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水の中。

海外小説のレビューと、創作を。


私立探偵マーロウは、酒に酔って前後不覚となった男を拾ってしまう。
奇妙に礼儀正しい酔っ払いの名は、テリー・レノックス。
物静かで、顔に傷を持ち、富豪の娘と結婚していながらも満たされていない男。


彼には、どこか心惹かれるところがあった――



レイモンド・チャンドラー, 村上 春樹
ロング・グッドバイ


ハードボイルドの古典とも言うべき有名な作品ですが、
ハードボイルドというジャンルの系譜に詳しいわけでも、
旧訳(清水訳)を読んでいるわけでもない自分……というわけで、この作品単体での感想を述べるにとどまりますが、本作の魅力がどこにあるかといえば、それはストーリーでもなく、登場するキャラクターでもなく、やはり名文家チャンドラーのあらわす文章そのものにあると思います。




最後の最後に問題となる人物がですね、意外な再登場をするのですが、
実は私などはこの展開の持つ意味について行けずに、


「は? で、なに? そーするとこの話はえーっと、どーゆー話になるんだっけ??」



と、しばらく考えこんでしまったほど。
そして考えこんだあげくに、 「まあいいかべつに」と思ってしまったほど……。



ミステリとしては、特にこれという展開はありません。
いくつかの殺人事件が起きるのですが、後になってマーロウが口頭で謎ときをする程度で、ハラハラもしなければドキドキもしない。
しかしこのマーロウの一人称の「語り」、チャンドラー節とでも呼ぶべきなのでしょうか。
これが非常に魅力的で、読ませるのですよね。



ハードボイルドとは、主観を排した客観的な描写の積み重ねで物語を語るもの、というようなことがよく言われているように思うのですが、うーん、客観的。客観的というより、そうですね。


彼は「~である」とは断定しないのです。


遠まわしに表現するだけで、読み手に「こう感じろ」とまでは言わない。実際には非常に主観の入った言い回しをしていても、抑制がきいているために、読み手によってはそれはただの言葉どおりの描写としかとらえられない。
例えば、殺人課の刑事と電話で穏かならぬやりとりをしたあとで、マーロウはこう語るのです。


「警官の仕事もなかなか骨が折れる。誰にへつらい、誰をいたぶればいいか、簡単には見きわめられないのだから」


これをただの言葉どおりの「大変だなごくろうさん」と取るか、諦観と皮肉の混じった呟きととるか、攻撃的な物言いととるのか、それは読み手しだいであるわけです。




これは、読み手によっては「うわー、かったるいなー!」と感じられるスタイルだろう思います。
この長広舌にセンチメンタルな魅力を感じるか、あるいは長すぎて鬱陶しいと感じるか。
そう考えてみると、ハードボイルドを好むひとというのは、繊細でロマンティックな心の持主であるのかもしれません。



文章のことばかり書いてしまいましたが、私はですね、マーロウという主人公に、いまひとつ感情移入できないのですよね……。



この作品を紹介していただいたえいみすさんのところで
「テリー・レノックスってそんな助けてやりたくなるほどイイ男か?」
のようなことを書かれていたのですが、私はむしろテリーという人物の弱さは理解できるし、その弱さが持つ魅力(ほっとけないなーという)は分かるのです。
しかし、マーロウについては――

……なんかさー、あんたさー、自分がしがらみを捨てて大都市の探偵として生きているからってさー、そんなに他人を断罪しなくていいんじゃないか? 



という気がしてならないのです。
この物語の登場人物たちは、金や地位や生活という、守るべきものを持ってせせこましく、時には卑怯にふるまいながら生きているわけですが、「それってそんなに軽蔑されるべきことか?」と思うのですよね。



音楽的なまでに美しいチャンドラー節を、丁寧な翻訳によって、とてもとても楽しく読みましたが、マーロウという人物には「持たざることを選んで生きている、他人に容赦のない人物」という印象のまま、最後まで共感できませんでした。



他の作品を読めば、また印象は違うのかもしれませんが……どうでしょうか。





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いつも楽しくレビューを拝見している叶さんのところで、
読書について書かれた本の記事 があったのですが……



ああ、読書かー。
読書ね……。



以前にも書いた記憶がありますが、私自身は、「本を読むことはスバラシイことだ」とは、あまり思っていないのですよね……。
小学生や中学生にとっては、学力の基礎となる「読む力」「書く力」を養うために有効な手段であるので、読書をすすめる意味はあると思うのですが、
いい大人に「本を読め」などと言って、どうなるのか。
そもそも、「読むひと」と「読まないひと」の間には、「ここが違う」というほどの明確な差は存在するのでしょうか?



このテーマを考えるときに思い出すのは、恩田陸「三月は深き紅の淵を」という作品。
この連作の一話目に、シュミは読書という主人公が登場して「本を読むひとの思い」について語っているのですが、それが「ああ、あるあるー!」というふうに、共感を覚えるものであったのですよね。



……何に共感したのかは忘れましたが(←ここで持ち出す意味ないんじゃ……)。


恩田 陸
三月は深き紅の淵を (講談社文庫)



読書と一口に言っても、小説が好きなひともいればノンフィクションを好むひともいて、学術書ばかり読むひともいれば、字さえ書いてあれば何でもいいという本読みもいたりして。
えーと、しかし確かにですね、私のこれまでの経験上、好むジャンルは人それぞれであるにしても、だいたいにおいて読書家さんというのは、書いても話しても表現力が豊かであるなーとは思います。
読解力からくるものであるのか、物事の理解も早いように思います。

だからといって「本を読むひと」と「読まないひと」のあいだに、社会生活に支障をきたすほどの国語力の差があるわけでもなく、
「それがいったい何になるのか」というのが非常に疑問でして。



私なども、平均的日本人よりは、言葉に詳しい人間かもしれません。
面倒なので、外部に出回らないものにまでいちいち指摘はしませんが、
実は仕事のメモなどで他人の文章に間違いを見つけては、イラッとするほうです(こわ!)。



読書のおかげで身につけている力があったとして、自分はそれをいったい何に使っているのだろう――?
と思ってしまうのですよね。



他者への共感は、思いやりを育てるかもしれない。
だけどそれは、やたらと他人の顔色をうかがうような、過剰適応を生むのかもしれない。


言訳ばかりが上手になって、エクスキューズすることに長けてしまっているのもしれない。そして知らないうちに弁解ばかりで実行しない人間になっているのかもしれない。



そう考えるとですね、自分は好きだから読むのですが、そうでない他人様にまで
「読書は人生を豊かにするものだ。読むべし!」
と主張する気にはなれないのです。



(唯一の例外があるとすれば、作家さんでしょうか。物語を書くひとには、読書家であってほしい……)


週末は実家へ戻っていた私ですが……

ダイエットをしていたはずのうちの犬が、ふつーにリバウンドして元に戻っておりました。


パピヨンていうより、そうですね、チャウチャウ風味というのか……。


いろいろとヘンなところのある、この犬ですが。
一番おかしいと思うのは、痛いところがあったり熱があったり、とにかく自分の体調が悪くなると、病院へ連れて行けと言うのです。



「は? 言うってナニ? どういう意味?」



動物を飼ったことのないうちの旦那などには理解してもらえませんが、
言うったら言うのですよ!
正確には「連れて行けとアピールする」わけなのですが。



「えー、今ちょっと車ないから、あとにしてよー」
などと断っても
「いまいく!!」
と言い張ってきかないので、仕方なく自転車のカゴに乗せて獣医さんのところへ行ったこともありましたね(米俵のよーに重かった……)。


物言わぬ動物である犬ですが、そうですね、

ウチのコレ↓はわりと物を言っているような気がします……。



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友人とドライブ旅行へと出かけたキンバリー。
ハイウェイにさしかかったところで、彼女は奇妙な予知に助けられ、大規模な玉突き事故を逃れることになる。
救われたかに見えた命だったが、同じようにこの事故で「死ぬはずだった」人々が、次々と命を落としていく。


一年前の180便の事故と酷似したこの状況が語るものは何なのか?
果たして、この「死のリスト」から逃れる術はあるのだろうか?

エスピーオー
デッドコースター/ファイナル・デスティネーション2


わたくしの大好きシリーズである、この映画。
あれこれ謎めいたことを言ってはいるのですが、まあ要するに、ただひたすらに次々と「助かったはずの人々が死んでいく」とゆーだけの、言ってみれば身も蓋もないようなB級ホラーです。


しかも本作では、死に方がスゴイです。
日常系です。


なにが日常系かというと、「捨てたパスタを踏んで滑って死ぬ」くらい日常系です(これはバナナの皮に滑ってころぶくらいスゴイことだと思う)。


前作「ファイナル・ディスティネーション」で生き残ったクレアが登場するところがイイですね。
彼女は自分が「死のリスト」から逃れていないことを知っているので、みずから精神科に入院し、あらゆる危険を遠ざけて生活しているのですが、そこへ今回のヒロイン・キンバリーが助言を求めて訪ねていくのです。


「自分にできることは何もない」と、当然ながら突き放すクレアですが、結局は新たな犠牲者を見捨てることが出来ずに、病院を出て外界へと戻って来るのです(かっこいー! ハードボイルドの主人公のよう……)。



「新しい命が『死のリスト』の筋書きを変える」



などという謎かけもあるのですが、まあそれは寝言のようなもので、本作には謎解きの要素はありません。死のトラップを逃れることは不可能で、救いのヒントとなるはずのキンバリーの予知さえ、時には予期せぬ死を招いてしまうのです(エレベーターの鉤爪の男なんかはさー、電話で知らせたせいだと思うな……)。



しかし不思議なのは、本作のような、ひたすら人が死ぬようなR指定のB級ホラーが、どうしてこれほどまでに人気があるのか、ということ。
私自身も、この作品に非常に癒される部分があるのですが……。



幸せで平凡な日常を生きているはずの人間が、いかに日常に疲れ、倦んでいるか、ということなのでしょうか。
実際には「終わることのない退屈な日常」などというものはなく、幸運が積み重なって実現されているだけの、儚い現実に過ぎないのですが。
それを忘れていられるということが、あるいは「幸せである」ということなのかもしれません。



ちなみに本作はシリーズ2作目。最後の作品である「ファイナル・デッドコースター」については、また今度。(←書くのか……?)





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うたたねをしていると、旦那が帰って来たようです。
「ただいまー」
「……」
「ただいまー、どうしたの?」
「いま……」
ここで、むっくりと起き上がる自分。どうでもいいですが、床でうたたねすると体が痛いです。
「いまわたし、にゃんまげと話してた……」
打ち明ける妻に、
「へー、すごいじゃん、にゃんまげと話してたのかー」
と感心してみせる夫。



「にゃんまげ、何だって?」
「忙しいって言ってた(←本当)」
「そうか大変だなー、おれ着替えてくるね」
立ち去りかけて、旦那は思いついたように私に問いかけました。
「……で、にゃんまげって、だれ?」



……にゃんまげ知らんのか!!




そんな会話をする、深夜12時すぎ。




(解説)……ニャンまげとは、この白い彼のこと。知りませんでしたが、日光江戸村はリニューアルして江戸ワンダーランドになっていたのですね……。


ニャンまげにとびつこう/ニャンまげ合唱団
¥990,000
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(それにしても、このプライスは何だろう。何かの間違いとか……?)


18



いつもお邪魔している発掘屋さんのところ で
「100冊目の書評です!」
という記事があって(おめでとうございますー!)、

「わー、すごい! 100冊かあ」と思ったものですが、
ふと気がつくと、おや?



海外作品57
国内作品43



……ということは、ここのレビューも、ちょうど100冊を達成していたわけですね(感受性がひくいせいか、記録とか記念日とかにうとい自分……)。



でもなあ、ここの場合ですが、仮にも書評ブログを名乗っていて、二年もやっているにしては、レビュー数は少ないほうではないかと思われます。創作のほうをメインでやっていた時期もあったので、仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんが……。


これからは漫画や映画のレビューなども、もう少し増やしていきたいですね。
というかですね、まずなにより更新頻度を上げていきたいなーと。


(先月はなんと8回! しか更新しておりません。ブログで8回とゆーのは、すごい沈黙ぶりだな……)





ボストン南部。犯罪者ばかりの一族の中で、唯一まともな人物であった父に育てられたビリー。
警察学校を卒業した彼は、マフィアのボス・コステロの甥であるという事実を利用され、極秘潜入捜査を命じられる。
一方では、コステロに育てられた男コリンが、内通者でありながら警察で順調に出世の階段を上っていた――


ワーナー・ホーム・ビデオ
ディパーテッド (期間限定版)


あらすじを書いてみると、それなりの作品のようですが、
実際には、えーと。
バンバン撃ち合ってバンバン死ぬとゆー、ふつーのギャング映画。
ノワールというほどの味わいもなく、対立する主役二人が互いに仮の身分に苦しみながら薄氷の上を踏んでいる……というほどの緊張感もなく(なんでだろう……)。




終盤でディカプリオ演じる覆面警官ビリーがいきなり(!)撃たれてお亡くなりになった時点で、
なんかもう非常にどうでもよくなってしまったような……

観客が忘れかけていたよーな意外な人物が突然現われ、復讐して完、というラストに至っては、


えー、そんなオチ?



と呆然とするしかなく……。



やはりハリウッド映画でコレはダメなのではないでしょうか。
元ネタである「インファナル・アフェア」を観ていないので比較のしようもありませんが、
おそらくあちらでは同じようなラストであったとしても、もっと違う陰影ある味わい、「やりきれなさ」とでも言うのでしょうか、それがあったのでは。
本作を見るかぎりでは、ただの「誰も救われないギャング映画」にしかなっていないのですよね……。



これは何がダメだったのかと言えば、やはり脚本なのでしょうね。
この映画をサスペンスとして盛り上げるには、もっと緻密な脚本が必要なのではないでしょうか。
仮にサスペンスとしては成功しなくとも、

「誰も本当の自分を知らない」

という過酷な状況の中で、どのように自分を戦わせるのか、というのは面白いテーマであると思うのですが。



そしてマフィアのボスである、コステロ。
彼がもう少し魅力ある人物として描けていればなあ、と思うのです。この人に魅力がないと、彼にかかわる内通者コリンと覆面警官ビリーの二人に、苦悩とゆーものが生まれないではないですか。
こんなんでは、このボスを欺くことに何の罪悪感も覚えないし、裏切るのことに何のためらいも感じないよな……。



えー、文句ばかり書いておりますが、
本作はなんとアカデミー賞四部門受賞作品であるので、おそらく私の気がつかないスバラシイところがあるのだろうと思います。たぶん。



25


朝の通勤電車で、たまたま前に立っていた女の子。
私の位置からは、彼女の読んでいるものがとてもよく見えるのですが――



他人の読み物をこっそり見るというのは褒められた話ではありませんが、
少しばかり気になっていることがありまして。



電車で本を読む人は多いのですよね。
フツーの文庫本から週間コミック誌から、果てはどこだかのサイトの小説をプリントアウトしたもの(←これすごい内容だった!すごいとゆーかヒドイ内容で目がはなせなくなりました……)まで、ありとあらゆる物を読む人が存在するのです。が。



あー、あのー。
こう言ってはゴーマンですが、


……何でみんなそんなに読むのが遅いのですか?



今日の目の前の女子もですね、読む速度が非常に遅い。
後で調べたところによると、その本は宮部みゆき著「人質カノン」であったようなのですが、


……遅い。
遅い。
遅すぎる。


私が三回読むあいだに、まだページをめくってくれないじゃーないですか……!!
私が降りる駅に着いてしまうじゃーないですか!
そんなノロさでは、りっぱな通勤本読みにはなれませんよ!! (←なる必要ないし)


鍛え上げた熟練の技が光るわたくしの速読(たぶん)ですが、
まあ速く読めたところで、深く理解できているかというとそうでもない気がするので、
特に自慢するようなことでもないか……。



DAIS(ダイス)――防衛庁情報局。
特殊部隊を退役したのち、建設業界で生き延びようとするサラリーマン中里(「いまできる最善のこと」)、

育児ノイローゼから職場復帰したケース・オフィサー由美子(「媽媽」)、

死亡した二重スパイの人生に興味を持つ堤(「畳算」)、

……それぞれ「市ヶ谷」に因縁を持つ彼らの、逃れられない6つの人生とは。


福井 晴敏
6ステインDAISピンズセット


「Twelve Y.O.」「亡国のイージス」などでおなじみの組織「ダイス」にまつわる短編集。
タイトルどおりに6作ありますので、一作ずつ感想を。


●「いまできる最善のこと」
うーむ、これがトップバッターであるのは、分かるような。
導入部としては入りやすいのですが、山中で過去の敵に狙われるという、ほぼ一場面のみの構成であるので、単体でみると魅力の薄い作品ではありますね……。



●「畳算」
5年一緒に暮らしただけの夫を待ち続けて……待ち続けて何十年。
しかも再会できないんすよ!!
これが一番印象に残りました。悲しくて。



●「サクラ」
少女が未来を手に入れる爽やかなラストですが、これ暗殺劇なんですよね……。



●「媽媽」
まだ育児経験のない自分ですが、由美子さんの気持を想像すると「ああ、ありそうだな~」と思いました。
ノイローゼ状態の自分について、「そんなものは遊び足りない、覚悟のたりない大人子供がかかるものだと思っていた」という述懐があるのですが、ヒヤリとしますね。私自身もそーゆーワケワカラン誤った自信を持っている気がする……。



●「断ち切る」
前作「媽媽」の続編のような作品。そしてラブストーリー、
というか主人公の椛山さん(孫アリ。妻とは死別)がフォーリン・ラブするお話。



●「920を待ちながら」
このオシャレげなタイトルは作品イメージとかけはなれておりますが、
なんとこの作品には、某イージスの人気キャラ(たぶん)、如月行が出てくるですよ!!


しかしそんなことよりも私が気になるのは、警補官APの給料です。月10万くらいって、そんな……。
予算的にムリかもしれませんが、すげー割に合わねえ金額ですね。
そんなんならバイトしたほうがいいや……。 ←こういう人はそもそも組織に勧誘されないかと




というわけですが、
こうしてダイスがらみの短編を6つも読んでしまうとですね、長編のような感情移入が無いせいでしょうか、
なにやらこう、モヤモヤしたものが残りますね……。


組織と個人の幸福とは両立しないものであって、
ましてや国家の治安のための汚れ仕事なんて過酷であるのが当たり前じゃーないかと、
苦悩する登場人物たちを前に、ややしらけた気持になってしまいました。


いえ、現実に国の仕事にたずさわっているひとに思うわけではないのですが、この物語でこういう視点で語られると、苦悩も感動も、なんだか非常にお手盛りな感じがするのですよね……。


面白いことは面白いのですが、モヤモヤした読後感がのこる短編集。でした。
(解説のあさのあつこさんのアツイ語りがかえってそれを助長するという……)

シェルターでの避難生活を襲った、謎の連続死――


エボラ出血熱のような症状を発する「ダニX」のために、シェルターの人々は倒れていく。

花や新巻たちがマークの手記の最後のくだりを読み終わるころ、

秋チームの三人は「ダニX」が休眠する冷蔵庫を開けようとしていたのだった。


田村 由美
7SEEDS 10 (10) (フラワーコミックス)
田村 由美
7SEEDS 9 (9)

(なぜ11巻の画像がないとですか……!!)



ああー、シェルター編が終わりましたね!

10巻の感想で、私は

「花のパパである貴士さんが状況をコントロールできなくなったときが、この集団としての最後でしょう」

みたいなことを書いたものですが、ここの人々は最後の最後まで、あたりまえに真面目に幸せに暮らそうと努力するのですよね。

暴動などは起こさずに。


これに対して、「人間とはそれほど気高い生き物ではない」とか、そういうことを言うのは間違いではないかと思うのです。

現実にどうであるかというのは、問題ではない。

カガミにうつる自分を語るようなもので、ひとそれぞれ違う人間像というものがあるのだと思います。

そして、「この作者さんにとって」、人間とはこのような生き物であるのでしょう。



……なんて、まともな感想を書いている自分ですが、

じつはこの巻でいちばんの衝撃を受けたのは、

花が……

あんなに彼氏ラブで、嵐に再会することを生きがいにしている花がですよ……



新巻さんに「ドキッ」て!!

ドキってなんだよ! (←と私も問いかけました)



いやーしかし、私自身は運命の恋なんてものは信じていないので(その人以外愛せないなんつー人は、よほどのヘンクツではないかと……)、

アリか?

アリかも?

とソワソワしてしまいましたよ。


私的には、ひとりで15年(でしたっけ?)も頑張ってきた新巻さんに、幸せになってほしいのですけどね……。