始まり(2) | Put my heart into it.

始まり(2)


一昨日の日記の続きを書いてみようと思う。


「宙に浮いた自分の上からたくさんの人が降って来る夢」を見て、次第に生きる力を取り戻し、外の世界に向かうことができるようになったと書いた。

それはなぜだったのだろう。もう10年以上も前の話だし、当時日記をつけていたわけでもないし、記憶も曖昧なところがある。

だから今の自分なりの自己分析も交えながら書いてみよう。 結局、当時の精神状態を理解してくれる、ありのままを受入れてくれる他者は、私の周りにはいなかったのだと思う。

本来、頼みの綱になるのかもしれない家族から発せられる言葉が、それがどんなに私に対して細心の注意を払って、暖かく、やさしげなトーンで発せられた励ましの言葉だったとしても、実は一番ダメージが大きかったと思うし、電話にせよ何にせよ、あらゆる接触から逃げだしたいと思うほどだったように思う。


そんな時にあの夢を見た。


私の中では、普段見る夢とは質的に異なる夢だったと思っている。

時々、そういう夢を見ることがある。いわゆる予知夢的なもの(ただし、夢を見た時点では何のことだか全く理解不能)だったりすることもあるが、寝覚めの感覚が違うのと、他の多くの夢とは違って、記憶がかなり鮮明に残っている。

そんな夢を見た時や、予知夢的な夢の内容を後で思い返すと、結構生きている上での転機とか節目だった時の事だと感じている。


「宙に浮いた自分の上からたくさんの人が降って来る夢」の話に戻ろう。

これは、目が覚めた後に、頭のなかで夢のシーンを再生している時に感じたことなんだけど、 宙に浮いている自分を誰かに見られているような、そんな感覚があった。

それこそ、「マトリックス」の世界じゃないけれど、バーチャルな空間に、誰かによって置きざりにされ、

「おまえなら、こういうシチュエーションの時にどういう行動にでるのか?」

ということをテストされているような感じだった。

つまり私は、生身の人間にではなく、夢の中にいたであろう、あるいは夢の世界を作ったであろう「見えない誰か」に救われたと思い込んだみたいだ。

・・こういうことは良くあることなんだろうか?いわゆる「啓示」というのは、こういうものなんだろうか?


とにかく、その「見えない誰か」の正体とか、こうした現象について良く知りたいと思った。
この知りたいという衝動が、外の世界に向かわせたような気がする。

フロイトやらユングやら、臨床心理学やら、哲学やら、もっと精神世界よりなものとか、とにかく何か「答え」が乗っていそうなものは無いかと、にわか仕込みで本を読みあさったりもした。
結局、「答え」に弔い討呂茲???蕕覆?辰燭韻鼻??阿棒僂濬鼎覆辰針椶箸?⊇颪?未靴織痢璽箸覆匹鮓?浸?法?縮?梁仂櫃妨?韻蕕譴拭⊆??琉娚阿聞堝偉呂篏乎耄呂覆鵑?剖辰?△覆鵑世?導阿笋辰討い韻襪?癲◆△箸いα宛??粉蕎陲??い突茲燭里?眞里譴覆ぁ

同時に、その頃はたまにCMなどの撮影現場で制作のアルバイトなんかをするくらいで、結構時間があったから、公営の屋内プールに自転車で通い、くたくたになるまで泳いで帰って来るということをしていた。

水泳は、運動音痴な自分が唯一得意といえるものだった。まあ、平均に比べると小柄で喘息持ちで病弱 な子どもを鍛える為に、親が小学1年生から通わせたスイミングスクールのおかげなんだけど。

しばらく引きこもり状態だった私はかなり体力が落ちていたようで、屋内プールに通い始めのころは25mも泳げなくて、自分でも驚いたのを覚えている。
当初はプールから上がって着替えて外に出ようとしたころには、心臓が異常に脈打っていて、このまま発作で死ぬんじゃないかと思ったくらいだ。 それでも次第に体力も泳ぎの感覚も戻って来て、凄く楽しんでいた。 水と一体になり、抵抗を減らしてスルスルと泳いでいくのは何とも心地良かった。

まあ、そんな感じで、その頃は、頭と体のバランスが、相当ベストな状態で保たれていたのではないだろうか。

とにかく、不思議なほどハイな感じなのだ。
いつになく感覚が鋭くなり、頭もスッキリしている気がした。

見るもの、聴くもの、触れるもの全てが輝きを発し、語りかけているように感じた。

それまで家の一歩外に出るのもおっくうだったはずなのに、山や海や公園、渋谷や代官山や吉祥寺や表参道や銀座やなど、大した脈絡も意味も無く出かけ、友人などに会って時間を過ごし、そしてまたプールで泳いだりという日々を暫く過ごしていた。

目にするあらゆるものが美しく、愛しく感じられるもだから、カメラを手にして、出かける先々でいろんな物を写真に収めたりもした。

その頃は、いわゆるシンクロニシティー的なものもバシバシ起こるし、いろんな物事が繋がって、面白いように動きだしたりもした。初対面の人も、まるで旧知の仲のように親しげに微笑み、心を開き、語りかけてくれる感じだった。

まるで自分が別人に転生したかのような気分だった。



けれども、それはそんなに長くは続かなかった。


いろんな要因があったと思うけれど、結局のところ、自分自身でその状態を続けることを辞めてしまったのだ。もし、そのまま続けていたら、今とは全く違う人生を歩んでいたのかもしれない。


でもなんだか、怖くなってきたのだ。あの夢を見て以来、「見えない誰か」の存在を意識し、自分がこの世に生を受けていることに感謝し、全てのものをいとおしく感じるようになった。それは素晴しいことだし、実際に素晴しい体験だった、と今は思う。

だけど、次第に「見えない誰か」の存在が大きくなり、見えない力によってどんどん動かされているような感じになってきたのだ。

自分でコントロールしようなどという不遜なことを考えず、その流れに素直に従ってしまえばよかったのかもしれない。だけど、もしそのまま乗っていたとしても、当時の自分には荷が重すぎるところまで行ってしまうような気がした。

まだ自分には何かが足りない。流れが早すぎてついていけない。未熟で「期待」(誰のだ?)に絶対に応えられない。

と、途中で降りてしまった。

それからは、心も身体もなるべくニュートラルな、抑えめな状態に保つようにしながら、普通の社会に戻る努力をした。

しばらくして、あるベンチャー会社に入り、仕事中心の生活になる。
その後いろいろあったけど、今やヒルズな某大手IT企業の社員になり退職するまでは、 多分自分でもそのまま行くと間違いなく体を壊していただろうと思うくらい、自分に何かを偽りながら仕事に打ち込み、そして何かを失いつづけていたような気がする。