水の中。 -30ページ目

水の中。

海外小説のレビューと、創作を。



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ダンナという名の第三者が言うにはですね、
「おまえの実家のひとたちは、結局みんなして『うちの犬が世界一かわいい』という話をしている」
のだそうです。


……そうか?


「言い方がちがうだけで、そろって同じ主張をしている」
のだそうです。


……そうですか? 



しかしまあ、アレですね。
人間という生き物には、愛情の受け皿が必要なのですよ。


小説のエピソードになりますが、

宮本輝「優駿」に、ある恨みごとから思い入れのあるはずの競走馬を死にいたらしめてしまったジョッキーが出てくるのですが、

この彼が人が変わったようにレースにのめりこんでいくさまを見て、誰だったか知り合い(思い出せないのですが、役割からいって調教師さんかな~)がですね、こう諭すのですよ。



愛情の向かう先がないと、人は歪んでいくものなのだと(←うろおぼえ)。



私もそう思います。
たとえばそれは、この小説の人物がすすめるような、「恋愛」でなくてもいい。
相手が人間でなくても、たとえば生き物でなくても構わない、愛情をそそぐ対象が必要なのだろうなー、と思うのです。


物言えぬペットなどは、まさにこの格好の対象になるのですよねえ。
これ、たとえば犬がバリバリ喋ったとしたら、また状況は違うと思うのですが(ディスコミュニケーションの幸福な一例……)。
そして、うかがい知ることのできない犬側のキモチというやつなのですが、私の知人の犬好きな方が言うには


「人間から与えられる『ほめられる』っていう報酬はね、犬の仲間内では発生することのない、すっごい快感なんだよー!」


だそうです。
本当なのかどうか知りませんが、一理ある――気はする。
この男性、ご本人の職業はペットとは無関係な建築家であるのですが、それにしても犬ウンチクの豊富なひとなので、「詳しいですねえ」とほめたところ、

「おれは分かり合いたいんだよ!」

と言ってました。




愛だな……。



(↓ちなみに優駿の画像がないー! ので、DVDを貼っておきます。むむー、不満……)



フジテレビ
優駿 ORACION


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何年も(何年だろう……と思ったら、二年もここやってますよ自分!!←アーカイブで確認)
そしらぬフリでブログを更新しつづけてまいりましたが、


あー、
あのですね。


本のレビュー、ふつーは作者さんごとに五十音順に並べるべきなのですよね~。
そうでなくても、せめてこう、「ミステリ」「SF」くらいにジャンル分けするとか。
今現在のカテゴリはというと、


「海外作品」
「国内作品」
「漫画」
「映画」


……うわー、ぜんぜん分かれてねえ!!


いずれ書庫に書評ページをつくって移そう、などと思いながら放置していたのですがー、
あらためて自分の感想などを読むに、正直なところ書庫におさめて残しておきたいほどのものでもなく……。



いえ、自分なりにはこのレビューというもの、じつは大変役に立っているのですよ。
ここで感想を書き始めてからというもの、読後に再び内容について考えるせいでしょうか、読んだ本の内容を忘れなくなりました。


昔は同じ本を何回でも購入するとゆー忘却ぶりであったので、それに比べたら大進歩! なのですよ。


ただ、ひとさまにどうしても読ませたい訴えたいとゆーレベルのものではないので、
このままブログにそっと置いておきたい……ような。
そうであれば、もう少し整理した状態にしたい……ような。



ようなようなと呟きつつ、
このまま放置してしまいそうです。
確かに日々忙しくて時間がないのですが、何度も言うように、この「時間がない」とゆーのは言訳なのですよね。
ひとは時間があろうがなかろうが、自分のやりたいことはやってしまうものですからねえ……。



(ちなみに書庫サイトも放置中ですが、週末までに「水上~」の13話を更新したいと思います。大賀とゆーひとのことを忘れてしまいそう……)


木偶人形、飾りのない釦、オウム貝、広口壜――



「わたし」が心惹かれてオークションで手に入れた形見函の中には、不思議な品がたくさん詰められていた。
この形見函を譲って欲しいというイタリア人が言うには、これは「クロード・パージュという天才的な人物がのこした物なのです!」だそうだ。


クロード・パージュとは、いったいどのような人物であったのか。
これらの品々には、どのような意味がこめられているのだろうか?



「時代物を読む楽しみ」については理解できるのですが――
では、時代物を「書く」楽しみとは?

……考えてみたのですが、やはり「その時代」にしか存在しない空気への偏愛、これしかないですよねえ……。


何でまたそのようなことを考えたかというとですね、本作が非常に見事に18世紀フランスとゆー世界を描き出しているからで。
いまどきの情報社会、時間とお金さえあれば、ひととおりの資料を揃えることは誰にでも可能ですが、それを読みこなして時代を再現できるかどうかについては、まったく別の問題なのですよね。
これは膨大な知識と文化風俗への理解、この二つがあって初めて成立する業(わざ)であって、並大抵のことではないと思います。



で、最初の問いへ戻るのですが、
これだけの労力をかけて、現代の作家が過去の時代を書く意味とは、何でしょう?



西部劇や日本の時代劇や英国のビクトリアン物のように、「その時代」にしか存在しない階級の、「その時代」にしか発生しない物語、というものであれば分かります。
しかし本作はですね、うーん、一庶民の好奇心あふれる青年のー、



お屋敷奉公→そこでの師匠(元聖職者のおじーちゃん)の教え→機械装置への情熱→師匠の財政を助けるためのエロ時計(そんなものが売れるのか……)づくり→師匠との仲たがい→パリへ出奔→何のコネもなかったので、しばらく無職→師匠の知人の書籍商(すげー不快な人物)のところでこきつかわれる徒弟生活→顧客である人妻とのヘンテコな情事(人妻のほうには、それなりの理由があってのことなのですが……)→破局と挫折→実家の火事で里帰りして師匠と和解→



……長すぎるので、このへんにしておきますが、発明家クロードの半生が、こうして訥々と語られていくわけですよ。
そういった青年の魂の彷徨を書きたいだけであれば、時代などいつであっても構わないと思うのです。
実際、この物語のクライマックス(とゆーほどの盛り上がりは無い)で、いきなりフランス革命が起こってビックリしたくらいで。いやビックリしたのは読者の私が、なのですが。
これほどの大事件が、物語の本筋にまったくかかわってこない――主人公クロード自身が政治にまるで興味がない発明家であるせいか、革命の予兆なども全くナシだったり――というのが、まずビックリですね。


つまり、「この時代」である物語上の必然性があるわけではなく、「この時代」は物語のための装置ではなく、要するに書き手が「この時代」を好きで好きで、書きたいだけのことであるのだろうなーと結論するわけです。


巻末の解説(若島さんの解説は無駄がなくて素晴らしい。いつも解説というと粗筋説明かワケワカラン自己主張を読まされるのですが、今回のこれはザ・解説ですね)によると、執筆には五年の歳月がかかり、さらに続編には9年が費やされているそうですが、



……いやー、これはそれだけの時間がかかるでしょうねえ。
そして、この時代への愛着がなければ、これほどの労力はかけられないでしょうねえ……。




しみじみ感心してしまう本作ですが、
惜しむらくはタイトルにある「形見函(メメント・ホミーネム)」が物語上で上手く機能していないところ。
序章は、オークションで形見函を手に入れた「わたし」の一人称で幕を開けるのですが、すぐに形見函を遺したクロードの物語に入ってしまい、以降まったく「わたし」は顔を出すこともなく、物語は終わってしまうわけですが……。


このあたり、姉妹編「形見函と王妃の時計」では、形見函の品のひとつひとつの謎をといていく形式になるらしいので、そちらを読んでみたいですね。

(ちなみに「形見函」とは、スイスとフランスの一部で流行した風習で、自分の一生を象徴するような思い出の品をつめたもの、とでも思っていただけるとよろしいかと。
本作の単行本のデザイナーさんがカバー用に再現したコレ↓などを見ていただけると分かりやすいかと思われます。)


(暑いので画像は雪山で!)
                八方


ところで。


椅子の話になりますが、かつて物欲にかられ、岡村製作所のアトラス とゆー製品を購入した私ではありますが、今現在、あまり使用しておりません。
これは対となるクルーズ・デスクと一緒に使ってはじめて効果を発揮するよーな代物で……



いえ、正直になりましょう。



壊しました。
わりとすぐに壊しました。



えーと、リクライニングのところを操作せずに体重をかけてしまい、
 がっしょん!
と壊してしまったよーで、角度の調節ができません。

なんというかこう、体重をかけたらかけただけ、だらーんと後傾になれるリラックス・チェアと化しております。



そして、ここが私のなにより悪いところなのですが、「えー、うーん」などと、しばらく不自由を感じたあとで、
「まあいいか……」
と慣れて(!)しまったため、修理にも出さずにそのままとなっております……。



しかしですね、最近のオフィスチェアは進化が著しくてですね、
それほど高級なワークチェアを購入しなくとも、五万くらいの価格帯でかなり良いものが出ているのですよ。
前述した岡村製作所で言えば、アドフィットとかフィーゴあたり、外見はフツーですが、意外と良いです。
あとスチール・ケース社のLet's B なども、ちょっと試座させてもらっていたことがあるのですが、かなりオススメです。


……今となっては、なにも10万以上もする椅子を購入する必要は無かったかもなーと思いますね。



でも今はあのー、じつは、マッサージ・チェアがすごく欲しかったり……
家電量販店へ行くとコーナーがあるのですが、
今のって、サイバーでカッコイイのが出てるじゃーないですか!!



あれ欲しいなあ……。



買えないことはないのですが、でも買ったら叱られるだろうしなあ……。 (←ダンナは運動しろと叱るのですー)





2055年。
タイム・サファリ社は時間遡行の技術を売り物に、恐竜ハンティング・ツアーを開催していた。
死ぬことが確定している恐竜を狩るだけの、安全なツアー。


何の問題も無いはずが、ある日のこと、街は急激な変貌を遂げてしまい、
未知の生物が跋扈する新世界となってしまうのだった。


サウンド オブ サンダー デラックス版
¥3,591



うわビックリした。
これ……2004年作品ですか?
バックのCGがあまりに合っていないので、見終わるまで
「昔の映画なんだな~」と信じておりましたよ……。



いえ、それはいいのです。
そんなことは問題ではない。



時間遡行モノSF+パニック・アクションという、贅沢なコンセプトのこの作品。
哺乳類チックな恐竜だの蝙蝠チックな恐竜だのが次々と襲いかかり、
かろうじてアクション物としては……そうですね、楽しめたかもしれません。が、しかし。

こんなにも質的にB級であるのに、
どういうわけか目指しているところがB級娯楽作品ではないらしく、
訴えたいテーマも特に無い(無いだろアレ)わりには、ヘンに真面目に物語が展開していくのです。


しかしどれほど真面目にやろうとも、最初から屋台骨がグラグラなところに、ひとを納得させる理屈が立つわけもなく……


そもそも、これほどまでに未来が変わってしまった原因がいったい何であったのかと言うと、
サファリ・ツアーで客のひとりが――蝶を踏んづけてしまったからで。



「蝶いっぴきを死なせただけで、こんなことに?」
これに答えて博士が言うのです。
「そうよ、生態系の一環を破壊したことになるの!」



・・・・・ う そ だ ー ! !




「時間の波がくるわ。段階的に変化していくの!」

時間の波が……来たよ、ホントーに津波みたいに(まあ他に表現のしようもないけどさ……)。





「最後に変化するのは人類よ!」

わあ、ホントに変化しちゃったよ宇宙人みたく!! (この映像が一番おどろいた)




さて、この人類を変化させてしまった最後の「時間の波」を逃れ、
サファリ・ツアーの責任者である動物学者ライヤーは単身で過去へ飛ぶのです。



(客が蝶を潰す前に、何とかしなければ!!)
(ただ阻止するだけではなくて、ツアー自体をやめさせなくてはダメだ!)


(何か証拠を見せないと!)



……どうするんだろう。

どうするのかと思っていたら、彼はサファリ・ツアーの人々の前に現われ、
同僚に叫ぶのです。
「過去で大事件が起きた!」

ええええええ?!



そして同僚が持ち帰った「自分がうつっている映像」を見せられたライヤーは、
ツアーを中止させるのでした。完。



……いえ、大筋はそれでいいと思うのですよ。しかし過去を改変したとゆー時間遡行モノなりのカタルシス、
「コレとコレを救いました」みたいなものが、全くない。
どうしてかと言えば、この最後の最後の場面で「視点を過去のライヤーへ移してしまったため」なのですよね。
これはイカンでしょう。
「何も起きなかった」世界のライヤーは、自分が何を救ったのかも知らないわけで。
ライヤーが無自覚であっても、観客は「ああよかったね~」と思うことのできるエピソードを用意しなくてはならないのですが、ここが一番重要なハズなのですが、
それがまったく出来ていないわけで。



「ツアーは危険だからやめましょう」
「そうしましょう」



という、非常に真面目な結論が出て、終わってしまう――だけ、という。
なんだったんだろう、この物語……。



いろいろマズイところのある映画ですが、やはりラストの遊び心の無さが、いちばん良くないように思います。
いっそのこと、タイム・サファリ社の強欲社長が生まれる前にとんで、両親を出会わなくさせればいいんじゃねえかなと
(ありましたね、ジャック・フィニイの作品にそういうの) 。





琉花(るか)は部活中にチームメイトに怪我をさせてしまう。
いつもいつも周囲と上手く馴染めない彼女が出会った、「海」と「空」――彼らは海の生き物に育てられた子供たちだった。


琉花の、長い長い夏休みが始まった。

五十嵐 大介
海獣の子供 1 (1) (IKKI COMICS)


絵柄からして素朴な不思議話かと思われたのですが、そういうわけでもなく、

「やや陰謀のニオイのする海洋ロマン」

のようですね。
しかし、この一巻目では穏かな予感があるのみで物語が動くこともなく、ただのんびりと海がひろがるばかりですが。



いやー、いいですね!



私はこの「夏休み」というフレーズに弱いのか、もうなんだか夏休みであるだけでスバラシイです!!


豪雨にずぶぬれになって自転車をこいだり、
電車から外を眺めたり、
砂浜に深海魚がうちあげられていたり、


「これぜんぶ色がついてたらいいのにな~」

などと思ってしまいました。


夏の情景があまりにすばらしいので、ストーリーなどこの際どうでもいいというか、
うわー、海だよ夏だよ。

もう全編カラーでやっていただきたい……!!



……というふうに堪能しました。

夏休みのない自分に、夏をごちそうさまでした、とゆーカンジです。



そうそう、絵の話になってしまいますが。
こういう強弱の無いタイプの線だと、これくらいのサイズ(B6判)でもツライのですね~。
せっかく丁寧に描かれているようなのに、印刷映えしないと言いますか、
のびのびしたカンジが縮小でつぶれてしまうようで……ちょっと勿体無いなーと。



(現在、第二集まで↓発売中)

海獣の子供 2 (2) (IKKI COMICS)/五十嵐 大介



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ど、どうもこんにちは!


用事があって外出していたり来客があったりで、休暇であったような気がしない週末でしたが、
なんとか投票には行ってきましたよー!



時事ネタは書かないと決めているココに、何故このような話を持ってくるかと言えば、
週間アスキーを読んでいたところ、大槻ケンヂさまがですね、


「俺は選挙とゆーシステム自体を信用していないから、一回も投票したことないね!」


などと語っている記事が載っていたからで。

対談形式のお話であったので、すかさずゲストに「そんな20代のロッカーみたいな美学、もうみんな卒業してるよ(大槻さんは40代だそうです)!」などとツッコまれていましたが。



……えーとココは書評ブログなので本のことばかりしか書いておりませんが、

私も読書ばかりしているわけでなく、きちんと生きておりますよ、

と主張しておこうかと(それだけ)。



わたしの個人的な見た目測定(それは測定でないのでは……)によると、思ったよりも人が来ていたようですよー。
結果は結果として、投票率が高いといいなあ、と思います。




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「もうさー、1500円もするんだよ。文庫本が~」



とボヤいてみせたのは、わたくしの唯一の読書仲間である職場のオジサマ。
まあ、仲間といっても私が貸す本などは彼は気に入らないらしく、
「登場人物がカタカナだと覚えられない……」
とろくに読まれることなく戻ってきたりするのですが。



彼が取り出した本を見てみると、フツーの、いえ、
やや薄いくらい厚さの文庫本。


「えー、これがそんなに高いんですか?」
と首をひねりながらカバーをめくってみると、福井晴敏のコレ。





¥1,575
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ああ、これかー、
付録にダイスのピンズがついているという……。



「この人は人気作家だから本が高いんだね~」
おっとりと的外れな感想を述べる相手に、

「これはピンズ付限定版であって、無しのやつはフツーの値段ですよ」

などと、せせこましい指摘をするべきかどうか悩み、やはり言わずにおきました。



いまさら知ってもな……。



ピンズ (←楽天のショップに画像があったので気になる方はどうぞ)も見せてもらったのですが、あー、
これはカッコイイのかもしれませんが、そうですね。
いるかいらないかといえば、


いらないなと……。




たてつづけに起きた天変地異。
親を失った家のない子供たちは収容所へ入れられるか、再教育施設へ送られる。
脱走後、泥棒稼業によって暮らしをたてていた城ヶ崎は、かつて施設での「相棒(バディ)」であり、現在は政治家の養子となった男に脅迫されるのだが――

薄荷廃園の主人と執事。 (あすかコミックスDX)/なるしま ゆり
¥546
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表紙を見て

「流行りの(そもそも流行っているのだろうか?)執事モノ……?」

と不安になったのですが、
中味はフツーの、なるしま節あふれる近未来ちょっぴりSF。



この作者さんは、何を描かせても雰囲気がまったくおんなじですよねえ。

舞台がさびれた屋敷であろうと、はるか未来の大陸であろうと、よその宇宙であろうと、
何を描いても「なるしまゆりのまんが」になってしまうのです。



これはスゴイ。

個性が確立されていて、言いたいこと(テーマ)に物凄く情熱的な一貫性があるからだろうと思うのですが……


本作もですね、ふつーの作家さんであれば
主人公に、病んで自暴自棄になったかつての相棒の心を救わせるだろうと思うのです。
そのほうが物語的にもおさまりがよく、盛り上がりからしても感動的になるはずなので。


しかしそうはさせず、
「それをやるのは俺ではなくて、帯刀本人でなくてはダメだ」
という結論を出してしまうところが、さすがだなーと思うのです。



紅い石にやどる精霊(?)である「坊ちゃま」が繰り返し問いかける
「きみの誇りとは?」
というのが、このお話の大テーマであるのですが、これもこの作者さんらしくて良いですね。



下にある「夜と星のむこう」のレビューでは、「ファンタジー設定には興味がもてない」と書きましたが、
何故に興味を持てないのかといえば、ファンタジーというものはたいてい物語のつじつまを安易に整合させるための「作者のためだけのローカルルール」であることが多く、切実さのようなものを感じないからなのですが……。

本作のように物語のテーマに重要な役割を果たすものであればオッケーなのだなあ、と改めて思いました。



たいへん楽しませてもらった本作ですが、
ひとつだけ気になることがありまして。


私が執事とゆー存在にこれという思い入れがないせいもあるかもしれませんが(というか日本において執事とゆーのが文化的に必要とも思えないというか、非常に違和感アリな気が……)、城ヶ崎が屋敷の執事の座にきっちりおさまる必要はないのでは?


何と言ったらいいのか、「執事」とか「秘書」というのは、フィクションの世界においてはすでにテンプレートなパーソナリティー(敬語をつかう慇懃無礼キャラ)があって、その職業についたとたんに、そういう型にはまってしまうのですが~、
城ヶ崎というキャラクターは、フツーの彼自身であるほうが、断然カッコイイと思います。以上。


16年前に病院の火災で死んだはずの兄が、立一(りゅういち)たち家族の元へ帰って来た。
名前は同じ「龍一」。


しかし挙動のおかしい兄には、不可解な部分が多すぎて――?


夜と星のむこう 1巻 (1)/今 市子
                
¥880
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オビに「ホームドラマか? ホラードラマか?」とありますが、
これは……作者おとくいの百鬼夜行抄のようなホラーなホームドラマというよりも、
ファンタジーなホームドラマですね。



輪廻転生を運命づけられた「りゅう」という存在をめぐって、
アヤシイ存在たちが争いあう(?)という。



私としてはファンタジー部分にあまり興味が持てないので、

立一たちの複雑な家庭事情(長男が死に、次男に同じ音の名前をつけ、なおかつ寂しさから養子に迎え入れた女の子もいる!)と戸惑いのあたりを面白く読みました。



まあ、兄の龍一がアヤシすぎて、いまだホームドラマには至っていないようなのですが……この人たちが果たして本当の家族になっていくのかいかないのか、次巻を楽しみにしております。