内なる石のひびきに、熱き心がやどる -299ページ目

ワイン業界の軌跡② ~入社時代~

今になって思うとロクな写真が残ってません。。。まだデジカメすらなかった時代ですから・・。

1998年の同期入社は4人(私含めて)。当社は当時、酒の卸兼インポーターという業態でビールやNB商品を近くの酒販店に卸しながら自社輸入ワインをようやく軌道に乗せ始めた頃でした。ワインの営業としての新卒入社が私の時代で3年目でした。

 

当時のワインの売上は30億程度でした。と言っても前年からの赤ワインブームでの急上昇です。

それも大半が1000円以下のワインでまだ市場ではワインは高いもの、1000円以下の輸入ワインはサントリーさん、メルシャンさんの2強時代でした。

 

まだ、私はパソコンも触ったことがある程度でブラインドタッチもできなかったですし、携帯電話はあったものの、会社で貸与されたのは当初ポケベルでした。

 

まず所属したのは「特販部」というところでした。同期4人では私が最も落ちこぼれ・・・。あとの3人は営業マンとしても実力が違いすぎました。

最初の担当は関西ローカルのスーパーです。今でも関西の方なら知っているスーパーですが、スーパーとしてはかなりワインに力を入れていて、そこに私の知らない先輩が入り込んで当社のワインほぼ100%という売り場を作ってました。

 

当時18店舗あった各店をまわるルート営業が主な仕事でした。当時はワインと言えばフランス、イタリア、ドイツでしたが、スペインやチリワインが赤ワインブームに乗ってようやく売れ始めてきたときです。

 

当時はよくそのスーパーの陳列をしに行ったものです。商品を並べることによってワインの銘柄を覚えるのでとても楽しい仕事でしたが、深夜や時には徹夜で陳列をするという今では考えられないほど働いてましたね・・。

 

当時のワインに詳しい人というのはあまり周りにいらっしゃらなく、まだブルゴーニュといえば村名でワインが買われていた時代で、ジュヴレ・シャンベルタンといえば3000円、ヴォーヌ・ロマネと言えば3500円くらいで買えるというのが相場でした。

初めて飲んだグランクリュはおそらくグロ・フレール・エ・スールのクロ・ヴージョ「ミュジィニー」。

当時始めたばかりのテイスティングリストには確か「バキュームカーの匂いがする」というひどいコメントが記されています・・・。

全く理解をしていなかった頃です・・・。当時、でもグロのクロ・ヴージョは希望小売6800円だったのです。

 

今ならケース買いですね。ロマネ・コンティは正規輸入で15万円の時代でした。

 

同期の写真の彼は家が近く最も仲良くしていたのですが、元々持っていた精神的な病で2か月で会社を去ってしまいました。入社2か月で行った社員旅行の時の写真です。

 

そして大阪にしか会社がなかったので入社したのにその年の9月には東京にオフィスが出来ました。

「ナカツカは今彼女おるんか?」と聞かれて「はい、います」と答え、もう1人の同期が「いません」と答えたのでもう1人の彼が東京に行くことになりました。そんな時代でした。その当時は東京で生活するなんて考えたくもなかったです。

 

「います」と言った3か月後くらいには別れるんですけどね。

 

ということでガンガン行くタイプの同期の女性と2人が大阪本社に残りましたとさ。(続く)

 

 

ワイン業界の軌跡①~アルバイト時代~

最近日常に変化がないので少しの間、私の入社時代からのワイン業界の変遷について書きたいと思います。

ちょっと画像を勝手にお借りしてすみません。アルバイト先の酒屋さんの画像です。

 

私がワイン業界に内定がもらえたのが1997年でした。

 

そしてワイン業界に入ることが決まったので酒屋さんでアルバイトしようと思って半年間働いたのが京都でワインと日本酒で有名な酒屋さんでした。(※現在は当時の社長も亡くなられ、経営者も代わってしまわれたので名前は伏せます)

 

ワインの赤と白がどう違うかも知らなかった私にとっては異世界に足を踏み入れたわけです。

この酒屋さんはどっちかというと日本酒が有名で東京の有名飲食店にも出荷するほど知名度がありました。

 

アルバイト内容はレジと出荷作業、飲食店、一般家庭への配達でした。5つある倉庫に軽トラで商品を取りに行って伝票通りに集めて毎日の配達を主な業務としてました。週5日、8-10時間働いてましたが、社長からは「今の若いもんは貪欲さが足りないな、もっと働けへんのかいな(京都弁)」とよく怒られました。いや、今より働いているくらいですし、そもそもまだ授業が2つも残っているんですけど・・・と思いながら頑張ってました。

 

で、夜になると日本酒の利き酒。社長に呼び出されて「この酒、どうコメントする?」と言われて全く答えられなくて怒られ続けました。週に1度くらいですが、20種類くらいの利き酒をしていました。

 

でも当時は空前のワインブーム!いわゆる、赤ワインブームです。

ボージョレ・ヌーヴォーを店頭に置いていたら一瞬で売り切れるほど売れました。ワインのことを聞かれても全くわからないので担当だった社長の奥さんを呼び出して接客してもらってました。

 

とにかく、コンチャ・イ・トロのカベルネ・ソーヴィニヨンがめちゃくちゃ売れてました。赤ワインだったら何でも売れる、という時代でしたから店頭から赤ワインが飛ぶように売れました。

この時はワインをもう少し知っていたら接客もできたのに。。。と思ってました。

 

奥さんは何か月かに1度、ワイン会を行ってました。今から考えたらすごい先を行っていたと思います。

で、初めて高級ワインを飲ませて頂いたのがその会に出していたシャトー・マルゴー1976年でした。当時も高いワインという認識でしたが、確か1万円ちょっとくらいだったと思います。まだ味はわからなかったです。

 

ちょっとだけ勉強しましたが、こんな状態で全くワインを知らずにワインの会社に入社したのが1998年3月でした。

ジュヴレ・シャンベルタンの5人の生産者

ジュヴレ・シャンベルタンと言ってもその特徴はなんなのか・・・飲み比べればわかるでしょう!

ということで5人の生産者を飲み比べました。全て2017年です。

左からコワイヨ、マルシャン・グリヨ、アンリ・ルブルソー、アンリ・フェレティグ、アルマン・ジョフロワです。

 

明確に違います!!でもこれでますますジュヴレ・シャンベルタン村という村がどんな特徴なのか、むしろ見失うかもです。

 

コワイヨはマルサネの生産者ですが、完熟させることをモットーにしているため、液体が濃厚です。

マルシャン・グリヨ。このワインが最もバランスが取れています。

アンリ・ルブルソーは息子世代に世代交代して造りをド・クラシックからモダンで透明感のあるスタイルに変わりました。

アンリ・フェレティグはシャンボールの生産者で年を追うごとに繊細でエレガントになってきます。

最後はアルマン・ジョフロワ。この造り手が最もクラシックで伝統的ないわゆるジュヴレらしい味わいを持っています。

 

一般的なジュヴレ・シャンベルタンはタンニンがしっかりと強く、ボディも強い印象ですが、やはりブルゴーニュは造り手ありき。その生産者の中でどの村の特徴が欲しいかを選ぶべきなのかも知れません。

 

個人的にはマルシャン・グリヨ。この中で最も安いのですが、品質は素晴らしいと思います。

 

ざぶとんのステーキとランゲ ネッビオーロ

スーパーでオーストラリア牛の「ざぶとん」を購入。肉は焼き方が大きい。

肉を焼くのは嫁の得意技。最近はマルディグラの和知さんのレシピを見て達人の域に達し始めています。

これほど焼き方で味が変わるか、と思うほど違います。肉質よりも大切なことです。

合わせたのはランゲ・ネッビオーロ。

イケメン店員さんにお薦めされて買うという嫁。まあ、良きことです。

ネッビオーロは色調が淡い割にはタンニンはしっかりとあります。それも乾いたタンニンが。

まるで渋柿を齧ったようなほどに渋い。この特徴は確かにギリシャのクシノマヴロにも共通します。

 

タンニンは咀嚼の量で比例して合いますからステーキはその最たるものです。このステーキは脂身が多かったですが、それでもこのワインならしっくりきます。

 

アサリと豚のアレンテージョ風とソーヴィニヨン・ブラン

アサリと豚肉を一緒に煮る料理はポルトガルの料理です。

この組み合わせは好きです。魚介と肉を一緒に摂れるのですから。

合わせるワインはフランス南西部のソーヴィニヨン・ブラン。

こちらは近くのスーパーで「もったいないプロジェクト」で半額になっていたワインです。

なんと700円台。

このソーヴィニヨン・ブランは初めちょっと苦みが強すぎる?って思いましたが2口目にはグレープフルーツのような香りと苦みのバランスがちょうど良くなりました。

 

アサリのタウリンにはソーヴィニヨン・ブラン、いいですね。貝類にはやや甘みやボリュームがある方が合わせやすいです。豚ともいいですし、ぴったりでした!