集中力が飛ぶ | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今日は仕事でミスをした。

まあ、それ自体は仕方ないのだが、人は得てして「なんでこんなしょーもないミスを?」ということをしてしまうものである。そして、今日のミスはまさにそれで、原因を求めるなら集中力が飛んでいたとでも表現したい。

「意識が飛ぶ」とか「無意識下」でも良かったが、インターネットでそういう風に検索すると深刻な内容だったり、ニュアンスが違ったりしたので、集中力が飛ぶと表現することにした。

 

まあ、元々集中力はない方である。ちゃんとやっている風に見えて、次の瞬間にはオートパイロットであることが多い。意識的に集中できるのは30秒程度だろうか? 習慣的に単純計算を毎日100問やっているが、その終盤にもなれば中盤の意識がなかったことに気がつく。

 

慣れた作業であれば集中力が飛んでいても問題ないことは経験的に分かるのだが、今はまだ新しことを色々と覚えている最中であり、その中で集中力が飛んでしまうのは大変危険である。集中力が飛んでいると、その着地の時に集中力が無かった間のことを振り返るため、ロスが大きいというのもある。そのため、わたしは、慣れたことに関しては、無意識にやっても失敗しにくいように環境を整える。しかし、それができないと、大変な精神的ダメージを負いながら、慣れるまで続けることになる。今にして思えば、前職の保育士は慣れる見込みがなかったというのが精神的に大きな負担だったのかも知れない。その前の仕事でも似たような状況に陥ったことはあるが、あの頃はまだ若さ故の精神的な余裕でなんとか乗り越えた。今は精神的な切り替え自体は早くなっているものの、以前に増して完璧主義な性質が出てしまっているため、クリティカルなダメージを受けやすくなっていると感じる。

加えて、生活環境の激変に伴い、その疲れから気が緩みつつあるのを感じる。それによって、保育士になったばかりの頃の自分に戻ろうとする引力を感じている。

 

去年の自分がどんな精神状態だったか、そのことを忘れてはならない。

そして、自分の中にある発達性トラウマの理解をより深め、調和していくことが求められる。