい、漁業関係などが被っていた膨大な被害や保証も、わずかな見舞金だけでいい、と国民の願いとは全く逆な、とんでもないことをいって取引を行ったのです。日本の原子力発電は、ビキニ事件の被害額と引き換えに出来上がったのも同然で、私達はそのための人柱にされたのです。それらの事実は、事件から30数年たってようやく知られるところとなり、これまでとは全く違ったビキニ事件が見えて来ました。

中略

仲間達を一人一人見送りながら「核兵器と命」について私は考えました。ずっと考え続けて来ました。

平和運動も半世紀にわたって、人類とは共存できないと「核兵器廃絶」を叫び続けてきました。でも無くなるどころか、核保有国は増える一方です。一発で何百万という人間を一度に殺す事ができる最強の兵器です。相手が持てばこちらも持たなければ殺られてしまう。当然、各国は持とうと必死です。既に数カ国が、3万発とも言われる核兵器を手にして土の中や海の中に隠し、相手国に照準を合わせています。

中略

これをただおびえながら、じっと見つめているだけでいいのでしょうか、他に道はないのでしょうか。いや、一つだけある。「軍隊を無くせばいいのです。」「軍隊を無くせば、核兵器も戦争も無くす事ができます。」私は固定観念で固まっている大人にでは無く、頭の柔らかい時代を担う子ども達にこの事を話し続けています。

中略

軍隊や戦争が浪費する超膨大な資金(世界の軍事費年間1兆ドル)を、「貧困や教育、友好」に使えば世界は変わります。変えなければいけないのです。そんなことができるわけがないと言って、悪化の一途を黙認し、恐ろしい核兵器などに巻き込まれて自滅するか、目覚めるかは指導者ではありません。私達なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・激しく同意


「ビキニ事件隠蔽が福島に直結 事故責任はっきりさせるべき」大石又七さんインタビュー



 ——今の福島原発事故とビキニ事件との間に似た部分はありますか? 

ビキニ事件と変わりないと私は思っています。
責任問題も事件の恐さも同じだと思っています。