deluxeの徒然雑草紀行

deluxeの徒然雑草紀行

ブログのテーマによる振れ幅が大きすぎるので、自分の読みたい記事テーマを決めておいた方がいいかも。
シリアスな社会批評の直後に「ガンダムLOVE」な記事を平気で載せたりしますから(w

先週末は、我らが千葉県と隣の茨城県を巡りました。

左は塚原卜伝像で、右は伊能忠敬像と書けば行先は大体お判りいただけたと思います。

 

始発便とバスを乗り継いで成田駅前のマクドナルドで朝マックをいただき、

成田駅から佐原駅で乗り換えて鹿島線の終点の鹿島神宮駅に到着します。

駅から徒歩10分程度で、最初の目的地・鹿島神宮に到着です。

境内との境界にある石鳥居は、東日本大震災で倒壊しましたが怪我人はおらず、

本殿などの被害も微々たるものだったことから、厄を全て背負ってくれた・・・なんて話もあったそうです。

というわけで現在の鳥居は再建された後のものです。

 

参道からしばらく歩いて見える楼門は、日本三大楼門の一つに数えられるほど立派なもの。

水戸徳川初代藩主により創建されたと伝わります。

つい最近修理を終えたばかりなので、色鮮やかです。

楼門の前は、この時期の神社境内にありがちな茅の輪です(夏越の大祓)。

頼んでいた御朱印は時間がかかりそうでしたので、ここで本殿をお参りします。

本殿及び拝殿は、二代将軍・秀忠公により寄進された桃山様式末期の建築です。

 

神武東征時の東国の拠点とされた際に、神武天皇ご自身が武甕槌大神を祀ったことが始まり。

というわけで創建は何と2600年以上!

武勇ある由緒から、徳川将軍を含めて長く尊崇を集めたそうです。

もう少し時間があったので、奥参道の先を進んでいきます。

鹿島神宮の神使にあたる鹿が飼われている鹿園を横目に向かった先が奥宮です。

 

本殿と比べてチャッチイ造りの奥宮は案外多いのですが、

コチラはそんなことはなく案外と立派でした。

どうやら元・本宮だったものを移築したものらしいので納得です。

 

さらに境内の奥を進んで、地震を起こす鯰を鎮めていると言われる要石を祀った場所と、

潔斎をする場でもある御手洗池も見学しました。

要石は徳川光圀(水戸黄門)が、七日七晩掘り進めても掘り出せなかったという逸話があります。

 

というわけで、次の電車を逃すと1時間半待たなくてはならないので、

御朱印を回収してから駅に戻ります。

鹿島といえば、神宮の他に鹿島アントラーズと鹿島臨海鉄道が有名です。

実は筆者はJリーグ創設当時から鹿島アントラーズのファンなのですが、

生試合は一度も見たことが無いという不届き者です。

鹿島臨海鉄道も『ガールズ&パンツァー』をあれだけ見ているのに、

『ガルパン』が放映されてからは一度も乗りに行ったことが無いという不届き者(再)です。

 

次の目的地は、もう一つの“神宮”です。

 

 

 

 

(最近読んだ本)

 

 

 

仙台に戻って最初の(というか最後の)目的地は大崎八幡宮です。

6年前に訪問した時は、外装工事中という残念な結果でしたが、

今回は事前調査などで大丈夫であることを確認しております。

車での参拝でしたので長い参道(右写真)ではなく短い北参道から伺います。

こちらが桃山文化の最後のアダ花ともいうべき、豪壮に飾られた建築である大崎八幡宮です。

御由緒はやはり坂上田村麻呂の蝦夷征伐から。

宇佐八幡宮から当時の奥州市に八幡宮を創祀し、後に室町時代の奥州探題・大崎氏が大崎市に、

さらに伊達政宗が現在の位置に移しました。

1607(慶長12)年に建てられた本殿及び拝殿(上写真)が1952(昭和27)年に国宝に指定。

 

ここらで日も傾いたことから、レンタカーを返却します。

 

翌日は電車(仙山線)で仙台駅から一駅、東照宮駅まで向かいます。

その名のとおり東照宮がありますので、そこへの参拝が目的です。

日本には100ほど東照宮があるそうですが、駅名になっているのはココだけです。

 

伊達藩の2代目の頃、災害が相次いだ藩を援助した幕府に感謝の意を示すため、

徳川家康が休憩されたとされる地に創建されました。

家康公に失礼がないことを示すためか、現在も宮町の名を遺す街並にまっすぐな道が通っています。

 

コチラが東照宮の拝殿(左)と本殿(右)です。

拝殿は戦前に一度焼失しましたが、戦後に再建されました。

本殿は創建当時から建つ重要文化財です。

 

筆者は、日光・久能山・鳳凰寺山・上野の東照宮に参拝したことがありますので、

これで5つ目の東照宮となりました。

やはり神君・家康に失礼が無いように、当時の技術の粋を結集した建築ということもあり、

見ごたえ十分です。

 

ここらで駅に戻り、仙台駅では牛タンをいただき家にそそくさと戻ることとなりました。

 

実質的な観光二日目は、レンタカーで多賀城市に向かうことから始まります。

多賀城市に行くからには、多賀城に行くことは必定。

 

というわけで、近年になって整備が進んだ多賀城跡に到着です。

多賀城は奈良時代に、蝦夷征伐の本拠地として造設された城(やぐらに近い)です。

60年代から本格的な発掘調査が始まり、政庁跡や南に延びる道路などが公開されています。

高台に設置されていますので、昔から変わらない広がる田んぼの風景や、

鉄道・高速道路まで見渡すことができます。

近年になって木造で復元された南門から、改めて北にある政庁まで伸びる道を臨めば、

1000年以上前の気分を再現できます。

さて南門前にある木が茂っている場所には、小さな東屋みたいなものが建てられています。

内部には古い石碑が大切に保存されていますが、762年に建立され江戸時代に再発見された

多賀城の場所と修築を記録した碑文が刻まれています。

松尾芭蕉も『奥の細道』で言及するなどの由緒ある石碑ですが、

伊達藩による偽作説も根強く、近年まで真作論争が絶えませんでした。

近年になり奈良時代に制作された真作であると決着がつき、2024年に国宝に指定されました。

 

次の目的地である塩竈神社に向かう前に、ボランティアの方に教えていただいた

陸奥総社宮に立ち寄ってお参りしました。

 

というわけで、結果的にネタバレした形となりましたが、

レンタカーで更に北東に進路をとり、塩竈神社に向かいました。

『伊勢物語』でも一瞬だけ舞台になった塩竈ですが、その扱われ方は

塩竈で塩を焼いていた風景が懐かしいなぁ~、と言って京の都で塩焼きの再現をしたというもの。

応天門の変以後に微妙な立場となった源融が住んでいたという話もあり、

そこで百人一首にも残される「陸奥のしのぶもじずり誰ゆえに~」の和歌を詠ったと言われます。

 

表参道から随身門をくぐって左右宮拝殿でお詣りします。

伊達藩四代目の殿様が建立した重要文化財です。

伊達藩由来の建築は、豪華だけど上品なイメージがあるので好みです。

その隣には志波彦神社があります。

明治になって配置され、現在は同じ法人として登録されているそうです。

御朱印も二つの神社でワンセットでした。

 

というわけで多賀城・塩竈神社参拝という両目的を達しましたので、

遅めのランチをお寿司屋さんでいただきまして、仙台に戻ることとします。