「悪魔のいけにえ」と「天国の口、終りの楽園」
「THE TEXAS CHAIN SAW MASSACRE」。ご存知トビー・フーパーのカルト・ショッカー(1974)。
この超低予算独立系映画は、アメリカ国内の興行収入だけで3100万ドル。映画史上最も利益をあげた映画の一本となった。
怖い映画の嫌いなボクは永年ためらって観ていなかった。けれど意を決して観た。唸りをあげる電動ノコギリは、決してバッテリーがきれない強力な蓄電池を持つのか?このレザーフェイスの造型はスゴイ。この映画が怖いのは写ってる被写体よりもこのような造型を倫理観なく造型し陳列した倫理コードの逸脱にある。
怖い映画をつくる過程は、きっと楽しい。人を怖がらせることを次々準備し演じて撮影する行為の中に、ちょっぴり邪悪なものの昇華がある。女性のこわがる表情とキャメラは仲良し。でもアメリカという国家の常軌を逸した犯罪の記憶と時代背景がこの映画には投影されている。テキサスだから成り立つ。アーカンソーでは成り立つか?
一方の「天国の口、終りの楽園」はアルフォンソ・キュアロン監督のメキシコ時代の処女作(だったよね)。最新作「トゥモロー・ワールド」は隠れた傑作だった。この監督のアーカイブをみてる。この「天国の口、終りの楽園」には青春の野放図さとその終焉が見事に描かれている。生と死と性がメキシコの風土の中で描かれる。
まるで旅を共にしたようなロード・ムービー。
「悪魔のいけにえ」も「天国の口・・・」」も、共にロード・ムービー。どちらが痛切かといえば「天国の口・・・」。ここには唸りをあげる電動ノコギリに追いかけられることはないけれど、時は過ぎ行き人はある季節を終えるというその刹那が切り取られてる。
「あるいは裏切りという名の犬」「エンロン」「影武者」
今朝、DVD三枚を借りてきた。
「エンロン」はこないだ観て、秀逸だったので再見したくなった。ビジネスマン必見の映画である。この巨大企業犯罪の登場人物は我々の社会で無縁ではない。あなたの隣に座ってる人かもしれない。レイオフされた約2万人の人と自分を区別するものは、あまりない。ドキュメンタリーでこのような方法論を、学ばなくてはならない。
「影武者」は、先週、黒澤プロダクションの<黒澤アーカイブ>というデジタル・アーカイブのDemoで、丁度「影武者」の黒澤監督の創作ノートをみることができたから。橋本忍氏の厳しい批評も読んだから、再見しておかなくてはいけないと考えた。
「あるいは裏切りという名の犬」は、公開時に観れなかったので。フィルム・ノワール、しかもフレンチ。
ジャン・ピエール・メルビルが生きていた頃のアラン・ドロン主演のフィルム・ノワールに感化されたボクとしては、アメリカ映画に望めない男の粋な感覚を期待してる。
メルビルの「恐るべき子供たち」「影の軍隊」「ギャング」「サムライ」「仁義」「リスボン特急」・・・ああ、懐かしい。
果たして、「あるいは裏切りという名の犬」は、どうだろう?
U・ボート DAS BOOT(1981)を再見して
BSでやった「U・ボート」をHDDレコーダに録画してたので、先程再見した。
やはり素晴しい傑作である。
ウォルフガング・ペーターゼン監督のこの映画はアカデミー賞6部門にノミネートされた。(監督・脚本・撮影・音響効果・編集・録音の6部門。)外国映画では偉業とされている。そしてペーターゼンはハリウッドに進出した。
この映画の最初の印象は、Uボートが潜行する時に、狭いチューブのような船内を艦首に向けて乗員が走っていきその重量で急速潜行する描写であった。広角レンズをつけたキャメラが素晴しいスピードで、船員たちの後を追跡する。この描写は繰り替えし描かれる。
撮影もハリウッド流の贅沢な照明ではなく、Uボートの照明器具を光源としたようなリアリズムで設計されている。ヨーロッパの色調の風合い。色はちょっとビスコンティの映画を想起させた。手持ち撮影の臨場感は、S・キューブリックの「博士の異常な愛情」のB52の機内で火災が発生した時の描写を想起した。
戦争の中で生き、そして死んでいったドイツ人。4万人のうち3万人が戦死したというUボートの乗員に対して、感情に溺れることなく写実的に過酷な現実の戦争を描いた。死者をして語らしむる厳粛な佇まいがこころに響く。
日本映画の多くの戦争映画は、比べるに値するだろうか?
艦長の風貌と行動に、プロフェッショナルの美意識がある。
どんなに過酷な事態でも航海日誌に向かう姿は、「硫黄島からの手紙」の渡辺謙に引き継がれた。
仕事する男は、こうありたいものだ。たとえ虚しく全ての営みが失敗に帰するとしても・・・。