内なる石のひびきに、熱き心がやどる -298ページ目

ワイン業界の軌跡⑦ ~東京転勤~

そしてとある泊まり込み研修の時に社長(現会長)から「中塚、東京行けって言われたらどうする?」と言われて「そりゃ、言われたら行きますよ」と言ったことで東京転勤が決まりました。

2004年2月、東京に転勤になりました。東京都内の担当予定で異動でしたが、行ってみると欠員と異動があって「北海道・東北担当」となりました。

「え?北海道と東北??東北のどこですか?」って聞いたら「東北って言ったら東北6県に決まってるやん!」って返ってきましたが、え?広すぎませんか??

 

ということで1道6県のとてつもない広さを担当することになりました。当時のお客様数で500軒です。(飲食店様は除く)

この1年はすごいことになりました。

 

なんせ携帯電話だけで1日35件くらい電話があります。当時は今ほど携帯電話に電話する習慣がない時代なので会社宛の電話はそれ以上・・・。当時はオフィスは大阪と東京のみなので出張で毎週のように北海道・東北に赴きます。

これは楽しかったです。そもそも飛行機の予約の仕方もレンタカーの予約の仕方もホテルの予約の仕方もよく知らない状況での出張生活でしたし、それまでに東北は一度も行ったことがなかったので新しいことばかりでした。

 

各県の美味しいものを探してホテルの場所を決めていたほどに。当時はまだ飲食店さんへの営業はしていなかったので夜はひたすら郷土料理を食べました。

秋田県・角館で食べたきりたんぽは忘れられません。

 

大変だったのはボージョレ・ヌーヴォーの商談。これは一気にやらないといけませんから、まず、青森県・八戸市に新幹線で行き、商談。その後レンタカーで岩手県・盛岡市に移動して商談。その後、福島県・白河市に行って商談。宿泊を経て山形県・山形市で商談、北上して秋田県・秋田市に行って商談、そして帰る、みたいな1日1000キロ移動とかしていました。

 

北海道は北海道で函館から札幌、札幌から旭川、帯広へとよく移動しました。

 

当時の売上は社内で金額だけはトップで年間5億5千万円を記録しました・・・。その後5年で塗り替えられますけど。1人で販売する額ではないですね・・・今から考えたら。お陰で北海道・東北の地理には随分詳しくなりました。

 

写真は初めてのフランス旅行です。ミーハーな旅行がしたくてシャンパーニュとブルゴーニュに行きました。まだ当時は日本人がそんなに多くブルゴーニュには旅行していなかったと思います。

自転車でボーヌの街からロマネ・コンティの畑まで旅しました。

まだ若い、ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールのベルナール・グロさんと。

街を歩いてたらアルマン・ルソーの故シャルル・ルソーさんが庭を歩いていたので(ご自宅なので当たり前ですが)、言葉も通じないのに写真を撮ることを快諾してくれて撮った1枚です。

タクシーで移動した別日、タクシーの運転手さんにインターフォン鳴らして「ご本人出てきたら写真撮ってって言って」とお願いしてピンポンしたけど出て来られなかったアンリ・ジャイエ氏のご自宅。

後から知ったのですが、この時はすでにもう入院されていてその後、お亡くなりになりました。

 

今やったら怒られるやつです。当時はまだ日本人のミーハー観光客が少なかったから時効です。

この時だったから許してください。

 

初めてのブルゴーニュはとっても思い出深いものになりました。そんな東京転勤初年度でした。

ワイン業界の軌跡⑥ ~専門店担当~

続いてこれまでのところに加えて兵庫県を中心にワイン専門店を担当しました。

ワインの知識もそんなにないままでしたが、ここからは知識が要求されるワイン専門店を担当しました。

ボルドーワインのことは多少知っていてもブルゴーニュのことは全く知りません。

 

でも神戸や西宮などワインに詳しいお店が多いエリアを担当することになり、ブルゴーニュを少しくらい知らないと話にならない、と勉強をし始めました。

それが写真の一覧表です。内容は今ではお粗末なものですが、当時のワイン専門書と言えば「世界の銘酒事典」、「ヒュー・ジョンソンのワインブック」、セレナ・サトクリフの「ブルゴーニュワイン」、ロバート・パーカーの「ブルゴーニュ」、山本博先生の「フランスワインガイド」、マット・クレイマーの「ワインコンパニオン」ぐらいしか情報がないため、全部の本を読んでそれを自分なりにExcelにまとめてみました。

 

当時、お名前は出せませんが、ブルゴーニュと言えばここ、っていうほど有名な方が関西にはお2人いらっしゃいましたが、そのお1人のお店を担当していました。とっても怖い方で、本当によく怒られました。(今も業界にいらっしゃるのでこれを読まないことを祈ります)

モノの言い方を間違うとものすごく怒られるので言葉遣いもこの時にかなり学んだ気がします。

 

例えば3か月前に予約受注を取って入荷したらご案内するインデントというシステムを当時取っていたのですが、不良品が出て「こちらの商品、1本不良品が出てしまいまして、申し訳ないんですがキャンセルでお願いできないでしょうか?」と電話でお伝えすると「は?キャンセルってなんや!!キャンセルっていうのはこっちが決めることや、お前が決めることじゃない。どういう教育されとんじゃ、上司出せ」と激しく怒られます。

 

翌日、お店がオープンする前にシャッターが開くまで待って開いたら即座に謝りに行ったのは2度や3度ではありませんでした。

 

その方はブルゴーニュワインを深く愛されていたのでそれまで関係は微妙でしたが思い切って作成したこの資料にアドバイスを頂こうと商談の際に見てもらいました。そしたら「お前、よう勉強しとるやないかい、どれ見せてみぃや」ってそこから熱血指導3時間でした。

(実際はこんな怖い言葉じゃなかったと思いますが。。。)

その後も行くたびに高額なブルゴーニュを開けてテイスティングさせてくださいました。これを機に私はブルゴーニュ好きになったのです。

 

もう一方の方は歴代の社員が怖がってあまり近づかなかった酒販店さんでした。あれ?ブルゴーニュってもしかして怖い人ばっかり??

 

その方は地元が近かったので非常に気に入って頂き、ご自分が主催されているワイン会にもよく呼んで頂きました。今でも東京に来られる際は必ずご連絡を頂きます。酒販店で初めてソムリエドヌールを受勲された方でその際もかばん持ちで同行させていただきました。(って書くとどなたかわかっちゃいますね)

 

ということで、この後、東京に転勤になるのですが、最後は私のために送別会を開いてくれました。後任の人と一緒に行く予定だったのですが、その日、まさに直前に私のお客様で債権会議が行われることになり、私が行けなくなりました。これだけは誰かに替わってもらうわけにはいきませんから・・・。なので後任の人はまだ会ったこともない、この酒販店さんの社長の私の送別会に1人で行ってくれました。

他のインポーターさんもたくさんいらっしゃったところに私の替わり・・・。

 

 

 

 

ワイン業界の軌跡⑤ ~百貨店担当時代~

スーパーの担当に加えて百貨店も担当することになりました。

この頃、髪の毛長かったのです。生産者来日イベントの時の写真です。

大阪を中心に京都や兵庫県、奈良県などを担当しました。

 

この頃はとにかく商品を並べに行く、いわゆる陳列をするのが最も多い仕事でした。

お陰で他社さんのワインのエチケットやワイン名をかなり覚えることができました。(当時は今ほど種類はなかったので)

入社当時から担当していたスーパーでは酒売り場の改装や新店オープンの時はワイン売り場の陳列リーダーでした。25,6歳の若造が40台、50台の他社さんのおじ様たちに指示をするんですよ。そりゃあ、生意気に映ったでしょうねえ。任せるバイヤーもバイヤーですけど。。。

 

でも同業他社やメーカーの方々と月に1度以上顔を合わせるのでとっても仲が良くなります。初めのうちはメルシャンさん、サントリーさん、雪印さん、当社だったのでこの4社はとっても仲が良くて今でもたまに集まるほどです。

雪印さんがワイン輸入されていた時代を知っている方はもう少ないかも知れませんが。

 

その後はインポーターは15社くらいになり、深夜まで陳列になった日には全員で終電ぎりぎりまで公園でビール飲んで帰ったものです。元々当社が売り場の99%ほどを占めていたわけですから、15社くらいになったということは単純にはシェアが15分の1になったわけです。私は7年くらい、シェアを下げるために陳列していたようなものです・・・。

 

この時のメンバーの何人かで集まることが多くなり、ワイン会みたいなものができ、その後、今の私主催のワイン会、「山本会」へとつながっていくのです。(山本会は現在125回開催しています)

 

また、会社でも私、人を集めるのが好きみたいで(そんなはずないんですが)、上司の家に社員を10人くらい集めてテーマ決めて上司の奥様に料理作ってもらってワイン会をしていました。なんて図々しい。

 

この時はとにかく5大シャトーを飲んでみたい、と思っていた時期なので「1999年の5大シャトー飲み比べの会」とかやってました。確か会費は9000円くらい。ありえませんね。

 

この当時に近くのスーパーでワインセラーが売っていて30本入りが10万円。ロングフレッシュです。

展示品なので「これ安くなりません?」って言って5万円で買いました。それから20年くらい経ちますけど、いまだに私のデイリーセラーとして活躍してくれています。その間、引っ越し4回。ロングフレッシュたる所以です。

 

ワイン業界の軌跡④ ~初めてのイタリア出張~

2001年に初めての海外出張でした。行先はイタリア。

当時は当社がイタリアに力を入れ始めた直後くらいです。闘うワイン将、川頭さんとの出会いにより、イタリアワインの高額ワインを入れ始めたところです。

この時に出合ったワインはレ・マッキオーレ、トゥア・リータ、モンテベトラーノ、モンテヴェルティーネ、カッチャール・ピアノなどなどです。

 

私はそれまで海外といえばカナダに1度行ったことがある程度でした。不安と楽しみを抱えて飛び立ちました。

まずはレ・マッキオーレです。写真はエウジニオ・カンポルミ氏です。そう、パレオ・ロッソをカベルネ・フラン100%にするという夢を抱いていたエウジニオさんはこの後数か月後に亡くなられるのです。お元気だった時にお会いできたのは奇跡的だったかも知れません。その時に植わっていたブドウからカベルネ・フラン100%のパレオが生まれるのです。

 

この左手に持っているのは今は無い、マッキオーレ・ロッソです。このボトルは無理やりもらって今でもエチケットは自宅に飾っています。

そしてこの旅で興奮したのは当時も取り扱いはないオルネライアやサッシカイアにも訪問できたことでした。

これまた今じゃ信じられませんがオルネライアは当時8000円くらいのワインでした。マッセートはもっと安かったと記憶しています。ワインスペクテーターかアドヴォケイトで高得点がついて今や3万円くらいしますが、当時は今から考えると安かったです。

 

サッシカイアも当時は1万2千円くらいだったと思います。(これは自信ないですが)

 

このツアーには当時フリーライターだった村田さんも同行頂いてました。なんと、今やワイン王国の編集長です。今でもお会いすると「大きくなって・・・」と言われますが大きくはなってません!

 

この時、私はイタリアワインに精通したセールスマンになるぞ!!と心に誓うのです。

・・・・なのにいまだにイタリアワインの知識が最もないのです・・・。いまだに人前でイタリアワイン飲むと「中塚さんがイタリアワイン飲んでる!」って珍しがられます。おかしな話です。

 

パレオ ロッソを初めて飲んだ時の感想に「オーパス・ワンに似ている」と書いています。なんとこの時すでにオーパスワン飲んでたのか、キミ、って感じです。たまにパレオも高くなったよねと言われます。「え?そんなことないですよ!」と言ってましたが、現在1万円くらい。発売当初は5800円。確かに高くなってますね(汗)。

 

サッシカイアのコメント読むと現地で飲んだ1996年には「カリフォルニアのワインのような味わい、カベルネ・フランの存在感がある」ようなことを書いています。トスカーナのワインは基本的にカリフォルニアワインのようなイメージを持っていたようです。偉そうなこと書いてますね。

 

当時は携帯電話も通じませんし、パソコンを持っていくなんてありえませんでしたから帰国後、1週間分のメールが500通くらい届いていたのを覚えてます。まだMixiもなかったんじゃないでしょかね。

 

ワイン業界の軌跡③ ~ボルドープリムール1997年~

ワインブームで異常にワインが売れた1997-1998年。そのブームが去る1999年。

前年比130%以上が当たり前だった売上は一気に80%程度になってしまいます。

もう会社が潰れるんじゃないかと思ったほどの急激な落ち込みでした。1998年に東京オフィスが出来ていなかったらヤバかったと思います。販路が一気に東に向いていきました。

 

当時、当社はイメージ悪く「安売りの会社」って言われていて関西では新規営業が非常に難しいころでした。

私はスーパー担当かつ新規スーパー獲得を目指していましたが、どこに行っても相手にされない日々を過ごしていました。売上も良くないですし、精神的にも辛い日々でした。

 

そんな時に救世主になったのは1997年のボルドー・プリムールでした。プリムールとはボルドーの先物買い(1-2年前に予約できる)システムで日本ではエノテカさんが1995年から始められました。それまでプリムールで買った2年先のワインが発売する時に値下がりすることはありませんでした。

 

1997年は1995年、1996年とビッグヴィンテージが続いた後だったため、予約価格は高値が付いてました。ところがその評価は大きく下がり、発売開始となった1998年-1999年にはプリムール(予約)価格に比べて急落しました。

プリムールより安くなった初めてのヴィンテージです。1997年ヴィンテージはプリムールの購入を控えていたのですが、販売開始直後、現地価格が急落しました。

そこで一般に販売された1997年ヴィンテージのグランヴァンを大量に購入してエアー便で仕入れても他社よりも安かったため、他社さんが船で入荷する前に航空便を使って仕入れて大きな売り上げになりました。

 

この後もプリムールより価格が下がるという事例はありません。この年だけのラッキーでした。

 

私も担当していたスーパーで5大シャトーを結構売りました。このスーパーは百貨店の食品売り場の運営やワイン専門店を作るほどワインに強かったので何とか売り上げを作ったのでした。

 

当時、5大シャトーは木箱で大量陳列されていたのです。今じゃ、考えられないですね。そのスーパーでは13800円(消費税は当時3%)で売られていました。私も1998年のシャトー・ラフィット・ロートシルトを13800円で買いました。先日飲みましたが今では20万円です。

(※写真は1998年の写真探すのが大変だったので銀座のレストランで所有されていた1912年のラフィットです)

 

この事例もあり、当社はボルドーに強い、というイメージを少し持ってもらうことができるようになったのです。

 

次は初めての出張です。出張先はイタリアでした。写真はパレオ・ロッソを造るエウジニオ・カンポルミ氏とです。このお会いした年が最後のヴィンテージになりました。(続く)