アランの「幸福論」を読み直した。

本書は幸福論と呼ばれているだけあり、人が幸福になるためにはどうすれば良いのかについて様々な表現を用いて説いている。しかし、本書は論じているわけではなく、あくまで語りかけるような文体であるのが特徴的だ。

 

本書は1タイトルのテーマについて3~5ページ程度に収まるように書かれている。というのも、本書の構成はプロポという紙葉1枚2ページに書かれたものの集まりであるからだ。その構成の都合上、体系的に幸福について述べているわけではないが、その分様々な角度から幸福について切り込んでいる。

 

アランの示す幸福というのは、今この時だけを集中して生きることと解釈できると思う。

人は過去や未来について考えると不安になるもので、その想像は際限なく繰り返されてしまうために不安もまた増長していく。そのため、そうならないような活動をすることの大切さを説いている。

例えば、アランはギャンブルや借金に対して肯定的なスタンスを取っている。というのも、それらに取り組んでいる内は、それらに集中できるからである。特に、ギャンブルは自分自身で選択できる場面があり、その自分で選択できるという行為そのものに充実感を得られる。これは、わたしが以前まとめた人は、世界に対して自分がどれだけ作用できるかを確かめたいに通じるものである。

 

また、幸福であるためには上機嫌であることを維持することの大切さも説いている。

例えば、自身の気分が優れない時に、誰かに心配して貰う。すると、「自分は他人に心配される状態なのだ」と思い、その状態を繰り返し意識してしまう。それでは良くないというわけだ。

 

それ以外でも、運動することの大切さや礼儀の大切さについても説いている。

特に、礼儀については作法そのものは重視しておらず、自然な振る舞いこそが礼儀であるとしている。場合によって、作法というのは不自然を助長するものであり、それによって利益を得ようとする行為となる。そんなものは振る舞いとして不自然だということだ。

 

アランはあくまで持論を展開しているにすぎない。そして、その展開に使われる言葉は日常的なものばかりである。身近なものを通じて幸福について説く。それが本書の優れている点である。