おんさるばしちけい びしゅだるに そわか
昨日、帰りに寄ったコンビニの、バイトと思しき店員が、お弁当コーナーあたりをうろついていたと思ったら、おもむろにひとつのお弁当を取り上げた。
どうやら賞味期限切れの弁当を見つけたらしい。
見つけた時の、まるで水中の魚を素手で捕まえる漁の達人のような素早い身のこなし。
捕まえた弁当をそそくさと、嬉しげにバックヤードへ持って行く様子。
わかるなぁ。
学生の頃、少しだけコンビニバイトの経験がある。
きっとその収穫は、バイトが終わったら家に持ち帰られて、貴重な栄養源となるのだろう。
昨日から、骨盤と尾骨のあたりが痛い。
寝ている時にも痛くて、何度も寝返りをうったりして体勢を変えていた。
痛いせいで機嫌が悪かったらしく、寒くて布団にもぐり込んで寝ていた猫を無意識につかんで布団の外にほうりだしてしまったような記憶がある。
寝ているから目を瞑っているのに、どうやって布団の中の猫の居場所を察知できたのか。
無意識の状態では、人は普段では考えられない力を発揮するのだろうか。
朝起きたら、猫は掛布団の上で遠慮がちにうずくまって寝ていた。ごめんね、ミミ。
2年あまり前まで、東京のS区に住んでいた。
当時勤めていた会社を辞めたのを機に、K市に引越して来た。
K市は、武士が歴史上初めて政庁を作った街だ。
江戸時代などに比べると、その頃の武士は武骨で粗暴でアバンギャルドだったのではないかと思う。 街の至る所に、謀反やその討伐にまつわる殺戮や悲劇についての史実や物語が残っている。
さらには当時の政府が滅亡する際、討伐軍が守りを破って街に入って来ると、防衛する側の武士は戦死、あるいは自害して果て、そして町人達の中にも、何千人という単位で自害した者がいたようである。
そんな凄惨な歴史がありながらも、今ではすっかり観光地だ。もともと要塞のような地形に作られた都市なので、道は狭くて入りくんでいて、大晦日から正月にかけては、住民でさえも許可証が無いと街の中心には車で入れないくらい、人でごったがえす。
海も山も近く、桜の季節、ゴールデンウィーク、梅雨のあじさいの咲く頃、夏休み、秋の紅葉など、東京から近いこともあり1年に渡って観光客が絶えることがない。
なぜこの街に引越したのかというと、いろいろな要素があるのだが、6年以上住んでいた、S区のEという街に嫌気がさしたのが大きい。
ある丘の上にあった古い工場跡地を再開発してできた大規模な施設のすぐそばに住んでいた。 最近林立(乱立)する、オフィスビルやデパート、レストランや映画館、ホテル、美術館、マンションなど、それ自体がひとつの街のような、複合的な機能を持った施設のはしりだ。
バブル期に計画された為か、そのゴージャスな雰囲気や、ゴミひとつ落ちていないクリーンな空間、人工的で完璧に設計されたランドスケープデザインなどに、当初は都会的でオシャレなイメージを抱いていた。その再開発により、Eという街は確実にイメージアップした。そしてそんな街に住んでいる自分に、ちょっとした喜びを感じていたのも事実だ。
会社の行き帰りには、最寄駅との位置関係上、かならずその施設内を縦断する必要があった。 特に、仕事帰りなどで夜遅く、疲れている時などは、そこを歩くとほっとした。
おそらく計画時に3DのCGを駆使し、コンピューター上で何度も建物の配置やデザイン、配色や植栽などをシミュレーションして街全体が設計されたであろうその空間は、まさに「脳的空間」で、脳にやさしい感じがした。
都会の人ゴミや喧噪、自己主張と安普請が織り成す混沌とした街並から抜け出して、スッと静寂で均整のとれた空間に降り立つ。そんな感じ。仕事帰りの頭の切り替えには最適だった。
しかし、次第に嫌になってきた。
施設全体が丘の上にあるから、障害物となるビルが少なく、私の家やその周辺から、大抵その施設を見渡すことができる。
それが雲一つない青空が広がる日などに顕著なのだが、まさに安っぽい青バックや、空をイメージした水色一色の背景の上にCGで描いたビルや歩道や緑を合成した一枚の絵のように見えるのだ。
コンピュータを使って、頭の中のイメージをそのまま形にしたような街。
ただ眺めていたり、歩いていたりすると、なんだか実際にそこにあるのかないのか現実感がぼやけてくるし、実際にあってもなくてもどうでもいいや、という気になってくる。
それは、自分自身の存在感にも少なからず影響するのではないだろうか。ゲームの中のプレイヤーになったような感じ。
その生気のない完全さに、頭ではなく、身体のどこかが抵抗していて、毎日をその空間と共に過ごすにつれて、次第にストレスが増幅していったようだ。
話をK市に戻すと、こちらは、山があり海もある。建築規制によりビルの高さも制限されているから、街のどこを歩いていても山の緑が見えたりする。季節の移ろいを実感できる。潮風、山風に洗われるせいか、夏は東京のヒートアイランドな息苦しさもなく、クーラーもほとんど必要ない。
仕事で東京などから戻って来ると、まず空気が違うし、山や家々の緑にほっとする。
こちらは身体にやさしい街のようだ。
さて、今日の日記のタイトルの不思議な言葉は、「真言」のひとつで、
釈迦如来に唱える言葉らしい。
真偽は定かではないが、これを唱えると「お釈迦さまが現れて、仏法を聞かせてくれる」のだそうだ。
なぜ、釈迦如来がでてくるのかというと、私が住むK市J町の、家から歩いてすぐの所に「釈迦堂」という、11世紀頃に岩を削って作られた手彫りのトンネルがある。
実はトンネルの天井部分が崩落する危険性があり、通行禁止になっているのだが、付近の住民の散歩コースになっているし、穴場スポット的に観光客も徒歩や人力車で結構やってくる。
「釈迦堂」の名の由来は、11世紀に時の政府の指導者が父の菩提を弔うために釈迦堂を建立したことに由来しているそうだ。しかし、未だにその釈迦堂がどこにあったのかが分かっていないという。
私はこの場所のモノクロ写真を、たしか中学の日本史の教科書で見ていた記憶がある。
当時はまさか自分がその近くに住むとは思いもよらなかったが、地層が幾重にも刻まれた、固そうな岩盤に、重機なんかひとつも無い時代の人々によって穴が開けられていたその写真がなぜかとても印象に残っていた。
ところでこの場所は、話によるとK市有数の心霊スポットなのだそうだ。
同じK市に住む知人で、霊の存在を見たり感じたりすることができるという人によると、ここは「霊道」になっていて、「牛や馬、人の耳や目といったパーツや、あまりステージ的に良くない人の霊が漂っている」らしく、体調が良くない時、夜にはそこを通らないほうが良いと言われたことがある。
実はK市に引越してきてしばらくして私は、これってもしかして霊に憑依されたのかも知れない、といった感じの体験をしたことがあり、この知人が「自分は徐霊ができる」というので、やってもらったことがある。
その体験の内容はこうだ。ある晩、ベッドで寝ていたら、夢枕に黒髪ですこし長めのおかっぱのような髪型をして、赤色系の着物を着た女の子の後ろ姿が見えた。育ちの良さそうな感じ。
ここでこれが霊体験かどうか自分で確証がないのは、自分が寝ていたからだ。
私はこれを含めても3回くらいしか霊的な体験をしたことがなくて、そのどれもが覚醒した状態で、ビジュアル的に霊の存在を観たわけではないので、いまいちそうしたものの存在を信じることができない。
だからただの夢かもしれない。夢のほうがいいか。でもその時は、仰向けで寝ている自分右側、腰のあたりにその女の子が立っているように感じていた。
しばらくして、その女の子に大人の男が駆け寄ってきた。身内なのか他人なのかまでは分からなかった。でも立ち振る舞いや雰囲気から、その男は武士だと、私は思った。
大河ドラマや時代劇で観たことのある衣装のイメージでいうと、戦の際、甲冑を身に付ける前の着物のような感じだった。
そして男はおもむろに、手に持っていた短刀を、女の子の背中に突き刺した。
武士らしい、というべきなのか、その動作には無駄がなく、刺すことに迷いやためらいといった一切の感情を読み取ることができなかった。
刺された直後の女の子の、まだ幼くて事態を全く把握できないが故の、なぜ刺されなくてはならないのか、なぜ殺されなくてはいけないのか分からない、という何ともいえない純粋な不条理さや、無念さが
頭の中にダイレクトに伝わって来た。
私は、その時に夢の中でその女の子のことを「かわいそう」と思ってしまった。
そのことが良くなかったのかもしれない。
その夢を見た後あたりから、背中の真ん中あたりにずっと違和感を感じるようになった。
時々変な咳をしたりする。T宮という、K市で最も大きい神社の境内を横切るのが、駅から自宅に戻る際の私のお決まりコースなのだが、おそらくその神社は強力に徐霊されているのではないかと思うが、それだからか、そこを通るとウェッとえずく(出さないけど)ような感じになった。
単に、体調不良と夢を結びつけただけかもしれない。
でもその話を先の知人にしたところ、「そりゃまずい」ということになって、肩のあたりを一発だったか何発だったか、エイッと叩いた。 そうすると、不思議と涙があふれて、しばらく放心状態になった。知人によると、そんなに悪いものではなくて、その場所(自宅あたり)の土地の記憶みたいなものだろう、ということだった。
話は変わるが、この間のゴールデンウィークに同じくK市在住の女性と話をしていた。
聞くところによると、最近K市内に家を新築したらしい。
それで、土地を探す段階で、K市内のいろいろなエリアについて、調べたりうわさ話を聞いたそうだが、J町の、しかも私が住んでいるあたりは、「最も良くない場所」なのだそうだ。
そこに住んでいる者(賃貸だけど)に向かってそんなこと言うのは失礼な気もするし、会話の中で彼女が発した言葉には根拠が乏しく、ただの劣化した噂の域を出ないし、この町に住んでいる住人に対してあらぬ誤解や偏見を産みかねないので、ここに記載するのは差しひかえる。
J町住民の名誉の為にもいっておくが、K市は街全体が戦場になったわけだし、いわゆる「心霊スポット」なるものがあってもおかしくはないだろう。単なる興味本位や間違った恐れを抱いたまま、そうした場所を訪れるべきではないだろう。ギャーギャー騒げば住民も迷惑だ。
K市にはそうした過去の歴史も含めた、人々によって営々と築かれてきた、練られた地霊というか、落ち着きを感じる。それが気にいったのも私がここに引越してきた理由のひとつだし、静かでロケーションも最高だし、J町民も別に何の問題もなく快適に暮らしている。
ただ、「最も良くない場所」とまで言われれば、先の霊的な?体験もあるし、さすがに少し気になってしまうのが私の情けないところでもある。
結局とりあえず、このあたりの歴史について少し調べてみようと思った。
まずは「釈迦堂」についてちょっと調べてみることにした。
先にお堂がどこにあったか未だ不明と書いたが、そこに置かれていたといわれる釈迦如来像が、目黒の行人坂にある「大円(圓)寺」というお寺の本尊として、国指定文化財として今も安置されているのだそうだ。
目黒の行人坂ときいて、「ああ、あそこのお寺か」と、すぐわかった。
私は仕事の打ち合わせで、何度かあの坂を下ったことがあり、坂の中腹にお寺があるのも知っていた。
そこにまさか、今住んでいる場所の近くにあったといわれる釈迦如来像が安置されていたとは。
大円寺といえば、「八百屋お七」や山手七福神のひとつ、「開運大黒天」が安置されていることでも有名だ(そうだ)。
ちょど東京に行きたい、ついでがあったので、行ってみることにした。
あった。でも閉まっていた・・。
本堂脇に釈迦如来像に関する説明が掲げられていた。
「釈迦堂」については、何も触れられていないようだ。
でも確かに、K市が過去に栄えた時代に作られたもののようだ。
次回のご開帳は、6月9日(木)、大円寺の「甲子大祭」の時のようだ。(お寺の人に確認したわけではない)
実物にお会いすることが出来なくて、少し残念だったので、
「生身の釈迦如来蔵」 、正式には清涼寺式釈迦如来を描いたお札を購入。300円也。
6月9日には、もう一度会いにいってみようかと思う。


