
ダンナという名の第三者が言うにはですね、
「おまえの実家のひとたちは、結局みんなして『うちの犬が世界一かわいい』という話をしている」
のだそうです。
……そうか?
「言い方がちがうだけで、そろって同じ主張をしている」
のだそうです。
……そうですか?
しかしまあ、アレですね。
人間という生き物には、愛情の受け皿が必要なのですよ。
小説のエピソードになりますが、
宮本輝「優駿」に、ある恨みごとから思い入れのあるはずの競走馬を死にいたらしめてしまったジョッキーが出てくるのですが、
この彼が人が変わったようにレースにのめりこんでいくさまを見て、誰だったか知り合い(思い出せないのですが、役割からいって調教師さんかな~)がですね、こう諭すのですよ。
愛情の向かう先がないと、人は歪んでいくものなのだと(←うろおぼえ)。
私もそう思います。
たとえばそれは、この小説の人物がすすめるような、「恋愛」でなくてもいい。
相手が人間でなくても、たとえば生き物でなくても構わない、愛情をそそぐ対象が必要なのだろうなー、と思うのです。
物言えぬペットなどは、まさにこの格好の対象になるのですよねえ。
これ、たとえば犬がバリバリ喋ったとしたら、また状況は違うと思うのですが(ディスコミュニケーションの幸福な一例……)。
そして、うかがい知ることのできない犬側のキモチというやつなのですが、私の知人の犬好きな方が言うには
「人間から与えられる『ほめられる』っていう報酬はね、犬の仲間内では発生することのない、すっごい快感なんだよー!」
だそうです。
本当なのかどうか知りませんが、一理ある――気はする。
この男性、ご本人の職業はペットとは無関係な建築家であるのですが、それにしても犬ウンチクの豊富なひとなので、「詳しいですねえ」とほめたところ、
「おれは分かり合いたいんだよ!」
と言ってました。
愛だな……。
(↓ちなみに優駿の画像がないー! ので、DVDを貼っておきます。むむー、不満……)
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