中小企業診断士試験14回目の挑戦 -82ページ目

中小企業診断士試験14回目の挑戦

2023年は227点、13点足りず不合格。
2024年196点に後退
2025年も不合格192点に後退
2026年一次試験の6回目の合格に挑む。


企業経営理論の養成答練が74点、上級答練が57点だった。

両方ともマーケティングのところで多く失点している。

マーケティングは戦略論やいわんや組織論より遥かに取っ付きやすいのに点数が安定しない、と多くの受験生も思っているに違いない。

6年目にして尚、明確な理由が見つからない。

簡単と思っているから油断した?

次回から油断しないようにする、これでは対策にならない。

ハマったトラップを分析し、次回以降そのトラップを予想して選択肢を読む。

これでは今までと何ら変わりない。

平成26年に唯一本番で67点とって合格したが、その時、試験本番の4問目を解いたときに「これは今日は貰った」という確信がわいた。

選択肢のどこにどのような埋め込みがあるかを探す神経が研ぎ澄まされている、とはっきり自覚したのである。

ある意味、トランス状態だった。

二年経ってそれが確実に鈍っているようだ。

それを研ぎ澄ますためのトレーニングを勉強の中で強く意識しないと感覚は蘇らないだろう。

「自分は今選択肢の中のトラップを、出題者の意図をトレースするかのように探り当てる訓練をしている」と意識すれば、意図的にあのトランス状態を作り出せるようになるだろう。

そしてそれは二次対策にもつながるに違いない。

 

 


机に向かって問題集を広げ鉛筆を持ちおもむろに問題文を読む、

という段になって、yahooの天気をチェックしておくか、という気分になりパソコンを触りだしてしまう、当然天気だけでなくニュースが目に入りニュースを読んで、ニュースへのコメントが気になってと、どんどん問題から遠ざかる、或いは勉強の体制が整った事に安心して空中を眺めながら時間が経過してしまう、という時間のロスが結構ある。

内発的動機付けによる動機も確かに自覚している。企業経営理論の選択肢の中のトラップを発見した時の喜び、出題者とシンクロした感覚、知らなかった世界に分け入っていく喜び、繰り返しこの感覚を得たい、という欲求は確かにある。

それでも尚、問題を解く事に集中できない。

企業経営理論は一度合格しているし、そんなに熱くならなくても大丈夫だ、などと考えがあらぬ方向に行ってしまう。

そんな時に合格後をイメージする。

そこから、キャッシュフロー計算書の当期純利益から営業利益まで遡るように、現状までを遡るイメージを思い浮かべると、ぼんやりしている場合ではない、と弾かれたように問題に向かう、という状況が最近多い。

合格後を強くイメージするのも重要であると思う。

問題を解き始めると頭の中にインサートされてくるのが

テレビアニメ宇宙戦艦ヤマトのラストシーン

「地球滅亡まであと157日」....

そこからまたふらふら妄想の散歩に....

妄想ではなく、勉強に没頭したいのだが。

 

 


あなたは、いわゆる「診断士の勉強」をしているとき、
何をしていると認識しているのでしょう?
「いま、何をしているのか?」という問いにどうこたえるのでしょう?

 

・勉強している。

・中所企業診断士試験の合格に近づこうとしている。

・中小企業診断士試験合格の確率を上げようとしている。

・経済学・経済政策のマクロ経済学のIS-LM分析を理解しようとしている。

・早くDVDが終わらないかな、と思っている。

・肋骨がきしむほど集中している状態を目指している。

・モデルの学問とは面白いものだなあ、と思っている。

・パチンコなどに打ち興じる事なく机に向かっていて偉いなあ、と自己満足に浸っている。

・将来の生活安定の為、自己研鑽している。

 

ことほど左様に集中できていない事が判明した。

しかしまたファジー理論のプログラムのように際限なく自分に問いながら軌道を修正していけていると思う。

また、ある状態というものはいろんな側面を併せ持つので、単純に決めつけたり断定したりできないものだという事か。

 

 

 


わたしたちは、「一般化しすぎる」傾向にありますので、
わたしたち自身が犯人とも言えるわけです。

 

『断定的な表現』の時も思ったが、考えることを邪魔されるまでもなく、自ら考えるのを止めるために断定的な表現を使いたがる傾向があり、同じく一般化も、思考停止するために使ってしまうという傾向があるようだ。

「将来的に何かすごいことをやろうと思っている」

考えるのを止めたわけではない、という態度である。

 

大切なのは考える事である。

考えることを妨げる要素を取り除いていくのは非常に重要である。

そして自ら考えを止めようとする傾向が有る事を自覚すべきである。


【効率】 ある事をするのに消費した労力や時間とその成果との割合。(三省堂 新明解 国語辞典)

 

生産性だ 生産性=OUTOPUT/INPUT

 

『「効率的な合格戦略!」
「効率的なカリキュラム」
こういった受験機関がよく使うキャッチフレーズは、
試験対策をつまらないものにしている可能性があります。』

 

本能的にというか受けてきた教育の賜物というか、何事においても効率や出来高によって物事を判断する癖がついている。

確かに『効率的な合格戦略』というのは魅力的ではある。

「ストレート合格」というのも心地の良い響きだ。

 

人は無駄というのもが嫌いなのでどうしても効率に拘りたくなる。

しかしその伏線として『勉強時間』が受験勉強の指標として使われている事があるだろう。

それはいつしか勉強時間が「出来高」そのもののようになって、自分を安心させる材料になるという副作用も生んでいる。

勉強時間は効率の分母なのであって、出来高ではない。なので元に戻ってこの分母を小さくしたいがための「効率」という事になるのだろう。

まるで効率の呪いにかかってのたうち回っているようだ。

 

しかしこれはやがて

『・質はどうでもよくなる(少なくとも注意が向きにくくなる)
・やることと結果だけになる(内容を味わうことは邪魔になる)』

という事を招く。これはとても頷ける。

ある意味、効率を求めるあまり極めて非効率な事をしている、という皮肉な結果を招いているるようだ。

 

たまたま今日、経済学・経済政策のDVD講義第4回を消化の予定が途中までで中断したので、「DVD講義消化の予定が押している....」と考えながら同時に

「講義を消化する事が勉強か?」とふと疑問がわいた。

このことは慢性的に頭の片隅にある。

 

『内容を味わう事は邪魔になる』

現在受験の為の勉強をしながら「時間がたっぷりあった大学生の時にじっくりこれに関する本を読みたかった」などと考えてしまうが、今、読めばいいのである。

誰も何も急かしたりはしていないのである。

考えてみたら、人生常に何かに急かされてきた。

大学の時は常にそわそわとパチンコに行きたくてしょうがなかった(浪人の時はもっとそうだった)

それでいてのんびりしている人よりも遥かに何もしてこなかった。

分母を小さくすることより以前に質を考えよう。