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サンセット・フラ


<オアフ島,西海岸にて>
【 写真の無断転載は固くお断りします 】
ハワイをイメージする写真ということで、
夕日をバックにしたシルエットのフラの撮影を試みた。
モデルは製作チームの中心人物、ハワイ在住のレイアさん。
彼女はフラダンサーとしても本格派なのだ。

この一見静かで優雅に見えるショット、撮影現場は大変なドタバタである。
何せ夕日が水平線の上で大きく赤くなってから、
沈んでしまうまでの時間はものの2~3分しかないのだ。

モデルさんは実際に踊っているわけではなく、撮影のためにキメのポーズで静止してもらい、
撮影→ポーズを変える→撮影→ポーズを変える、を繰り返した中の1ショット。

ここで問題になったのが撮影者(つまり僕ね)とモデルさんのコミュニケーション。
太陽を大きく写すため、500mm相当の望遠レンズを使っているので、
カメラと被写体の距離が大きく離れているのだ。つまり声が届きにくい。

僕の場合、撮影に集中しながら大声を出すことはできないので、
僕が普通の声で言ったことを、横にいるディレクターさんに大声で叫んでもらった。

(パシャ、パシャ)
R 「はい、次のポーズ!」
デ 「はーいっ!次のポーズっ!!!」
(パシャ、パシャ)
R 「はい、次!」
デ 「はいっ!次ーっ!!!」
(パシャ、パシャ)
R 「まだそのままストップ!」
デ 「まだそのままストーップっ!!!」
(パシャ、パシャ、パシャ)
R 「やば、ピントが・・・」
デ 「やばーっ!ピントがーっ!!!」
R 「それは言わなくていいです・・」
デ 「それは言わなくていいですーっ!!!」

とまあ、こんな感じで。

冗談はさておき、この撮影、仕上がりは御覧のように シルエットなのだが、
衣装はこだわりの逸品。シルエットだけでは勿体ないので見てくださいな↓


レイメイキングの達人が、生の草花をひとつひとつ編んで作った芸術品。


Model:Emily




只今帰りました


<オアフ島の、とある海岸>
【 写真の無断転載は固くお断りします 】
皆様、ご無沙汰しています。先ほどハワイ取材から帰って参りました!
今のところグッタリしていますが、元気が回復したぼちぼちと
ハワイの写真をアップしていきますので、どうぞ宜しく!

とり急ぎ帰着のご報告。

マカハ・ビーチ(ハワイ)


<オアフ島,マカハビーチにて>
【 写真の無断転載は固くお断りします 】
皆様、ご無沙汰しています。
連日ハードなスケジュールで動いているため、
ネットにアクセスする元気がなく、
コメントやメールのお返事も疎になってしまってごめんなさい。
疲れてはいるけど、とても楽しく充実した日々を過ごしています。
それでは、また!

B L O G @ D E E P B L U E
























[このサイトに掲載されている全ての写真について、転載、ダウンロード、出力等、固くお断りします]


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アルマス広場の夕暮れ②


ペルー,クスコ,アルマス広場にて。
【 写真の無断転載は固くお断りします 】
【ハワイに行ってきます】

27日から一ヶ月弱の予定でハワイ取材へ行ってきます。
その間、ネットへのアクセスは疎になることが予想されます。
コメントやメールのお返事が遅くなる可能性がありますが、ご了承ください!

さてこれはどこでしょう~


【 写真の無断転載は固くお断りします 】
自分ではなかなか気に入っている写真です。
撮影地(おおまかにでも)を当てられた人は凄いです。

夕焼けのバッテリー・パーク


[ 写真の無断転載は固くお断りします ]
マンハッタン南端のバッテリー・パークにて。
公園の柵のシルエットが美しかったので、その隙間から自由の女神を撮ってみた。
昨日の食事で魚の骨が喉にグサっときた。もちろん今までに何度も経験あるのですが、今回は丸一日経っても取れず、痛みも異物感もひどくて食事も出来ず、たまらず病院へ行きました。

鼻からカメラをブスっと入れて喉を調べてから、
金具で舌をギューっと押さえてピンセットで刺さった骨を抜く。
「金具でギュー」が「オ゛エ゛ーーーっ!!!」となるので非常にツラかったです。
もしも朝食を食べていたら間違いなくゲ○ゲ○の大惨事になっていたと思う。

しかし取れた後の爽快感は素晴らしかった。
今日の食事はいつもより旨い。

世界一親切な街


ニューヨーク、タイムズスクエアにて。
<写真の無断転載は固くお断りします>
このニュース

やっぱりね。これは行ってみれば実際に肌で感じることだ。
ニューヨーカーの「オトナのスマート感」、あれはずば抜けている。

(3)はこれ、誤字じゃないかなあ・・・。
「店員が」ではなくて「店員に」では?

しかしアジアと欧米、どうしてこうも差がついちゃうのかね?
一体何がどう違うのが原因で、国民性がこうも違ってくるわけ?
考えてもよくわからないけど、どこかに決定的な違いがあるはず。

原因を解明したい・・・。悔しい(><)

フィリピン旅行レポート【食事編】

さて食事編です。ご存知の方も多いと思いますが僕は東南アジアの料理がとてもニガテでして・・・。従ってこのレポートも文句が多くなることが予想されます。フィリピン料理LOVERの皆さん、ゴメンね・・・。
今回の旅行、出発前に「ウニとマグロが旨い」という情報を頂いていたので、ウニとマグロを食べまくる気満々・・・だが甘かった。プライベートツアーとは言えやはりツアー、しかもスケジュールはびっちり。自由行動する時間も殆どない。食事も勿論自由にはできず。

セブに到着したのは19時。空港からその足で行ったのがここ。かつてあのイメルダ婦人が経営していたというホテルの中にある中華料理レストラン。フィリピンも、その他の東南アジア同様、中国人が多いそうだ。

フィリピンの代表的ビール「サンミゲロ」。どんな国へ行ってもビールに関しては「マズくて飲めなかった」という経験は今のところない。サンミゲロは全体的に薄~いビールだが味は悪くない。三日間の旅行中このビールにはさんざん世話になった。











料理はこんな感じ。一言で言うと「マズくはないんだけどね・・」という感じ。もうひとこと言うと「ところでこれって中華料理?」。フィリピン風にアレンジされているのか何なのかわからないが、「中華料理」というには少し無理があるのでは?確かに一見中華料理っぽいものもあるのだが、どれを食べても何かが中華料理らしくない。右は揚げた豆腐のあんかけみたいなもの。

同店のデザート。ココナッツミルクのソースにマンゴーの実と何かの葉っぱから作ったというゼリーが入っている。僕の好みではないが、これは甘いものが好きな人なら美味しく食べられると思う。ツアーでご一緒した戦争の生還者のKさん(84歳)は、戦時中に食べたマンゴーの美味しさが忘れられず、今でも大好物だそうだ。日本ではマンゴーって高いらしいね。










地元の有力者A氏宅に招かれてのランチ。フィリピン料理初体験だ。椎茸のスープ、小海老の串焼き、ゴーヤの炒め物、ライスetc...。椎茸のスープはあっさりした塩味で美味しかった。他のフィリピン料理は甘いものが多くて・・・しかし折角招いて頂いたので頑張って食べる。

この日の夕方から、A邸では200人を招いてのパーティーが予定されていて、家の裏ではそのメインディッシュの準備が進められていた(豚の串刺しの丸焼き)。こんなエグい光景を母が見たら卒倒しかねないので隠密に行動して激写。

パーティの様子。親類縁者は勿論のこと、単なるご近所さんや通りすがりの人まで。この界隈は貧しい人々が多く、弁当箱持参で料理を持ち帰るなんて当たり前。中にはさんざん飲み食いした挙句、食器を盗んで帰る連中までいるらしいが、A氏はそんなことも承知の上で大目に見ているようだ。

日が暮れる頃には豚の丸焼き君はすっかり骨だけに。僕も一切れいただいた。「皮のところが旨いのだ!」と言って切ってくれたのだが皮はとにかく固い。皮の内側にどろっとした脂がついている。丸焼きの様子を目撃したせいもあって妙に生々しい食感に感じた。









翌日のランチは一人300円のブュッフェ・スタイル。「食べ放題!」といわれても正直ちっとも嬉しくない。旨いとかマズいという以前に、料理はどれも「ぐちゃ~」っとしていて清潔感がなく、「これはアタるかも・・」という予感がして少し食べてギブアップ。これは今回のワースト・オブ・フィリピン料理賞に輝いた。









ディナーは洒落たフィリピン料理レストラン。右は「カリカリ」(ウエイターが確かそう言っていた)という料理。肉や野菜を煮込んであって一見美味しそうだったんだが・・・。ココナッツミルクの味しかしない。魚介類はどれも生臭かった。新鮮な素材に慣れた日本人にはちょっといただけない。

ディナーのデザートは「ハロハロ」。今回のベスト・オブ・フィリピン料理賞はこれに決定!!(「料理」という感じではないけど・・・)。

「ハロハロ」は「混ぜ混ぜ」という意味だそうだ。ナタデココ、エバミルク、かき氷、紫芋のアイスクリームを混ぜ混ぜして食べる。これは旨い!











海外旅行先で一番ほっとするのはホテルのレストランで食べるカリカリベーコンと卵とコーヒーのアメリカン・ブレックファースト。目玉焼きは「ターン・オーバー」(両面焼き)で注文。素人には半熟のターン・オーバーってなかなか難しくてできないでしょ?普段の海外取材では泊まることのない五つ星のホテル。レストランも洒落ている。

面白いのはこの店の制服。ガソリンスタンドみたい。

というわけでやはり文句の多いレポートになってしまいましたね・・・。しかし、セブではその日食べるものもないような人々が沢山います。食べられるだけでも有難いと思わなくてはいけませんね・・・。

フィリピン旅行レポート【慰霊編】

出発前にも書いた通り、今回の旅行は戦死した祖父の慰霊が目的でした。M音楽学校(現在のM音大)で声楽を学んでいた祖父は同校でピアノを学んでいた祖母と学生結婚、長女(つまり僕の母ね)が1歳になった頃には召集され、いわゆる「学徒出陣」というやつで出撃。セブ島のリロアンという場所に駐屯した後、移動のため船で出航したところを米軍機の空爆で撃沈され戦死。享年24歳。母は自分の父親の記憶が全くないとのことです。
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何せ60年前の話し。現在83歳のシワシワボケボケの祖母だって当時はこんなに若かった。






さて、セブ島は「日本兵の墓場」と言われるほど、多くの日本兵が戦死した場所だそうです。リロアンでの戦死者は特に多く、戦死者の遺族や生還した元兵士などにより「リロアン会」というのが組織されていて、この組織では戦死者の慰霊や、戦乱に巻き込まれて多大な被害を受けたリロアンの人々(ご存知のように残念ながら世界的に悪評の日本兵。はっきり言うと、やはりここでも悪さをした人が少なくないようです)に対する償いとして、寄付金で病院や学校などの建設を行ってきたそうです。

慰霊のツアーは過去毎年行われてきたそうなのですが、会員もみんな歳をとって、年々参加者は減少、昔は数十名でのツアーだったものが今年はたったの6人(遺族5名、元兵士1名)。そのうち3人はうちの家族。どういうわけか、うちは最近になってこの会の存在を知り、今回初めての参加でした。「慰霊旅行」などと聞くとなんだかしんみりした暗い雰囲気を想像してしまいがちですが、慰霊で手を合わせている時以外は冗談を言って笑い合うような明るいムードのツアーでした。

戦死したお兄さんのために手を合わせるMさん(70歳)。当時の日本軍の命令は「生き恥を晒すな」。不利な戦況の中、お兄さんは山中に追い詰められ、銃で頭を撃って自決したそうです。Mさんはこの御歳ながら気持ちはとても若い御方で、慰霊の時以外はまるでキャピキャピギャルのような可愛い感じの方でした。









日本兵が隠れていた洞穴を見学(左)。画面左の小さな穴がそれ。当時の日本兵はかなりのサバイバル生活を余儀なくされていたようだ。洞穴の向かいにはこんなに貧しい民家と元気のない子供(右)。リロアン会のNさんがお菓子を1箱手渡すと全くの無表情のまま黙って受け取った。こちらはこの現代にあってもサバイバル生活に近い。

リロアンの教会。当時この教会前の広場で軍の演芸会が開かれ、祖父が歌を披露したという場所です。教会の建物は当時のまま残っています。現在は広場は物売りの人でいっぱい。ガラクタを売りつけに集まって来るし、スリがいるかも知れない雰囲気なので、のんびりはしていられませんでした。

リロアンのビーチ。祖父の所属していた部隊はここに駐屯していたそうです。そして祖父はこの海に沈んでいるはずです。我が家には祖父が歌う「オ・ソーレ・ミーヨ」の録音(60数年前に録られたもの)が残っていて(何とピアノ伴奏は祖母)、リロアン会の方の提案により、その録音をビーチで再生しながら慰霊を行いました。

【戦後の話し】
祖父が戦死したあと、祖母は娘を養うため、進駐軍の基地のダンスホールのバンドでピアノを弾きました。クラシック畑の祖母にとっては全く畑違いだったはずです。その影響で母はジャズに興味を持ち、後にジャズシンガーになりました。分野は違っても蛙の子は蛙。歌手の子は歌手になったわけです。そして母は職場で知り合ったジャズドラマーと結婚、それが僕の父です。


2001年に母はCDアルバムを製作しました。タイトルは「How Deep Is The Ocian(海は何と深いのだろう)」このタイトルは収録されているジャズのスタンダード・ナンバーからとったものですが、それには海の底に眠っている自分の父(僕の祖父。あ~ややこしい)に捧げる意味が込められています。ジャケットの写真は僕が撮影しました。

不思議だと思うのは、祖父が存在しなければ当然僕は存在しないわけですが、祖父がもし戦死なければどうなったか・・・この場合もやはり、僕は今ここに存在し得ないことになるのです(母がジャズをやらないだろうから、父と出会わないであろうところがポイント)。運命とは不思議なものだ・・。

本来ならここは、戦争の悲惨さや平和の尊さを述べて締めるところかもしれませんが、僕はそういうのが好きではないんです。そういうものは中途半端な知識で語れるほど簡単ではないと思うからです。そして実際、戦争を体験したリロアン会の方たちが語ることはとてもシンプルです。ごちゃごちゃと理屈を言ったりしません。「戦争はイヤだねぇ」それだけです。

祖父一郎、戦死した方々、安らかに眠ってください。