メディテーション、意識の中心の次に知る「being 存在」と「無」について | 占星術師 Dee Nakagawaの使える占星術 

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占星術師のDee Nakagawa(ディー・ナカガワ)です。

 

占星術鑑定だけでなく、マインドフルネス、瞑想の教室も開催しています。

瞑想はメンタルケア・コンディショニングにも高い効果。

 

マインドフルネス・クラスの案内と、(記事下に)占星術の案内がありますので、ごらんくださいませ。

 

 

 

 

 

瞑想で知る事のできる「“ME”=【私】=意識の中心」については何度か書いて来ています。

例えばこのあたり

 

 

 

(上記には【私】の存在は指摘しても具体的には書いておらず、文章にすることはありません。webに入れる情報と入れない情報を区別しています)
 

 

瞑想の良さ、面白さはこれだけではありません。

昔は “【私】=意識の中心” の状態の獲得で悟りとも呼ばれました。

現代の瞑想において【私】の獲得は、個人的にはさらに意識の先を示すものになるかと思います。

 

もっと昔の時代、例えば日本の戦国時代などでは身近に病気や戦いや死のある厳しい環境で、寿命も人生50年だったとか。

且つ、今の1/100の情報すら無い時代でした。

スピリチュアルなど存在できず、これらに興味を持った者は土着の古神道や外来宗教であった仏教や禅宗の主に口伝で伝わる行法を自分なりに解釈理解し、何とか見神体験を得て救いを得ようとしたのではないでしょうか。

人生はひょっとすると今以上に大変で、今と環境条件も大きく違う。

ですのでその時代では悟りとしての到達点でも、現代では通過点になって来てもおかしくないのです。

とは言え【私】の獲得は生まれてきた意味や価値を実感させてくれる、ある種の悟りに違いないと思います。

 

そして【私】を獲得するとその後から自然に【私】=意識の中心は、その人自身の次のステージを開示します。

 

瞑想というものは最初は厳しい修練のようであっても、その後は甘いものになると言われます。

ここで「甘い」とは至福感ですとかsweetのニュアンスが近いと思います。

「瞑想をすると何故多幸感に包まれるのか?」 これに対してインドのグルOSHOラジニーシは「意識の原材料は至福で出来ているから」と答えています。

 

 

意識の中心から幸せな何かが発っせられて来ます。

行き過ぎると一般的な幸せがどうでもよくなる事すらあるかもしれず、そこは注意が必要なところです。

 

【私】=意識の中心が次に示してくるステージ、流れはどのようなものでしょうか?

人間の意識の発展は、基本的に意識、存在、ハートの順で目覚めると言われています。

時々、最初に最終到着地であるハートが目覚める人もいます。

私もその傾向がありました。

しかしハートが結果だから早く辿り着いて良かったじゃないかと言っても、生きていると結局は意識に引き戻されることになる確率は低くはありません。

そして引き戻されるには、かなりの衝撃が必要です。

到達したはずなのに何を好き好んでわざわざ意識なんぞに退却させるのか?

「このまま先に進ませろ」とハートは訴えかけますので、ハートが通用しないキツイ試練のようなものが待ち構えたりして、場合によっては大きな苦痛に苛まれることになります。

大人しく存在には従った方が無難なのですが、ハートというのは中々聞き入れないものです。

またこれから話す「存在」に関しては、過去生での仏教との仏縁が無い場合は発生しないと覚者フーマンとアジズは言っていました。

例えば私はネパールに行った時にチトワン国立公園に滞在しました。

 

 

公園と言ってもトラもワニもいるような、広大なジャングルでした。

 

 

私はクマールという同年代で気の合ったイケメンでシャイなガイドに案内され、ジャングルを歩き回ったのは良い思い出です。

サイなどの野生の動物だけでなくトラの足跡も見れたのですが、トラは私は仏教の修行僧だった時に遭遇した事があったのです。

 

 

 

 

こういう話はまたそのうちに書こうかと思います。

クマール元気かな?

 

ネパールにはlittle buddha boyがいますし、大勢の仏教徒達が今も修行に励んでいます。

 

 

なぜ修行者たちは密林に入り、座って禅定を決め、動かないのでしょう?

理由の一つには、植物の茂る湿地帯という地形にあります。

植物にも意識というものが有り、それは絶対状態と言われています。

存在と同化している絶対的な安定した意識、存在そのものです。

植物を部屋に置いたり、木々の多い公園に行くと落ち着きますが、これは植物の放つ安定した意識状態から来ています。

 

人間における存在のセンターとはハラ、臍下丹田、おへその3センチ下の第2チャクラと言われています。

頭の意識からしたら臍下丹田は下方になり、意識の中心から存在にセンターが移動する場合には下降、落下する感覚を味わう事は少なくありません。

ですので彼等も、存在に向かってハラを据えている訳です。

 

禅僧たちは大悟を落下、腹に向かって爆発的に突き抜けていく体験として言うことがあります。

 

これが対照的な環境である沙漠であると、スーフィーのように動き踊ります。

そうして環境に合わせて自身のセンターを定めていく訳です。

 

 

 

あなたが【私】=意識の中心を知り維持できるようになった後に、【私】が存在に向かい始めると何が起こるのでしょう?

その時にあなたは知ることになります。

あなたの意識の中心である【私】は下方に引っ張られ始めるかもしれません。

あるいは一気に下に突き抜けるかもしれません。

あなたは意識の中心を保ったまま、存在の内側に入る事になります。

存在の内側に入ったあなたは、内部、肉体という物質から離れて、初めて内側からこの世を知ることになるでしょう。

肉体から離れるという事はつまり、物質の世界、世界全体からも離れる事になります。

自分が見ているフレーム、次元のゲシュタルトが変化するのです。

 

物質の世界から離れるとはつまり、

肉体は普通外側の空気や物質とも接触しています。

私は今PCでこの文章を打っていますが、今の肉体の回りにある衣服、空気、PCキーボード、光、温度、空間と言われている物質界、物質の変化である時間、エネルギーなどから内側に、自分の内部に離れるのです。

 

普段私たちの言う“私”とは心理学的な自我の事。

それは後天的に形成された、元々は自己保存のためのマインドのシステムの事です。

それらは人生の自我形成期以降、いわば「物心がついてから」後に形成されました。

しかしそれ以前からあなたの肉体、つまり「存在」は在ったのです。

意識が存在に追いつくことは無く、常に存在よりも遅いのです。

意識が認識したものとはつまり、全てがもう終わった過去のものです。

ですのであなたと肉体、物質界は一緒ではありませんし、あなた=肉体ではない事になります。

そう思い込んでいるだけです。

そう思い込むことが【私】=意識の中心を知る事で無くなり、それによって肉体とマインドが繋がれたような意識のフックが外れ、意識は本来居る次元を認識するようになります。

 

肉体はあなたが自分の肉体を知る前に、既に存在していました。

あなたは瞑想しながら、内側から外側を、意識のスペース(内側)から肉体、物質界、世界を見る事になるでしょう。

 

また、これらの物質界というのはあなたが作ったものではありません。

あなたは何もしてはいませんし、出来ないのです。

 

あなた以外の別の誰か、何かがあなたを含めて全てを作ったのです。

あなたは自分には何も出来ないことを知るかもしれません。

それは心理的な人生論的な意味合いではなく、ただの現実なのです。

 

クリストファー・ノーランの映画「インターステラー」からですが、内側から物質世界を見るという感じでは感覚的に多少近い感触があるかと思います。

 

 

 

【being=存在】の次元に意識が移行し、普段我々が世界だと思っている物質界から離れる。

そうすると存在には何がみつかるでしょうか?

無いのです。

時間は無く、物質も無く、エネルギーも無く、スペースも無く、そもそも存在がありません。

意識はそれに一致し、存在自体も消えてしまいます。

なぜなら存在が可能なのは非存在が前提でのことだからです。

 

非存在を経験すると、その後は存在の世界に居ても同時に非存在を経験する事にもなります。

存在と非存在を同時に経験する事になるので、何か現実と一拍置いたかのような、以前と同じ世界観でいる事は難しいかと思います。

OSHOラジニーシは「瞑想していくと究極のところ人間ではなくなる」と言っています。

 

 

そこまで行かなかった場合はどうなるのか?

下方という無意識への落下は劇的な事が多く、その人のカルマからしばらくは様々な存在に出会ったりもしますが、その後はやはり何も無くなってしまうかと思います。

ユングはたしか自伝の「無意識との対決」あたりで、自身の無意識への落下体験とそこで様々な怪物的存在に出会ったと言っていたかと思います。

これは誰もが経験する事ではありませんし、私はユング自身が特異なカルマを持っていた人間なのではないかと思います。

驚くような記述も多いのですが、私にはユングはどこか中途半端感も強いのです。

 

 

 

 

コリン・ウィルソンもこのユングの落下体験には興味を持って語っていました。

 

 

 

 

 

魔術をモチーフに使った映画「コンスタンティン」では落下や魔境の世界を扱っていました。

魔術の下降は魔境との遭遇です。

being=存在、にいきつく発想自体を持ってないのではないかとも思います。

 

 

そういえば禅僧たちも、魔境に気を付けろとはよく言いますね。

 

 

 

また瞑想で得られる安全とは基本的にこの絶対領域のことです。

自身の体から離れて意識の絶対領域に留まるとすると、これ以上安全な場所は無いのです。

怖くなり戻ろうとする人もいますが、実は現実世界に帰ってくる必要も本質的にはない気もします。

そこから必要な情報を取得する人もいます。

フーマンにはそれが出来たのではないかと思います。

 

 

以上です。

 

 

 

 

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