無事に入社できたので、履歴書と職務経歴書を更新することにした。
なぜ、転職する予定もないのにそんなことをするのかと言えば、後々楽だからである。
自分の過去の業務とその従事期間を洗い出すというのは、あとからやると中々大変である。
わたしの過去の記事を見てみると、職務経歴書という単語すら知らないわたしがいた。
高校時代と短大時代にそれぞれ新卒としての就活はしたが、その時に知る機会はなかったものであり、転職活動を初めてようやく知った単語である。
この問題点は、転職に必要なものでありながら転職までその存在を知らなくても済んでしまうこと。例えば、新卒で入社して肩書きもなく同じ作業を繰り返し、何十年か経ってから転職のために自分の経歴を振り返ると、「ああ、俺って何もなかったなぁ…」と短絡的に捉えてしまうこと。そうなると中々やる気が起きなくなってしまう。
つまり、履歴書や職務経歴書は普段から更新しておく方が無難である。
なにより、いかに自分には何もないかという危機感が養われるというメリットもある。
そんな競争社会みたいな中で生きたくないというのはもっともだが、人生の無意味を悟って引き籠もり、いざという時に実は欲にまみれていただけの自分に向き合って命乞いしてももう遅いのである。社会は弱者に優しいところもあるが、相手の庇護欲を駆り立てられなければ、その恩恵は非常に少ない。その庇護欲の形成に失敗した例がカスハラ(カスタマーハラスメント。この場合は主に福祉事業の利用者)の一形態だとわたしは思う。
履歴書や職務経歴書はゲームで言うところのステータスである。
ゲームが好きな子どもに対して、自分の能力をデータ化するように促すと、ゲームと現実が統合されて案外上手く世渡りできたりするのかもしれないと思った。
もちろん、リセマラは出来ないし、初手が豚なら国士無双や流し満貫を本気で狙わざるおえないかもしれないが。