【効率】 ある事をするのに消費した労力や時間とその成果との割合。(三省堂 新明解 国語辞典)
生産性だ 生産性=OUTOPUT/INPUT
『「効率的な合格戦略!」
「効率的なカリキュラム」
こういった受験機関がよく使うキャッチフレーズは、
試験対策をつまらないものにしている可能性があります。』
本能的にというか受けてきた教育の賜物というか、何事においても効率や出来高によって物事を判断する癖がついている。
確かに『効率的な合格戦略』というのは魅力的ではある。
「ストレート合格」というのも心地の良い響きだ。
人は無駄というのもが嫌いなのでどうしても効率に拘りたくなる。
しかしその伏線として『勉強時間』が受験勉強の指標として使われている事があるだろう。
それはいつしか勉強時間が「出来高」そのもののようになって、自分を安心させる材料になるという副作用も生んでいる。
勉強時間は効率の分母なのであって、出来高ではない。なので元に戻ってこの分母を小さくしたいがための「効率」という事になるのだろう。
まるで効率の呪いにかかってのたうち回っているようだ。
しかしこれはやがて
『・質はどうでもよくなる(少なくとも注意が向きにくくなる)
・やることと結果だけになる(内容を味わうことは邪魔になる)』
という事を招く。これはとても頷ける。
ある意味、効率を求めるあまり極めて非効率な事をしている、という皮肉な結果を招いているるようだ。
たまたま今日、経済学・経済政策のDVD講義第4回を消化の予定が途中までで中断したので、「DVD講義消化の予定が押している....」と考えながら同時に
「講義を消化する事が勉強か?」とふと疑問がわいた。
このことは慢性的に頭の片隅にある。
『内容を味わう事は邪魔になる』
現在受験の為の勉強をしながら「時間がたっぷりあった大学生の時にじっくりこれに関する本を読みたかった」などと考えてしまうが、今、読めばいいのである。
誰も何も急かしたりはしていないのである。
考えてみたら、人生常に何かに急かされてきた。
大学の時は常にそわそわとパチンコに行きたくてしょうがなかった(浪人の時はもっとそうだった)
それでいてのんびりしている人よりも遥かに何もしてこなかった。
分母を小さくすることより以前に質を考えよう。