deluxeの徒然雑草紀行

ブログのテーマによる振れ幅が大きすぎるので、自分の読みたい記事テーマを決めておいた方がいいかも。
シリアスな社会批評の直後に「ガンダムLOVE」な記事を平気で載せたりしますから(w


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高速バスを降りて予土線に乗って向かう先は宇和島。

ですが、予土線自体が四万十川沿いを走る絶景路線であることは前述のとおり。

「日本最後の清流」の名は伊達ではありません。

 

予土線は終着駅の一つ手前の北宇和島駅で終わり、予讃線と合流します。

そして宇和島駅に無事に到着です。

司馬遼太郎は昭和30年代に初めて宇和島を訪問した時、

駅の構内のむこうで線路が果てているのを見て、つよい感動を持った。

日本中の鉄道が何らかの形で循環しているものだとおもっていただけに、

宇和島という町は鉄道文明の上からみても際涯であることを感じたのである。

と思ったそうです。

 

さて、そんな際涯の地である宇和島を司馬が幾度も訪問した理由はこちら。

街中で小高い丘にある宇和島城。

伊達正宗の第一子・秀宗が徳川秀忠より宇和島十万石を与えられたことから、

宇和島藩は実質的なスタートを迎えます。

宇和島城じたいは1601年に藤堂高虎が築城したものです。

そして幕末まで長く、宇和島藩は伊達家の治める土地となりました。

 

登山口(登城口?)からは、短いものの鬱蒼と茂った林中をキツイ傾斜で登らねばなりません。

途中の詳細を省きまして、ようやく頂上に到着します。

やや小ぶりの天守だけが残されており、二の丸その他の建物は全て失われています。

城内はその他天守と同様に、展示物が簡素に置かれたりしていたのですが、

何かのイベントの一環なのか、墨絵の現代アートが飾られていました。

そしてこれもその他天守と同様のキツイ傾斜の階段を登ると、最上階に到着です。

筆者が天守に登っていない現存天守は残り2つですが(丸岡・備中松山)、

その他の天守から臨んだ風景と比較すると、非常に狭い範囲しか街が拡がっていないな

という感想を持ちました。

もちろん宇和島藩はこの街並だけで構成されているわけではありませんが、

それにしたって地図を眺める分には山と海に囲まれたわずかな土地しか無いように思えます。

本当に10万石相当の藩だったのでしょうか?

 

戦国時代なら海も近いし海外貿易で富を増やすこともできたでしょうが、

江戸時代の鎖国政策下ではその願いもかないません。

だからでしょうか統治初期は藩政も貧窮をきたし、

行財政改革を主導した総奉行・山家清兵衛一家を皆殺しにする事件まで発生しています。

そんな混乱した藩を救うためにとられたイロイロな施策がとられたようですが、

有名なものをいくつか次記事に。

 

(帰り際にもう一回パシャリカメラ

 

 

 

 

(最近読んだ本)

 

 

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京阪本線の終着駅は淀屋橋駅。

大阪随一のビジネス街ですが、丸の内と異なりイマイチ洗練された感じはしません。

ここでランチのハンバーグを食べた後、徒歩で向かった先が午後最初の観光目的地。

上の二つの写真で場所が分かった方はそれほどいないと思いますが、

左写真は緒方洪庵先生で右写真が適塾跡です。

幕末の蘭学塾で最もレベルの高い講義がされており、

大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介らがこの地で学び、維新に大きな影響を与えました。

蘭学全般を扱っていましたが、緒方洪庵の専門は医学。

種痘法の普及に大きな成果を挙げ、幕府から江戸に来るよう再三請われるものの固持。

最終的に折れて江戸に向かいましたが、時を経ずして病没しました。

その後の適塾は、現在の大阪大学医学部の母体となります。

 

中は資料だけ写真不可だったような気もしましたが、面倒くさいので一切写真はとりませんでした。

多くの門下生が学んだとされていますが、その割には中は狭かったような気がします。

実際、『福翁自伝』では夏は素っ裸で過ごしていた旨の記述があるそうです。

大河ドラマ『花神』総集編の冒頭は、適塾に大村が入塾するところから始まります。

 

見学後は地下鉄・南海電鉄を乗り継いで、住吉大社に向かいます。

初詣の報道や源氏物語にでてくる程度でしか知らず、

何となく何時でも行けるような気がして、結局行かずに終わりそうな場所ランキング上位にあるので、

「せっかく大阪に来たのだから絶対に行こう」と決意して伺いました。

 

一の鳥居をくぐり、太鼓橋を渡って

住吉大社独特の角鳥居のお出迎えです。

大抵の鳥居は柱が丸いのですが、何故か住吉大社だけ四角い柱なのでこう呼ばれます。

国宝に指定されている住吉造の本殿が、境内に4つも並ぶ形式も住吉大社だけ。

神功皇后ほか3柱の神々が祀られています。

他の大きな神社動揺に、摂社・末社も配されています。

写真は子宝の神様を祀る種貸社です。

本殿は三で反対側には重要文化財の石舞台もあります。

 

そして住吉大社の名を一番知らしめていると思われるものが、招き猫

毎月最初の初辰の日にお参りして招き猫(小)をもらい、

それを4年間毎月行うと招き猫(中)と交換できて、それを2回続けると招き猫(大)と交換できる

というかなり息の長い修行みたいな行事です。

商売繁盛の願掛けとなっているようですが、地元の人しか達成できないでしょうね。

一応、招き猫(小)は500円で売っているので、そちらを購入しました。

その後は路面電車で阿部野橋駅まで直行します。

阿部野橋駅といえば近鉄グループがその威信をかけて建設した

日本一の高さのビル「あべのハルカス」があるので、そちらに向かいました。

チケットを購入してエレベーターに乗り込むと、

籠内は壁と天井部分が全てガラス張りになっていることに気づきます。

そこから上に向かうと星の雨が降り注ぐかのような演出がなされるので、

展望フロアに行くまでの時間も何気に楽しいです。

北・東・南・西と遮るものが雲を含めて何もない状態だったこともあり、

何気にテンションがMAXになりました。

大阪平野の全てを見はるかす、そのビルの名にふさわしい絶景を楽しみました。

景色を堪能した後は、美術館でやっていた西大寺展にも足を運びました。

一度は観てみたかった叡尊像(最近国宝指定)の展示もありましたし、

普段は近くで観られない愛染明王坐像も拝見できました。

 

こうして諸目的を終わらせて、夜ご飯を食べてバスの時間を待合室でひたすら待つことにします。

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さて、鉄道編が終わったので観光地巡り記事を。

新幹線に乗ってまずは京都駅に降り立ち、徒歩で向かったのは西本願寺。

こちらは世界遺産『古都京都の文化財』の構成資産の一つです。

 

堀川通に面している御影堂門がまず目に入ります。

そのまま境内に入っても良かったのですが、更に進んで太鼓楼まで向かいます。

そして戻って阿弥陀堂門から中に入ります。

立派な門をくぐって見えるのが阿弥陀堂です。

その名のとおり阿弥陀如来像が納められています。江戸中期の建物です。

朝も早いので参拝客も少なめ。

なお、本願寺は特に参拝料も求められないので、ロハで参拝できます。

渡り廊下を進んで続けて中に入ったのは御影堂。

その名のとおり親鸞聖人のほか、歴代門主の御影(≒肖像画)が納められています。

一度庭に出て改めて全体を眺めます。

大変広い境内ですが、それゆえに一度は新撰組が本拠地を構えて大迷惑を被ったのだそう。

続いて裏に回ると見えてきますのが唐門。

こちらは桃山時代の傑作。他の門と違って“絢爛豪華”の形容にふさわしい姿です。

裏にあるせいか、ほとんどの人は気付かずに別の観光地に行ってしまうのでご注意を。

御影堂門から外に出て、通りを挟んで反対側にある総門を抜けると、

西本願寺の門前町があります。

そのまま進むと煉瓦造りの建物がありますが、

こちらも西本願寺の所有物です。簡単に言えば、僧侶の研修施設ですね。

明治期の貴重な建物として、何気に重要文化財指定されています。

少し長めの時間を徒歩で行くと、東本願寺が見えてきます。

御影堂門にしろ、御影堂の建物にしろ西本願寺より立派に見えますが、

こちらは世界遺産指定はされていません。

理由は簡単で、東本願寺は何度も火事で焼け落ちて、建物自体が新しいからです。

だからでしょうか。建物内部含めて、こちらの印象の方が全体的に良いのですよね。

(写真は内部撮影禁止のためにありません)

 

再び門を抜けて南を観ると京都駅+京都タワーを臨むことができます。

そのまま目前の京都駅まで歩いて、電車に乗りついで向かう先は石清水八幡宮です。

 

ケーブル山上駅を降りて、鬱蒼とした林を抜けていくと見えてくるのが・・・

何故かエジソン記念碑。

というのもエジソンが京都の竹を使ったフィラメントで白熱電球を完成させたことが縁で、

この石清水八幡宮の敷地に建てたのだとか。

 

なんとなく腑に落ちないものを感じつつもさらに歩を進めます。

ようやく目的地の八幡宮の総門正面に出ました。

この門をくぐると、

八幡造りの御本殿を拝することができます。

なぜか総門に対してやや左斜めにずれていますが、

これは本殿を去る際にお尻を向けないようにするための配慮と言われています。

 

八幡宮は平安時代にはすでに存在していましたが、

現在残る建物は江戸時代のものです。

複数の棟を合わせて一つの建物にした複雑な造りになっており、

当然ながらこのような形式の建物はここだけ。

つい最近(平成28年)になって、国宝指定を受けました。

歴史を重ねているだけあって、いくつか見所はあるのですが2つだけ紹介します。

西側に築かれている塀は通称「信長塀」

重火器に強い造りが採用されています。

 

右写真は楠正成が奉納したと伝えられるオオクスノキです。

 

一度境内を出て裏参道を歩くと、北の京都盆地を臨める展望スペースがあります。

南北朝騒乱や観応の擾乱のことを調べると、

しょっちゅう各勢力が石清水八幡を拠点にして京都侵攻を謀る記述があるのですが、

実際にこの風景を見ると納得です。

京都市街を一望できますし、山上にある此処は軍事基地としても一等地ですから、

当時の武士もこの地勢的な意味を知りつくしたが故に拠点を置いたのでしょう。

 

こちらの観光も終えて、駅に戻り、

京阪本線を終点まで乗り継いで、午後の大阪観光へと向かいます。

 

 

 

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