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ギュンター りつこ

 

日本を旅行してきた人たちは、口をそろえて「素晴らしい国だった」「どこも清潔で、本当にうらやましい」と日本を称賛します。

 

そんななか、先日、私が主催する文化サロンで、日本旅行から戻ってきた年配のドイツ人男性が、「あくまで私個人の感想だけれど……」と前置きして、こんな話をしてくれました。

 

広島の原爆平和記念資料館を見学し、原爆の恐ろしさを改めて深く感じた。しかし、日本が「犠牲者」として描かれている一方で、戦争中に日本がアジア諸国に対して行った加害については、ほとんど触れられていないように思えた。それが不思議でならなかった、と。

これは、私にとって非常に耳の痛い話でした。

 

私はまず、広島の資料館は、原爆によって市民が何を経験したのかを記録し、核兵器の非人道性を伝えるための場所なので、そこで日本軍の加害行為をどこまで扱うべきかについては、また別の議論もあると思う、と答えました。

しかし同時に、彼の感じた「違和感」はよく理解できる、とも話しました。

なぜなら、それは原爆資料館一館の問題ではなく、日本社会全体の「戦争の記憶の仕方」に向けられたものだからです。

 

日本には、広島・長崎、沖縄、各地の空襲など、日本人が受けた被害を伝える資料館や記念館が数多くあります。

一方、南京事件、日本軍「慰安婦」、強制労働、植民地支配、七三一部隊など、日本が他国の人々に与えた被害を正面から扱う施設は、非常に限られています。

 

もちろん、そのような施設が日本にまったく存在しないわけではありません。しかし、その多くは市民団体や大学などによって支えられた比較的小規模な施設です。国が責任を持って、日本の植民地支配と戦争加害を総合的に伝える施設は、ほとんど見当たりません。

 

だからこそ、西ドイツで育ち、学校教育や記念施設を通して「自国が何をしたのか」を繰り返し学んできた世代に、日本の戦争の記憶のあり方が奇異に映ることは、私にもよく理解できます。

もちろん、ドイツも最初から理想的に過去と向き合っていたわけではありません。長い沈黙や抵抗がありました。それでも今日のドイツの公共空間には、「自国民が受けた苦しみ」と「自国が他者に与えた苦しみ」を切り離さずに考えようとする姿勢があります。

 

日本は戦争の加害国でした。

しかし同時に、原爆によって命を奪われた市民は、疑いなく原爆の犠牲者でした。

この二つは矛盾するものではありません。同時に語られなければならないのだと思います。

問題は、日本では加害の歴史を学ぶ場があまりにも少ないため、日本人が受けた被害だけが、日本という国家全体の戦争の物語であるかのように見えてしまうことです。

 

自国民が受けた苦しみと、自国が他者に与えた苦しみ。その両方を記憶し、次の世代に伝えていく必要があります。

日本が後者を十分に行ってこなかったことを、私は恥ずべきことだと思っています。

サロンの参加者たちは、私の話に静かに耳を傾けていました。私は最後に、「これもまた、あくまで私個人の考えです」と付け加えました。

 

何気ない会話でしたが、「日本は素晴らしい」という言葉ばかりを聞くなかで、改めて深く考えさせられました。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

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東京新聞望月衣塑子記者と歩む会で出逢った人たちの会

 

元自民党政務調査会長、亀井静香さん(89歳)

 

「高市早苗は、独りよがりというか、そのうちナチスみたいになるんじゃないか。もうその兆候が出ているしね。国旗毀損罪は危険だ。国歌はみんなが歌いたいと思うようにしなければいけないし、国旗だってそうだ。火をつけたいという気持ちになるのは、国家の方が悪い。そういう国家であったらいかんな」

 

「皇室典範を改正するのはおかしいと思わないのかね。あれは皇室の内部の話だ。手を付けること自体がおかしい。そもそも皇室に入るべく教育を受けていない者が、天皇になるなんて反対だね」

 

「内閣改造と党人事で麻生太郎の副総裁留任って。政権を私物化しちゃだめだよ。それは国の滅びの始まりだ」

 

「非核三原則の見直しなんてしたらおしまいだ。高市は何を言ってもいいと思っているのか。危険だね。いまの国民は自分で考える力が無い。考える力が無いから独裁政治になるんだ」

(9月12日のFNNから抜粋引用)

 

今の自民はカスばかり.....