日本の近代音楽史に燦然と輝く黒い星。ニューヨークの屋根裏なんていかなくても、ここにはその先進性・攻撃性、そういった全てがある。
暗黒大陸じゃがたら「南蛮渡来」

アーティスト: 暗黒大陸じゃがたら
タイトル: 南蛮渡来

久しぶりに、日本人のアーティストを紹介しようかと思います。知る人ぞ知る伝説のバンド“暗黒大陸じゃがたら”です。とにかくその特異性は初期から飛び抜けておりました。しかし当初その耳目を集めたのは、音楽ではなくエキセントリックなステージパフォーマンスでした。

ここでは、そのステージアクトについてはあえて書きません。それは彼等がその後決別した事ですし、ここでそのエキセントリックさを書いても、音楽愛好家にとってはなんのメリットも無いと考えます。しかし、そうでもしなければ80年代初期の音楽ジャーナリズムが彼等のような、フェラ・クティ直系のアフロビートとニューウェーブの融合という当時としては極めてマニアックな音楽を、メディアが取り上げるはず無かったのは容易に想像が付きます。この辺りの話は、ジミ・ヘンドリクスと同じようなものを感じますね。。。

1981年5月から、彼等は音楽集団として、音楽で勝負することにしました。そしてちょうど一年後の82年5月に、このファーストフルアルバム「南蛮渡来」が発表されました。このアルバムは各方面から大絶賛を浴びます。そうなんです。もともと音楽性が極めて高いバンドだったのです。

今彼等のアルバムをこうして聞いてみると、フェラ・クティの影響はもちろん、Pfunkの影響や、ダブレゲエの要素、フリージャズの影響、マイルス・デイヴィスの影響、フランク・ザッパの影響などとにかくゴテゴテに煮詰めた、濃厚なエトスを感じます。そして、そこにリーダーの江戸アケミの独特の詩による、攻撃的なヴォ-カルが、コーラスとともに縦横無尽に切り裂きます。

今の時代に出てきても、面白いバンドだと思います。結局ここまでオリジナリティを完成させてデビューするバンドって今あまりいないんですよね。もちろん、演奏とか作曲とかの完成度は、高い人が多いんですが、オリジナリティを追求しきれていないバンドがやっぱり多いと思います。

“じゃがたら”のオリジナリティは常に次の作品を期待させる魔力を持ているし、何をやっても普通にならないそういう面白さがあるんですよね。これって、不変のものなんですよ。バンドの面白さって、こういうところにあると思いませんか?

このまさにバンドらしいバンドからは、多くの才能が生まれました。彼・彼女らは、未だに音楽業界でそれぞれ独自の色を持った正当派異端児として活躍しています。しかし、今“じゃがたら”は多くの人の記憶の中でだけ演奏するバンドになってしまいました。

“じゃがたら”は、1990年1月27日に中心メンバー江戸アケミの死により、その活動を凍結させた。ついに果たした89年のメジャーデビュー(今の時代とはやっぱりその位置付けが全然違うんですよね・・・)の翌年の事でした。確か酔って風呂に入り、溺死したという余りにあっけない最後でした。

江戸さんは、それまでにも精神に異常をきたして活動停止に陥ったりと、そういう部分があったのである意味でいえば、遂にという感もありました。どこか、彼は自分自身を削って音楽に捧げているそんな生き方をしていました。とにかく不器用で、狂気を持った純粋さで暴力的なマインドを持ち、繊細で不安定な存在でした。こんな事をいうと、身近な人に怒られてしまいそうですね。

中・高校生だったDecoyには、日本では珍しい芸術としてポップミュージックに取り組む本物のアーティストに見え、そういう部分が憧れでした。インディーズのショップでも他の中途半端なパンクバンドのアルバムの中で、異彩を放っていました。。。今でもDecoyにとって“じゃがたら”は特別なアーティストです。

各曲の説明をしておきます。1曲目「でも・デモ・DEMO」はアフロ・ビートものです。サックスの咆哮、江戸アケミのヴォ-カル、まさにフェラ・クティです。初めて聞いたときに、最初にやられた曲です。素晴らしい。さながら今ならジャムバンドと呼ばれるような音楽ですね。今の若手ジャムバンドにも(一年前のDecoyですが・・・笑)もっと聞いてもらいたい。23年も前に、既にここに到達してるのです。日本音楽界の至宝です。

2曲目「季節の終わり」はかなりニューウェーブ色の強いパンキッシュな楽曲です。歌詞をとにかくシンプルにし、シングルコイルの多分、テレキャスターをJC120に入れて出している、ギラギラしたエレキギターを全面に出した、楽曲です。初期のレッド・ホット・チリペッパーズを思わせますね。

3曲目「BABY」はPFUNKですねー。ベースの動きが面白いです。PFUNKがうねりのグルーヴだとしたら、“じゃがたら”のものはキレのグルーヴですね。でもこの少し危ない感じの雰囲気、どこか遠くにいってしまいそうな感じは、真似して出ているものじゃあ無いですね。“じゃがたら”とPFUNKが共通で持っているバックグラウンドですね。

4曲目「タンゴ」は日本のバンドらしい日本語ロックの曲です。しかし、ただの歌謡曲にならないのは、その歌詞の素晴らしさによる所が大きいですね。不安感と淋しさと虚しさが伝わって来ます。5曲目「アジテーション」はアフロ・ビートとPFUNKの融合といった所でしょうか?長く続くイントロが、絶品ですね。このゆったりとした曲構成。引っ張って引っ張って、江戸のヴォ-カルが登場します。煽って煽って展開。この落差は面白いです。

6曲目「ヴァギナ・FUCK」これはもうそのまんまですね。ニューウェーブパンクですね。2分足らずの小曲です。エレキギターの攻撃性がうまく出ています。7曲目「FADE OUT」は、潜在的な江戸アケミの自殺願望が吐き出されているような感じの楽曲です。ダブレゲエの影響が濃厚な曲ですね。ダビーな音響処理の施された、霞んだ遠くにある音像の前で、江戸アケミの毒のあるの言葉が吐き出されます。

8曲目「クニナマシェ」は“じゃがたら”流のアフロ・ビートです。この曲もかなり引っ張る構成ですね。コーラスの使い方も面白い。とにかく音が隙間につまっている感じです。でもそれは隙間をなくすという事ではなく、隙間を非常にうまく使っている感じなんです。リズムパートはベースがグイグイグルーヴさせていきますね。子供の声まで登場していよいよカオスになった時、凄く美しいメロディーがどこからともなく降臨してきます。この構成は狙ってるものではないと思う・・・。

9曲目「元祖家族百景」はフランク・ザッパ的な、プログレッシブなロックですね。荒削りな部分もありますが、全てのフレーズがザッパ的なひねりを加えられており、非常に面白いですね。緩急のつけ方も面白いですし、お見事な一曲。べたべたな日本語歌詞なんですけど、楽曲としてあまりベタな感じがしないのは、このひねりのせいだと思います。

10曲目「ウォークマンのテーマ」はいかにもニューウェーブなベースラインが、時代を感じますね。でもこれも変な曲です。最後の方ではダビーな音の処理がされて、ブルースハープなんかも出てきてカオスになっていって・・・テープ編集がとってつけたように・・・でもってザクっと終わってしまいます。

通して聞いてみると、やはり“じゃがたら”は最初からあのままで、結局このまま最後まで存在していたんですよね。そんな感じのいわゆるカテゴライズを拒否する、ごった煮サウンドです。

未体験の方がいたらそのまま未体験でもいいかもしれません。でももし体験できたら、それはそれで面白いと思います。多分。劇薬ですから、不用意にはやはりお勧めできないです。。。でもここには彼等にしか出せないサウンドが確かに存在します。一度お試し下さい。癖になっても知りませんけど。。。笑。それでは。

Love Always,
Peace Everyone,
アメリカの伝統と芳醇を感じさせる名盤。高い音楽性に裏打ちされたその音楽で、遠いアメリカの地平線を見つめる。
Procol Harum「A Whiter Shade Of Pale」

アーティスト: Procol Harum
タイトル: A Whiter Shade Of Pale

多分、多くの方がどこかで耳にした事があるであろう名曲が次から次へと飛び出してくる、そんなアルバムだと思います。私自身、このアルバムを初めて購入したのは中学生くらいのときでした。

何故か、手元には既にないのですが(誰かに貸した記憶もある)、緑色のオリジナルジャケットではないもの立った気がします。そして、やはりふとある時に、聞き直したいな・・・と思い直して中古盤屋を巡ったわけですが、あまり見つかりませんでした。

結局、タワレコで新品を買ったわけですが、どうやら再発に再発を重ねたところだったようで(2004年末のお話)、まあオリジナルジャケットでなおかつボーナストラックが4曲という大判振る舞いなので、新品を買っても損はなしという感じです。

さて、簡単にかれらプロコル・ハルムというバンドについて簡単に紹介しておきます。時は1966年。ゲイリ-・ブルッカ-(Vo、Key)とマシュー・フィッシャー(Org)とキース・リード(poet)が中心となり結成。キースは作詞しか出来ないとの事で、結局凄腕のミュージシャンを集めることになった。レイ・ロイヤー(Gt)、ボビー・ハリソン(Dr)、デヴィッド・ナイツ(B)が加わることにありオリジナルの編成が完成した。

なんといってもこのバンドの特徴は、ブルージーなブルーアイドソウルのヴォ-カルと、クラシカルなフレーズを奏でるオルガンにあるといえるでしょう。オルガンというと最近のジャズファンクでもお馴染みのB3オルガンつまり巨匠ジミ-・スミスや最近であればジョン・メデスキーのような泥臭いファンキーなイメージの楽器ですが、マシュー・フィッシャーの場合、ベースに非常にクラシックがあった人だったようで、ゲイリ-・ブルッカ-のピアノと合わさると、とても壮大な広がりを持った一種高貴な雰囲気のアンサンブルを醸し出します。

この感じは、例えばドア-ズとかでもちょっと出せない、一種独特のものです。このどこにもないサウンドを聞く為には、このアルバムを購入するしかないのです。これは本当に凄い事です。結局40年経っても、フォロワーは生まれませんでした。そんな特別な音楽を今回は紹介しました。

簡単に曲目の紹介をします。久しぶりに聞き直してみたら、一曲目・・・そうアルバムタイトルにもなっている「A Whiter Shade Of Pale」こと「青い影」まあ正確には「青白い影」であるのだが、この曲を聞いた瞬間にどっといろいろな事が溢れてきた。なんて言うのだろうか、このアルバムは多くの人の思い出の中にある、共通の何かボタンを押す効果があるんですね。そう良質な映画を見る時に感じる、あの感覚に近いものが溢れてくるんですね。。。

2曲目「Conquistador」では一変して等身大の若者のサウンドに。60年代を感じます。しかし展開がやはりかなり練り込まれていますね。同時代のバンドと比べると、レベルがやはり高い。個人個人も凄いのだがやはりアンサンブルで聞かせるバンドだと思わされます。3曲目「She Wandered Through The Garden Fence」はイントロのドラム・ブレイクからやられますね。この時代の音です。そしてサビでのオルガンのフレージング。やはりサイケデリックとはちょっと違いますが、なんでしょ凄く異物感があってオリエンタルな感じがします。あえてピアノを控え目にして、ざらついた感じに仕上げていてこれはこれでグット。中間で、モロにバロックなフレーズ。唯一無二ですよ本当に。

4曲目「Something Following Me」はゆったりとしたタメの効いた曲です。こういう曲だとDecoyは、ドラムに耳がいってしまいます。ブルージーなヴォ-カルが生きている曲です。5曲目「Mabel」インタールード的な、ちょっと休憩といった感じですね。サウンドコラージュの上でバンドが演奏。ビートルズとかの影響もあるんでしょうね。この辺りは。

6曲目「Cerdes (Outside The Gates Of)」何かを期待させるイントロ。そしてファズの効いたギター。重い腰の低いリズム。ブルージーなヴォ-カルとベースラインの絡みが絶妙です。アルバム中、一番不良な曲ですね(笑)。7曲目「Christmas Camel」ピアノとオルガンによる独特のアンサンブルを聞かせてくれます。1曲目と対になるような楽曲ですね。こう聞き直して思うのは、やはりヴォ-カルがいい。歌ありきです。

8曲目「Kaleidoscope」はアップテンポのちょっとジェフ・ベックグループ的なものを感じる曲です。プロコル・ハルムの方が、かなりロマンティストですが。オルガンのテイストがやはりバロックです。幻想的なんですよね。不思議な曲です。9曲目「Salad Days (Are Here Again)」は落ち着いた感じのポップス。このオルガンとピアノのアンサンブルは、当時としてはかなり斬新だったんだろうと思わされます。ピアノはやはりい歌いながらなので、非常に歌と絡むんですよね。で、オルガンはサビにくると歌の旋律を補完するように寄り添う。通常だとちょと分厚くてうるさくなるんですが、彼等の魔法のアンサンブルではどちらかというと、ドラマチックに展開しています。

10曲目「Good Captain Clack」は明るい、5曲目「Mabel」と同じくどこか、コンセプチュアルな楽曲です。そして、ボーナストラックを除いた、本来の最後の曲「Repent Walpurgis」。はかなくてロマンティックなこの楽想は、彼等出なければ表現できないです。ある意味でこれは様式美ともいえるかもしれませんね。こういうインストの曲もやっちゃうあたりは、このバンドの方向性の面白さですよね。

ここからはボーナストラックですね。12曲目「Lime Street Blues」はロッキンブルースというか、ロックンロールやね。シンプルな曲です。ちょっとらしくないかも(笑)。13曲目「Homburg」は名曲です。雰囲気としては、一曲目の「青い影」に通じるものがあります。遠いアメリカの地平線が見えます。14曲目「Monsieur Armand」はロックですね。これはこれで格好いいんですけど、ちょっと彼等らしくは無いかもね。15曲目「Seem To Have The Blues All The Time」今でいったらまさにジャムバンド風の曲ですね。いかにもジャムって作った感じの曲。これはこれで良い。でもなんだろうね、プロコル・ハルムでなくてもいいかもしれない。

最近、曲を書いたりアレンジしたりという活動から離れて、人の演奏を客観的に聞くようになっていつも思うのは、やりたいやり方つまり、そのバンドが気に入っているやり方が、必ずしもそのバンドにとってベストではないかも知れないという事です。しかし、やはりバンドである以上やりたい音をやりたい。ここにいつも矛盾が生まれる。

これをクリアする方法は、一つしかない。バンドはやりたい事を、常に最高を求めてやっていくべきだと思う。「慣れなければ」ミュージシャンという仕事は続けられない。しかしミュージシャンという仕事に「慣れてしまう」ととたんにつまらなくなる。どこまでも緊張精神に緊張を持たせて、常に良いものを追い求め、実行する。続けなければ、すぐに古くなる。すぐに飽きられてしまう。全速で駆け抜けたアーティストの作品は、時間を経てなおかつ生き残ったのなら、名盤としていつか時代に刻まれます。このアルバムのように。。。それでは。

Love Always,
Peace Everyone,
弦楽器による芸術の最高峰。凄いのではなく素晴らしい演奏に息を呑む。優しくしなやかにそして力強く。次世代に残すべきおおいなる遺産。
Nadja,Sergio and Odair Assad「GYPSY」

アーティスト: Nadja,Sergio and Odair Assad
タイトル: GYPSY

初めてこの演奏を耳にしたとき、ガットギターの奥の深さを叩き込まれました。そしてヴァイオリンという楽器の素晴らしさを再認識しました。

とにかく6+6+4=無限大の図式なのである。弦楽器は、その構造上弦の数以上の音は一度に出せない。つまり弦の数でいえば16が最大発音数なのであるが・・・あり得ない。出てきている音の厚みは軽く20人近くの室内楽のそれを彷佛させるのです。アーティキュレーションつまり強弱のことであるが、それが見事なので、結果としてその振れ幅が室内楽のそれを彷佛させるまでにいたっているのです。

とにかく歌っているなんて生易しい領域ではないのです。一音一音に魂が入っていて、ピンと背中が張っている。無駄がないのに芳醇なのだ。いや、無駄がないから芳醇でいられるのか?こうして改めて聞き直してみると、音楽の奥の深さをまたしても見せつけられた気がする。

いやはや、私なんかがやってきたのは多分まだ音楽の「お」の字だったのだろう。。。それでもあれだけ楽しめて、あれだけ多くの人に出会えた。きっと彼等の領域にいけたなら、また違う情景が見られたのだろうと思うと、本当にうらやましい。

愚痴はさておき少し、アーティストについて触れておきましょう。ナージャこと、ナージャ・サレルノ=ゾネンバーグは世界トップクラスのバイオリニストの一人です。ローマ生まれで、8歳の時にアメリカへ移住。その後ジュリアード音楽院で学ぶのであるが、ここでも彼女はその破格の演奏家ぶりを発揮し、ジュリアードの教育方針に真っ向から対立。自らの音楽を本能的に手繰り寄せて、見事に自分の音楽を作り上げてしまいました。結局の所、常人の行き着けない領域で彼女は、音楽と対峙してきていたのです。

その後、彼女は20年近くの永きに渡って活躍しています。途中、料理で指を怪我をして絶望視されるなど、そもそもクラシック界では、タブーともいえる事件を起こすのですが、何の事もなく復帰してきます(料理で手を怪我した著名なミュージシャンはクラシック界の外にはいくらでもいる・・・笑)。

彼女はその超情熱的な性格でもよく知られています。一般的なクラシックという窮屈な枠組みから飛翔した活躍をしてきています。ソロのコンサートはもちろんの事、さまざまなテレビ番組にも出演しました。セサミ・ストリートも有名な出演番組です。私が彼女を知ったのは、彼女の半生を描いた著書「ナージャ 我が道をゆく」でした。あいにく今手元にこの本はないのですが(音楽家としての人生に疑問を持っていた、とある女性音楽家に差し上げました)、その本での強烈な音楽観には、圧倒されるばかりです。

そして、その情熱的なじゃじゃ馬バイオリニストを待受けた、これまた天才兄弟のアサド・ブラザーズです。ギターの演奏技術、編曲技術、アンサンブルの限界への挑戦など、数多くのその演奏でギター界を数歩先へ前進させ続けている兄弟です。もしあなたがギタリストであるのであれば、必ず通らなければならない演奏家です。兄セルジオ12歳と弟オダイル8歳の時に彼等はギタリストになる事を決めました。以来、かわらずそして弛まず、彼等の演奏人生は今日まで50年近く続いています。彼等を人はこう呼ぶ。「世界最高のクラシック・ギターデュオ」二人は彼等については、今後も度々触れていくつもりなので、この辺りで、本作品について触れていこうと思います。

本作品、「GYPSY」はその名の通り、ヨーロッパとりわけ東欧のものを取り上げている。どこか悲し気で憂いを帯びた作品が多いのはそのためかも知れない。ざっとあげると、スペイン、ロシア、ブルガリア、トルコ、ルーマニア、ハンガリー、マケドニア、ベルギー、フランス、トランシルヴァニア。どの曲もオリジナルのエッセンスをいかしながら、見事にセルジオの手でアレンジが施されている。

ほとんどの曲は、彼等のトリオでの演奏であるが、二曲だけパーッカッション奏者のジェミー・ハダットが参加している。しかしどれも見事に余分な音はなく、聞かせるべき音が、聞かせるべきところで鳴っているそんな感じの音楽です。

各曲の解説をしてゆきたい。1曲目「Andalucia」はその名の通り、スペインの民謡をモチーフに展開した曲。ギターがとにかく魅せる!それにからむナージャはまるでフラメンコのダンサーのよう。絡みからんで、高見にのぼり積める。真っ青なアンダルシアの空へ飛翔する。素晴らしい。

2曲目「Fantasy on Dark Eyes」イントロのギターからして・・・弾けませんよ、そんなの。。。緩急、強弱、緊張と弛緩。見事なナージャのヴァイオリン。そして哀愁を奏でるアサド兄弟のギター。ロシアの民謡がベースらしい。3曲目「The Chase」ブルガリアのリズムをベースに展開している曲ですが、非常にエキサイティングなその展開は、現代フラメンコを彷佛とさせます。パーカッションも程よく絡んできます。まあとりあえず、アサド兄弟のギター叩きの技これに驚愕して下さい。こんなにパッションを表現できるのがガット・ギター(ナイロン弦)なんです。

4曲目「Istanbul: Awakening and Turkish Dance」は文字どおりトルコのジプシー音楽がベースです。イントロのナージャのカデンツァは号泣もの。素晴らしい。ここまでヴァイオリンは人々に語りかける楽器なのですね。5曲目「Tatras」タトラ風という邦題のこの曲は、ルーマニアのタトラという地方に由来した楽曲。非常に哀愁がただよう。なぜかDecoyはこの曲を聞くと「風の谷のナウシカ」を思い出します。ひょっとして、この辺りのイメージを宮崎駿氏はリサーチしていたのかも。。。

6曲目「Gypsy Songs」その名の通りですね。ハンガリーの7つのジプシー民謡から生まれた楽曲です。見事に現代化されています。非常にモダンな楽曲に鳴っています。それでも、ベースで流れるたゆまないこの流れるような感触は、そのハンガリーの田舎の空気をここまで運んでくれます。7曲目「Vardar's Boat」ヴァルダルの舟という邦題がついている。マケドニアの民謡らしい。どこか中国の古楽を思わせるその雰囲気にはアジア的なものを感じる事ができます。しなやかなナージャの演奏。は胡弓のようです。

8曲目「Nuages」はいわずとしれた、ジャンゴ・ラインハルトの名曲。雲を意味するこの楽曲は、その牧歌的な雰囲気に隠された、ジャンゴの平和への強い思いを感じます。名人の書いた名曲を、名アレンジャーによる編曲で名手が蘇らせた。ハッキリ言いいます。悪いわけがない。そして最後の「Somogy's Dream」トランシルヴァニアの民謡がベースになっているそう。澄み切った素晴らしい演奏。空気の透明度が上がった気がする。ナージャの歌声もかすかに聞ける。

これまで、こういう「クラシック」というジャンルの音楽を聴いてこなかった方にも、是非おすすめしたいアルバムです。間違いのないアルバムの一枚です。こういうアルバムを入り口に、良質なクラシック音楽への旅を初めてみて下さい。それでは。

Love Always,
Peace Everyone,
電気化して黒光りする、マディウォーターズ。重いグルーヴで、ディープファンク好きも見事に昇天一件落着。
Muddy Waters「Electric Mud」

アーティスト: Muddy Waters
タイトル: Electric Mud

マディ・ウォーターズ。そうDecoyが最も影響受けたギタリストの一人が、何を隠そう彼である。エネルギッシュな歌とパワフルな演奏。圧倒された。そしえ、何を隠そうとてもキャッチーなのである
。とにかくわかりやすい。ブルース初心者は、ロバート・ジョンソンを聴いて唸るのも悪くはないが(ロバート・ジョンソンも凄い)、Decoy的にはマディから入ることをオススメしたい。B.B.Kingも素晴らしいが、生のスラムの臭いを漂わせるレアブルースとおしては、やはりマディだと思う。

マディとの出会いは、やはりあの洋楽盤屋でした。。。以前の回でも何度か取り上げましたが、Decoyは中学~高校生の間通い詰めた、洋楽盤屋が有った。その店のとにかく驚くべきそのマニアックかつ良質な品揃えは、素晴らしいの一言。このお店の存在は、その後のDecoy人生を・・・そう、未だに・・・支配している。そこのお店の店員は、とにかく音楽に詳しい人ばかりで、下手に解ったいないものを購入しようとすると、
「まずこっち買って十分に聴いてからこれは聴くべきだ。だから今日はやめておきなさい。」
などと理不尽な事も・・・。しかし、彼が推薦するアルバムに“外れ”は、ただの一度も無かった。今の時代に渋谷あたりでお店をやっていれば、カリスマバイヤーとして著名に成っていたことだろう。

その彼がオススメしてきた、ブルースのスーパースターがマディだった。
「B.B.Kingは確かにブルースの王様だけど、やっぱり裏のシンジケートのボスはマディだ。」
そんな事言われたら、やはり中学生のDecoyはそのいかがわしい臭いのするマディに心が傾いた。実際初めて聴いて一発でやられた。そのジミ・ヘンドリクスに通じる、ワイルドでセクシーでバッドな雰囲気のマディは、ブルースシンジケートのビックボスだ。

このアルバムは、1940年代末期より活躍しているそんな彼の、最もサイケデリックな演奏の聴ける一枚。時は1968年。初期のレッドツェッペリンがお好きな方などにはかなりオススメ。とにかく腰に来るローなビートと、歪んでウネルプレシジョン・ベース、ファズをかましてザラザラした音のギター、そして野太いマディの歌。粘り気のある、本物のブルースが堪能できる。

少し曲目についても触れておきたいと思う。
1曲目「I Just Want To Make Love To You」イントロのベースのグリッサンドの色気でもうやられますね。とにかくドラムの音、ベースの音、最高。2曲目「I'm Your Hoochie Coochie Man」冒頭でサイケデリックな音響も聴けますが、楽曲自体はどちらかと言えばブルース色の強い、原曲よりのアレンジです。オリジナルバージョンと比べて、全体的にタメはましているのですが、演奏自体はクールになっていて、非常にロック的と言える。

3曲目「Let's Spend The Night Together」はこれは完全にロックですね。楽曲的には。とにかくストレートな印象。4曲目「She's Alright」これもイントロが格好いい。ドラムの音、このバンドも捨てがたい。5曲目「Mannish Boy」はマディの十八番。ドラムのビートにどきりとします。ここでもスネアの音が特にいい。

6曲目「Herbert Harper's Free Press News」6/8拍子のブルースワルツ?結構テンポが有る楽曲。7曲目「Tom Cat」これもワンコードでグイグイ落とすような感じ。8曲目「The Same Thing」は少しレイドバックした落ち着いた感じ。

本当にマディは凄い。どんなに時代が変わろうと、どんなにアレンジが変わろうとも、彼はやはり彼なのである。ロックからの乗り換えの方、是非是非ご相談下さいませ。凄く入って生きやすいと思います


Love Always,
Peace Everyone,
狂気を帯びたような美しさ。粉々に砕けて突き刺さりそうな危うさ。肉に刺さったら溶けてしまいそうな儚さ。
Rei Harakami「lust」

アーティスト: Rei Harakami
タイトル: lust

YMOそして、今Rei Harakamiへ。長いこと断絶が懸念されていた、電子音楽家の系譜は今ようやくその担い手を見つけた。確かに、竹村延和という巨匠もいた。ケンイシイや場合によってはDJ KRUSHもこの系譜の担い手といえなくはない。しかし、レイ・ハラカミはとにかく正攻法なのです。全く奇を衒わないで見事にど真ん中ストレートの電子音楽による、超現実的な空間を作り出します。

年代的には恐らくDecoyと同じくらいだと思うのだが、余り詳しい情報はわからない。初めて彼のライブを体験したのは、数年前の読売ランドのファットリーフの主宰した、ジャムバンドの野外イベントだった。

とにかく飾らない人で、
「ども!ハラカミ・レイです。宜しくおねがいします」
みたいな感じで演奏を始めた。他にも沢山c著名なDJが出ていたと思うけれど、はっきり言ってレベルが違いました。

このファットリーフのイベントは、正直見ていて音楽的なレベルの差がもの凄くあった。上手い人と下手な人の差が激しいのです。まあ後に、Decoy自身も出演することになるので、あまり悪くは言えないのですが、出演したときも、なんというかもの凄くいい加減な感じの印象を受けました。

まあさておき。とにかくここ数年のレイ・ハラカミの活躍ぶりには目を見張るものが有ります。日本国内であれば「くるり」、「UA」、「ショコラ」、「ケンイシイ」・・・海外でもあのDecoyが尊敬して止まない「Cold Cut」など。とにかく、その才能を振り回して、最高のリミックスを行ってきました。そして、遂に満を持して、実に4年ぶりのニュー・アルバムであり、最高傑作をここに届けてくれました。

とにかく、出来ればどこかで試聴をして貰いたい。信じられない程美しいこの音像は、言葉では表現し切れないのだ。夕日の僅かな時間に感じさせる刹那の感覚、朝、目覚める前のほんの僅かな時間に感じるまどろみ。。。そんな本当に人間がちょっぴりしか味わえないああいう曖昧な感覚を、再生の度に感じさせるアルバムです。

簡単に、格楽曲紹介をしていきます。まずは、導入部となる1曲目「long time」とても短く濃縮された4年間を感じます。永遠に続くのではと思われた沈黙。。。そして2曲目「joy」がゆっくりとテイクオフして、新しい旅が始まります。複合的なリズムが有る一点を目指して集まってくる感じは、圧巻です。

3曲目「lust」では、宇宙へと飛び出して行きます。程良くダビーな空間を、リズムの破片が流れ星と成って駆け抜けてゆきます。そして時は流れ、有る星に着陸した母船から、私は顔を出してみた。全く新しいこの星は、私を受け入れる準備が未だ出来ていないようで、まだ空気とのわだかまりは、溶けていないままのようである。

5曲目「owari no kisetsu」は、細野晴臣さんの楽曲を見事にけだるいヴォーカルを乗せて再現しています。ゆっくりと、意見を出しながら海中を進んでいく。そして6曲目「come here go there」では、雪の深い国に降り立った私たちは、吹雪の中、それでも進まなければ成らないからだ。

7曲目「after joy」ではかなりアバンギャルドな音協が聴けます。宇宙船に乗ってこの星から、我々は脱出を計ろうとしている。上手くいくのだろうか。8曲目「lasit night」ではとにかくあの星から遠く駆け抜けようとする。遠くへ。新しい音を求めて。

そして9曲目「approach」で、遂に私たちは安住の地を迎えた。ゆっくりと過ごすために、この場所は人間のために残したのだという。10曲目「first period」では次への序章のようにゆったりと、続編を奏でて。

こんなに、聴いていて気持ちよい音楽には滅多に出会えません。バッハの、チェロの独奏の様なアナログで揺れるあの感じを持つ電子音。どこまでもオーガニックなものを感じさせる、レイ・ハラカミの世界を是非あなたも感じてください。それでは。

Love Always,
Peace Everyone,