ディア・ハンターのブログ-kizu2

弾痕と刺し傷だらけのメキシカン。彼はまだ10代だった



ディア・ハンターのブログ-kizu1

頭に突きつけられたショットガンを掴んで外した瞬間に撃ち飛ばされた指先



96年頃だったと思う。サンペドロという、ヒスパニック(中南米系移民)系ギャングがたくさんいる街にインパラを見に行った。たしか64年クーペだったと思うが、そのオーナーは若いメキシカン。車の写真を撮り終わると、上半身裸の彼(LAは暑いのでこういう人間がよくいる)の身体が傷だらけなのに気が付いた。「それどうしたの?」の質問に一つずつ答える彼。そのナマナマしさが私の記憶にこびりついた。

彼いわく、

傷1、数年前撃たれて弾が入っていった痕。狙われたのは心臓だが、腕でカバーしたらしい。腕の反対側には弾丸摘出手術の20cmくらいの傷も。。。

傷2と傷3、胴体をナイフで刺される瞬間に腕でカバーした傷。

傷4、これも数年前に撃たれた痕。
傷5、傷4の弾丸の摘出手術跡。

右手一指し指:夏の暑い日の夜に信号待ちで止まっていたらいきなりショットガンが運転席窓から頭に向けて入ってきたかと思った瞬間に撃たれたとの事。その際に咄嗟に右手で銃口を握って自分の頭からそらした瞬間に撃たれたので指の先だけが吹っ飛んでいった。瞬間、前も見ないでアクセル全開にして走り去ったので相手が誰かわからなかったそうだ。。。

左手親指付け根の切り傷:利き腕がふさがっている時にいきなりナイフで刺された際、左手で必死につかんで放さなかった時に深く切れた痕。

ちなみに全て一度に起った事ではなく、別々のハッスル(”争い”の意味のスラング)だといっていた。この時点で彼はまだ10代。その後一度だけ彼とは会う機会はあったが、もう消息が途絶えて16年くらい。

ロサンゼルスという土地が、人を狂わせてしまうのか。ヒスパニックはヒスパニック同士、黒人は黒人同士でギャングの抗争を繰り返し、結果的に殺しあう。。。。若いストリートギャングは常に戦うモードに自分を持ってゆく。年老いたO.G.達はそれを回想して「多くの友人を失ったし、いま思い起こしても馬鹿馬鹿しい」という。だが、日本と比べて上下関係の概念が薄いアメリカの社会で育った彼らは、目上の意見やアドバイスは耳に入らないのか、私の目には若い人間は本能に任せて争っているように見え、年長のアドバイスはただの「気が向いたら聞く参考意見」としか機能していない。

彼のように、人生の中で少しでも私と関わりを持ってくれた人々には、いつでも成功と幸福に満ちた道を歩んで欲しいと願うのが私の信条だが、彼には是非ともまだ生きていて欲しいと思う。そしてそれを確認することが怖いとも感じる。若い頃の押さえ切れないエネルギーを経験するのは皆同じだが、その使い道を決めるのは本人にしか出来ない事だ。




ディア・ハンターのブログ-G
サンタナ製作中、じっと見つめているコンプトンマジェスティックスのガキ

何年か忘れたが、ベガス・スーパーショーの直前の深夜だった



ディア・ハンターのブログ-Mexican

94年頃、メキシカンのガキ。何処かのカーショーにて




ディア・ハンターのブログ-ss bros

グリーンの64SSに乗った兄弟。2000年頃、アルタデナにて



この十数年、気が付いたら結構子供の写真も数多く撮っていた。まあ、あまり子供がウロウロしている場所で写真を撮っているわけではないし、たまにいると珍しくて撮っていたのだろうか。あるいは、ただ単に可愛いから撮っていたのだろうか。私が犬の写真を撮るのもおそらく同じ理由だ。


派手な白い車は「サンタナ」どちらかというと私は「ペイズリー64」と呼んでいる。コンプトン・マジェスティックスC.C.のボスである”ギャングスタ”a.k.a. "G"が所有していた車で、LAのローライダーで当時この車を知らない人間はいなかった。残念ながら彼は今、塀の向こうで長期バケーション中だ。この車はもう何年も前に私が日本に送った。横にしゃがんでいる子供はその「サンタナ」製作者の関係の子供。写真を撮ったときに名前は聞いたのだが、もう10年以上前の事なので忘れてしまった。今頃この子はとっくにローチャリを卒業して車も何台も乗り換えている頃であろう。


ボーズ頭のメキシカンの子供は、ローライダー・ピクニックに 行った時にこっちをじっと睨んでいたガキ。チニト(メキシカンの言葉でアジア人の事を指す)がそんなに珍しいのか?お仕置き代わりにカメラを向けるとポーズをとりやがった。腕の細い奴がイキがって太く見せるときに力こぶを反対の手で押すのだが、このガキは何処でそれを覚えたんだろう? 写真は確か94年頃。当時でさえこんなに生意気だったが、今頃 どんな男になっているんだろう。。。


オヤジにつれられてグリーンの64ssに乗っていた兄弟。撮影は確か2000年くらいだったか。。。いまはアニキが20代後半くらいで弟が成人したくらいかな。まっすぐに育ってギャングなんかになっていないだろうか?ちなみにオヤジがローライダーの家は、優等生の息子が多いようだ。。。


何年か前の話になるが、コンプトンに車を見に行ったときに知らない20代くらいの若い黒人が私の事を本名で呼びかけてきた。顔をじっと見ても全然心当たりが無い。実はこういうことが頻繁にある。聞くと、彼が中学生の頃に私がよく車を買いに行っていたサウスセントラルのストリート出身だという。「あんたは15年経ってもまだインパラを探しているのか?」と言われた(笑)。 確かに車を探しに行くときは、20人くらい溜まっている所に良く行くので一人ずつの顔なんて覚えていないし、子供の顔から大人になった時の黒人の顔なんて連想ゲームじゃないんだからわかるわけない。まあ、彼がすぐわかったのは私がいつまでも若いままで昔と変わっていないからと言う事にしておこう。まあ、同じ車に16年も乗っているから、「またあいつだ!」って思い出すのがホントの所であろう。もうあと10年もこれを続ければ、黒の96ssで現れる日本人のおっさんと言う事で、ゲットーの名物オヤジになるんだろうか?



ディア・ハンターのブログ-pink Cadi
移動カーニバルをバックに2ドアキャデラックのハイドロのメンテをしている古い友人。写真はたしか98年か99年頃だったと思う。夕日とキャデラック、そして移動カーニバル。どれもサウスセントラルにはあまりにも日常的な光景



ロサンゼルスには「移動遊園地」というものがある。「移動遊園地」という呼び方は、私が勝手にそう読んでいるだけではあるが。。

その移動遊園地は、俗に「ゲットー」と呼ばれるエリアに多く訪れ、普段は空き地になっている広いところにいきなり現れる。大きな観覧車や、ディズニーランドよりちょっと小さめのローラーコースターなんかが一夜にして立ち並ぶので、近くを素通りするだけでも目に付き、すぐに存在に気がつく。一夜にして完成し、終わると一夜にしていなくなる。

ゲットーの場合、お客さんは地域にもよるだろうが、メキシコ系移民と黒人が殆ど。アジア人は、あまり目かけない。恐らくこの日いた日本人は、私と私の娘だけだと思う。従って、皆の視線を感じながらの遊園地訪問となるのが常だ。日本にいる黒人は皆こんな気分で日本人の視線を感じているのかと思うと面白い。