タイポグラフィーと書道
久々の更新。
どうもこのブログツールは、Macユーザーにはあまり優しくないようだ。
まめに保存ボタンを押さないと「保存されなかった可能性があります」と出て、
改行コードを無視したテキストデータをコピペしろ、といわれるし、
勝手に文字化けたり、文字が欠けたりする。
そんなこともあり、ちょっと更新がおっくうになりつつあります。
他のサービスに変えようかな・・。
*****
本業(と自分では思っていること)で食えていないので、内職としてWebサイト制作の受託業務をやっている。
基本的に小さな会社のWebサイト制作やコンテンツの更新作業の話しか来ないので、予算のないやっすい仕事だ。
予算が無いから写真を撮り、取材して原稿を書き、コピーを考え、ロゴやWeb全体のデザインをし、HTMLやCSSなどを使ってページを制作するといったWeb制作にまつわる一連の作業を、餅は餅屋で外注するわけにも行かず、全て一人でこなしている。
大学でデザインの勉強をしたわけでも、Webサイトの作り方を誰かに教わったわけでもなく、全くの独学なので、ほんとうにお金もらって良いのか?という感じなのではあるが、元某IT企業出身という肩書きがそれなりに効いているようで(ちなみに当時は制作系の仕事は全くやってなかった)、特段成果物にクレームがつくこともなく、目下の貴重な収入源となっている。
まあ、相手も安い価格で発注を出しているから、あまり高望みをしないのだろうと思う。
そうはいっても、仕事としてお受けする以上、少しでもクオリティを上げようとそれなりに勉強したり、参考となりそうなネタを他のサイトやDTP系のデザインなどに求めたりもする。
たまに乗る電車の中刷り広告などは、結構まじまじとチェックしたりしている。
クライアントからも、デザインについてはそこそこの評価をいただいてはいるのだが、
自分の中では今ひとつ垢抜けなさを感じていて、それは何が現因だろう?とずっと考えていた。
ある日、
「自分のデザインにはタイポグラフィが足りない。」
と思い立った。
いつもPCやPhotoshopなどにあらかじめインストールされているフォントを使っているので、なんだか新味がない。いつかはやりたいと思っているのだが、オリジナルなフォントを作り出すほどの技術も今の私には無い。
早速東京の本屋へ。K市の弱点は本屋の品揃えが少ない(偏っている)ことだ。
デザイン関係の書籍コーナーで、『デザインノート』という雑誌を見つけた。
ちょうど特集が「アートディレクターが魅せる 文字・ロゴ・フォント」だった。
早速購入。1,600円也。高い・・。
おもに、TVCMや雑誌、駅張りポスターなどで見たことのあるような、「かっこいいな」と目に止まったことがあるような作品を生み出した、恐らく業界で最も輝いているであろうアートディレクター達の作品群と、インタビューで構成されている。
その中に、浅葉克己さんという、トンパ文字で有名で、紫綬褒章叙勲者でもある、この業界では重鎮のアートディレクターのインタビュー記事に惹かれた。
実は、もしかしたら本業のほうの繋がりで、浅葉克己さんと近い将来会うことになるかも知れない。
そんなことから、他の記事以上にじっくり読んだ。
その記事によると、浅葉克己さんは10年ほど前に、「タイポグラフィを究めるには"書"を究めなければならないということにやっと気付いた」そうだ。
94年に「ジャンピングタイポグラフィー展」というのに作品を発表した時に、松岡正剛さんと石川九楊(きゅうよう)さんと鼎談をした時に、石川さんが「筆触は思考する」と発言し、それに触発されたのがきっかけだそうだ。
その翌年に石川九楊さんの書道教室に入門し、"書"の深さに気付き、
「書くという行為で文字を肉体の中に取り込めるんです。そしてそのことを通して新しい文字の顔が創れ、時代を創っていけるんではないかと気付いた」
のだそうだ。
単純な私はこの言葉にやられた(感化された)。
さらに、若いデザイナー達へのメッセージとして、3つのことを挙げているのだが、その一番最初に、
「一番目は、自分の手で書くこと。一日一行の日記でもいいし、アイデアが浮かんだらラフスケッチを書く。筆を持ったらもっといいですね。(後略)」
と書かれていた。
・・・そして、直ぐに私は文房具屋に行き、「ぺんてる筆<極細>」を購入した。525円也。
筆ペンにこんなに種類があるのかと思う程ずらりと並んでいたのだが、パッケージに「小さな文字・お写経に最適!」とあったので、迷わずこれにした。
我が家には、その業界では有名なある方から奇妙な縁でお預かりしている、貴重な古書が何刷かある。
ざっと調べてみたのだが、どうも江戸時代のものもあるようだ。
その中の主なものに、『白氏文集』がある。高級な和紙を使っているのか保存状態も最も良く、大切に受け継がれて来たのだろうという印象を受ける。ウチにあるのが勿体無いくらいだ。
驚くのがこれって活字か?と思ってしまうくらい、恐らく同じ人の文字で、全71巻(ウチにあるのは20巻)に渡り書かれていて、見る限りでは途中で字体が変わってしまっているなんてことはなく、同じ調子のえらく達筆な文字で書いてある。当時の人の鍛錬ぶりと精神力というか、根気強さに敬服してしまう。
もうひとつ、『御撰唐宗詩集』という続きものがあって、私は文字をデザインとして見た場合は実はこちらのほうが好き(今これをフォントとして新しくしても十分かっこいいと思う)なのだが、いってみれば、書いた人のクセがあるのと、文字が小さく、私のレベルでは再現するのが困難なので、とりあえず2週間ほど前から、早起きして『白氏文集』を毎日1時間ほど書き写すことにした。
最初は、とにかくほぼ中学生以来、まともに筆を握ったことが無いので、とめ・はね・はらいなど、繊細な筆のタッチが要求される部分がちっとも上手く書けず、出来映えを見てがっかりしてしまった。
それに、漢詩の意味がほとんど把握できないのもあって(こちらも高校の漢文の授業以来だし)、というよりは集中力が足りないんだろうけれど、文字を書きながら全く別のことを考えたりして邪念だらけである。これでは美しい文字が書けるはずもない。
それでも2週間も毎日つづけていれば、少しは「筆触」とやらの感覚がつかめて来るようだ。
最初の頃に比べれば、我ながら随分上達してきていると思う。
でもまだまだ・・・。全体のバランスや統一感はまるで無いし、慣れない縦書きの文字列は斜めに流れてしまっている。
でも心無しか集中力もついてきたみたいだし、文字を書くときにある種のリズムが必要そうだというのも分かったような気がする。そして、少しでも上手くなるからか、書いていて楽しいし、気分が落ちつくようになってきた。
タイポの達人になるにはまだまだ道のりは遠いが、良い習慣としてこれからも続けていこうと思う。
どうもこのブログツールは、Macユーザーにはあまり優しくないようだ。
まめに保存ボタンを押さないと「保存されなかった可能性があります」と出て、
改行コードを無視したテキストデータをコピペしろ、といわれるし、
勝手に文字化けたり、文字が欠けたりする。
そんなこともあり、ちょっと更新がおっくうになりつつあります。
他のサービスに変えようかな・・。
*****
本業(と自分では思っていること)で食えていないので、内職としてWebサイト制作の受託業務をやっている。
基本的に小さな会社のWebサイト制作やコンテンツの更新作業の話しか来ないので、予算のないやっすい仕事だ。
予算が無いから写真を撮り、取材して原稿を書き、コピーを考え、ロゴやWeb全体のデザインをし、HTMLやCSSなどを使ってページを制作するといったWeb制作にまつわる一連の作業を、餅は餅屋で外注するわけにも行かず、全て一人でこなしている。
大学でデザインの勉強をしたわけでも、Webサイトの作り方を誰かに教わったわけでもなく、全くの独学なので、ほんとうにお金もらって良いのか?という感じなのではあるが、元某IT企業出身という肩書きがそれなりに効いているようで(ちなみに当時は制作系の仕事は全くやってなかった)、特段成果物にクレームがつくこともなく、目下の貴重な収入源となっている。
まあ、相手も安い価格で発注を出しているから、あまり高望みをしないのだろうと思う。
そうはいっても、仕事としてお受けする以上、少しでもクオリティを上げようとそれなりに勉強したり、参考となりそうなネタを他のサイトやDTP系のデザインなどに求めたりもする。
たまに乗る電車の中刷り広告などは、結構まじまじとチェックしたりしている。
クライアントからも、デザインについてはそこそこの評価をいただいてはいるのだが、
自分の中では今ひとつ垢抜けなさを感じていて、それは何が現因だろう?とずっと考えていた。
ある日、
「自分のデザインにはタイポグラフィが足りない。」
と思い立った。
いつもPCやPhotoshopなどにあらかじめインストールされているフォントを使っているので、なんだか新味がない。いつかはやりたいと思っているのだが、オリジナルなフォントを作り出すほどの技術も今の私には無い。
早速東京の本屋へ。K市の弱点は本屋の品揃えが少ない(偏っている)ことだ。
デザイン関係の書籍コーナーで、『デザインノート』という雑誌を見つけた。
ちょうど特集が「アートディレクターが魅せる 文字・ロゴ・フォント」だった。
早速購入。1,600円也。高い・・。
おもに、TVCMや雑誌、駅張りポスターなどで見たことのあるような、「かっこいいな」と目に止まったことがあるような作品を生み出した、恐らく業界で最も輝いているであろうアートディレクター達の作品群と、インタビューで構成されている。
その中に、浅葉克己さんという、トンパ文字で有名で、紫綬褒章叙勲者でもある、この業界では重鎮のアートディレクターのインタビュー記事に惹かれた。
実は、もしかしたら本業のほうの繋がりで、浅葉克己さんと近い将来会うことになるかも知れない。
そんなことから、他の記事以上にじっくり読んだ。
その記事によると、浅葉克己さんは10年ほど前に、「タイポグラフィを究めるには"書"を究めなければならないということにやっと気付いた」そうだ。
94年に「ジャンピングタイポグラフィー展」というのに作品を発表した時に、松岡正剛さんと石川九楊(きゅうよう)さんと鼎談をした時に、石川さんが「筆触は思考する」と発言し、それに触発されたのがきっかけだそうだ。
その翌年に石川九楊さんの書道教室に入門し、"書"の深さに気付き、
「書くという行為で文字を肉体の中に取り込めるんです。そしてそのことを通して新しい文字の顔が創れ、時代を創っていけるんではないかと気付いた」
のだそうだ。
単純な私はこの言葉にやられた(感化された)。
さらに、若いデザイナー達へのメッセージとして、3つのことを挙げているのだが、その一番最初に、
「一番目は、自分の手で書くこと。一日一行の日記でもいいし、アイデアが浮かんだらラフスケッチを書く。筆を持ったらもっといいですね。(後略)」
と書かれていた。
・・・そして、直ぐに私は文房具屋に行き、「ぺんてる筆<極細>」を購入した。525円也。
筆ペンにこんなに種類があるのかと思う程ずらりと並んでいたのだが、パッケージに「小さな文字・お写経に最適!」とあったので、迷わずこれにした。
我が家には、その業界では有名なある方から奇妙な縁でお預かりしている、貴重な古書が何刷かある。
ざっと調べてみたのだが、どうも江戸時代のものもあるようだ。
その中の主なものに、『白氏文集』がある。高級な和紙を使っているのか保存状態も最も良く、大切に受け継がれて来たのだろうという印象を受ける。ウチにあるのが勿体無いくらいだ。
驚くのがこれって活字か?と思ってしまうくらい、恐らく同じ人の文字で、全71巻(ウチにあるのは20巻)に渡り書かれていて、見る限りでは途中で字体が変わってしまっているなんてことはなく、同じ調子のえらく達筆な文字で書いてある。当時の人の鍛錬ぶりと精神力というか、根気強さに敬服してしまう。
もうひとつ、『御撰唐宗詩集』という続きものがあって、私は文字をデザインとして見た場合は実はこちらのほうが好き(今これをフォントとして新しくしても十分かっこいいと思う)なのだが、いってみれば、書いた人のクセがあるのと、文字が小さく、私のレベルでは再現するのが困難なので、とりあえず2週間ほど前から、早起きして『白氏文集』を毎日1時間ほど書き写すことにした。
最初は、とにかくほぼ中学生以来、まともに筆を握ったことが無いので、とめ・はね・はらいなど、繊細な筆のタッチが要求される部分がちっとも上手く書けず、出来映えを見てがっかりしてしまった。
それに、漢詩の意味がほとんど把握できないのもあって(こちらも高校の漢文の授業以来だし)、というよりは集中力が足りないんだろうけれど、文字を書きながら全く別のことを考えたりして邪念だらけである。これでは美しい文字が書けるはずもない。
それでも2週間も毎日つづけていれば、少しは「筆触」とやらの感覚がつかめて来るようだ。
最初の頃に比べれば、我ながら随分上達してきていると思う。
でもまだまだ・・・。全体のバランスや統一感はまるで無いし、慣れない縦書きの文字列は斜めに流れてしまっている。
でも心無しか集中力もついてきたみたいだし、文字を書くときにある種のリズムが必要そうだというのも分かったような気がする。そして、少しでも上手くなるからか、書いていて楽しいし、気分が落ちつくようになってきた。
タイポの達人になるにはまだまだ道のりは遠いが、良い習慣としてこれからも続けていこうと思う。
おんさるばしちけい びしゅだるに そわか
昨日、帰りに寄ったコンビニの、バイトと思しき店員が、お弁当コーナーあたりをうろついていたと思ったら、おもむろにひとつのお弁当を取り上げた。
どうやら賞味期限切れの弁当を見つけたらしい。
見つけた時の、まるで水中の魚を素手で捕まえる漁の達人のような素早い身のこなし。
捕まえた弁当をそそくさと、嬉しげにバックヤードへ持って行く様子。
わかるなぁ。
学生の頃、少しだけコンビニバイトの経験がある。
きっとその収穫は、バイトが終わったら家に持ち帰られて、貴重な栄養源となるのだろう。
昨日から、骨盤と尾骨のあたりが痛い。
寝ている時にも痛くて、何度も寝返りをうったりして体勢を変えていた。
痛いせいで機嫌が悪かったらしく、寒くて布団にもぐり込んで寝ていた猫を無意識につかんで布団の外にほうりだしてしまったような記憶がある。
寝ているから目を瞑っているのに、どうやって布団の中の猫の居場所を察知できたのか。
無意識の状態では、人は普段では考えられない力を発揮するのだろうか。
朝起きたら、猫は掛布団の上で遠慮がちにうずくまって寝ていた。ごめんね、ミミ。
2年あまり前まで、東京のS区に住んでいた。
当時勤めていた会社を辞めたのを機に、K市に引越して来た。
K市は、武士が歴史上初めて政庁を作った街だ。
江戸時代などに比べると、その頃の武士は武骨で粗暴でアバンギャルドだったのではないかと思う。 街の至る所に、謀反やその討伐にまつわる殺戮や悲劇についての史実や物語が残っている。
さらには当時の政府が滅亡する際、討伐軍が守りを破って街に入って来ると、防衛する側の武士は戦死、あるいは自害して果て、そして町人達の中にも、何千人という単位で自害した者がいたようである。
そんな凄惨な歴史がありながらも、今ではすっかり観光地だ。もともと要塞のような地形に作られた都市なので、道は狭くて入りくんでいて、大晦日から正月にかけては、住民でさえも許可証が無いと街の中心には車で入れないくらい、人でごったがえす。
海も山も近く、桜の季節、ゴールデンウィーク、梅雨のあじさいの咲く頃、夏休み、秋の紅葉など、東京から近いこともあり1年に渡って観光客が絶えることがない。
なぜこの街に引越したのかというと、いろいろな要素があるのだが、6年以上住んでいた、S区のEという街に嫌気がさしたのが大きい。
ある丘の上にあった古い工場跡地を再開発してできた大規模な施設のすぐそばに住んでいた。 最近林立(乱立)する、オフィスビルやデパート、レストランや映画館、ホテル、美術館、マンションなど、それ自体がひとつの街のような、複合的な機能を持った施設のはしりだ。
バブル期に計画された為か、そのゴージャスな雰囲気や、ゴミひとつ落ちていないクリーンな空間、人工的で完璧に設計されたランドスケープデザインなどに、当初は都会的でオシャレなイメージを抱いていた。その再開発により、Eという街は確実にイメージアップした。そしてそんな街に住んでいる自分に、ちょっとした喜びを感じていたのも事実だ。
会社の行き帰りには、最寄駅との位置関係上、かならずその施設内を縦断する必要があった。 特に、仕事帰りなどで夜遅く、疲れている時などは、そこを歩くとほっとした。
おそらく計画時に3DのCGを駆使し、コンピューター上で何度も建物の配置やデザイン、配色や植栽などをシミュレーションして街全体が設計されたであろうその空間は、まさに「脳的空間」で、脳にやさしい感じがした。
都会の人ゴミや喧噪、自己主張と安普請が織り成す混沌とした街並から抜け出して、スッと静寂で均整のとれた空間に降り立つ。そんな感じ。仕事帰りの頭の切り替えには最適だった。
しかし、次第に嫌になってきた。
施設全体が丘の上にあるから、障害物となるビルが少なく、私の家やその周辺から、大抵その施設を見渡すことができる。
それが雲一つない青空が広がる日などに顕著なのだが、まさに安っぽい青バックや、空をイメージした水色一色の背景の上にCGで描いたビルや歩道や緑を合成した一枚の絵のように見えるのだ。
コンピュータを使って、頭の中のイメージをそのまま形にしたような街。
ただ眺めていたり、歩いていたりすると、なんだか実際にそこにあるのかないのか現実感がぼやけてくるし、実際にあってもなくてもどうでもいいや、という気になってくる。
それは、自分自身の存在感にも少なからず影響するのではないだろうか。ゲームの中のプレイヤーになったような感じ。
その生気のない完全さに、頭ではなく、身体のどこかが抵抗していて、毎日をその空間と共に過ごすにつれて、次第にストレスが増幅していったようだ。
話をK市に戻すと、こちらは、山があり海もある。建築規制によりビルの高さも制限されているから、街のどこを歩いていても山の緑が見えたりする。季節の移ろいを実感できる。潮風、山風に洗われるせいか、夏は東京のヒートアイランドな息苦しさもなく、クーラーもほとんど必要ない。
仕事で東京などから戻って来ると、まず空気が違うし、山や家々の緑にほっとする。
こちらは身体にやさしい街のようだ。
さて、今日の日記のタイトルの不思議な言葉は、「真言」のひとつで、
釈迦如来に唱える言葉らしい。
真偽は定かではないが、これを唱えると「お釈迦さまが現れて、仏法を聞かせてくれる」のだそうだ。
なぜ、釈迦如来がでてくるのかというと、私が住むK市J町の、家から歩いてすぐの所に「釈迦堂」という、11世紀頃に岩を削って作られた手彫りのトンネルがある。
実はトンネルの天井部分が崩落する危険性があり、通行禁止になっているのだが、付近の住民の散歩コースになっているし、穴場スポット的に観光客も徒歩や人力車で結構やってくる。
「釈迦堂」の名の由来は、11世紀に時の政府の指導者が父の菩提を弔うために釈迦堂を建立したことに由来しているそうだ。しかし、未だにその釈迦堂がどこにあったのかが分かっていないという。
私はこの場所のモノクロ写真を、たしか中学の日本史の教科書で見ていた記憶がある。
当時はまさか自分がその近くに住むとは思いもよらなかったが、地層が幾重にも刻まれた、固そうな岩盤に、重機なんかひとつも無い時代の人々によって穴が開けられていたその写真がなぜかとても印象に残っていた。
ところでこの場所は、話によるとK市有数の心霊スポットなのだそうだ。
同じK市に住む知人で、霊の存在を見たり感じたりすることができるという人によると、ここは「霊道」になっていて、「牛や馬、人の耳や目といったパーツや、あまりステージ的に良くない人の霊が漂っている」らしく、体調が良くない時、夜にはそこを通らないほうが良いと言われたことがある。
実はK市に引越してきてしばらくして私は、これってもしかして霊に憑依されたのかも知れない、といった感じの体験をしたことがあり、この知人が「自分は徐霊ができる」というので、やってもらったことがある。
その体験の内容はこうだ。ある晩、ベッドで寝ていたら、夢枕に黒髪ですこし長めのおかっぱのような髪型をして、赤色系の着物を着た女の子の後ろ姿が見えた。育ちの良さそうな感じ。
ここでこれが霊体験かどうか自分で確証がないのは、自分が寝ていたからだ。
私はこれを含めても3回くらいしか霊的な体験をしたことがなくて、そのどれもが覚醒した状態で、ビジュアル的に霊の存在を観たわけではないので、いまいちそうしたものの存在を信じることができない。
だからただの夢かもしれない。夢のほうがいいか。でもその時は、仰向けで寝ている自分右側、腰のあたりにその女の子が立っているように感じていた。
しばらくして、その女の子に大人の男が駆け寄ってきた。身内なのか他人なのかまでは分からなかった。でも立ち振る舞いや雰囲気から、その男は武士だと、私は思った。
大河ドラマや時代劇で観たことのある衣装のイメージでいうと、戦の際、甲冑を身に付ける前の着物のような感じだった。
そして男はおもむろに、手に持っていた短刀を、女の子の背中に突き刺した。
武士らしい、というべきなのか、その動作には無駄がなく、刺すことに迷いやためらいといった一切の感情を読み取ることができなかった。
刺された直後の女の子の、まだ幼くて事態を全く把握できないが故の、なぜ刺されなくてはならないのか、なぜ殺されなくてはいけないのか分からない、という何ともいえない純粋な不条理さや、無念さが
頭の中にダイレクトに伝わって来た。
私は、その時に夢の中でその女の子のことを「かわいそう」と思ってしまった。
そのことが良くなかったのかもしれない。
その夢を見た後あたりから、背中の真ん中あたりにずっと違和感を感じるようになった。
時々変な咳をしたりする。T宮という、K市で最も大きい神社の境内を横切るのが、駅から自宅に戻る際の私のお決まりコースなのだが、おそらくその神社は強力に徐霊されているのではないかと思うが、それだからか、そこを通るとウェッとえずく(出さないけど)ような感じになった。
単に、体調不良と夢を結びつけただけかもしれない。
でもその話を先の知人にしたところ、「そりゃまずい」ということになって、肩のあたりを一発だったか何発だったか、エイッと叩いた。 そうすると、不思議と涙があふれて、しばらく放心状態になった。知人によると、そんなに悪いものではなくて、その場所(自宅あたり)の土地の記憶みたいなものだろう、ということだった。
話は変わるが、この間のゴールデンウィークに同じくK市在住の女性と話をしていた。
聞くところによると、最近K市内に家を新築したらしい。
それで、土地を探す段階で、K市内のいろいろなエリアについて、調べたりうわさ話を聞いたそうだが、J町の、しかも私が住んでいるあたりは、「最も良くない場所」なのだそうだ。
そこに住んでいる者(賃貸だけど)に向かってそんなこと言うのは失礼な気もするし、会話の中で彼女が発した言葉には根拠が乏しく、ただの劣化した噂の域を出ないし、この町に住んでいる住人に対してあらぬ誤解や偏見を産みかねないので、ここに記載するのは差しひかえる。
J町住民の名誉の為にもいっておくが、K市は街全体が戦場になったわけだし、いわゆる「心霊スポット」なるものがあってもおかしくはないだろう。単なる興味本位や間違った恐れを抱いたまま、そうした場所を訪れるべきではないだろう。ギャーギャー騒げば住民も迷惑だ。
K市にはそうした過去の歴史も含めた、人々によって営々と築かれてきた、練られた地霊というか、落ち着きを感じる。それが気にいったのも私がここに引越してきた理由のひとつだし、静かでロケーションも最高だし、J町民も別に何の問題もなく快適に暮らしている。
ただ、「最も良くない場所」とまで言われれば、先の霊的な?体験もあるし、さすがに少し気になってしまうのが私の情けないところでもある。
結局とりあえず、このあたりの歴史について少し調べてみようと思った。
まずは「釈迦堂」についてちょっと調べてみることにした。
先にお堂がどこにあったか未だ不明と書いたが、そこに置かれていたといわれる釈迦如来像が、目黒の行人坂にある「大円(圓)寺」というお寺の本尊として、国指定文化財として今も安置されているのだそうだ。
目黒の行人坂ときいて、「ああ、あそこのお寺か」と、すぐわかった。
私は仕事の打ち合わせで、何度かあの坂を下ったことがあり、坂の中腹にお寺があるのも知っていた。
そこにまさか、今住んでいる場所の近くにあったといわれる釈迦如来像が安置されていたとは。
大円寺といえば、「八百屋お七」や山手七福神のひとつ、「開運大黒天」が安置されていることでも有名だ(そうだ)。
ちょど東京に行きたい、ついでがあったので、行ってみることにした。
あった。でも閉まっていた・・。
本堂脇に釈迦如来像に関する説明が掲げられていた。
「釈迦堂」については、何も触れられていないようだ。
でも確かに、K市が過去に栄えた時代に作られたもののようだ。
次回のご開帳は、6月9日(木)、大円寺の「甲子大祭」の時のようだ。(お寺の人に確認したわけではない)
実物にお会いすることが出来なくて、少し残念だったので、
「生身の釈迦如来蔵」 、正式には清涼寺式釈迦如来を描いたお札を購入。300円也。
6月9日には、もう一度会いにいってみようかと思う。
男と女の違いと、男の攻撃性
今日も田口ランディさんのブログをチェックした。
『なぜ男は女を殺すのか』という、かなりショッキングなタイトル。
ランディさんの怒り?や興奮もごもっともである。
もう事件が起こらない日がないほど、次々と痛ましく、やるせない事が起こる。
被害者の恐怖、遺族の心情はいかほどなものか。本当に怒りが込み上げて来る。
さて、『なぜ男は女を殺すのか』ということについて、拙いながら男である私なりに考えてみよう。
でも、男がいる。女がいる。女を殺さない男もいるし、男を殺す男もいる。
人を殺すには、そこに至るまでのプロセスがあるし、お互いの関係性の中に因果が潜んでるケースもあると思う。社会や歴史、文化的な背景もあるだろうから、「女のことはさておいて」考えることは難しと思うのと、男と女の二項対立では簡単にはくくれないだろうし、差別や偏見めいた考えを生む可能性もあるので、私は気をつけたいと思う。
ここで私が考えてみたいのは、男と女の違いと、男の攻撃性について。
男と女の違いについて、思いを巡らせた時に、以前どこかで「男と女の脳の違い」というのを聞きかじった覚えがある。
全くの薄学、いや浅学なので、ちょっとネットで検索してみた。
すると、『進化心理学 進化と社会』というサイトに、『脳の男女差、心の男女差ってどんなもの?』というコーナーがあった。
それによると、男性の脳の傾向として(※サイト制作者により、"なお、これらは「おしなべていえば」という話であって、個人差は大きいので乱用には注意すべし。個人差を無視した十把一絡げのレッテル張りは「手抜き」であり「差別」となる。"とのただし書きがある)、以下のようなものが挙げられている。
とある。
また、「男と女のコミュニケーションの違い」という項目では、男は「結論をはっきりさせよう白黒つけよう俺のほうが立場が上だと示したい、認められたいと対立をあおるようなミエ張り合い的言動をしがち、話をこじれさせ一段落までもめさせる人が目立つ。」のだそうだ。
それから、「男と女、インターネットの使い方は同じ?」という項目には、『インターネット中毒』という本を参照し、
「一般的に権力や地位、あるいは優先的な立場を求めるようだ。彼らはあふれんばかりの情報や、攻撃的なインタラクティブ・ゲーム、あるいは性的な意図のはっきりわかるおしゃべり、サイバー・ポルノにひきつけられる。」
と記している。
さらに、「以下のような見解もあり」という欄には、
「男:自分の見聞範囲を絶対的基準にしがち、特定の役割や型に自己同一化したがる、自己中的世界観・価値観を持つ傾向」
とも書かれてある。
※ここで一つのサイトから、男に関する記述だけを抜き出すことは、もしかしたら問題があるかもしれない。サイト制作者がいうように、あくまで"「おしなべていえば」という話であって、個人差は大きいので乱用には注意すべし。"だし、詳細や、女性に関する記述については、ぜひご覧いただければと思う。
それから、「男の攻撃性」については、別のサイトでは、
「攻撃性には、アンドロゲン(精巣から分泌される男性ホルモン)が関係していると考えられている。また、男性の攻撃性を生むような文化的な背景もなくはない。」
とあった。
マウスによる実験では、「雌雄間の攻撃性の差は遺伝的に決められているのではなく、出生前後の時期にアンドロゲンが脳に働くと「攻撃的な脳」ができあがり、アンドロゲンがその時期に脳に働かなければ「やさしい脳」ができあがることがわかる。」
のだそうだ。
さらに、攻撃行動の個体差については、
「マウスの子宮は左右Y字形にわかれていて、四~五匹の胎仔がそれぞれ左右の子宮角中で育っていく」が、「子宮の中で雄の胎仔にはさまれ育った雄が、もっとも攻撃性が強く」なるそうだ。
胎児期や出生前後のアンドロゲンの作用が男の脳と女の脳の分かれ目や、攻撃性に影響をあたえ、生後のアンドロゲンの血中のレベルも攻撃性に作用するようだ。
・・頭の悪い私には難しい話だが、例えば家庭において、男と女の違い(性差や脳の違いなど)、その社会的、歴史的、文化的背景についてや、死について、なぜ人を殺してはいけないか、リスク回避の方法などについて、子供に語ることができる親はどれくらいいるのだろう。
少なくとも私の場合はこれまで全くそういう話を親としたことはなかった。
自分がそれを出来るのかといわれれば、はなはだ怪しい。
教育の現場ではどうだろう。
上記のことについて、今どれくらいの時間が割かれているのだろう。
学校の警備を強化し、女性専用車輛が必要なほどに深刻な状況である中で、 子ども達には、メディアによるセンセーショナルで断片的な情報接触による知識づくりだけでなく、リアルな人間同士の関係性の中で、男性には攻撃的傾向があることを認識した上で、差別や偏見を生まない、子どもへの心理的影響にも十分配慮した、学びや考えるしくみづくりが必要なのではないかと思う。
素人判断の、浅知恵で考えられるのは、被害者遺族との交流やロールプレイングなどの演劇的手法などかとは思うが、いずれにしても、被害者遺族や、感受性の強い、犯罪についての知識の少ない子ども達への影響をしっかり検討したうえで、専門家の立ち合いのもとで行われなくてはいけないと思う。
『なぜ男は女を殺すのか』という、かなりショッキングなタイトル。
ランディさんの怒り?や興奮もごもっともである。
もう事件が起こらない日がないほど、次々と痛ましく、やるせない事が起こる。
被害者の恐怖、遺族の心情はいかほどなものか。本当に怒りが込み上げて来る。
さて、『なぜ男は女を殺すのか』ということについて、拙いながら男である私なりに考えてみよう。
でも、男がいる。女がいる。女を殺さない男もいるし、男を殺す男もいる。
人を殺すには、そこに至るまでのプロセスがあるし、お互いの関係性の中に因果が潜んでるケースもあると思う。社会や歴史、文化的な背景もあるだろうから、「女のことはさておいて」考えることは難しと思うのと、男と女の二項対立では簡単にはくくれないだろうし、差別や偏見めいた考えを生む可能性もあるので、私は気をつけたいと思う。
ここで私が考えてみたいのは、男と女の違いと、男の攻撃性について。
男と女の違いについて、思いを巡らせた時に、以前どこかで「男と女の脳の違い」というのを聞きかじった覚えがある。
全くの薄学、いや浅学なので、ちょっとネットで検索してみた。
すると、『進化心理学 進化と社会』というサイトに、『脳の男女差、心の男女差ってどんなもの?』というコーナーがあった。
それによると、男性の脳の傾向として(※サイト制作者により、"なお、これらは「おしなべていえば」という話であって、個人差は大きいので乱用には注意すべし。個人差を無視した十把一絡げのレッテル張りは「手抜き」であり「差別」となる。"とのただし書きがある)、以下のようなものが挙げられている。
- 発達を示す 右半球(空間認知機能)がより早い発達を示す
- 何かに特化した機能を持つ脳になりやすい。悪く言えば、かたよった脳になりやすい
- 地図や迷路、3DCGなどの扱いに長け、数学的な問題解決(算数ではない)や視覚・空間・定量的な作業が得意。 カタログ作りめいた収集に凝る傾向
- ホルモンによって攻撃性・無謀さが高い脳になる
- 男は言葉を攻撃・威嚇・みえはりに用いる
- 高齢になると偏見丸出しになる傾向がある
- 幾何ベクトル的な空間把握
- 過去に人類が集団営巣していた頃:狩りに出かける男:のなごりではないか。
とある。
また、「男と女のコミュニケーションの違い」という項目では、男は「結論をはっきりさせよう白黒つけよう俺のほうが立場が上だと示したい、認められたいと対立をあおるようなミエ張り合い的言動をしがち、話をこじれさせ一段落までもめさせる人が目立つ。」のだそうだ。
それから、「男と女、インターネットの使い方は同じ?」という項目には、『インターネット中毒』という本を参照し、
「一般的に権力や地位、あるいは優先的な立場を求めるようだ。彼らはあふれんばかりの情報や、攻撃的なインタラクティブ・ゲーム、あるいは性的な意図のはっきりわかるおしゃべり、サイバー・ポルノにひきつけられる。」
と記している。
さらに、「以下のような見解もあり」という欄には、
「男:自分の見聞範囲を絶対的基準にしがち、特定の役割や型に自己同一化したがる、自己中的世界観・価値観を持つ傾向」
とも書かれてある。
※ここで一つのサイトから、男に関する記述だけを抜き出すことは、もしかしたら問題があるかもしれない。サイト制作者がいうように、あくまで"「おしなべていえば」という話であって、個人差は大きいので乱用には注意すべし。"だし、詳細や、女性に関する記述については、ぜひご覧いただければと思う。
それから、「男の攻撃性」については、別のサイトでは、
「攻撃性には、アンドロゲン(精巣から分泌される男性ホルモン)が関係していると考えられている。また、男性の攻撃性を生むような文化的な背景もなくはない。」
とあった。
マウスによる実験では、「雌雄間の攻撃性の差は遺伝的に決められているのではなく、出生前後の時期にアンドロゲンが脳に働くと「攻撃的な脳」ができあがり、アンドロゲンがその時期に脳に働かなければ「やさしい脳」ができあがることがわかる。」
のだそうだ。
さらに、攻撃行動の個体差については、
「マウスの子宮は左右Y字形にわかれていて、四~五匹の胎仔がそれぞれ左右の子宮角中で育っていく」が、「子宮の中で雄の胎仔にはさまれ育った雄が、もっとも攻撃性が強く」なるそうだ。
胎児期や出生前後のアンドロゲンの作用が男の脳と女の脳の分かれ目や、攻撃性に影響をあたえ、生後のアンドロゲンの血中のレベルも攻撃性に作用するようだ。
・・頭の悪い私には難しい話だが、例えば家庭において、男と女の違い(性差や脳の違いなど)、その社会的、歴史的、文化的背景についてや、死について、なぜ人を殺してはいけないか、リスク回避の方法などについて、子供に語ることができる親はどれくらいいるのだろう。
少なくとも私の場合はこれまで全くそういう話を親としたことはなかった。
自分がそれを出来るのかといわれれば、はなはだ怪しい。
教育の現場ではどうだろう。
上記のことについて、今どれくらいの時間が割かれているのだろう。
学校の警備を強化し、女性専用車輛が必要なほどに深刻な状況である中で、 子ども達には、メディアによるセンセーショナルで断片的な情報接触による知識づくりだけでなく、リアルな人間同士の関係性の中で、男性には攻撃的傾向があることを認識した上で、差別や偏見を生まない、子どもへの心理的影響にも十分配慮した、学びや考えるしくみづくりが必要なのではないかと思う。
素人判断の、浅知恵で考えられるのは、被害者遺族との交流やロールプレイングなどの演劇的手法などかとは思うが、いずれにしても、被害者遺族や、感受性の強い、犯罪についての知識の少ない子ども達への影響をしっかり検討したうえで、専門家の立ち合いのもとで行われなくてはいけないと思う。
始まり(2)
一昨日の日記の続きを書いてみようと思う。
「宙に浮いた自分の上からたくさんの人が降って来る夢」を見て、次第に生きる力を取り戻し、外の世界に向かうことができるようになったと書いた。
それはなぜだったのだろう。もう10年以上も前の話だし、当時日記をつけていたわけでもないし、記憶も曖昧なところがある。
だから今の自分なりの自己分析も交えながら書いてみよう。 結局、当時の精神状態を理解してくれる、ありのままを受入れてくれる他者は、私の周りにはいなかったのだと思う。
本来、頼みの綱になるのかもしれない家族から発せられる言葉が、それがどんなに私に対して細心の注意を払って、暖かく、やさしげなトーンで発せられた励ましの言葉だったとしても、実は一番ダメージが大きかったと思うし、電話にせよ何にせよ、あらゆる接触から逃げだしたいと思うほどだったように思う。
そんな時にあの夢を見た。
私の中では、普段見る夢とは質的に異なる夢だったと思っている。
時々、そういう夢を見ることがある。いわゆる予知夢的なもの(ただし、夢を見た時点では何のことだか全く理解不能)だったりすることもあるが、寝覚めの感覚が違うのと、他の多くの夢とは違って、記憶がかなり鮮明に残っている。
そんな夢を見た時や、予知夢的な夢の内容を後で思い返すと、結構生きている上での転機とか節目だった時の事だと感じている。
「宙に浮いた自分の上からたくさんの人が降って来る夢」の話に戻ろう。
これは、目が覚めた後に、頭のなかで夢のシーンを再生している時に感じたことなんだけど、 宙に浮いている自分を誰かに見られているような、そんな感覚があった。
それこそ、「マトリックス」の世界じゃないけれど、バーチャルな空間に、誰かによって置きざりにされ、
「おまえなら、こういうシチュエーションの時にどういう行動にでるのか?」
ということをテストされているような感じだった。
つまり私は、生身の人間にではなく、夢の中にいたであろう、あるいは夢の世界を作ったであろう「見えない誰か」に救われたと思い込んだみたいだ。
・・こういうことは良くあることなんだろうか?いわゆる「啓示」というのは、こういうものなんだろうか?
とにかく、その「見えない誰か」の正体とか、こうした現象について良く知りたいと思った。
この知りたいという衝動が、外の世界に向かわせたような気がする。
フロイトやらユングやら、臨床心理学やら、哲学やら、もっと精神世界よりなものとか、とにかく何か「答え」が乗っていそうなものは無いかと、にわか仕込みで本を読みあさったりもした。
結局、「答え」に弔い討呂茲???蕕覆?辰燭韻鼻??阿棒僂濬鼎覆辰針椶箸?⊇颪?未靴織痢璽箸覆匹鮓?浸?法?縮?梁仂櫃妨?韻蕕譴拭⊆??琉娚阿聞堝偉呂篏乎耄呂覆鵑?剖辰?△覆鵑世?導阿笋辰討い韻襪?癲◆△箸いα宛??粉蕎陲??い突茲燭里?眞里譴覆ぁ
同時に、その頃はたまにCMなどの撮影現場で制作のアルバイトなんかをするくらいで、結構時間があったから、公営の屋内プールに自転車で通い、くたくたになるまで泳いで帰って来るということをしていた。
水泳は、運動音痴な自分が唯一得意といえるものだった。まあ、平均に比べると小柄で喘息持ちで病弱 な子どもを鍛える為に、親が小学1年生から通わせたスイミングスクールのおかげなんだけど。
しばらく引きこもり状態だった私はかなり体力が落ちていたようで、屋内プールに通い始めのころは25mも泳げなくて、自分でも驚いたのを覚えている。
当初はプールから上がって着替えて外に出ようとしたころには、心臓が異常に脈打っていて、このまま発作で死ぬんじゃないかと思ったくらいだ。 それでも次第に体力も泳ぎの感覚も戻って来て、凄く楽しんでいた。 水と一体になり、抵抗を減らしてスルスルと泳いでいくのは何とも心地良かった。
まあ、そんな感じで、その頃は、頭と体のバランスが、相当ベストな状態で保たれていたのではないだろうか。
とにかく、不思議なほどハイな感じなのだ。
いつになく感覚が鋭くなり、頭もスッキリしている気がした。
見るもの、聴くもの、触れるもの全てが輝きを発し、語りかけているように感じた。
それまで家の一歩外に出るのもおっくうだったはずなのに、山や海や公園、渋谷や代官山や吉祥寺や表参道や銀座やなど、大した脈絡も意味も無く出かけ、友人などに会って時間を過ごし、そしてまたプールで泳いだりという日々を暫く過ごしていた。
目にするあらゆるものが美しく、愛しく感じられるもだから、カメラを手にして、出かける先々でいろんな物を写真に収めたりもした。
その頃は、いわゆるシンクロニシティー的なものもバシバシ起こるし、いろんな物事が繋がって、面白いように動きだしたりもした。初対面の人も、まるで旧知の仲のように親しげに微笑み、心を開き、語りかけてくれる感じだった。
まるで自分が別人に転生したかのような気分だった。
けれども、それはそんなに長くは続かなかった。
いろんな要因があったと思うけれど、結局のところ、自分自身でその状態を続けることを辞めてしまったのだ。もし、そのまま続けていたら、今とは全く違う人生を歩んでいたのかもしれない。
でもなんだか、怖くなってきたのだ。あの夢を見て以来、「見えない誰か」の存在を意識し、自分がこの世に生を受けていることに感謝し、全てのものをいとおしく感じるようになった。それは素晴しいことだし、実際に素晴しい体験だった、と今は思う。
だけど、次第に「見えない誰か」の存在が大きくなり、見えない力によってどんどん動かされているような感じになってきたのだ。
自分でコントロールしようなどという不遜なことを考えず、その流れに素直に従ってしまえばよかったのかもしれない。だけど、もしそのまま乗っていたとしても、当時の自分には荷が重すぎるところまで行ってしまうような気がした。
まだ自分には何かが足りない。流れが早すぎてついていけない。未熟で「期待」(誰のだ?)に絶対に応えられない。
と、途中で降りてしまった。
それからは、心も身体もなるべくニュートラルな、抑えめな状態に保つようにしながら、普通の社会に戻る努力をした。
しばらくして、あるベンチャー会社に入り、仕事中心の生活になる。
その後いろいろあったけど、今やヒルズな某大手IT企業の社員になり退職するまでは、 多分自分でもそのまま行くと間違いなく体を壊していただろうと思うくらい、自分に何かを偽りながら仕事に打ち込み、そして何かを失いつづけていたような気がする。
「肯定型」子育てと「否定型」子育て
Yahoo!のニュースヘッドラインに、「親との関係が良い子は勉強が得意...ベネッセ調査」
というタイトルを見つけた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050510-00000515-yom-soci
・・それによると、
調査は昨年11~12月に、公立校に通う小学4年~高校2年の約1万5000人を対象に実施。親との会話の頻度やかかわり方を尋ね、「いいことをした時にほめてくれる」など肯定的な会話やかかわりが多い子供を「肯定型」、「いつも『勉強しなさい』と言う」など否定的なかかわりが多い子供を「否定型」、どちらも多い子を「密着型」、どちらも少ない子を「希薄型」と分類し、四つのタイプごとに、勉強についての得意意識を調べた。
その結果、「ものを覚えること」を「得意」と答えた小学生が、「希薄型」の52・2%に対し、「肯定型」では65・9%に上ったのをはじめ、「熟考力」や「創造力」「文章力」など10項目中9項目で、「肯定型」の小学生が「得意」と答えた割合が一番多かった。
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だそうだ。
※調査詳細は、「Benesse 教育研究開発センター」Webサイトのこちら、「第1回子ども生活実態基本調査 速報版(PDF)」なのだと思いますが、「速報版」なので、該当しそうなレポートは含まれていないようです。
・・・なるほど。だから私は勉強が嫌いだったんだ(笑)。
ウチの両親の場合、母親が「否定型」で父親は「希薄型」に当てはまると思う。
「希薄型」については、とにかく子供に対する関わり方が希薄なので、父親についてここでは説明は割愛させていただくが(笑)、私の人格形成において、「否定型」の母親の支配力は絶大なものがあったと思う。
例えばテストの成績が悪かったとしよう。
その場合、次のテストで良い成績を取るような、本人を発奮させるような叱り方だったり、「今回のテスト勉強を頑張らなっかった」という事実についてのみの批判ならまだ良いのだけれども、良くまあそんなに昔のことを覚えているなと思うくらいに、過去の失敗事例や性格的欠点を引き合いに出して、すべての「人格を否定するような」発言でもって、「だからお前は駄目なんだ」と来る。
あ、のび太のママもそうだっけ?
過去の失敗や欠点は私も認める事実だし、反論のしようが無いので、潮が引くまで耐えながら、儀式が終わると涙を浮かべてすごすごと退散するしかなかった。
逆に、試験で100点取った時も、ほめられた記憶はない。「それがあたりまえ」みたいな。
中高生になってくると、反抗的な態度や言葉を覚えるので、それを母にぶつけてみることもあった。 そうすると、手のひらを返したように泣き出すのである。そして泣きながら父に訴える。
そうなるともうすっかりこちらは戦意喪失である。
父はぼそっと「まあ、母さんもお前のためを思っていってくれているんだから、な。」
みたいなことしか言わないのでなおさらやりきれない。
それでも子供としては、親に認められたいとそれなりに頑張ろうとするから、学校ではそこそこの優等生風だったし、家でも、机に座っている時間だけはとりあえず長かったな。
そんな感じで、ウチには身体的な児童虐待は無かったと断言できるけれども、言葉による心理的虐待が無かったかと言えば、無いとは言い切れないかもしれない。よそ様の家族と相対的に比べることは出来ないけれど、大人になって、いろんな人達の親や子どもの関係性を見るようになっても、やはりああいう育てかたはあまり良くなかったんじゃないかと思う。
自分のことを否定され続けて育つと、自分にあまり自信を持てなくなるんではないかと、これまでの自分を見ていると思ってしまう。
物事のマイナス面や自分の弱点や、先々のリスクばかりに目がいって、ポジティブに行動するのがしんどいと感じることのほうが多かったと思う。
社会的人間関係においては、少なくとも明るく快活で、積極的かつ勇敢にリーダシップを発揮していくようなタイプ、にはならなかった(なっていない)な。。
まあ、それでも世の中は上手く出来ているというか、プラスとマイナスでちょうどバランスが取れるというか、自分なりにそれなりの居場所を見つけてなんとか生きております。
だから、20代前半くらいまでは、マイナス志向的人間になってしまったことについて、親を憎いと思った時期もあったけれども、社会にでて、生きにくいながらも何とかやってきているし、私もオッサンになり、親も年を取ってきているので、育ててくれたことに感謝しながら、あとは自己責任で折り合いをつけていくしかないと思えるようになってきている。
・・ただ、無意識のうちに女性を見る目は慎重になっているかもしれない。
私は未だ独身であるが、この年になると、やはりお付き合いをする以上、結婚を意識せざるを得ないわけで、そうなると、「花嫁候補」であると同時に、まだ見ぬわが子の「母親候補」でもあるわけで、できれば「否定型」母親の片鱗を伺わせるような女性は控えさせていただきたいな・・などと思うこともある。
でも、「類は友を呼ぶ」ではないが、私にはあまり「肯定型」の女性との縁が無いようであります。
それから私自身、もし子どもが出来たら、自分の子供には絶対、「肯定型」で接したいとずっと思ってきた。しかし、「歴史は繰り返す」というし、
児童虐待においても、ある統計では、虐待をしたことのある親の約90%は子供時代に親からの虐待を受けた経験があると報告されているという。(Webで見つけた関連ページはこちら)
事実のほどは分からないが、まずは豊かな愛情でもってお互いを受けいれ、「健康で対等な依存関係」を築くことのできるパートナーを見つけることが先決だな・・。理想、高過ぎですか?
始まり
別のブログサービスで、4つほどブログをやっているが、仕事絡みで作ったオフィシャルな感じのものばかりなので、ここ数日何だか急に、顔見知りの誰にも気兼ねせずに書けるところが欲しくなってきていた。Webの世界で、社会的な自分を演じていることからくる反動なのかな。
少し前から、田口ランディさんのブログを毎日チェックするようになった。
知人の女性とのメールでのやりとりの中で、彼女がランディさんのブログ記事(ホリエモンに関する記述)を紹介したのが、その存在を知るきっかけだった。
実はひそかに以前からランディさんのことはファンであって、msnのメルマガや著作を読ませていただいていた。ランディさんの書かれる内容に興味を持って、影響を受けて、そこで描かれた場所に行ってみたり(例えば、真鶴の原生林や、浅草寺や、出雲大社、天河神社など)、ランディさんが出演されるイベントに参加してみたりしたこともあった。本来は出不精で、今はお金も無いので、屋久島行きはまだ実現していないけど、旅行というものをするなら、一番行ってみたいところであったりもする。
最近しばらく何となく勝手ながら遠ざかっていたのだが、先の知人のメールを機にまた惹かれることになった。そして多分このブログを始めたのも、田口ランディさんのブログの、書かれる文章の影響が大きいと思う。本屋にいったら、また探してみよう。
さて、これはこのブログを始めて最初に書く日記だ。
何かスタートに相応しいことを書きたいと思うのだけれど、やはりここは、田口ランディさんの本日のブログのタイトルのひとつ『ある転機ということ。』からテーマを勝手にいただてしまおう。
私にとって、ひとつの大きな転機になったのが、大学最後の年、つまり卒業後の進路をどうするか?という時だった。
大学に入って、恐らく多くの地方出身者がそうであるように、いろんな期待に胸膨らませて上京して、キャンパスライフを満喫するつもりだったんだけれども、何となく大学の空気に馴染めなかった。
地方の閉鎖的な人付き合いとか、高校時代に味わった息苦しさから抜け出したくて東京に出て来たのに、結局大学も、自分も含めた冴えない同年代の閉鎖的なコミュニティだし、先生もやる気なさそうだし、大学デビューにご執心で、表面的な人間関係に、すぐに現実感と面白味を感じることができなくなっていた。
そのせいか、早く社会に出て、世の中のしくみを肌で感じたり、色々な世代の人と知り合ってみたいと考えるようになって、親にも悪いので大学を辞めることはしなかったけど、渋谷にあるTという、地方出身者で、美術の授業やものづくりが好きな私でも知っていて、当時はある種の憧れもあった小売店で契約社員として働くことにした。大学には単位が取れる最低限しか行かなくなった。
二十歳前後にこの店で体験した、体を使って働くということや、上司やお客さん、同僚・異性とのさまざまやりとりのほうが、大学の勉強よりもはるかに面白かったし、勉強にもなったし、今の自分を形成する上でとても大きな影響を与えていると思う。
大学と仕事という二足の草鞋を続けていたせいか、三年生になり、大学の友人達が就職活動についてそわそわしだした頃にも、ほとんど就職というものについて関心がなかったし、四年になっても就職活動をやろうという気が起こらなかった。
夏休みが終わり、内定をもらった喜びを周囲に振りまく人がちらほら出て来た頃には、さすがにまずいかなという気持ちも出て来たが、その手の情報誌や大学の就職課の採用情報なんかを見ても、全く行きたいと思う会社が見つからなかったし、そこで働いている自分の姿をどうしてもイメージすることができなかった。
それが次第に、自分が何者なのか、何になりたいのかさっぱり分からないという気持ちになっていった。すっかり自信を無くして、意気阻喪の状態に陥り、今で言う引きこもりがちになっていった。
こうして、就職先がひとつも決まらないまま、大学を卒業した。 細かく書けば紆余曲折があるのだけれど、とにかく親が心配して(半分は世間体もあるんだろうけど)、コネを使って私が興味がありそうな会社の人に会わせたり、まずはバイトからという感じで、働き口を紹介してくれたりするんだけれども、どれも結局長くは続かなくて、むしろ焦ったり、プレッシャーを感じるばかりで、当時は自分が自分で病気だと思うくらい、精神的にまいっていたと思う。
元々マイナス思考気味で、考え過ぎる性格なのも現因はあるのかもしれないが、親や周囲からの言葉や暗黙のプレッシャーに加えて、自分自身で自分の存在価値や存在理由を見出せない堂々回りな状態が続き、時間が経つ程に、後戻りできない、次第に深みにはまって行くんじゃないかという恐怖心に苛まれて、不安定な日々が続いていた。
当時、ある意味生命の危機に陥っていたと思う。死についても考えることが多くなっていた。
そんな時、私にも転機がやってきた。今になってそう思うだけだけれど。
ある夜、今でも時々思い出す、変な夢を見た。 自分が空に浮かんでいる。『ドラゴンボール』の悟空のように。
すると、自分の上から、たくさんの人が落ちて来る。
男、女、大人、子ども。 人間だけじゃない。牛や鶏といった家畜なんかも空から降って来る。
夢の中で感覚的に、その状況が瞬時に飲み込めたのだが、 落ちて来る人達は、業が深いというか、どうもあまり良い人達ではないみたいだった。
もちろん夢の中の世界での話だけど、いわゆる「地獄」に落ちていっているのだと思った。
つまり自分が浮かんでいる空の下には、地獄が口を開けて待っている。
「地獄行き」を言い渡された生き物(現世では既に死んでいる者?)達が、自分の上から降って来るわけだから、彼らに当たれば自分も下に落ちてしまうことは想像についた。
しかし私は、ほぼ無意識のうちに、手を上に伸ばして落ちて来る人達を必死に上に押し上げようとしていた。
何度も何度も、何人も何人も。 物理的にはおかしな話だが、押し上げた人達は、「上の世界」に戻って行った。
そんなことをしてもきりがないことは分かっていたし、押し上げればその反動で自分がどんどん下に落ちていってしまう。でもなぜかそれでも良いと思っていた。とにかく無我夢中で、次々落下してくる人々を上に押しあげていた。
そこで目が覚めた。目の前に、天井に向かって押し出すような格好で伸ばしている両手が見えた。
その夢を見た後に、私はやや自虐的に笑ってしまった。
うまく言えないけど、「これが自分の使命なんだ」と、悟ってしまったような気がした。
未だに、じゃあ具体的に何をすべきなのかは分かっていなのだけれど。
何で笑ってしまったかというと、やっぱりというか、何と言うか、自分を中心に世界が回っているみたいな、明るくハッピーな残りの人生では無いんだな、、と思ってしまったから。
まあ、そうだろうな、そんなもんだな、と・・・。
それから程なくして、次第に生きる力を取り戻して、外の世界に向かうことができるようになった。
ただ、今になって思うのは、この時勝手に「これが自分の使命なんだ」と思い込んでしまったのが良かったのかどうなのか。。結構その後の生き方に尾を引いているから・・。
・・・本当は、今のことについて書こうと思ったのだが、長くなったのと疲れたので今日はここまで。



